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異世界恋愛*短編

義妹に婚約者を奪われて、野蛮と噂の赤獅子がいる辺境に嫁がされました

作者: 楠結衣


 徹夜で回復薬を作り、寝不足と魔力不足でふらつく私は、婚約者のハウエル様からの急な呼び出しに屋敷の応接室へ向かう。数日前、彼が義妹のイザベラと親しげに話す姿を見た不安が、胸をざわつかせていた。

 

 応接室に入ると、ハウエル様が冷たく告げる。

 

「シャーロット、お前との婚約を破棄する。イザベラと婚約を結び直すことに決まった」

 

 ハウエル様の隣でイザベラがくすくす笑う。イザベラは父の再婚でマローラ子爵家にきた義妹。頭が真っ白になり、声が震える。

 

「どういう……こと?」

「お義姉様、よかったわね! 落ちこぼれのお義姉様が、マローラ子爵家の役に立てるなんて光栄でしょう?」

「お前はイザベラの代わりに、赤獅子の辺境伯へ嫁ぐ。イザベラは、この国で唯一人、上級の回復薬を作れる聖女だ。魔物だらけの辺境になんてやれないだろう?」

 

 ハウエル様の言葉は鋭く、視線は蔑みに満ちていた。

 

「お前の低級な回復薬しか作れない無能さは、マローラ子爵家でも邪魔者だ。子爵が辺境伯との縁談を決め、子爵夫人も伯爵家も俺とイザベラの婚約に賛成した」

「あの、でも……」

「口答えするな! 相変わらずお前は、鈍くて醜いな」


 ハウエル様が舌打ちし、私の肩がびくりと跳ね上がる。


「イザベラは聖女の名にふさわしく美しい。お前の粗末な薬とみすぼらしい姿は、野蛮な辺境でお似合いだ」

 

 侮蔑の言葉が胸を刺す。視界がぼやける中、くすんだドレスと乱れた髪が恥ずかしい。


「イザベラも俺と同じ気持ちだ」

「ええ、わたくしもハウエル様をずっとお慕いしてましたわ……」


 甘えた声で微笑むイザベラに、ハウエル様が甘く見つめ返す。二人の親密な視線に耐えきれず、走り出す私を、冷たい笑い声が追いかけてきた。


 ✤ ✤ ✤


 日の当たらない屋根裏部屋の粗末なベッドに倒れ込み、涙を流していると、母の笑顔が胸に浮かんだ。お母様が亡くなってから、誰も私の薬作りを褒めてくれなかった。出来損ないの私に、マローラ子爵家の居場所なんてあるはずないのに。


 扉が乱暴に開き、イザベラがノックもせず入ってきた。イザベラの豪華なドレスが、薄暗い部屋で不気味に映る。

 

「お義姉様、逃げ出すなんて情けないわ。婚約のお祝いに来たのに、こんな埃っぽい部屋で泣いているなんて、みっともない」

 

 蔑むように笑う彼女の瞳には、聖女と呼ばれる優雅さはなく、悪意だけを向けられる。


「侍女はなにをしているのかしら? ああ、お義姉様のために働きたい侍女は誰もいないんだったわね」


 蔑むように、くすくす笑う。お母様が亡くなり、イザベラが来てから私の味方をする使用人や侍女は全て解雇された。私がなにかを言い返すと、夕食の硬いパンすらもらえなくなるので、表情を出さないようにうつむく。


「ねえ、お義姉様。赤獅子の辺境伯の噂は知っていて? 魔物と戦って醜い傷が沢山あるらしいのよ。常に魔物が現れるから、兵士達は昼夜問わず戦い負傷が絶えなくて、辺境の地は、どこにいても血の匂いがするみたいよ」


 イザベラの声が薄暗い屋根裏部屋に響き、嘲笑が私の胸を刺す。くすんだドレスの裾を握りしめ、うつむくしかなかった。


「血の赤い花が咲き乱れる不気味な土地ですって──聖女のわたくしが、そんな穢れた場所には絶対に行かないわ」


 辺境のハルジオンには、燃えるような赤い髪と瞳を持つ獅子のようなハルジオン辺境伯がいる。魔物の脅威から国を守っているけれど、常に戦いをしているため野蛮だと恐れられ『赤獅子の辺境伯』と呼ばれている。

 血の赤い花と呼ばれる魔物の穢れを吸う花がハルジオンには咲いていると子爵家の使用人が囁いていた。魔物は森の奥から生まれるとされているが、詳しくはわかっていないため、出没するたびに討伐するしかない。


