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1.大学四年 八月

 大学の中央図書館のゲートを通り抜け、俺は腕時計をチェックする。午後五時だ。これなら七時前に家へ帰れる電車に乗れるだろう。

 有名な建築家がデザインしたという入口を出て、顔を上げると空は今にも落ちてきそうな真っ黒い雲に覆われていた。思わず、ため息が漏れる。

 折り畳み傘は持ってきていただろうか。俺がカバンの中を探っていたら、ジーンズの後ろポケットでスマートフォンが振動した。誰だろう。画面をチェックすると、同じゼミのリーダーをしている柳沢からだった。俺は送られてきたメッセージを確認する。

「今日、真鍋と会った?」

 真鍋勇吾。今、俺が一番会いたくないヤツだ。それは柳沢も知っている癖に。何だっていうんだ。あいつにゼミのことで、連絡でもあるんだろうか。正直、関わりたくない。だが、うっかり既読を付けてしまった。諦めて、俺は返事を打つ。

「見てない」

「連絡もない?」

「今あいつのこと、ブロックしてるから」

「えっ、何で?」

「知ってるだろ。俺が迷惑してるの」

「新井。そういうこと、するなよ」

「はぁ? これまでのこと、お前だって知ってるじゃん」

「わかるけど。あんまりバッサリやるなって」

 何がわかるんだよ、お前に。俺だって最初は穏便に済まそうとしていたんだ。でも、真鍋の行動はどんどんエスカレートしていった。もし、あいつのターゲットが柳沢自身だったとしても、同じことを言えるのだろうか。

「こっちがハッキリした態度を取らなきゃ、あいつわかんないから」

「けど、ちょっとヤバかったかも」

 ヤバいのは真鍋だ。俺じゃない。そんな俺の気持ちを無視して、柳沢からのメッセージは続く。

「実は、真鍋の母親から連絡があって」

「なんで親が出てくるんだよ」

「まずは話を聞けって」

「わかった。で、何だよ?」

「真鍋、家に帰って来てないらしいんだ」

「いつから?」

「昨日。ふらっと出て行って、それっきりらしい」

「昨日? まだ一日しか経ってないのに。バカらしい。仮にも大学四年の男に過保護だろ」

「まあな。でも、お前も知ってるだろ。今の真鍋の状態。とりあえずブロックは解除しておけよ。で、連絡あったら、俺にも教えてくれ。協力するから」

「わかった」

 スマートフォンをポケットにしまうと頬に何かが落ちてきた。雨粒だ。次から次へと降ってきて、どんどん勢いを増していく。


 ドアを開けて家の中へ入ると、俺はすっかり重くなったスニーカーを脱ぐ。中から水が滴り落ちてきた。

 新調したばかりの靴箱は、早速犬の噛み跡が付いている。我が家のコーギー、コロマル様の餌食になったようだ。父さんも、こうなることがわかっているんだから、止めたらいいのに。自慢のマイホームを理想通りしたい、という夢は諦めきれないらしい。

 さて、どうしようか。玄関で立ちすくんでいたら、コロマルが近付いてきて、騒ぎはじめた。続いて、母さんがキッチンから出てくる。

「おかえり、恭介。ってあなた、ずぶ濡れじゃない。そのまま上がらないで。ちょっと待ってて」

 母さんは奥へ引っ込み、バスタオルを持ってきた。

「はい。天気予報は雨だって言ってたでしょ。傘、持っていかなかったの?」

「折り畳みはあったんだけど、全然役に立たなくて」

「そう。まあ、この雨じゃどうしようもないわね。晩ごはんは?」

「いらない」

「じゃあ、お風呂沸いてるから、入っちゃいなさい」

「そうする」

 俺は受け取ったバスタオルで身体を拭いて玄関へ上がると、そのまま風呂場へ向かった。脱衣場で身体に張り付いた服をひっぺがして、洗濯かごへ放り込む。

 洗面台の鏡を見たら、せっかくセットした髪が台無しになっていた。筋トレのお陰もあって、筋肉はついてきた気がする。こういう努力が、かえって真鍋の行動をエスカレートさせているんじゃないだろうか。けれども、最後は自分で身を守らなくちゃいけない。だとしたら、筋肉をつけておくことは必要だ。

 冷たい空気が肌に触れて、身体がブルッと震えた。こんなことしている場合じゃない。俺は浴室へ入る。

 簡単に身体を洗って、バスタブに入ると思わず声が漏れ出た。足を伸ばして全身が浸かると、さっきまで縮こまっていたものが緩んでいく。

 真鍋が行方不明か。どこをほっつき歩いているのだろう、あいつ。最近は精神科に通っているって聞いていたから、確かに心配ではある。にしても、何を考えているんだか。出会った頃は友だちとして普通に仲良くやれていたのに。

 柳沢は俺の態度が真鍋を勘違いさせて、おかしくしたっていう。でも、それは変じゃないか。わざと思わせぶりにしたのであれば、責められてしかるべきだろう。けど、俺は普通に真鍋と接していただけだ。何で責められなくちゃいけない。

 それにもう限界だった。恨み言が綴られたメッセージが何通も連続で来たかと思えば、何事もなかったかのように遊びへ誘うメッセージを送ってきた。挙げ句の果てには、なんだかよくわからない謝罪のメッセージを送ってくる。俺だって最初はうまく納めようと返事をしていたが、ほとほと疲れてしまった。だから、ブロックした。確かに無視し続けた後で、何も言わずにブロックしたのは良くなかったかもしれない。けど、真鍋に説明したところで、また揉めるだけだ。今の俺にそんな気力はない。仕方なかった。そう、仕方なかったんだ。

 けど、やっぱり俺はどこかで間違ってしまったのだろうか。あいつが俺に告白をしてきた時。いや、出会った大学三年のゼミまで時間を巻き戻せたら、俺はうまくやれるのだろうか。

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