ハムセール劇場へヨウコソ
以前にも自己紹介をしたとは思うのだが、敢えて、もう一度。近衛師団時代に身につけた作法でもって、無作法な王子殿下に丁寧に御挨拶申し上げる。
「小官は現在、王都警邏隊グロンホルム小隊に所属しております、ステルキ准尉で御座います。王子殿下におかれましては、以後お見知りおき頂けますと光栄に存じます」
「精鋭の誉れ高き近衛師団から、ただただ街をうろつくだけの警邏隊とは……落ちたものだな、ステルキ元准佐よ」
この方、呆れるほど厚顔無恥ね。ファウスティナは閉口し、ヴェルザを気の毒気な目で見やる。
「恐れながら申し上げます。警邏隊員が街中を巡回することにより、犯罪の抑止力として貢献できます故、警邏隊の職務は決して無駄では御座いません。小官は誇りを持って、職務に励んでおります」
にっこりと微笑んで見下ろしてくるヴェルザに、ハムセールは鼻白んだものの、このままでは自尊心に傷がつきかねないと恐れ、反撃に出た。彼なりに敵に背を見せて逃げるのは恥だと思っているのかもしれないが、既に恥をかきまくっている現実から逃げていることは知らないらしい。
「ふん、アルネイズと私の間に立ちはだかるということは、お前は私を逆恨みしているということだ。良いか?お前が降格の上に左遷されたのは私の責任ではなく、お前自身の責任なのだ!お前の慢心が足をすくったのだということを肝に銘じておくように!」
え?何言ってんの、コイツ?正気か!?
ヴェルザの不幸を招いた”自滅のワルツ事件”の元凶が誰であるのかを知る者たちは目を丸くして、口をポカンと開けるしかできない。
「大体、お前如き庶民が、あのクヴェルドゥールヴ家の後ろ盾を得られるなんておかしいと思っていたんだ。私の従者調べによれば、十年以上前に国境近くで起こった紛争の鎮圧した時、お前の父親がクヴェルドゥールヴ元元帥を庇って殉職したから、その死に報いるべく元元帥はお前を引き取ったのだそうだな。そうだとしても!お前はクヴェルドゥールヴ家の者ではない。庶民なのだ!そのことを決して忘れるでないぞ。そして庶民であるにもかかわらず、庶民よりも良い生活をさせてもらえたことは、元元帥を庇って死んでくれた父親の御蔭であるのだということを、しっかりと頭に入れておくのだぞ!」
これで、私の自尊心は守られた。訳の分からない演説を終えて満足したハムセールが、得意げに鼻を鳴らした。そして、処刑台への鐘も鳴らされた。
「お義姉様、手を離して……っ」
この男を早急に始末しなければ。この男はいつまでもヴェルザを侮辱し続けるから。アルネイズの願いを、ヴェルザは決して聞き入れない。黙ったまま、笑顔を貼り付けて、ハムセールを見下ろしてやる。
(何時まで言われるのでしょうね。いい加減、聞き飽きましたよ……)
クヴェルドゥールヴ家に引き取られてから、現在に至っても未だ投げつけられる言葉にはすっかり慣れてしまって、ヴェルザはもう何を言う気にもならない。こういう輩には何を言っても無駄なのだ、これまでの経験で知っているからこそ、黙るのだ。アルネイズのヴェルザを想うが故の怒りを無下にしてしまっても、彼女の手を汚させるよりはよっぽど良い。
だが、この場には空気の読めない者がいた。
「父親が死んでくれたお陰で良い暮らしができたのだから、感謝をしろ?そんな馬鹿げたことを仰いましたが……王子殿下は正気ですか?」
「……なんだと?」
後ろから投げかけられた声に反応して、ハムセールがゆっくりと振り返る。不機嫌を隠そうともしないハムセールに見下ろされど、ハルジは怯まない。いや、怯む気がしない。
「絶望的に社交性が無い僕に対して、両親は頭を抱えながらも懸命に一般常識と生きていく為の術を教えてくれました。その甲斐あって、僕は失敗だらけでもどうにか役人として生活できています。王子殿下の御両親はどのような教育を貴方に受けさせてきたのですか?」
「父上と母上は私を深く愛し、王族としての教養を身につけさせ、最高の教師たちを用意してくれた。故に私はこのような立派な人物になったのだ!」
「その割には品位に欠ける言動が目立ちますし、教養の欠片も感じられませんし、自分本位で他人の都合を全く考えない人物としか、僕の目には映りません。真の立派な人物は、己はそうであると自称しないのではないでしょうか?」
良い条件を揃えてもらっていたのにもかかわらず、仕上がりがこれとは如何に。ハルジでさえも両親や、アトリやヴェルザといった知人の御蔭で少しは欠点が矯正されたというのに。ハムセールには生まれ持った血筋の良さしか美点がないのかもしれない。つっかえることもなく、つらつらと語るハルジに、額に青筋を浮かべてブルブルと震えるハムセール。
うわあ、あの人、王子の自尊心を言葉でタコ殴りにしてるんですけど。一行を取り巻く観衆は、ハルジがたたっ切られるのではないかとハラハラヒヤヒヤする。美しいものを美術館に来たのであって、流血沙汰を見に来たのではないから。
「お前ぇ!庶民の分際で王族たるこの私を侮辱するとは、不敬であるぞ!国家叛逆罪であるぞ!!」
「身分の違いなど関係なく、貴方には敬意を抱けません。その原因は貴方の言動です。貴方はステルキ准尉と彼女のお父さんを侮辱しておきながら、御自分を悪く言われると激昂して、相手に謝罪を強要する。何故ですか?」