「お義姉様は低級の回復薬しか作れないけど、少しはお役に立てるのではなくて? お義姉様の婚約者がわたくしに夢中になってしまったのが申し訳なくて、赤獅子辺境伯の縁談をお父様に勧めてみたの」


 髪をかき上げながら、イザベラがくすくす笑う。ハウエル様に裏切られたことを思い出し、胸がひどく締め付けられる。


「マローラ子爵家といえば、わたくしの作る聖女の回復薬で有名ですもの。王都の貴族はピンク色の薬を飾るのが大好きだけど、辺境の兵士には高すぎて届かないわ。あっという間に決まったそうよ。素敵な結婚相手が見つかってよかったわね、お義姉様」


 イザベラの言葉に、心が砕け散った。


「い、イザベラ……でも、すべての回復薬は私が作っていて……」


 思わず声に出してしまった私を、イザベラがぞっとするほど冷たい笑みで私を見下ろした。


「なにを言ってるの? お義姉様のどうしようもない回復薬に祈りを捧げて、上級の回復薬にしているのは、聖女のわたくしなの。お義姉様のような低級な回復薬を作るなんて誰にでもできるわ」

「…………っ」

「回復薬よりも、自分のことを考えたほうがいいのではなくて? 薄汚い身なりに貧相な身体では、追い出されてしまうかもしれないわ。ふふ、追い出されても帰る家なんてないから、精々頑張ることね」


 はっきり言われて言葉を失った。

 マローラ子爵家の回復薬は私がすべて作っている。イザベラの『聖女の回復薬』も私の作ったものに、イザベラが祈りを込めてイザベラの魔力と同じピンク色の上級回復薬にしていた。

 出来損ないと呼ばれていても、少しは役に立っていると信じていたのに。イザベラにハッキリ否定されて、わずかに残っていた矜恃も粉々に砕けていく。


「出発は明日よ。馬車の中で眠れるんだから、徹夜して作れるだけ回復薬を作っておいてちょうだい」

「……はい。わかりました……」


 小さな鞄を私に投げつけ、嬉しそうに笑うイザベラの顔は、涙で(にじ)んでいった。



 ✤ ✤ ✤


 一週間かけて辺境に辿り着いた馬車から降りると、赤髪の男性が笑顔で出迎えてくれた。


「よく来てくれた! 俺は、アーサー・ハルジオンだ」

「シャーロット・マローラです。よろしくお願いします」


 騎士服越しにも大柄で逞しい身体と優しい赤い瞳。穏やかな声に野蛮な噂とのギャップを感じ、緊張が少しほぐれる。ごほん、と咳払いとともに、青い髪を結んだ男性が冷ややかな視線を向けてきた。


「辺境騎士団副団長のレオンです。マローラ子爵から聖女の回復薬を持参すると聞いていたが、どこにありますか? 森の奥で魔物の気配が強まっている今、回復薬が必要ですからね」


 心臓が跳ねた。父上の約束を初めて知り、追い出されるのでは、と怖くなる。

 

「あの……父からは聞いていなくて……回復薬は持っていません」

 

 レオンの目が鋭くなる。


「大量の回復薬を約束しておきながら、一本もない? 魔物が増えるこの地を侮辱しているのか?」

 

 震える私に、アーサー様が割って入る。


「レオン、言い過ぎだ。シャーロット嬢は知らなかったんだ。彼女を責めるのは筋違いだ」

「…………失礼しました。魔物が増え、回復薬が足りないもので」

 

 レオンが舌打ちし、視線を逸らす。アーサー様が慰めるように優しく笑う。


「シャーロット、気にするな。レオンは怖く見えるが、騎士団のために命を懸ける責任感の強い男なんだ」

「ありがとうございます……本当に申し訳ありません」

「魔物の辺境に嫁ぐ令嬢は稀だ。シャーロット嬢、君が来てくれて嬉しい。心から大切にするから心配はいらないよ」

 

 アーサー様の真剣な瞳に、ハウエル様の蔑む視線を思い出し、胸が温かくなる。


「アーサー様……私を置いてもらえるのですか?」

「もちろん。俺のことはアーサーと呼んでくれ。婚約者なんだから」

「はい……アーサー……様」

 

 呼び捨てに緊張し、様を付けて呼ぶ。アーサー様が目を柔らかに細めて笑い、大きな手で私の手を握った。



 ✤ ✤ ✤

 


