01. Gift for me
都会から少し離れた場所にある、古びた一軒家。ところどころ亀裂の走る白い壁。屋根から庭まで緑の蔦が伸びる幽霊屋敷。
そこには十六歳の少年、大克 治幸と白猫の幸が住んでいる。
しかし、それも過去形になりつつある。
夕日が射し込んだ穏やかな窓際。
大克に残された家族は、夕日の光を浴びながら横たわっている。
「……ニャー」
最期の力を振り絞るように、白猫の幸は弱々しく鳴いた。
「置いていかないで」
小さな頭を撫でながら、込み上げてきた言葉を投げかける。それを何度も何度も、心の中で繰り返す。
繰り返しているのに、その言葉は神様には届かない。
瞬きは徐々に減っていき、やがてゆっくりと目を閉じた。
細く息を吐き出した大克は胸裏で嘆く。
あぁ、俺は昔から周りの人を不幸にしてばかりだ。両親も、友達も、ばあちゃんも。
そばに居て手を握ってくれた人達は、気づけば誰一人居なくなっていた。
幸も俺なんかに懐かなければ、俺なんかに拾われなければ、もっと幸せになれたはずなんだ。
ごめんね――
動かなくなるその瞬間も、大克は幸に触れながら彼女のことを想った。
「ありがとう、ごめんね」
流れるはずの涙はもう枯れてしまったが、大克は精一杯の想いを込めて別れの言葉を口にした。
――その時だった
「っ!?」
突然、なんの前触れもなく、幸の体が光り出したのだ。目を開けているのも困難な程の白光。
幸に触れていた手の平には熱が伝わり、その熱は腕へと上っていく。
じわじわと胸の辺りが温かくなっていき、最後には心臓がドクンッと跳ねた。
大きく脈打った心臓は今までにないくらい温かい。
やがて光が消えると、体の熱も自然に引いていった。光も熱も、大克にとっては何とも初めての感覚。
しばらく意識が宙を彷徨った後、ハッとして自分の手の平を見るも、特に異常は見られない。
今しがた起きた一連の流れを思い返し、数十秒後ある一つの可能性に思い至った。
もしかして、と幸の方を見れば、そこにいたはずの幸は光と共に消えていた。
「まさか幸が……?」
自分の考えに疑心暗鬼になりつつ、大克はこの状況と推測によく似た話を思い出した。
定説では天使や悪魔の形に近い人型に宿るとされる授才。しかし稀に、人間以外の動物にも宿るとされている。
だが猫のような体の小さい動物は、授才が消えた時の負担に耐えきれず、体ごと浄化されてしまうらしい。
そして宿主を無くした授才は、通常なら新たな生命を探すが、死の瞬間に触れていた者がいればその者に宿る。
そんな話を思い出し、大克はハッとした。定説から準ずるに、幸の持つ授才を受け継いだことになる。
「幸は天の授才を?」
気がつかなかった。でも考えてみれば納得出来るのかもしれない。
幸の高潔な白い毛や、時々悟ったようになる顔付き。辛い時に与えてくれる温もり。
猫らしからぬ点は確かにあった。どれも憶測に過ぎないが。
ただ、一つはっきり分かることがある。
幸は「天の授才」を宿し、それが今、大克の中にあるということ。
何も持たなかった非力な少年が手にしたのは、唯一の欠片で最愛の形見だった。
▽
ひとりぼっちになってから二日後。
久々に太陽の光を浴びた大克は、強い眩さに目を細めた。もう昼過ぎだというのに、梅雨明けの空はいつまでも明るいようだ。
(眩しいな……)
幸がいなくなったあの日、大克はやっと決心した。
『家族の分もまともに生きる』
幼い頃から周りに疎外されたせいで、人と関わるのが怖くなった。
それでも育て親のおかげで、なんとか高校入学が決まり、いざ高校に通おうという時期、育て親が他界した。
あれから二ヶ月。入学式当初から不登校だったが、幸のおかげで不幸から立ち直りつつあった。
今朝、大克が教室に顔を出した時は、クラスメイトだけでなく先生まで驚いていた。
初登校で馴染めるとは思わなかったが、誰か一人は話しかけてくれるんじゃないかという淡い期待は、見事に打ち砕かれた。
(まぁ、不登校だったやつが突然現れたら、そりゃあ珍獣扱いされるよな……)
今日のことを振り返りながら、一人白線の上を歩く。
真っ青な空を仰ぎ、ふと横を見ると、塀の上に座る猫と目が合った。
水色の瞳に鼻上の傷、茶色と白の綺麗な毛並み。とても珍しい見た目の猫だ。
じっと見つめる大克とは反対に、猫は素っ気なく顔を背けて歩き出す。歩く後ろ姿はどことなく優雅で、幸を彷彿とさせた。
そして気づけば、自然と猫の後を追っていた。
どんどん進み行く猫は、家と家の間をすり抜け、茂みの中をかき分けていく。
大克も無意識のうちに猫へついて行き、いつの間にか知らない道まで出ていた。
辺りは建物の影に隠れて薄暗い。顔に暗い影が差し、そこでやっと大克は我に返った。
これ以上深追いしても道に迷うだけだ。大きく伸びをして首を鳴らすと、来た道を引き返そうとした。が、この路地からは簡単に抜けられない。
――トントン
ソフトなタッチで誰かが大克の背中を叩いた。
妙に入り交じったこの路地で迷子になり、高校生に道を聞こうとしたのだろうか。
一瞬で色々な考えが頭を巡ったが、何故だか振り向いてはいけない気がして薄い肩を竦める。
だが、慄然とする大克の様子はお構いなしに、後ろから無遠慮な声がかかった。
