彼女は面倒事に好かれている
くすんだ金色の髪を靡かせて、船上から王都の街並みを眺めているのは絶世の美少女と謳われるアルネイズ。彼女を遠巻きに盗み見ているのは、船員も含めた男たち。
「なんだか楽しそうですね、アルネイズ?」
艶やかな唇の両端を吊り上げて、目を輝かせている彼女を見下ろしているヴェルザもまた、楽しそうに微笑んでいる。
「お義姉様がお出かけに誘ってくださったんだもの、物凄く嬉しくて、ワクワクしているの。でも、どうして美術館へ?」
ヴェルザもアルネイズも絵画や彫刻を目にすることはあれど、芸術にはとんと疎い。お出かけ先に選びがちなのは、体を動かせる運動場や訓練施設、或いは武器専門の鍛冶屋。仲良しな二人は仲良く脳味噌が筋肉質だった。
「二つ前の職場で部下だったレインストラウム少尉に会うことがありまして、その時に教えて頂いたんです。美術館に喫茶室が新しく設けられて、其方で提供しているお菓子が好評を博しているのだと。私一人よりも、アルネイズと楽しくお茶がしたくて、貴女を誘いました」
ヴェルザの言葉にアルネイズの顔がより一層明るくなり、彼女の盗み見る男たちの鼻の下が伸び、彼らの一部を恋人としている女たちは目を吊り上げて、恋人の足を思い切り踏んづけた。其処彼処で男たちの悲鳴があがるのも気にせず、ヴェルザとアルネイズはお喋りを続ける。
「喫茶室でお茶をするのが目的ではありますが、折角ですから美術鑑賞で感性を育てましょう。我々にはあまり備わっていませんし。期間限定で王家所有の宝飾品が特別展示されているそうですから、其方も見学していきましょうね」
「綺麗に装飾された長剣とか短剣とか、槍とか楯とかあるかしら?使い勝手が悪そうだけれど」
「それは実際に行ってみなければ分かりませんねえ……」
芸術品ではなく武具や防具の話に花を咲かせているうちに、船は美術館がある小島の船着き場へと到着する。ヴェルザとアルネイズは自然と腕を組むと、人々の好奇の視線を浴びながら、船を降りた。
「うふふっ、この絵に描かれているお髭のオジサマ、お父様に似ていらっしゃると思わない?」
題名の下に書かれている説明によると、お髭のオジサマは”持ち手が異様に短い鎚を振り上げる雷神”なのだそうだ。己の身長と同じくらいはありそうな大きさの絵をじっくりと眺めると、アルネイズと同じ感想を抱いたのか、ヴェルザの体が小刻みに震えた。
このように芸術に疎いなりに楽しく鑑賞している二人は、歴代の王家の人々の肖像画が並ぶ広間へと辿り着き、異変を察知する。騒々しいほどの拍手の音がした後に、誰かが叫んでいるのが聞こえてきたのだ。
「人集りができていて騒がしいのだけれど、何かあったのかしら?」
「この先にあるのは特別展示室ですね。まさか、宝飾品目的の強盗……?で、あるならば、拍手が起きるはずもないので……妙ですね」
幾重もある人波の外側まで近づいて、二人は耳を澄ませてみる。収集したヒソヒソ話を整理整頓してみると、この向こうで大騒ぎをしている連中がいる、その中に王族が含まれている、という言葉が幾つか散見された。
(王族……あまりかかわりたくないですねえ……)
仕えていたヒミングレーヴァ王女以外の王族とは相性が宜しくないと認識しているヴェルザは、美術館の案内図を頭の中に描き出す。最寄りの逃走経路を見つけ出そうと試みていると――
「静かにしなくてはいけない場所で騒ぐなんて……常識のない方々を始末して参りますわ」
「へっ?始末はマズイです、アルネイズ。せめて半殺しまでに……って、あらら~……」
血の気が多い可憐な狩人はヴェルザの制止も聞かず、人混みを掻き分けて進んでいってしまう。
――このままでは大騒ぎが大惨事に発展してしまう。それだけは阻止しなければ!
腹を括ったヴェルザは狩人の後を追い――「げえっ」と、思わず声を漏らしてしまった。かなりの長身を誇るヴェルザには、比較的小柄な狩人よりも早く見えてしまったのだ、騒ぎの中心が。
「何をしているんだ、近衛兵ども!さっさとこいつらの首を刎ねろと言っているんだ!」
「五月蠅いわよ、貴方たち!騒ぎたいのなら余所にいってくださら……あっ!んん?ぐぉえぇぇぇ~~~っ!!?」
え?今の奇声はこの美少女が発したの?