 屋敷へ向かう道中、アーサー様が騎士団の訓練場や赤い花が咲く庭を案内してくれる。赤い花に目を留めた。


「この花はハルジオンにだけ咲く花で、魔物の穢れで咲くなんて噂もあるが、そんなことはない。俺は綺麗だと思っているんだ」


 気さくな説明に、赤い花への恐怖が薄れ、温かさが芽生えた。屋敷に入り、日当たりのいい部屋へ案内される。


「ここはシャーロットの部屋だ。若いメイドたちに好みを聞いて揃えたが、どうだろう?」


 花柄の刺繍が光るカーテン、柔らかな絨毯、温かな木の調度品に心が弾む。こんな素敵な部屋を準備してくれたことに感動してしまう。


「こんな素敵なお部屋……ありがとうございます、アーサー様」


 感激の涙に、アーサー様が慌てる。


「気に入らなかったなら変えられる、泣かないでくれ!」

「違います、嬉しくて……」

「そうか。気に入ってもらえてよかった」


 アーサー様のほっとした笑顔に、胸の温かさが広がる。

 くう、とお腹が鳴り、私は慌てて押さえた。アーサー様が目を逸らし、肩を震わせる。


「食事の時間なのに連れ回してすまなかった。騎士団の食堂で食べないか? 君をみんなに紹介したい」


 レオン様の鋭い視線を思い出し、追い出されるのではと身がすくむ。


「怒られませんか?」

「大丈夫。回復薬のことは俺とレオンだけが知ってる。いいか?」


 繋いだアーサー様の手の温もりに励まされ、頷く。


「はい……」

「ああ、貴女の笑顔は本当に魅力的だ」

「え、魅力的……?」

 

 顔が熱くなり、頬を押さえた。アーサー様が優しく笑いかけてくれる。


「照れなくていい。俺の自慢の婚約者だ」

 

 覗き込まれた顔がさらに熱くなる。小さく頷くと、アーサー様が嬉しそうに微笑んだ。


 ✤ ✤ ✤


 辺境騎士団の食堂は賑わっていた。

 アーサー様と入ると、騎士たちの視線が集まる。身を縮めると、繋いだ手が励ますように握りしめてくれた。見上げると、赤い瞳が優しく見守っている。


「シャーロット、大丈夫か?」

「はい……」

 

 手のひらから温もりが伝わり、大丈夫だと頷いた。咳払いに視線を移すと、レオン様が眼鏡を押し上げ、ため息をつく。


「団長、スープが冷めます」

「ああ、すまない。みんな、俺の婚約者、シャーロットだ。よろしく頼む」

 

 レオン様の鋭い視線に身がすくむが、騎士たちの笑顔に安堵する。


「シャーロット、温かいスープだ」


 湯気の立つ皿をアーサー様が置く。スプーンで味わうと、野菜の甘みが優しく広がる。温かさが胸を満たし、涙がこぼれる。

 

「──王都のお貴族様には、辺境の料理は不味いか?」

 


 レオン様の言葉に首を振る。


「おいしいです……。母を亡くしてから、こんな温かいスープは初めてです。一人で冷めた食事ばかりでしたから……」


 私がマローラ子爵家のことをぽつぽつ話すと、食堂が静まり返る。アーサー様がハンカチで私の涙を拭い、優しく微笑む。

 

「シャーロット、辛かったんだな。俺が君を幸せにする。約束する」

「アーサー様……」

「ほら、みんな君を守りたいって顔だ。もちろんレオンもだぞ」

 

 アーサー様に頭をそっと撫でられ、胸が温まる。まわりを見れば、騎士たちが目を潤ませ、レオン様は眼鏡を外し、目元を押さえていた。

 

「団長、余計なことを──シャーロット嬢、先程は本当に申し訳なかった。魔物のせいで仲間を失ってきたので、回復薬のことになるとつい熱くなってしまうのです」

 

 首を横に振って気にしていないことを伝えれば、レオン様がゆっくり笑みを浮かべる。

 

「シャーロット、君の居場所はここだ。安心して、困ったら俺に頼ってくれ。」

「はい……ありがとうございます。アーサー様、みなさん」

 

 アーサー様の真剣な言葉に嬉し涙が溢れる。優しく涙を拭われ、温かな食事が穏やかに進んだ──。



 ✤ ✤ ✤


 