ああ、流石にカウピさんの口を塞がなければ。そう思っているのに、ヴェルザの体は動かなくて、傍観者になってしまっている。若しかしてハルジは、ヴェルザを庇ってくれているのだろうか。そうなのだとしたら――?ヴェルザの顔から笑顔の仮面が剝がれ落ち、彼女は呆けたようにハルジを見つめている。
「王族であることを笠に着て、傍若無人に振る舞うのは恥である。そう思われませんか?ならば、残念です。それはそれとして、王子殿下。ステルキ准尉と彼女のお父さんを侮辱したことは、しっかりと彼女に御詫びしてください」
観衆の多くが「よく言った、モジャモジャ頭の眼鏡!」と大きく頷いているのが見えて、ハムセールが焦燥感に駆られる。
「~~~言葉というものは人によって使い方と意味が異なるものだ!知らないのか!?」
「道理で王子殿下とは意思の疎通が図れないはずです。納得しました」
口では勝てないと思ったのか、とんでもないことを言ったぞ、あの王子。この場にいる人々が己の言動に呆れかえっていることからは目を逸らして、ハムセールは尚も言葉を吐き出す。
「だから、お前が勝手に私の言葉の意味を履き違えただけだ!そうだろう、ステルキ元准佐!?おい、何か言え!!」
そんな気が起きないので無理です。ヴェルザは表情と態度で答えた。
「何も言わないということは、その通りであると認めたということ!」
ハムセールには通じなかった。ヴェルザは体から魂が抜けていく感覚に襲われた。
「よって。私には何の落ち度がない。そこの運が良いだけの、実力のない軍人に詫びる必要など」
「あるに決まっているじゃない。跪いて、頭を垂れて、石の床に額を何百回でも叩きつけて、血塗れになるくらい詫びなさい。それでも足りないけれど」
ハムセールの暴言を遮ったのは、凛とした若い女性の声だ。新たな人物の登場に人々はどよめく。
「わたくしのヴェルザを二度も侮辱するなんて……貴方は学習能力というものが欠落しているようね?親が甘やかしに甘やかして育てた子供の末路は醜悪だわ。恥を知りなさい、ハムセール」
館内には暖房が行き届いているはずだが、一瞬で外気と同じくらいに室温が下がる。氷の女王宜しく佇んでいるのは、護衛を引き連れた第三王女ヒミングレーヴァ。館長室で執務に励んでいた彼女の耳にこの騒ぎの情報が入り、現場まで確認しに来たのだ。
「現れるなり異母兄を冒涜するとは、王族の風上にも置けんな、ヒミングレーヴァよ。ああ、気分が悪い。あれの姿が目に入らぬところまで……んん???」
不倶戴天の敵が現れてしまっては、ハムセールの形勢は完全に不利になる。逃亡を図ろうとした彼だが、いつの間にやら移動していたベルググレイン少佐に退路を断たれ、滝のような汗をかき出した。怖いものなしと思われたハムセールにも、本能的に恐れる存在がいたようである。
「ごきげんよう、皆様。親睦を深められているようですけれど、わたくし、其方のお馬鹿さんに用が御座いますの、どうしても。とっとと連行していっても宜しいかしら?宜しいわよね?」
ヒミングレーヴァが放つ殺気は一行はおろか、空気の読めないハルジでさえも恐れをなし、壊れた人形宜しく首を縦に振らせた。ハムセールへの怒りで頭に血に昇っていたアルネイズも短剣を何処かにしまい、ヴェルザの背に隠れてしまうほどの威力のようだ。
「おい!お馬鹿さんとは私のことか!?失敬な!お前の母など、私の母よりも格下のくせに……」
「おや、王子殿下。足元が覚束無いのですか?」由々しき事態に御座います。僭越ながら小官がお支え致しますので、ゆっくりとお体を休められる場所へとお連れ致しましょう」
「えっ!?い、いやだぁ……っ!」
「レインストラウム、手伝ってもらえるか?」
「畏まりました、ベルググレイン少佐。王子殿下が場所を移されますので、護衛の諸兄も御同行願います」
お前ら、この場から逃がしてもらえると思うなよ?
ベルググレイン少佐とレインストラウム少尉に両腕を掴まれて、情けない顔をしたハムセールが引き摺られていき、この世の終わりのような顔をした彼の護衛たちがすごすごとついていく。その中の一人を、アルネイズはヴェルザの背中越しに心配そうに見つめる。
「血縁であると認めたくないお馬鹿さんが無礼千万な振る舞いをして、申し訳ないわ。あのお馬鹿さんはわたくしたちが抑えておきますから、貴方がたは気分を新たに美術館を楽しんでいってくださると嬉しいわ」
それではごきげんよう。身を翻したヒミングレーヴァは観衆に笑顔を振りまき、気さくに声をかけながら去っていった。ビキビキと立てていた額の青筋は消えていたが目が笑っていなかったので、腸が煮えくり返っているに違いないとヴェルザが嘆息した。
ハムセール劇場が閉幕すると、興味を失った観衆は本来の目的を思い出し、蜘蛛の子のように散らばっていく。
「運がなかったね、あの人たち」
「あの馬鹿王子に正面から物を言うなんて、大した度胸だ。権力を持った馬鹿ほど怖いもんはねえから、俺ならやらねえな」
彼方此方から飛んでくる会話を耳にして、ヴェルザとハルジたちは「他人事だと思って、こっちの不幸で楽しまないでほしい」と苛立った。
「あの方々が同じ目に遭われても、わたくしは助けませんわね」
そのような義務は御座いませんし、と、誰かが小声で呟いた。左様で御座いますね、と、誰かが頷いた。




