七、グランデレ①
城に戻ると私はすぐに科学院のヒューゴ長官を自室に呼んだ。
「お帰りなさいませ。箱舟はいかがでしたか?」
「中の様子は最後に見た時と変わっていないが、パネルが真っ暗だった…。恐らく、もう駄目になっている…」
黙り込むヒューゴに声をかける。
「思った通り、という事だな」
押しつぶされそうな雰囲気を変えようとヒューゴが問いかけてくる。
「難なく近付けましたか?」
「ああ、馬で行ったからそれは大丈夫だったが、私自身はという事だ。他の者が近付いて大丈夫かはわからん。それに、乗り込むときに速度を下げてこなかった。明らかに以前と違う」
かつて箱舟を調べようと科学院の研究者数名を連れて箱舟に飛びついた事があったが、中に入ることは出来なかった。鍵を使っても解錠出来ないのである。そればかりでなく、警告音とともに箱舟の上部が開き、主砲横の機銃がこちらにせり出してくるのが見えた。科学者たちは血相を変えて飛び降り、散り散りに逃げて行った。当のグランデレは逃げたくても鍵が抜けなくなり、箱舟から離れるチャンスを失ってしまった。彼はドアの横にあるわずかな物陰に身を隠し、しばらく機銃が獲物を探すように左右に首を振るのを息をひそめて見上げていた。科学者たちの姿が全く見えなくなると、箱舟はその場に停止し、壁面上部の開口部がゆっくりと閉じて機銃も中に吸い込まれた。するとあれほど抜けなかった鍵があっさりと穴から抜けてしまったのだった。
その事があって以来、箱舟に近付きたいという学者はいない。
私はフーっとため息をついて天井を見上げる。
科学院の報告が正しければ、あの箱舟は人類初の自律型兵器だ。人間の指示を受けず、中にある人工知能が自分で考えて行動する。兵器として完全に独立しており、人間が燃料を補給したり弾薬を補充したりする必要がない。壊れれば自分で直すし、修理の材料も自分で見つける。謎が多く、燃料が何か、弾の材料が何かは明確に分かっていない。ただ、長年の研究で明らかになってきたこともいくつかある。
あの箱舟は“怒り・敵意・殺意”に反応する。つまり、道に迷って国境を越えてきた一般市民には反応しないが、銃をもって国境を越えてきた西の兵団には反応した。敵軍には明確な殺意があったのだろう。箱舟は彼らを敵とみなし、排除した。
もう一つ、箱舟の中には王族しか入れない。これは先だっての改造前からだ。私や乙姫が近付いてもおとなしいが、兵士や科学者などがドアに触れると警告音がするので皆怖がって近付かない。乙姫が近づいた時には何も起こらなかったが、彼女は箱舟を毛嫌いしており、あまり研究にも協力的とは言えない。そのため、箱舟の調査には毎度毎度私自ら出向くことになる。幸い自分は機械好きで知的好奇心も旺盛だ。乙姫とは対照的に科学院の研究には積極的に参加している。
箱舟がどうやって王族を見分けているのは謎だが、この先一般人を王族と誤認したり、その逆に王族をそれと認識できない場合に、不都合が生じる。仕組みがわかるに越したことはない。
独り言のように私は口を開いた。
「今日は落ち着いてはいたが、なぜここ数年動きが活発なのだろうか?」
「まったく科学的根拠はないのですが、心当たりはあります」
意外な発言に振り返る。
「遠慮せず言ってくれ」
「現在わが王室には乙姫様という女の子がいらっしゃいます」
私がその真意を計りかねているとヒューゴが続けた。
「二代前の国王の時代、箱舟が活発に領土を回って国内を見張っていた時には、王室に女の子がおられました。逆に王子しかいらっしゃらない先代の王の時代には箱舟の動きは極めて緩慢であまり動きません。ここ数年の動きで箱舟が大したことがないと言われた背景には、王室に永らく女の子がお生まれにならなかったことと関係があるかもしれません」
「そんなことを…」
(あの箱舟が知りえるものだろうか?)