 ハルジオン辺境に来てから穏やかな日々が続いた。

 アーサー様は一緒にいく先々で、俺の大切な婚約者だと紹介してくださるので、恥ずかしいのに胸の奥がくすぐったい。


「シャーロット、食べ物は何が好きだ?」

「なんでも好きですけど……焼き菓子が」

「そうか!」

 

 翌日、大量の焼き菓子が届き、メイドのみなさんと目を丸くした。


「シャーロット様、こんなに沢山の素敵な焼き菓子! アーサー様のシャーロット様への想いが伝わってきますね」


 愛らしいメイド、ハンナが目を輝かせた。ハンナは、私のお世話を楽しそうにしてくれる親しいメイド。ハンナの笑顔に釣られて頬が緩むが、眉をよせたハンナが小声になった。


「……でも、最近は森の魔物が活性化しそうだと騎士団の訓練が増えているそうです」

「えっ……?」


 小声になったハンナの言葉に、私は焼き菓子を持ったまま胸の奥がざわついた。


「アーサー様率いる辺境騎士団は強いですから心配はいりませんよ! そうだ、アーサー様に差し入れするのはいかがですか?」

「喜んでもらえるかしら……?」

「もちろんです!」

 

 メイド達に勧められて、アーサー様の好きなサンドイッチを差し入れる。赤獅子と呼ばれているけど、喜ぶ姿が子犬のようで、愛らしく思う。


「シャーロット、好きな色はあるか?」

「優しい色が──今は赤が好きです」

「そうか!」


 数日後、赤い宝石や髪留めが届き、あまりの高価さに震える。お返ししようと思ったのに、メイドたちに飾り立てられ、アーサー様に会う。真っ赤な顔で「とても似合っている」と言われ、私も赤色の宝石のように真っ赤に染まってしまう。

 お礼に翡翠色の刺繍ハンカチを贈ると、額に入れて飾ろうとするのを慌てて止めた。


 


 

 真夜中、複数の足音と慌ただしい声に目が覚めた。窓から騎士たちが松明を持つ姿が見え、胸がざわつく。


「魔物……?」

 

 数日前、アーサー様が森の魔物増加を心配していた言葉を思い出し、不安が募る。控えめなノックに扉を開けると、アーサー様が立っていた。


「シャーロット、起こしてしまってすまない。魔物が森から現れた。今から討伐に向かう」

「……っ!」

「すぐに戻ってくる。少しの間、留守にするが専属侍女としてハンナをつける。ハンナは、護衛もできるから安心してほしい」

「アーサー様の大切なシャーロット様の身の安全は、わたくしにお任せてください」


 明るい髪のハンナが得意げに胸を張った。


「アーサー様はシャーロット様に夢中ですからね。シャーロット様の専属侍女の座をかけた争いは壮絶でした。まあ、私が勝ちましたけど」


 びっくりしてアーサーに視線を移すと、アーサー様が片手で顔を覆っていた。


「ハンナ、勝手に色々話すことは禁止だ……」

「それは無理です。今日からシャーロット様がわたくしの主ですので、求められれば話をします」

「あー、わかった。とりあえず、一度下がれ。シャーロットと話したい」


 片手でハンナを追い払ったアーサー様と向き合う。ハンナを追い払い、アーサー様と向き合う。頬の熱が薄明かりで隠れていることを願う。


「ハンナの言う通り、俺の気持ちはシャーロットにある。帰ったら、もっと甘やかすから。覚悟して?」

 

 亜麻色の髪を掬われ、唇が触れる。心臓が煩く鳴り、顔が熱くなる。


「アーサー様、ご武運を。お戻りをお待ちしています」

 

 アーサー様と騎士団は夜明け前、出陣した。





 アーサー様と辺境騎士団が出陣してから、一週間が過ぎた。

 怪我人が運ばれてきたとハンナから聞いた。怪我をした騎士達から聞いた状況では、最初は数匹の魔物だったのが、森の奥から次々と出てきているらしい。

 アーサー様の指揮で討伐を続けるが、魔物の出没は止まらず、回復薬が底をつき、体力勝負になっていると知り、いてもたってもいられず走り出した。


 団長室に向かう。そこには副団長のレオン様がいた。


「どうしましたか、シャーロット嬢?」

「回復薬が足りないと聞きました。本当でしょうか?」


「ええ、回復薬は希少で、辺境は魔物が多いので慢性的に不足しているのです。今のところ騎士たちに大きな怪我はないが、疲労が溜まってきている。魔物の出没が止まればいいのだが……」


