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八、ヒシ①

(乙姫様のあとをつけろだなんて、ルークはなんてことを頼むのよ)


そうぶつぶつ言いながら、それでも足音を忍ばせて階段を上がる。上の方で微かに乙姫達の話し声が聞こえる。話している内容までは聞こえないが、3人が上に上がっているのは間違いないようだ。しばらくするとはるか上の方でドアが開く音が聞こえる。どうやら本当に外に出たようだ。


(ルークはなぜ姫様が外に出るとわかったのかしら?)


そんなことを考えながら後を追う。

ここは、通常姫様が使うことのない通用口だ。専ら使用人が使う通用門で、彼女がわざわざここを使う理由がわからない。


(なんだか変ね)


そう思いながらドアに近付くと、しっかり閉めていなかったのか、ほんの少し隙間が空いていて外の様子が見える。外のまぶしい光に目を細めながら隙間をのぞき込むと、ちょうど乙姫達の乗った小さな舟が島を離れていくところが見えた。

いつもは門番がいる場所だが、さっき怪我をした渡り鳥が運び込まれた時に彼もその搬送を手伝っていたので、今ここは無人だった。


(だから、ここから出たのか…)


乙姫様の舟が島から離れたのを確認すると、私は体をドアに押し当てて、重いドアを開けた。外に出ると折からの強風でドアがバタンと大きな音を立てて閉まった。乙姫様達に聞こえたのではないかとヒヤリとしたが、彼女達はこちらを振り向くことなく舟を進める。

私は慌てて海に飛び込み、後を追った。カメだから泳ぎは得意だが、相手は小ぶりとはいえモーターボートである。距離は少しずつ引き離されていく。それでも何とか追いすがり、船が接岸するところも確認できた。舟は漁村の横にある普段の桟橋ではなく、もっと西の方の砂浜に乗り上げているようだった。卵を盗んだあの男が住んでいる漁村だ。


(姫様があの男を捕まえてくれるのかしら?)


そう思ったが、3人は村とは反対方向の森に消えて行った。やや小走りで去っていく3人を海の中から顔だけ出してみていると、その後をつける二人の男の姿が見えた。見たところ、この辺の漁村にいるような男の服装ではない。


(乙姫様は誰かにつけられている…)


嫌な予感がして私はとにかく岸に上がった。


一旦岸に上がってしまうと、私が歩くスピードは人間よりも格段に遅い。このままでは完全に見失う。誰かの助けを借りなければ無理だ。少し躊躇したが、私は乙姫様が歩いて行った森とは反対方向の漁村に向かった。この漁村で知っている人間は卵を盗んだ彼しかいない。あの男に手伝わせよう。このまま姫を見失うのはまずい気がする。悔しいが今はあの男に対する恨みは置いておこう。


私は村の中に入っていった。村の中心を通る細い道をペタペタと歩く私の姿を村の人々は不思議がった。普通はこんなところにウミガメは来ないからだ。本来臆病なウミガメは人が沢山いるところには滅多に現れない。


「おいおい、カメがいるぞ」


そんな風に言われて逃げ出したい気持ちになったが、乙姫を思うと逃げ出すわけにもいかない。しかし、どうやって探せばいいのか。何しろ、あの男の名前すら分からないのだ。

そんな事を考えながら歩いていると向こうから猛スピードで走ってくる男と曲がり角でぶつかった。私にぶつかってひっくり返った男を見ると、見覚えのあるあの男だった。奇跡的な幸運であった。

探していたあの男が自分からやってきたのである。私はとっさに声をかけた。


「あ!こんにちは!実はお願いが…」


そこまで言うと男も私に気が付いた。


「ああ、あの時のウミガメか。悪いな、ちょっと急いでるんだ」


そう言うと男はそのまま走り去っていった。

ほんの数秒の出来事で、私は彼を引き留める時間すらもらえなかった。

あっと思った時には、彼の姿はもう消えていた。

がっくりとうなだれてその場にうずくまっていると、見知らぬおばさんが声をかけてきた。


「あんたかい、言葉が話せるカメさんっていうのは」


ニコニコしながら話しかけてきた女性は悪い人ではなさそうだった。


「はい、すみません、今の男の人…」


「ああ、エルかい。彼がどうしたんだい?」


「はい、ちょっとあの人に頼みたいことがあって…」


「そうかい、でも、今はちょっと行かしておやり。彼も大変だから」


「そうなんですか…」


今の私以上に大変な事などあるものかと思ったが、行ってしまった男の事を考えても仕方がない。男の協力は諦めたが、乙姫様の追跡は諦めるわけにはいかない。私は男の代わりにそのおばさんにお願いしてみる。


