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愛しけやし吾がつま  作者: かなえ ひでお


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或る夜お父さんと語り合ったさ

 意識を失うほどの泥酔をした挙句、地獄のような二日酔いを味わってから数日が経過した。月に一度の両親や兄たちとの食事会を楽しんだ後、ハルジは父親のフリズショーヴに声をかけられた。


「大事な話がある。長くなるかもしれないから、今夜は此方に泊まっていきなさい」


 長くなるかもしれない大事な話とは、如何に。良い話ではないのだろうなと見当をつけたハルジが通されたのは、フリズショーヴの書斎だ。子供の頃は此処に入り浸り、あらゆる分野の書物を読み漁ったものだと本棚を眺めていれば、わざとらしい咳払いが耳に入る。話を始めるぞ、という合図だと知っているハルジは対面に座し、長毛の猫を膝の上に乗せて優しく撫でているフリズショーヴに向き直った。


「単刀直入に尋ねるがね、ハルジ。君にはお付き合いをしている女性がいるのかね?」

「今現在、そのような女性とも男性とも知り合っていません。その質問にはどのような意図があるのですか?」


 末息子の社交性の無さを嘆き、少しでも上昇することを願って口煩くしている父親ではあるが、異性・同性関係には口出しはしてこなかった。ハルジは問い、フリズショーヴの反応を窺えば、「おやおや、残念だ」と言わんばかりの溜め息が返ってきた。


「この数日、従業員たちの間で噂になっていることが耳に入ってね。それは何かと訊いてみると、なんでも数日前の朝早くに、港にある連れ込み宿からハルジに似た男が飛び出してきたのを目撃した者がいるのだそうだ」


 それほど背は高くなく、癖のある黒髪に眼鏡をかけているのが印象的な貧弱そうな男性だったとは、目撃者の談。その特徴はハルジに当てはまっているといえば、当てはまっている。ハルジはカウピ商会の仕事に携わっていないが、従業員や関係者と顔を合わせることはある。商売を生業としている人々の多くは他人の顔を覚えるのが得意だから、ハルジの顔と名前が一致している人物がいてもおかしくはないのだ。

 噂の発信源となった人物は誰か、は、さておいて、フリズショーヴは息子に直接尋ねてみるとこにしたのだった。


「……酒場で酔い潰れた僕を朝まで介抱してくれた親切な女性は、存在していますね」


 酒場の店主夫妻がヴェルザに紹介してくれたのは、連れ込み宿だった。更には、其処から出ていく姿を家業の関係者に目撃されて、噂まで流されてしまっていた。これらの事実に衝撃を受けつつも、変な誤解を避ける為にハルジは父親に事情を説明した。


「なんと……なんと善良な御仁なのか、ステルキ准尉は……!自分から縁談を持ちかけておきながら、結婚する気はないのだと破談した馬鹿息子と未だに親交を深めてくださっているなんて……!」

「お父さん、どうして僕とステルキ准尉がお見合いをしたことを知っているんですか?」


 ヴェルザとのお見合いの件は両親や兄たちには伝えていないはずだが、とハルジは首を傾げる。世の中には頼まれてもいないのに、勝手に他人の情報を精査もしていないのに巷にばら撒く不届き者が存在するので、そういった輩からフリズショーヴの耳に入ったのかもしれない。


「この頃ハルジの社交性がほんのちょびっと向上したように感じたのは、ステルキ准尉の導きがあったからなのだな……」


 犯罪の手を染めることが無いだけの問題児ハルジと交友関係を築いてくれる奇特な人間がこの世に存在していたとは。フリズショーヴはいたく感動し、涙した。そんな父親を、ハルジは冷めた目で見ていた。父親の膝の上にいる猫は大きな欠伸をして、丸くなった。


「……ぐすっ、不肖の末息子よ。ステルキ准尉という素晴らしい女性と一夜を過ごした訳だが……なーんにもなかったのか?」


 野暮なことは訊きなさんな、と理性が諭してきたが、フリズショーヴはどうしても好奇心が抑えきれなかったらしい。微睡んでいる猫の耳がハルジの方に向けられている気もする。


「お父さんが期待しているようなことはありませんでしたよ。そもそも僕は泥酔していて人事不省でしたし、ステルキ准尉に抱き枕にされたくらいです」

「……ああ、そう、ふーん……?」


 並みいる男たちを物ともしない女傑には、貧弱な役人は魅力的には映らなかったのだろうな、と、フリズショーヴは勝手に納得した。物言いたげな猫は、ふさふさの尻尾をぺしんぺしんと父親の膝に打ちつけていた。


「大事な話とはこれだけですか?」

「いや、もう一つある。ハルジに縁談がきているんだ」


 だからハルジに付き合っている女性がいるのかと尋ねたのだとフリズショーヴが言い、ハルジはじとっとした目を彼に向けた。


「お父さん、我が家の末息子は本当にお勧め致しませんと、正直に告白しなかったんですか?」

「お父さんは言いました。ハルジは本っっっっっ当にお勧め致しませんと、力強く言い放ちました。だがなあ、相手がそれで退いてくれなくてなあ。若しかしたらハルジと相性が良い女性かもしれないから、会うだけ会ってみたらどうかなって、お父さんは思っています」