 聖女の回復薬を持参できなかった悔しさに涙が滲む。

 回復薬を持ってくることが出来ていれば、と悔しくて涙が込み上げてくる。でも、悔やむだけでは何も変わらない。今、私にできることをしようと頬を叩く。

 

「レオン様、回復薬を作って届けましょう!」


 レオン様とハンナが目を見開く。私の低級回復薬では役に立たないかもしれない。

 

「あの……、私は『聖女の回復薬』のような上級の回復薬は作れません。誰でも作れる低級のものだけです。でも、子爵家では全ての回復薬を作っていたので、量を作ることなら得意です」

「え?」

「へ?」


 ぽかんとする二人に、洋服の裾をぎゅっと握る。

 

「質が足りなくても、量で補えたらと思ったのですが……余計なことを言って、ごめんなさい……」


 役に立ちたいと思った自分が情けなくて、声がしぼんでいく。

 

「──本当ですか?」

「え?」

「回復薬を作れるというのは、本当ですか?」


 うつむく私の頭上からレオン様の声が落ちる。

 

「はい、低級なら……作れます」

「材料と道具をすぐ用意します! ハンナ!」

「任せてください!」

 

 ハンナが駆け出すのに目を瞬く。レオン様が眼鏡を掛け直し、私を見る。

 

「シャーロット嬢、実家でどのように聞いていたか分かりませんが、回復薬の製造は難しい。優秀な魔法薬師でも低級品を一日数本が限界です」

「低級を一日数本ですか? 中級や上級ではなく……?」

「その通りです」

 

 レオン様が真剣な表情で頷く。

 

「さあ、これから忙しくなりますよ!」

「はい……っ!」


 マローラ子爵家で『役立たず』と言われた私を必要としてくれる人がいる。胸に熱いものが込み上げ、手の甲で涙を拭い、レオン様とハンナの後を追った。



 ✤ ✤ ✤



 用意された鮮度のいい沢山の薬草と磨かれた大鍋などの道具を見て、目を丸くする。マローラ子爵家の粗末な道具しか知らない私には、信じられない光景だ。


「っ! すごい……っ」

「……シャーロット様、失礼ですが、子爵家ではどのようなものを使っていたのですか?」

「えっと、壊れかけの鍋や古くて僅かな薬草だけです……」

 

 私の言葉にハンナが「まあ……」と目を見開き、レオン様が眼鏡を押し上げ、呟く。


「それで回復薬を作れたなら、相当な技量ですよ」

「こちらの材料と道具で、シャーロット様の力が存分に発揮できるはずです──シャーロット様、騎士たちの為にお願いします」

「はい! それでは、回復薬を作り始めます」

 

 マローラ子爵家では、いつも孤独な作業だったが、今は違う。役に立ちたいと、目を閉じ深呼吸する。

 大鍋の水に魔力を込め、魔力水に変化させる。良質な薬草や実を刻んで加え、魔力を注ぐ。マローラ子爵家の粗末な道具とは違い、魔力が滑らかに流れる。煮込み続け、大鍋の水面が翡翠色に輝き、回復薬になったことを確認した。


「完成です。鑑定と瓶詰めをお願いします」


 振り返ると、レオン様とハンナが呆然としている。


「あの……?」

「シャーロット様、素晴らしいです!」

「この短時間でこれほどの量を作るなんて、驚くべき技量です。鑑定を急ぎましょう」


 ハンナが目を輝かせ、レオン様がうなる。鑑定の魔道具が低い音を響かせる。



「結果──最上級」


 

「え?」

「量も質も、騎士団の期待を遥かに超えています。瓶詰めを急ぎますよ」


 レオン様の言葉に皆が活気づく。心が震え、母の教えてくれた薬草の香りを思い出した。初めて自分の手が愛おしく感じ、涙がせり上がる。


「レオン様、私もまだまだ作れます! 魔力が続く限り大丈夫です……っ!」

「シャーロット嬢、その意気込みは頼もしいですが、魔力切れに気をつけてください。団長に叱られてしまいますから」


 苦笑いを浮かべるレオン様に告げられた。


「さあ、この回復薬を一刻も早く前線に届けましょう」

 

 ハンナが私の手を握り、レオン様が希望に満ちた顔で宣言した。

 


 ✤ ✤ ✤


 

