八、ヒシ②
そこまで言ったところで、『おーい』という声が聞こえた。村の男性が手を振りながらこちらに向かって走ってくる。
おばさんも私と同様疲れたのか、無言で手を振り返している。 男性は何だか急いでいる様子だ。
私達の所に来ると、
「荷車を貸してくれ、急ぎだ」
「どうしたんだい、レオ?さっきひっくり返っちゃってさ。ちゃんと走るかわからないよ?」
「壊れたのか?」
そう言いながら男性が後ろに回り込んできて、荷車に乗っている私と目が合う。
「ウミガメ運んでんのか?」
「ほら、例の話すカメさんだよ」
「ああ、あのカメさんか、知ってる知ってる。それより、荷車は何とかなりそうだな。俺が荷車だけ走って引いていくから、おばさんは後から来てくれ。カメさんはどうすればいい?」
事情は分からないが、自分はどうも邪魔になりそうだったので、
「私は村で降ろしてください」と言った。
「わかった。じゃあ引いていくよ」
そう言ってほっかむりを外すと、荷車を自転車から外して駆け足で引っ張り始めた。
「すみません、重くって」
「大丈夫だ。俺は力持ちだぜ」
そう言ってちょっとこちらを向いてニヤッと笑った。
その顔に見覚えがあった。エルが卵を持って行ったときに、横を歩いていたあの男だ。ぎくりとしたが、黙っていた。懸命に荷車を引きながらレオが話しかけてくる。
「村に入ってすぐの砂浜でいいかい?出来れば波打ち際まで送ってやりたいんだが、ちょっと急ぐんだ」
「何かあったんですか?」
「俺の友だちにエルっていうのがいるんだけどさ」
(あの男か)
「あいつの妹、ずっと病気なんだけどさ、ちょっと前に意識を失ってそれっきりそのままなんだ。村の先生に診てもらったんだけど、すぐに町の病院に連れて行けって言われた」
「え?病気なんですか…」
力強く走る荷車の車輪の音と対照的に、レオの声には力がなかった。
「だいぶまずい。急がねえと…」
私は少し考えこむ。これからエルの家に行くのか…。
「あの、一緒に行って構いませんか?わたし、竜宮城で病気の人のお世話してるんです。何か、お役に立てませんか?」
「カメの看護師ぃ?聞いたことないな。人間看たことあるのか?」
ない。全く。が、ここは食い下がってとにかくエルの家に行きたい。
「大丈夫です!」
「わかった。とにかく行ってみるか。重病人だ。手に負えなそうなら言ってくれ」
「わかりました!」
そんな話をしているうちに、荷車は浜の横を通り、村の中に入っていった。
エルの家は浜から離れた村の奥にあった。小さな畑がある古い家で、貧しい村人の暮らしの中でもひときわ貧しい感じがした。家の前に引っ張ってきた荷車を止めると、レオはノックもせずに家に飛び込んでいく。
「持ってきたぞ」
「ああ、ありがとう」
「リリーの様子はどうだ?」
「駄目だ…意識は戻らないままだよ」
「そうか…あ、そうだ、自転車が壊れてる。別な自転車につないですぐ出よう」
「わかった。裏に留めてあるのを使ってくれ」
そう言いながらエルは妹のリリーを抱き上げて表に出る。リーリーを毛布のまま荷車に乗せようとして、そこで荷車に乗っている私を見つけた。
「なんだ、いつかのカメさんじゃないか。すまないがちょっと降りてくれ。これから王都の病院に行かなきゃいけないんだ」
そこに自転車を押してレオが戻ってくる。
「なんでも竜宮城で看護師さんをしてるんだそうだ。力になりたいっていうから乗せてきた」
「降ろしている時間ももったいない。じゃあ一緒に乗っていくか」
「はい」
その会話の間にレオが自転車をつなげる。レオが自転車を引き、後ろの荷車にエル、リリー、ヒシが乗っている。大人数だが体格のいいレオはぐんぐんスピードを上げる。
エルは毛布の中に妹を抱いて話しかける。
「もうすぐ王都だ。いい医者に診てもらえればすぐ良くなるからな。ちょっとだけガマンするんだよ」
そう言って妹の髪を撫でてあげている。その様子を見ていると、そんなに悪人には見えないなという気がしてきた。
揺れる荷車の上でヒシはエルに話しかける。
「あの、お父さんやお母さんは?」
「いないよ。もう何年も前に死んだんだ。そん時はまだリリーも小さかったけど、村のみんなも良くしてくれるし、何とかやっていけてるよ」
「そうなんですか…すみません、変なこと聞いちゃって」
「親がいればもうちょっといい医者に診てもらえるんだけどな。金が無いからいいもの食わしてやりたくってもなかなかな。あ、でもこの前卵を食べさせた時はちょっと顔色もよかったよ」
「卵?卵ですか?」
「ああ、鶏の卵なんて高くて食えないよ。たまたまウミガメの卵見つけてさ、食えるのかどうかわかんなかったけど、俺もあの時ホントに何か妹に食わせなきゃいけなくってさ。村でさ、あんまりあれこれ魚とか獲るなっていうんだよ。乙姫様が怒ってるって言われるんだよ。お前あそこにいるから知ってるだろ?でもさ、こっちはこっちで病人がいてさ…」
そこまで話すとリリーを抱きなおしてエルは黙り込んだ。ガラガラという車輪の音を聞きながらリリーを見つめる。
(私の子供の命は、この子の体の中にいて、この子を支えているんだ)
気持ちの整理がつかない中、レオのこぐ自転車は王都の病院に滑り込んでいった。
「着いたぞ!」
通用口の前で医師と看護師が待ち構えていた。急ブレーキで止まった荷車に医師や看護師たちが飛びつく。
「乗せ換えるわよ!」
医師の「せーの!」の掛け声でリリーをストレッチャーに乗せ換えると、そのまま駆け足で中に運び込んでいく。医師が走りながら脈をとって、看護師たちに叫ぶ。
「昏睡だ、脈も弱い」
振り返って後ろから走ってついてくるエルたちに医師が声をかける。
「いつからこうなんだ?」
「3時間くらい前からです!」
一瞬驚いた顔をしたが前を向いて、
「何とかする!」
それだけ言って処置室に駆け込む。中では他の看護師が持ち構えていて、点滴や人工呼吸器をつけていく。エルたちも入ろうとしたが、
「あなた達は入れません」と、外に追い出されてしまった。見守るエルたちの前でドアがゆっくりと閉じていった。
「どうする?」とレオがエルに問いかける。
「俺はもちろんここに残る。お前たちは一旦村に帰っていてくれ。本当に助かった。カメさんもありがとうな」
そう言うとエルは入り口の横にある廊下を歩いていき、受付で事務員と何か話し始めた。病院という場所はお金がかかる。貧しいエルたちはリリーの容態以外にも心配しなければならないことがあった。
レオと私はエルの後姿を眺めていたが、
「カメさん、とりあえず帰ろうか」という言葉を合図に帰途についた。