「あの、お願いがるんですけど」


「お願い?まあ、私に出来る事があるならやってあげるけど、なんだい?」


「じつは、森の中に人を探しに行きたいんですけど、私を運んでもらうことは出来ますか?」


「あんたをかい?」


そう言いながら女性は私を見る。軽く50キロはありそうな私を担いで森に行くのはとても無理そうだという顔をされた。


「すごく急ぐんです。私の大切な方が何か事件に巻き込まれるかもしれないんです。すごく嫌な予感がするんです。森の中に行ってしまったので追いたいのですが、私の足ではとても追いつけないんです。お願いします」


それを聞くと女性は顎に手を当てて何か考えている。


「ちょっとこっちにおいで」


そう言うと家の横に回り込んだ。ヒシが付いていくと家の脇に自転車があって、その後ろに小さな荷車が繋げられている。


「市場に魚を運んでいく時の自転車だよ。これにあんたを乗せてあげるから、二人で行ってみるか。まあ、道のある所しか進めないが、歩くよりましだろ」


そう言うと女性はヒシをよっこらしょと荷車に乗せる。


「ありがとうございます!」


「落ちないように気を付けるんだよ。森の方だね?急ぐんだったよね。飛ばすよ!」


そう言うと私の返事も聞かずに自転車は勢いよく走り始めた。

疾風のように自転車を飛ばしながらおばさんが訊いてくる。


「で、追っかけるのはどんな人なんだい?」


「それがその、乙姫様なんです…」


「ええ?あの乙姫様が危ないのかい?」


「まだそうと決まったわけじゃないんですけど、でも今はとにかく追っかけなきゃ確かめようもないんです」


「なんだかわかんないけど、姫様が大変なんだね?」


ちらりと振り返ったおばさんに私がこくりとうなずく。それを確認するとぐんと加速し自転車はさらにスピードを上げる。


「森だね?どの辺だい?」


そう言いながらおばさんはきょろきょろ見回すが自転車は全速力のままなので、自転車はコントロールを失って大きく蛇行した。そのあおりで私の乗っている荷車も私を振り落としそうになる。さらに今走っている道は石ころだらけの悪路で、荷車は飛び跳ねるようにしながら激走する。荷車が跳ねるたびに私の体も宙に浮く。


「おばさん!落ちるーー!」


ギャーギャー騒ぐヒシをおばさんが叱り飛ばす。


「姫様が大変なときに、落ちそうになってんじゃないよ!しっかりつかまってな!」


私の脳裏に、さっき初めて会った時のおばさんの笑顔がよぎる。


(あんなに穏やかな感じのおばさんだったのに…)


今目の前にあるのは、飛ぶように自転車をこぐおばさんの筋肉質の背中だ。しかし、こうも思う。これだけ必死になるのは、それだけ姫様が愛されている証拠なのだと。そう思うとここは何としても発見しなければ。


「あ!」っとおばさんが叫ぶ。


「あれじゃないのかい?」


おばさんが指差す方に、今まさに車に乗り込もうとする人の姿が見える。顔は分からないが、あの服の色は確かに、


「姫様!」


私がそう叫んだ瞬間、片手運転で二人そろってよそ見をしていた自転車が、ひときわ大きな石に乗り上げ、盛大にジャンプした。


叫ぶ暇もなく自転車と荷車は空中で横向きになり、二人とも投げ出された。空中でさかさまになりながら、私の目は乙姫様が乗り込んだ車が走り去るのを追っていた。


(姫様、ルーク、ごめんなさい…)