 最上級の回復薬が前線に届き、怪我人を癒したことで戦況が安定。アーサー様と一部の騎士団が前線情報を整理し作戦を立てるため一時帰還した。ハンナが興奮気味に口をひらく。


「シャーロット様、帰還した騎士からの報告です! シャーロット様の回復薬は怪我を癒すだけでなく、魔物が浴びると動きが鈍るそうです!」

「えっ、魔物が……弱った?」


 驚く私に、ハンナが頷く。


「そうです! 戦闘中、負傷した騎士に回復薬をかけた際、飛び散った薬が魔物にかかり、動きが鈍って倒しやすくなったそうです!」

「ハンナ、アーサー様に詳しい話を聞きに行きましょう」


 団長室へ急ぐ。扉を開けると、アーサー様とレオン様が前線の書簡を広げ、協議していた。


「シャーロット、いいところに来てくれた! シャーロットの作った回復薬が魔物を弱らせたが、そんな効果、今までの回復薬では聞いたことがない。作り方に秘密があるのか?」


 アーサー様の言葉に驚きつつ、可能性を口にした。


「マローラ子爵家では粗末な薬草しかなく、魔力で薬草の効果を高める術を独学で編み出したんです。それが魔物の魔力と相殺したのかもしれません……?」


 アーサー様が顎に手を当てて考える。


「今回の討伐で、森の奥に紫黒の沼があり、濁った魔力が溜まり魔物を生み出していると分かった。シャーロットの回復薬を使えば、魔物を生む沼を浄化できる可能性はあると思うか? シャーロットの意見を聞かせてほしい」

「回復薬のかかった魔物は、動きを鈍らせる程度だと考えると、魔物を生み出す胎のような沼を浄化するのは難しいと思います……」

「……そうか」


 がっかりしたアーサー様の表情に、胸が締め付けられる。子爵家で味わった無力感がよぎるが、ハルジオンの皆の笑顔を思い出す。


「でも、もし、回復薬を濃縮することができれば、浄化することができるかもしれません」

「本当か?」

「やってみないとわかりませんが……」 


 顔を上げたアーサー様に見つめられる。落ちこぼれと言われた私が、アーサー様やハルジオンの皆の役に立てるかもしれない。諦めたくない気持ちを皆の期待が背中を押す。


「──私、やってみたいです! アーサー様やハルジオンの皆ために」

「ありがとう、シャーロット」


 


 早速、用意してもらった新鮮な薬草を使って回復薬の魔力凝縮に挑みはじめた。いつ魔物の沼が活性化するかわからない緊張感の中、何度も失敗が続く。マローラ子爵家で落ちこぼれと言われた過去がちらつくが、ハルジオンの皆の笑顔を思い出し、諦めずに試行錯誤を重ねる。


「で、できました……っ」

「シャーロット様、すごいです! 騎士の持ち帰った魔物の沼で実験してみますか?」


 ようやく完成した翡翠色の回復薬の結晶。最上級の回復薬を魔力で温め、濃縮した結晶はキラキラと宝石のように輝いている。アーサー様とレオン様も見守る中、小さな瓶の中で濁る沼に結晶を入れると、淀んだ沼が綺麗な水に変わった。


「アーサー様、これで沼を浄化できます!」

「シャーロット、ありがとう!」


 沼の大きさを考えると、できるだけ多くの回復薬の結晶を作る必要があった。寝る間も惜しんで、結晶を作る。アーサー様やハンナに心配されるけど、マローラ子爵家にいた時は徹夜なんて当たり前だったからどうってことない。

 夜通し作った結晶を騎士団の紋章が刻印された皮の袋に詰めたアーサー様とレオン様が魔物の沼に出発。明け方、森の奥からまばゆい光がほとばしり、空を金色に染めた。光りを浴びた赤い花が、希望にキラキラと輝いている。


「シャーロット様、これってきっと……」

「ええ、ハンナ! アーサー様たちが魔物の沼を浄化したんだと思う」


 凱旋した騎士団の歓声がハルジオンに響き渡った──。



 ✤ ✤ ✤



 それから数週間後、私とアーサー様は王城の式典に招待されていた。


「長らく謎であった魔物の発生する原因に辿り着き、魔物の発生を消滅させた者を讃えよう! アーサー・ハルジオン辺境伯、マローラ子爵令嬢、シャーロット・マローラ」


 陛下がアーサー様と私の名前を呼ぶと、会場から割れんばかりの拍手喝采受ける。


「魔物に傷つけられ、血を流した者もいる。家族や愛する人を失った者もいるだろう。だが、もう魔物に怯えることはない──ここにいるシャーロット嬢の創り出した『聖女の宝石』で魔物を滅ぼすことができる!」


