九、乙姫①
ダンッという音とともに勢いよくドアが開き、10人程の男たちが教会になだれ込んできた。全員が手に銃を持っている。ノア王子の護衛が銃を抜く暇もなかった。いつの間にこんな人数に囲まれていたのか。私は全く気が付かなかった自分の迂闊さに絶望した。
「何事ですか?」
という牧師の問いに答える声はない。相手は全員まだ若い兵士だ。西の国の軍服を着ている。私は西の国の兵士の階級章について良く知らなかったが、上級士官という感じではなかった。先頭の男がノア王子達に銃を向け、落ち着いた声で
「動かないでください」
と言った。私達は暴徒たちに短時間ですっかり囲まれてしまった。その手際の良さから、若いがある程度の実戦訓練を受けてきた兵士だとわかる。私は自分たちのような普通の人間に勝ち目などないとすぐに悟った。まずいな、とは思うがこういう時にどうすればいいのかという知識はまるでない。
ノア王子の護衛が銃を抜こうとわずかに手を動かしたが、後ろに回り込んだ兵士に小銃で殴られた。
「動かないでください。我々も手荒なことはしたくない。何しろ、同じ国の人間ですからね」
リーダー格の男が一呼吸おいて、私の方を見る。
「乙姫様ですか?」
無言のまま頷くと、男が話し始めた。
「我々は西の国の『第六師団』です。皆さんは包囲されています。外にも兵がいますから、逃げる事は諦めてください」
ノア王子がリーダー格の男に向かって言う。
「第六師団?先日国境を越えていった連中か。まだこんな事をしているのか。銃を下ろせ!」
男は銃をノア王子に向ける。
「ノア王子、あなたは遅いんですよ。我々はね、戦争をするために組織されているんです。乙姫様の国は危険だ。あの箱舟がある国をこのままにしておいたら大変な事になりますよ」
「馬鹿者め…」ノア王子がギリギリと奥歯を噛みしめる。
私はリーダーの男を睨みつける。
「何が目的なの?」
「とりあえず乙姫様には…我々と一緒に西の国に来て頂きます」
そこにいた全員が驚いた顔で一斉に男を見る。
「私を西に連れて行ってどうするの?私一人がそこに行っても箱舟は何も変わらないわ」
私は落ち着いた声で男に問いかける。
男はふっと軽蔑に満ちた目を私に向ける。
「ご存じないようですね。乙姫様に来ていただいて、箱舟を西のものにするんですよ」
王子が怒鳴る。
「何のことだ!」
「ああ、王子もご存じないんでしたね。あの箱舟はね、今や乙姫様と一心同体なんです。王族のみを最深部まで受け入れるあの兵器は、乙姫様が生きている限り、不死身なんですよ。あれは改造されてそういう構造になったんです」
「そんなバカな話があるか。あれはただの機械だ。第一なぜそんな事をお前たちが知っている?」
「こちらには設計図がありますからね。乙姫様、そちらの国では箱舟の解析に四苦八苦しているそうじゃないですか。あの箱舟はね、あなた達が造ったものではない。あの兵器は我が国が作ったんです」
西だったのか…。私としてはある程度は予測はしていたが、やはり箱舟攻略のカギは西にあった。だが、なぜそんな大切な情報をこんな一介の兵士が持っているのだと疑問を抱いた。
男が続ける。
「教えて差し上げましょう。こうしている間もあの箱舟は乙姫様の事をずっと見守っているんですよ。乙姫様が何もしなくても」
王子が言い返す。
「そ、そんな事はあり得ない。そんな話、誰も信じないぞ」
「おや、そんなに不思議ですか?」
男がくるりと私に向き合う。
「いつから動物と話せるようになったんです?それは不思議ではないと?神が起こした奇跡だとでも思っていたのですか?」
乙姫の目が大きく見開かれる。
「あなたはあの事も知っているの?」
「ええ、大いに関係がありますからね」
訳が分からないといった表情でノア王子は私を見つめる。私は男から後ずさる。
「なぜここであの話が出るのよ?関係あるわけないでしょ」
一応の否定はしたものの自信はない。語気は弱まる。
「そうですね。普通は関係あるとは思いません。だからそちらの科学院の学者達は調べませんでしたね。乙姫様の事も、ヒシの事も、ネコの事も。それに気が付いていれば、事態はもっと違った方向に行っていたでしょうね。我々に不利な方向に」
(解決のピースは元々与えられていたのか…)
しばらく考えたが、やはりその辺りの話と箱舟は繋がらない。
「私を西に連れて行って、どうやって箱舟を手に入れるつもりなの?」
私がそう口にした瞬間、男の「オイ」という掛け声で私達は兵士に囲まれる。
「縛れ」
さっきの私の問いかけに男は答えない。
私だけかと思ったら、ノア王子や牧師や他のメンバーまでもが縛られた。
「おい!私はこの国の王子だぞ!」
「もちろん、存じ上げていますよ。なに、少しの辛抱です」
「私達をこんな目にあわせて、王が黙っていると思うのか?」
「それはどうでしょうね」
男は腕を組んで作業が行われていく様子を見ている。その場にいた全員が抵抗をやめて縛られている。多勢に無勢だ。私はしばらく男を見ていたが、その時にふと思った。
(この男、どこかで見たことがある気がするのだけれど、一体どこだったかしら?)