踏んづけられた蛙の如き呻き声を発したアルネイズに視線が集まった。
人混みを掻き分けた先でガガル伍長の姿を見つけるなり綻びかけた彼女の花の顔が、直後に強張り、奇声を上げざるを得なくなってしまったのは、もう二度と会わなくて済むと思っていた人物――ハムセールが視界に入ってしまったから。アルネイズは白目をむいて卒倒したくなる己を叱咤激励して後退りするが、人集りが障壁となって逃げ道は塞がれてしまっていた。
「アルネイズ!?アルネイズじゃないか!ああ、やっと呪いが解けたのだね、元通りのアルネイズだ……!」
「あれは呪いではなくて、努力の結果です……私のことをあれだけ罵っておいて、外見が元通りになると途端に掌返しだなんて……胸糞が悪くて仕方がないわ」
アルネイズが露骨に嫌悪しても、ハムセールは何処吹く風。これまでの己の言動は綺麗サッパリ忘れ去り、彼女への愛を勝手に語り出す始末で、アルネイズは「知ってはいたけど、やっぱりこいつはヤバい奴だ」と、ぞわわわっと鳥肌を立てた。
(あれが巷で噂のクヴェルドゥールヴ家の至宝、絶世の美少女アルネイズ嬢……確かに、やけにキラキラしているな……ああ、金髪だからかな?……あれ?ステルキ准尉?)
人集りを構成している無数のカブの中にヴェルザを見つけて、ハルジはきょとんとする。彼の視線に気がついたヴェルザは苦笑しながら小さく手を振り、彼も同じように返した。
「あら?ブリュンハルズさんのお知り合いでもいらっしゃったの?」
「彼方側に知人がいたので驚きました。あそこにいる、とても背が高い、キリっとした鳶色の髪の女性です」
「そうでしたの」
ファウスティナはハルジの視線の先を追い、ヴェルザを見つけると、次にハルジを横目で盗み見た。騒ぎのことなど眼中にないのか、彼がヴェルザの方に顔を向けたままでいるので、ファウスティナは好奇心で目を輝かせた。
「ああ、やはりアルネイズは美しい!世界中の美しいものを集めても、君に美しさには敵わない!あ悪夢のような呪いが解けたのであれば、もう憂いはない。さあ、私の胸に飛び込んでおいで、アルネイズ!」
つい先程までファウスティナを美しい人と呼び、世界で一番美しいのは君だとほざいていたのは何方でしたっけ?――それはこの国の第二王子ハムセールです。
ファウスティナはもうハムセールのことなどどうでも良いのだが、侍女のアンナは違う。うちのお嬢様を虚仮にしやがって、と、邪視を向けるが、ハムセールには効果が無いらしい。第三者には理解できない愛の炎が彼を守っているのだろうか。
「もう、無理ぃ……っ」
これ以上この男が口を開いたら、頭の血管がブチブチに切れて、私が死にます。
アルネイズが獲物を仕留めんとして一歩を踏み出した刹那、彼女の前にはヴェルザが立ちはだかり、ガガル伍長がハムセールを背に庇った。
「おい、お前!私とアルネイズの間に立ちはだかるとは、どういうつもりだ!?」
「恐れながら、王子殿下。御身をお守りするべく、小官は行動致しました」
一体、何が起こっているのか?状況を把握せんと黙考し始めたハルジは、ガガル伍長の言葉から、あることを思い出す。
『見た目は可憐な美少女のアルネイズですが、クヴェルドゥールヴ家の一員というだけあって、身体能力は非常に高く、武芸の才に秀でています。油断をしたが最後、ですよ』
或る時そんなことを言っていたヴェルザの背に隠されているアルネイズを観察してみて、ハルジは肝が冷える。彼女の手には出所不明の短剣が握られているではないか。ヴェルザとガガル伍長は惨事を回避するべく身を挺したのだと、ハルジは納得したが、そうではない者もいる。
「全く!これだから礼節を弁えない田舎者は嫌なんだ!早くどけ、目障りだ!」
「失礼致しました」
誰のお陰で命拾いをしたのか。そんなことを微塵も想像していないハムセールが蠅でも追い払うような手振りで、ガガル伍長を下がらせる。他の護衛たちも何も気がついていないようで、「何をやってるんだよ、お前」と呆れた目で彼を見ていた。
「……本当に最低最悪だわ」
ハムセールの愚行でアルネイズの怒りの火に油が注がれたのを察知して、ヴェルザは彼女の細い手首を掴み、力尽くで制止する。彼女の背中が「落ち着きなさい、公衆の面前ですよ」と語っているのは理解できるので、これ以上は動かない。だが内から沸き立つ怒りが抑えきれず、アルネイズは形の良い唇を噛んで、体を震わせていた。
「おお、アルネイズ、そんなに震えて……今直ぐ温めてやろう……って、お前もいつまで突っ立っているんだ!木偶の坊なのか!?……うん?よく見てみれば、お前は確か、ステルキ准佐だったか?いや、降格したから……何だったかな?」
国王の裁きを受けた者がこんな所にいるとは思わなんだ。下から睨めつけるように見上げ、ハムセールは嘲笑を浴びせてくる。
敬愛するヴェルザを馬鹿にするなんて許せない!目の前が真っ赤になったアルネイズが今度こそ彼に止めを刺そうと身動ぎするが、ヴェルザは決してそれを許さない。