 回復薬を濃縮した結晶は、国を越えて広まり『聖女の宝石』と呼ばれている。

 マローラ子爵家で無能だと言われていた私が、陛下に褒められるなんて夢のよう。嵐のような拍手の中で、アーサー様のまなざしが優しくて、胸にあたたかなものが込み上げた。

 

 式典の会場で、アーサー様に挨拶する人々の輪から少し離れて息をつく。数日前、ハルジオン辺境に届いたイザベラの手紙が私の心を重くする。『聖女の宝石について話したい。式典で必ずお会いしましょう』と書かれていたが、返事を書かず放置していた。


 ふと、視線を感じて顔を上げる。群衆の中で、イザベラがピンク色のドレスで微笑み、貴族たちに囲まれながら、私にだけ冷たく鋭い視線を投げていた。隣に立つハウエルの目も、ねっとりと絡みつくようで、胸がざわつく。二人の視線に耐えきれず、会場にいられなくなった。


 手紙を無視した負い目と、かつての屈辱が蘇り、頭が混乱する。私は人目を避け、静かなバルコニーへ逃げるように出た。月明かりの下、深呼吸して心を落ち着けようとした瞬間、背後で足音が響く。

 

「お義姉様、こんなところで一人? 手紙を無視するなんて、ずいぶん生意気になったわね」

 

 振り返ると、イザベラが嘲るように笑い、隣にハウエルが不敵な視線を向けていた。二人がバルコニーの入り口を塞ぐ。

 

「聖女はわたくしのはずなのに、お義姉様の結晶のせいで魔物が減り、回復薬が売れなくなった。マローラ子爵家は笑いものよ。お父様はわたくしのドレスを制限し、貴族社会での立場が揺らいでいるの!」

 

 イザベラの声は怒りで震え、嫉妬に燃える瞳が私を刺す。イザベラは続ける。

 

「お義姉様の代わりに雇った魔法薬師は使えない。今まで通りわたくしの魔力色に染めても、回復薬の効果が落ちたと笑われた。お義姉様のいた頃の方がマシだったと気づいたのよ」


 ハウエルが一歩踏み出し、舌打ちした。


「シャーロット、マローラ子爵家に戻って回復薬を作れ。あの結晶は二度と作るな。イザベラの名誉のためだ。俺も、今のお前なら愛人として可愛がってやる」

 

 ハウエルのねっとりした視線に、身体がこわばる。ハウエルの視線は汚らわしく、首を振って拒絶した。

 

「マローラ子爵家に戻って回復薬を作りなさい。わたくしが聖女の名を保つために、結晶は作らせないわ。素直に戻れば、ハウエルをたまには貸してあげてもいいのよ」

 

 イザベラの言葉に怒りが湧いた。回復薬の結晶は魔物に怯える人々を救うものなのに、彼女は自分の名誉しか考えていない。それに、ハウエルの裏切りを思い出すと、嫌悪感で身体が震えた。


「嫌です。私はハルジオンで、アーサー様と生きていくんです」

「無視した上に口答えするの?」


 イザベラの笑みが凍りつく。


「そうね、乱暴なことはしたくなかったけど、辺境伯の婚約者でなくなれば、マローラ子爵家に戻るしかないわね」

「どういうこと……?」


 ハウエルが懐から小さな瓶を取り出し、布に液体を染み込ませた。腕を掴まれ、薬品の匂いが鼻をつく。


「イザベラの聖女の座を取り戻すには、辺境伯の婚約者を汚すしかない」

 

 叫ぼうとした瞬間、口に布を押し付けられ、膝が崩れた。イザベラの囁きが耳にこびりつく。


「傷物になれば、辺境伯は貴女を捨てるわ」


 朦朧とする意識の中、彼女を睨みつけたが、身体は動かない。惨めさと悔しさで涙がせり上がる。


 


 

「シャーロット!」

 

 アーサー様の声が響き、ハウエルが地面に倒れた。強い腕が私を抱き上げる。


「遅くなってすまない。イザベラとハウエルの不穏な動きに気づいて探していた。もう大丈夫だ」

 

 イザベラが叫ぶ声が遠く聞こえたが、アーサー様の温もりに安心し、私は意識を手放した。


 