「ねぇ、君。突然だけどさ "授才" 持っているでしょ。いきなりで悪いんだけどさ、ソレ、私に譲ってくれないかな?」
背筋が凍る、鋭くて低い声。
恐怖心に駆られ、つい振り向いて顔を見る。次いで、すぐさま振り向いたことを後悔する。
自分の頭より、二十センチは高い位置から聞こえる声。見上げた顔には、光なく細めた目が笑ったフリをしていた。
前髪一筋だけが白い、きっちりの黒髪オールバック。
大人びた見た目と落ち着いた口調は、大克を威圧するには充分だった。
長身の男が何かを呟く。
「 」
ぶわり。
気味の悪い効果音に併せ、二人の頭上に巨大な瞳が出現した。人間の目を何百倍にも引き伸ばしたような大きな瞳。
五メートル近くある瞳には、ご丁寧に睫毛も生えている。細部までいやにリアルな形状。
「それを今すぐ譲ってくれるなら、私の可愛い"目玉"が君を殺すことは無い。さぁ、どうする?」
男は頭上の瞳を指さしながら、ニヤリと笑う。
授才を持っている者が他人の授才を奪うなんてこと、普通はしない。色々とリスクが高いのだ。
加えて、授才を発揮したことない宿主からは、授才のオーラは出ないはずなのに。
それにも関わらず、男は大克に目をつけた。
「……こ、こここ、この力がどんなものかは分かりませんが、俺にとっては最後の希望なんです。だ、だから譲れません」
必死に涙を堪え、真っ直ぐに言葉を並べ立てる。体の震えを抑えながらも、目は逸らさなかった。
「ほぉー、君の強い意志には感心するよ。その意を汲んで、出来るだけすぐに殺したげるね」
口角を上げたまま、男は腕を持ち上げる。大克を指さすと、スナップを利かせて指先を上から下へ。
その合図で、ギョロリとした黒目が標的を捉える。
ガクガクと震えながらも、今更逃げることも出来ない。体に力を込め、覚悟を決める。
自分から差し出すなんて考えはない。譲るくらいなら、最期までこの力を感じていたい。大切なものを手放すのはもう散々だ。
瞬きする瞳。
黒い涙の粒が大克に降り注ぐ。粘性のある黒粒には確かな重みがあった。
――わずか二秒後、視界は暗転した。
大克は冷静に、意外と呆気ない終わりだったと実感する。痛みも感じない程に一瞬だったのかと。
「ちょっと〜。未来ある若者になんっちゅうことしてんの」
おちゃらけた声は天使でも悪魔でもない、普通のものだった。飄々とした口調で、どこか軽々しい雰囲気を感じさせる声。
「お、お前……」
次の瞬間、真っ暗だったはずの視界が晴れ、目の前には見知らぬ男がもう一人立っていた。
黒いワイシャツに、グレーの入り交じった黒髪。喉全体を覆うように巻き付いた黒い布。
一見胡散臭そうな見目の男は、確かに大克を助けてくれたようだ。
「まさかここで、ルシファー共同体さんに会っちゃうとは。とんだ災難だなぁ。てことで面倒なんで、ばぁい」
突如現れた男は片手をひらひらさせ、口を大きく開けると雄叫びをあげた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
地を揺らすような声の直後、首元の布から黒い影が染み出てきた。
その影は目にも留まらぬ速さで瞳の男を覆う。
避けきれなかった男は影に覆われ、黒いミイラに成り代わっていた。
「今のうちにお暇しちゃおう」
笑顔でそう言った男は、大克の腕を掴んだかと思うと、驚異の身体能力で大克ごと空へ飛んだ。
さっき出した黒い影を、次は雲のように点々と浮かべ、その上を移動する。
この状況もだが、速さも異常だ。
三十秒後。
再び地に足つけた時には、後方に浮かぶ黒い影は跡形もなく消えていた。
男は程なく大克の腕を離し、二人向かい合うように立つ。
「いやぁ、通りがけに襲われそうな子を見たら、さすがに放っておけないじゃん? で、咄嗟に首突っ込んじゃったけど、怪我はない?」
ヘラヘラと笑いながらも、相手の頭に手を置いて顔を覗き込む仕草は、案外あやし慣れているものだった。
「だだ、大丈夫です。その、わざわざ助けてもらってすいません。有難うございました」
「いんやぁ、何も無いなら良かったよ。……にしても、あいつに目をつけられる程の授才なんて。君、すごいもん背負い込んだね」
「すごいもん」と言われても、残念なことに何も分からない。
「……あの、そんなにすごい力なんですか? 正直なところ俺には分からなくて」
ボソボソとした大克の問いかけに、男は少し驚いた表情を浮かべた。
「君、名前は?」
「……大克治幸です」
「俺は音道芭生。天地の職員してる者なんだけど、治幸ちゃん、天地に興味ない?」
音道と名乗る男の唐突な勧誘に、目の前の少年は驚嘆の表情を浮かべる。音道はその顔付きを気にも留めず話を進める。
「一応審査はあるけど、俺からの推薦ってことでさ。天地に来たらその力がどんなもので、どう生かせるかが分かるよ。大事な授才のこと、知りたくない?」
あまりにも唐突な話だったが、音道の言った「大事な授才のこと、知りたくない?」という問いかけに、大克は一も二もなく飛びついた。
「俺みたいなのでもチャンスがあるなら、挑戦したい」
か細い声で、だけど力強く答える。その目にはこれまでの彼とは違い、はっきりと光が宿っていた。