「ただ、どうやってあれがそれを知るかです」
「そうだな。それに、もしそうだとしても箱舟にとって何か戦闘の役に立つ機能とも思えぬ」
「確かにそうです。箱舟を止める事には関係なさそうです。ですが、何のためにあれがいるのかという疑問への解決の糸口にはなりそうです」
「まさか、姫を守るためにいるのか?」
長官のヒューゴが黙り込む。
私はしばし考え込む。
確かに乙姫が生まれた次の年から、それまでほとんど止まっていた箱舟は徐々に動きが活発になった。砲撃があった日は、乙姫は城にいた。しかし、それだけだ。
(いや“たったそれだけの事”と言えるだろうか…)
私はこれまでの乙姫との日々を回想する。
娘はかつては少女らしい明るさで誰にでも話しかける子だった。城内でも人気者で誰もが彼女のそばにいたがった。世の中は平和で国内の経済は安定し、作物はよく育った。
その生活が一変したのは乙姫が生まれて6年ほどした頃だったか。西の国のライアン王が会談を申し込んできた。年に一度は会っていたが、その年は既に一度会っている。なぜ二度もと思っていると、折り入って相談があるという。私は二度もこちらに来ていただくのは申し訳ないと思い、私の方から西に出向くと申し出た。彼は恐縮していたがこちらの申し出を快く受け入れ、ぜひお越しくださいと使者を通して伝えてきた。
それから一か月ほどして会談が行われたが、会ったのは城ではなく西との国境を越えたところにある小さな教会であった。こちらの従者は失礼千万だと立腹し、帰りましょうと言っていたが、何か理由があるのかもしれないと彼らをなだめ、会見に臨んだ。
西の王は会見が城ではなく辺境の教会である非礼を詫びた。
挨拶もそこそこに済ますと、西の王はこちらにこんなお願いをしてきた。
『乙姫様にお会いしたいのです。箱舟のことでどうしてもお話ししたいことがあるのです』
と言う。
箱舟がらみと言えば少なからず政治的な話になる。それを年端も行かぬ幼い娘と話したいという。王である私とではなく、だ。当然私は話したい事の内容をお聞かせ願いたいと言ったが、それは出来ないという。そんなわけのわからない話し合いにまだ幼い娘を引っ張り出すわけにはいかない。それに、この事は私の王としてのプライドを少なからず傷つけた。
結局私は西の申し出を断り、会見の場から引き揚げた。それ以降何度か西の王に会ったが、この件に関する話題を向こうから出してくる事は二度となかった。
彼は乙姫と何を話したかったのだろうか。もしもヒューゴの言うように箱舟と乙姫が関係あるならば、西は箱舟についてこちらが知らない何かを知っている可能性がある。そしてそれは、少なくとも、
“私には聞かせられない話”だ。
ではなぜその話を乙姫には聞かせられるのだ。こちらは家族だ。最低限、利害は一致する親子関係のはずだ。娘にとってはいい話で、私にとっては良くない話。それを、西の王は私を通して申し込んできた。私に秘密にしておきたければ、娘にだけそっと耳打ちする方法などいくらでもある。しかし西はその方法を選ばなかった。『今からそちらの姫様に王様には言えない話をお伝えします』と、正面切って言ってきた。乙姫は同じ国に住む私の娘だ。つまり、いずれは私の耳にも入ることを向こうは予定している。
何かを娘の口から話させようとしている。何の為に?
向こうはもちろん王様には内緒ですよと形ばかりの口止めをするだろう。しかし、曲がった事が嫌いな娘だ。隠し事は出来ない。その事は彼女の中に少なからず苦悩を生み出すだろう。
という事は、乙姫にとっても…、良い話ではないのか…。
その時期を境にこれまで緩慢だった箱舟の動きが徐々に活発になる。この変化に周辺国は敏感に反応し、国境付近にそれなりの軍を置く国が出始めた。こちらを攻撃することが目的ではない。この王国の箱舟からの攻撃に対する防御のためだ。周囲の国を刺激しないよう外務大臣が各国を訪問し、説明に回るがあまりいい成果は出なかった。各国からの要求は決まっている。『箱舟を止めてほしい』というものだ。巨大兵器が国境近辺をうろうろしているのだ。止めてくれと言うのが当然だが、何しろあれは勝手に動く代物で、こちらがコントロールしている物ではない。だが、そんな事が他の国に言えるだろうか。
『あれは勝手にこの国を守っている機械で、私達も動きは止められませんし、いつどんな行動をとるのかもわかりません』と。
それこそ、国際問題だ。危険国の認定を受け、各国のやり玉に上げられる。
(せめて、止め方だけでも分かればいいのだが…)
しかし、先祖はとんでもない置き土産をしていったものだ。
やはり何としてもあれの構造を解明しなくてはならない。
私は近くにいた侍従を呼んで、乙姫を城に呼ぶように伝えた。考えてみれば娘が嫌がるのもあって、箱舟の中に彼女を連れて入った事はない。これは賭けだが、
(乗せてみるか…)
乙姫を守っているという仮説が正しければ、例え乗せても彼女が危険な目に遭うことはまずないだろう。それに、箱舟が何か新しい動きをするかもしれない。先日中に入った時に暗くなっていたパネルが、また明るく映像を映し出すかもしれない。そこにあるものを見せる事が正解かどうかは分からないが、いずれ見せなければならないだろう。
だが、まずあの娘をどうやって乗せるかだ。乗せてみれば何か変化があるだろうが、乗ってくれないことには話が進まない。もう、思いつくことは調べ尽くしてしまった。あとは、箱舟と乙姫の関係性を調べるしかない。もちろん理想はそこで箱舟が止まってくれることだが、彼女を乗せただけで止まるわけがない。
“止まる意味”が無いからだ。
そこまで考えたところで先ほどの侍従が戻ってきた。冷めた紅茶のカップに手を伸ばしながら、問いかける。
「いつ頃来る?」
「それが…、竜宮城の方にはいらっしゃらないとのことです」
「どこにいるのだ?」
「向こうからの連絡によると、『今探している』とのことです」
カップを口元にもっていっていた手が止まる。
「どこにいるかわからないのか?」
「はい、申し訳ありません。すぐ城の者を使って探します」
「一人で行ったのか?」
「二人ほど連れて廊下を歩いてらっしゃるのは見たというものがいるのですが…、それがその…」
歯切れが悪い。
「どうした?」
「ただの警備員だというのです…」
「警備員?」
「はい、日頃お城に上がっている者はお互いの顔は知っているものですが、どのエリアにもその警備員の素性を詳しく知っている者はいませんでしたと報告が来ました。おそらくは外部の者かと」
「なぜ行かせた?」
「はい、ちょうど箱舟の砲撃で怪我をした渡り鳥が新たに保護され、その治療に気を取られた隙とのことでした」
「すぐに探しに行け!」
「はい、ただいま!」
絶叫に近い返事を残して執事は廊下を疾走していく。
抜け出した、という事か。行き先を知らせず、城の者が素性を知らない従者がいる。ということは、
(明確な目的があって出ている)
何だろうか…。しばらく考えていたが、これといった心当たりがない。