 ✤ ✤ ✤



 目を覚ますと、アーサー様がそばにいた。


「シャーロット、無事でよかった」

 

 囁くアーサー様の声に、涙がこぼれた。後で聞いた話では、王城での騒動が貴族社会に波紋を広げた。

 イザベラは北の厳格な修道院に送られ、そこで一生を過ごすことになった。ハウエルはバートン伯爵家から勘当され、貴族籍を剥奪されて炭鉱での労働を命じられた。


 アーサー様とレオン様の調査により、マローラ子爵家の回復薬は私が作ったものにイザベラが細工を施し、色だけ変えていたことが明らかに。彼女が「聖女」と呼ばれるために、私の功績を奪っていた。

 イザベラの数々の仕打ちも明るみに出て、貴族たちの間で「悪役令嬢」と囁かれるように。マローラ子爵家の回復薬は、魔物の減少で需要が減っていたこともあり、誰も手に取らなくなった。


 父とお継母は貴族社会で孤立し、互いを責め合う日々を送っていると聞く。私はマローラ子爵家と縁を切り、ハルジオンの地でアーサー様と未来を築くことを選んだ。



 ✤ ✤ ✤



 うららかな春、ハルジオン辺境領の由緒ある教会で、私はアーサー様の花嫁になった。真っ白なウェディングドレスに身を包み、胸に赤い花のブーケを抱える。ハルジオンの花が、私の新しい門出を祝福してくれているみたい。


「シャーロット、綺麗だ……」

 

 ヴェールを上げ、アーサー様が囁く。

 白いモーニングコートを着こなすアーサー様に目を奪われ、頬が熱くなる。赤い瞳に見つめられると、幸福感で胸が満たされた。触れるようなキスを交わし、爽やかな甘い香りに包まれる。

 

「アーサー、私、幸せです……愛しています……っ」

「愛している、シャーロット。俺の隣で、ずっと笑っていてほしい」


 彼の逞しい腕に抱かれ、教会の鐘が祝福の音を鳴らす。レオン様、ハンナ、辺境騎士団の皆が笑顔で祝福してくれる。

 かつて野蛮と恐れられたハルジオンは、今や『聖女の土地』と呼ばれ、赤い花が領地を彩る。私の居場所はここにあり、アーサー様と共に生きていく──。





 おしまい

読んでいただき、ありがとうございます♪

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お星さまで応援してもらえたら喜びます。

よろしくお願いします♪


〈追記R5.5.28〉

みこと。様にシャーロットを描いていただきました♪

挿絵(By みてみん)

イラスト/みこと。様


めっちゃシャーロットが可愛すぎて!

回復薬の瓶を持っているのも素敵。リボンはきっとアーサー様の贈り物で、赤色かな♡

本当にありがとうございました!


〈追記R5.5.30〉

なんと色も塗ってもらっちゃいました♡

めっちゃかわいい♡

挿絵(By みてみん)

イラスト/みこと。様


〈追記R5.6.23〉

黒星★チーコ様にアーサーを描いていただきました♪

挿絵(By みてみん)

イラスト/黒星★チーコ様


めっちゃアーサーが格好いいですよね!

大きくて、ガッチリしていて、包容力のかたまり♡

絶対に人望がある感じが最高です。

本当にありがとうございました!



汐の音さまにレオンを描いていただきました♪

挿絵(By みてみん)

イラスト/汐の音様


きゃああ、レオンです♡

背景の白薔薇が似合いすぎます♡

眼鏡、長髪の設定にしていたのですが、素晴らしい……♡

本当にありがとうございました!

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恋愛作品を色々書いています୧꒰*´꒳`*꒱૭✧
よかったらのぞいてみてください♪
ヘッダ
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ヘッダ
 

― 新着の感想 ―
[良い点] やっと来れました辺境伯! 楠木さまのお話はシュガーテイスト♡ 糖度マシマシを楽しんでいるところが、楽しいですね(^^) やっぱり辺境伯は令嬢を幸せにしてくれるのですw ざまあも爽快。イザ…
[良い点] シャーロットとアーサー、2人して顔を宝石と同じ赤色に染まってしまうところがとても可愛いです! 素敵なハッピーエンドでとても良かったです!
[一言] うぅぅ……感動の人間ドラマなのです(´;ω;`) 義妹の陰謀を乗り越えて本当に素敵な辺境伯様と巡り合えてよかったのです(´;ω;`)
感想一覧
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