「そのような女性がこの世に存在していると、お父さんは心の底から信じているのですか?」


 息子の問いかけにフリズショーヴは沈黙を決め込み、ただただ天上を見つめた。膝の上の猫はスヤスヤと眠っている。

 実際に会ってみなければ、お互いの良し悪しを知ることはできない。父親の現に一理あると思えども、正直なところ、ハルジはいきなり湧いて出てきた縁談に乗り気ではない。縁談の相手となる女性に「一体何なの、この無礼な男は!?」とブチ切れられ、甲高い声で罵詈雑言を履かれる未来しか想像できないのだ――だが、


「現状、結婚の約束をしている女性はいませんし、お付き合いをしている女性もいませんので……そうですね、改めて強く念を押してから、縁談を持ちかけてきた方とお話をしてみてください。その後のことについては、僕は責任を持ちませんが」


 ハルジの意思を無視して縁談を進めていこうとしなかった父親に感謝して、これ以上悩ませてはいけない――この件に関してだけだが。自分にできることはしてみよう、これまで苦労をかけまくり、苦悩させまくってきた父親の為に。


「勿論、念には念を押すとも。更には優良物件の御案内をする準備も整っているとも。有難う、ハルジ」

「……どういたしまして、お父さん」


 我が子との縁談は強くお断り致しますが、条件の良い独身男性を御紹介することは可能で御座います。

 ハルジとの縁談を持ちかけられる度に、フリズショーヴはこの手で難を逃れ、誰かと誰かを良縁へと導いてきた実績があるのだ。


(ステルキ准尉との出会いは、ハルジにとって良いものだったのだな)


 よっぽどの理由がない限りは自分の意見を曲げることのない末息子が、彼なりに父親の顔を立てようとしてくれている。牛歩ではあるが、彼は成長しているのだと知れて、フリズショーヴは破顔一笑し、猫は気持ちよさそうに、ぐるりと寝返りをした。


「ところでお父さん、僕との縁談を持ちかけた鋼鉄製の心臓の持ち主は何方なんですか?」

「ああ、それはだね、ドゥランテ……ブォーナフェデ家の当主だ。彼の末娘が成人を迎えたので、結婚相手を探しているのだと話題に出してきてなあ。それで、私のところにも未だ独身の息子がいるんだよと言ったら、彼がハルジとの縁談を持ちかけてきたんだ」


 小麦を生産する農家から成り上がったという、南の大国を拠点とするブォーナフェデ一族。ハルジの曾祖母がこの一族の出身で、従兄弟(またいとこ)の関係にあるフリズショーヴとドゥランテが親しくしているということを、ハルジは知ってはいる。


「ドゥランテの末娘、ファウスティナ嬢は亜麻色の髪と碧い目の美しい女性だ。ハルジは彼女と面識があるんだが、十年ほど前に一度きりだからなあ……」

「十年ほど前といいますと、僕は学生で今現在よりももっと他人に興味が持てなかった頃ですから、記憶はありません」

「これからはハルジがより一層他人に興味を抱いて、顔を覚えていけるようになっていけることをお父さんは祈ります」


 我が子ながら、社交性の無さは一級品のハルジの何が良くて、ステルキ准尉は親交を深めようとしてくれているのだろうか?フリズショーヴは彼女に感謝するが、どうにも不思議でたまらない。


「……うん?ブォーナフェデ家の御当主と御令嬢は、僕と面識があるのですよね?それならば僕に対して良い印象を抱いてはいないと推測しますが……」

「そう、そうなんだよ!だからお父さんも、息子は息子でも上の三人の誰かと間違えてないかってドゥランテに訊いたんだ。だが彼は、是非ともブリュンハルズくんをお願いします、と、はっきり言っていてね……」

「ブォーナフェデ家の懐事情が宜しくない為に、カウピ家の援助を必要としている……ということはないですよね?」

「それはないな。だが、娘とハルジを結婚させることにより、新しい人脈を得たい可能性はある。何せハルジは、この国の王族や貴族の懐事情に詳しい財務院勤めの役人だからなあ」

「成程……」

「まあ、この縁談が実を結ばなかったとしても、両家の間に罅が入ることはないし、私とドゥランテの友情に翳りが出ることもない。深く考えすぎずに、ファウスティナ嬢との逢瀬を楽しんできなさい」


 令嬢の機嫌をとれ、などという難易度の高い試練は与えない。だが、できれば、彼女の怒りを買うような言動を控えてくれたなら、お父さんは嬉しいです。

 フリズショーヴのささやかな願い出に、ハルジはこう答えた――そのどちらも最高難易度の試練でしかないので、絶対に僕に期待をしないでください、と。

 フリズショーヴは微笑みながら、天井を仰いだ。そして、人の顔のような染みを見つけてしまった。目の錯覚だと思いたい。彼の膝の上で健やかな寝息を立てていた猫は一旦目を覚まし、物言いたげな鼻息を噴射すると、もう一度眠りに就いたのだった。

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