ヴェルザなりに、ハルジなりに
気のせいでなければ、あれはハルジなりの愛の告白だったのか――ということを本人に尋ねても良いのかと戸惑っていると、ヴェルザは不意に誰かの気配を感じた。
「お、お義姉様が、あ、あ、愛、愛のっ告白をっ、う、受けて……っ!?何だかまんざらでもないご様子うぅぅぅぅっ!!!」
ヴェルザたちを包み込む甘ったるい空気は聞き覚えのある悲鳴によって、強制的に糖度を下げられる。呆けた顔の二人の視線の先には慟哭するアルネイズと、愉快そうに目を細めているファウスティナたちが佇んでいた。
「やはり……ね、わたくしの勘が当たっていました。お会いしてからずっとブリュンハルズさんのご様子を窺っておりましたけれど、彼がステルキ准尉をお慕いしているのではないかと感じておりましたの……!」
両手で頬を包み込んで、うっとりとしているファウスティナの後ろで侍女のアンナが拍手を送っている。お仕えするお嬢様の勘が当たって嬉しいのかもしれない。
「知らなかったわ……お義姉様の理想の男性がまさか貧弱そうな男性だなんて……!」
「僕は貧弱の部類だったんですね、知りませんでした」
「私はてっきりお義姉様と互角の戦闘力を持つ熊か狼だとばかり……!」
「熊か狼だと男性ではなく、雄ではないかしら?」
「無駄に容姿と声が良いだけの、性格にやや難があるヘルギお兄様は絶対に趣味ではないことだけは、昔から知ってはいたけれど……!」
「あ~、それは正解ですねぇ……」
ゆったりとした時間を過ごせるはずの喫茶室の一部がやけに賑やかなので、利用客や職員の視線が集まってくる。う~ん、辛い。居た堪れなくなったヴェルザとハルジは決断した。
「カウピさん、場所を変えませんか?」
「奇遇ですね、僕も同じことを考えました。すぐに残りのお菓子を食べてしまいますので、少々お待ちください」
「宜しければ、私の分もどうぞ。未だ口をつけておりませんので」
「有難く頂戴致します」
今だけは行儀のことを忘れ去ろう。ヴェルザはコーヒーを一気に呷り、ハルジもお菓子を平らげてから紅茶を飲み干すと、急いで喫茶室から脱出していった。悲嘆に暮れるアルネイズと嬉々としているファウスティナをその場に残して。去り際に「お嬢様たちのことはお任せください」とアンナが言っていたので、放置していっても問題はないだろう。多分。
喫茶室から脱出した二人がやって来たのは、石畳と芝生で幾何学模様を描いている庭園だ。暖房が利いている館内から屋外に出ると温度差に身を震わせるが、暫くすれば外気にも慣れてくる。それでもじっとしていると寒いので、二人は何方からともなく歩き出す。
「……ステルキ准尉、僕が貴女に恋慕しているのかと問いかけてしまいましたが……できれば忘れてください」
逆上せていた頭が冷えてくるにつれて、ハルジは落ち込んでくる。ヴェルザが嫌がっていたらどうしよう。彼女に嫌われてしまったのではないか。実にハルジらしくない考えで頭がいっぱいになり、彼女の顔が見られない。
「忘れるだなんて、そのような勿体ないことは致しません。貴方が私に想いを寄せてくださっているのだと分かって、驚いてしまいましたけれど、私は物凄く嬉しかったので……忘れませんよ」
嬉しい?何故?いじけた子供のような表情をしているハルジが見上げれば、甘やかな笑みを浮かべたヴェルザと目が合った。恥ずかしくてたまらなくなるが、目が逸らせない。下がった体温が再び上昇していく感覚にも襲われた。
私の言い分にも耳を傾けてください、と前置きをして、ヴェルザはハルジに語りかける。
「カウピさんと初めてお会いした時、貴方は眼鏡を壊されてしまって、私が誰であるのか分からない状態でしたね。次にお会いした時は私が”猪殺しのステルキ”だと分かっていらっしゃいましたけれど、態度が全く変わらなくて……私は貴方に好感を抱きました」
何某であるのかを知らない状態では親しくしてくれていたのに、曰くつきの人間だと分かった途端に掌返しをしたり、ヴェルザを利用しようと企む輩は多かった。その中で、ハルジの変化の無さは彼女の目には新鮮に映った。後にそれはハルジが他人に無関心だったからだと分かるが。