そう思うのもつかの間、二人は勢いよく地面にたたきつけられた。


どの位そうしていただろうか、いててて…とおばさんが両手を地面について上半身を起こす。


「無事かい?ごめんよ…。姫様に追いつけなかった…」


「行っちゃいましたね…」


「ねえ、カメさん、姫様に何があったんだい?」


「わからないです。でも、きっと私達が知らない何かが始まっているんでしょうね。でも、私達庶民にはそういうの、教えてもらえないじゃないですか。難しい事もあるんでしょうけど、何も言われないと、なんか私達信用されていないのかなって、なんかちょと悲しくなりますよね。乙姫様を追ってくれってお城のお医者様に言われてここまで来たけど、結局見失っちゃうし…」


「村に戻ってみんなに事情を話して、手分けして探そうか?」


そうおばさんに言われたが、それはそれでまずいような気がした。姫様は知られたくないのだ。それを思うと大掛かりなことは控えたほうがいいように思った。


「やめておきます。たぶん姫様に怒られます」


おばさんは黙って聞いている。道端に座り込んでその辺の草をむしってもてあそびながら、おばさんがぽつりと言う。


「カメさんは、乙姫様のこと好きかい?」


「はい、それはもちろん」


「じゃあ信じてあげなさいよ。私たちのために黙ってるんだよ、きっと」


でもたった今姫様自身に危険が迫っているではないか。あの方は何を背負おうとしているのだろうか。


しばらくして、おばさんは「いたたたた」と言いながら立ち上がると、苦心して自転車と荷車を起こした。荷車にヒシを乗せるとゆっくりスタートする。自転車はフレームが歪み、ガタコンガタコンと変な音を立てていたが、二人は無言だった。自転車が思いの外調子が悪く、おばさんは途中から自転車を降りて、歩きながら押し始めた。


「そういえば」


と、おばさんが話し始める。


「エルとは知り合いなんだよね」


「はい。前に浜で会ったんです。私、彼しか顔見知りがいなくて、こんな事頼む相手も彼しか思い浮かばなかったんです…」


「そうだったのかい。エルならもう少し上手く出来たかもね。ごめんよ」


そう言っておばさんは苦笑いをする。


少し日も傾いてきているが、午後の日差しはまだ暑い。暑いのは好きではないが、そんなのはどうでもいいくらいに疲れていた。考えてみれば今日は朝からエルを探しに砂浜に行き、竜宮城でミゲル達と話をし、ルークから姫様を追うように言われ、最後はおばさんの自転車の荷車に乗ってふっ飛んだ。疲れてるのか、体が痛いのか、とにかく動くのがやっとだ。おばさんが独り言のように話す。


「この村はさ、魚を獲るだろ?もちろん自分たちでも食べるが、王都の市場に売りに行ってそれでお金を稼ぐ。そのお金で食べ物を買う。魚ばかり食べるわけにはいかないからね。野菜は自分たちでも作れるが、米や肉なんかはお金が無くちゃ買えない。もちろん無駄にたくさん獲ったりしないよ。村の連中が生きていければいいから、必要最低限にしてるさ。あの村、豊かに見えるかい?」


おばさんはけらけらと笑う。


私は黙って聞いている。


「…私は漁師の娘だから、子供の時から魚を獲るところは見てるけど、やっぱり慣れないよね、魚が死ぬところを見るのは。村の若い衆が獲ってきた魚を船から岸にあげるときはまだ少し動いているんだけどさ、それが段々動かなくなる。もちろん私達だって生きていかなきゃいけない。だから、『ごめんよ』って言ってカゴにのせるんだ」


おばさんはそれっきりしばらく黙って自転車を押す。砂利道をなぞるゴロゴロという音が静かに響く。


「怒ってるんだろ?乙姫様」


「え?」


「村の者はみな知っているよ。姫様は殺生が嫌いなんだって?」


「ええ、まあ、それは…」


私は口ごもる。


「何も私達も、贅沢したくてやってるわけじゃない。エルのとこだってそうさ」


「え?でもあの人私の卵を全部…」

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