全員が上半身を太いロープで縛られると、それまで黙っていた牧師が口を開いた。
「箱舟に手を出すなんて、やめておきなさい」
牧師はじっと男を見て、それからふっと息を吐くと呟いた。
「あなたの計画は、うまくいかないと思いますよ」
リーダー格の男は卑屈な笑いを浮かべて、視線だけを牧師に向ける。
「見覚えのある顔だと思ったら、あなたでしたか。そうか、今は表向きは牧師ですか。
うまくいくと思うから、今日のような作戦に出たのです。
どうせ全員しばらくここから出られないんだ。我々の計画について詳しく聞きますか?」
その場にいた人間は皆聞きたいと思った。なにせ知らないことが多すぎるのだ。
「地図を広げて、何かご相談のようでしたね」
「お前には関係ない」
「冷たいですね。我々も参加しますよ。その、『箱舟無力化計画』に」
(こちらの動きが漏れていたのか…どこからだ?)
「話さないと言っているだろ!」
その時、東の山あいを抜けて海岸線に戻ってきた箱舟が急速な動きを見せた。屋根が開き、砲台が徐々に上がってくる。このような開けた場所で箱舟が攻撃態勢に入ったので、多くの国民がその様子をかたずを呑んで見守った。周りにこれといった森もなく、遠くからでもその様子はよく見えた。せり上がってきた長い主砲の下には円柱形の台座があり、そこには八個の目が付いている。そのそれぞれが点滅しながら忙しく動き、やがて一点が赤く光った。低いモーター音が唸り、主砲が回転する。どうやら西の方角を指しているらしいというのは誰の目にも明らかだった。目の一つがひときわ赤く点滅すると同時に箱舟が停止し、砲身がカクンカクンと動いて高さの微調整をしたかと思うと『ヒュンッ』という音とともに攻撃が始まった。
『ヒューーーン』という音と共に光る弾が飛んで行ったかと思うと、国境を越えて西の国の領内に着弾し、『ドーン』という着弾音に続いて土煙が上がるのが村からもはっきり見えた。
その様子を見ていた王国の国民は大変な事になったと大騒ぎを始めた。とにかく王様に知らせようと何人かの男が城に向かって自転車を走らせた。
向こうがどうなったか確認したいが、何せ国境の向こうである。うかつに見に行くことも出来ずに、多くの人が事の成り行きをただ黙って見守っていた。
城の方を見ると、何人かの兵士が窓から身を乗り出して事の成り行きを見守っているのが見えた。
城にいるグランデレはじめ、この出来事は国中の人間の血の気を引かせた。
これといった攻撃を西から受けていないのに、箱舟が西の領土内に撃ち込んだのである。次は向こうから反撃されてしかるべき状況であった。グランデレは先ほどまで西からの説明を求める立場であったが、立場は完全に逆転した。このままでは、間違いなく戦争になる。
「話さないと言っているだろ!」
そうノア王子が叫んだ瞬間、教会全体がけたたましい爆音とともに大きく揺れた。
教会は工事中の体であったため、建物の周りに材木や足場があったが、それらがことごとく爆風で吹き飛んでいく。壁面を飾る美しいステンドガラスも半分が甲高い音を立てて崩れていく。
中にいた私達には直接の被害が及ばなかったが、その周りは足の踏み場もないほど瓦礫が散乱している。
ドアは吹き飛ばされて、ただそこに大きな穴がある。そこに外にいた兵士の一人が血まみれで駆け込んできた。
「大変です!マックス少佐、砲撃です!」
「どこからだ?」
「王国です、箱舟です!」
「箱舟?箱舟が撃ってきたのか?外の兵はどうなったのだ?」
「それが…すぐに手当てしないと死にそうな者が数名います!マックス少佐、作戦がばれたのかもしれません。いったん後退しましょう」
「今更下がれるか!我々は二つの国の王族を縄で縛っているのだぞ!もう引き返せないんだ!」
ドアが吹き飛んだ穴から外を見ると何人もの兵士がうずくまっている。怪我人どころか、おそらく死んでいる者もいる。ノア王子が男ににじり寄る。
「死にかかっている怪我人を見捨てるのか?お前の部下だろ?それでも上官か?」
「うるさい!」
そう怒鳴ると男は私達を縛っている縄をつかむと教会の外に引っ張り出した。縄で縛られている上に瓦礫が散乱しているので足元がおぼつかない。
「一旦、港の倉庫に連れて行くぞ」
「連れていくのですか?箱舟に狙われているんですよ?」
そう言った部下に男は銃を向けた。
「早くしろ」