「次に……私は誰かに頼るのが昔から下手なのですが、カウピさんに頼ることができるようになりました。いつの間にか貴方を信頼するようになっていたのだと思います」
弟のアトリが遺した指輪の行く末を探し求めていた時、トゥーリッキを探し求めていた時、目的を果たした後に不帰の人となってしまった彼女を一緒に見送った時。ハルジは見返りを期待することもなく、ヴェルザを手助けしてくれた。ハルジが隣にいてくれて、ヴェルザは心強かった。
「……僕に近づいてくる人は僕ではなくて、僕の後ろにあるカウピ家の力を利用しようとしている人が多いのに、ステルキ准尉は初めからそんなこともなくて、僕がアトリの知人だと分かると、弟の友人として接してくれましたから……僕は貴女の力になろうと考えたのではないかと思います」
ヴェルザと出会わなければ、知ることができなかったことがある。生まれて初めて友人を持っていたことだ。だから彼女に恩のようなものを感じていたのかもしれない。ハルジらしくもなく。
「それから……先日の突然の外泊の時にカウピさんが仰いましたでしょう?正気ではない僕がステルキ准尉を傷つけるような真似をしていなくて良かった、と。あの後十代の少女のようなトキメキを感じて大変でした。あの時から私は貴方のことを意識するようになっていたのかもしれません」
自分と同じようにハルジが自分を意識してくれていたのだと分かって、ヴェルザは嬉しかったのだと言うが、ハルジは疑いの目を向けた。
「……僕のことを意識していたんですか?その割には全くそのように見えませんでしたよ。僕がファウスティナ嬢と一緒にいても、貴女は平然としていましたよね?ああ、でも見合いをしていたと言ったら驚いてはいたような……?」
「喫茶室から移動している際に、私も漸く気がついたものですから」
「僕よりも落ち着いているではないですか……胡散臭い……」
「そうでもないですよ?」
ヴェルザは突然防寒着のボタンを外して前を開けると、ぽかんとしているハルジをぐいっと引き寄せて、腕の中に閉じ込める。何が起こっているのかと理解するまでに、数秒。ヴェルザの胸に顔が当たっているハルジは声にならない悲鳴をあげた。
「まあまあ、落ち着いてください。ほら、胸に耳を当ててみてください。心臓がばくばくいってますでしょう?」
「落ち着ける状態ではないでしょう!?」
「う~ん、私に抱きしめられるのは嫌ですか?」
「え?嫌ではないですよ?」
「そうですか?それは喜ばしいことです」
この人、解放する気がないな?観念したハルジは羞恥心をかなぐり捨て、ヴェルザの胸に耳を当てる。落ち着いて見える彼女の心臓はハルジと同じくらい、ドキドキバクバクしていた。
「……僕は他人に興味が持てない、社交性を著しく欠いた人間であると自覚しているのですが……ステルキ准尉は例外のようです」
あんなことを口走っておきながら、ハルジは未だヴェルザに恋慕しているという自覚がない。何せ、恋愛の経験値が低すぎるのだ。けれど、そんな彼にも理解できることはある。
「貴女に抱きしめられると動悸が激しくなりますが、心地良くもあります」
新陳代謝が良いヴェルザの体温はハルジのものより高くて、温かい。もう少し隙間を埋めたくて、ハルジはおずおずと彼女の背中に手を回す。
(人慣れをしていない猫ちゃんが遂に懐いてくれたような……感慨深いですねぇ……うふふ、可愛い)
そんなことを口に出せば猫ちゃん、もといハルジが拗ねてしまうだろうことは想像に難くない。喉元まで出かかった本音を強引に飲み込んで、ヴェルザがむせた。
「根拠はないのですが、今、ステルキ准尉が僕にとって面白くないことを考えていたような気がします」
ヴェルザは聞こえなかった振りをして、ハルジの柔らかそうな巻き髪に頬擦りをして、にんまりとした。
「ステルキ准尉、力を抜いてください。このままではいずれ窒息します」
「あ、失礼致しました」
嬉しくて、ヴェルザはうっかり力を入れ過ぎてしまっていた。




