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愛しけやし吾がつま  作者: かなえ ひでお


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その選択肢は想定外

「気の弱そうな男性を狙い、言いがかりをつけて金銭を巻き上げる男女二人組が新市街のあちこちで出没していると耳にしましたが……まさか、このような大衆の面前で堂々と繰り広げる方がいらっしゃるとは思いもしませんでした」

「だから離せって言ってるだろ!!!」


 僕が気の弱い男性であるのかは分かりませんが、後半部分については同意見です。ハルジがそう呟く前に、ダラの夫が怒鳴り声をあ上げた。


「くそっ、こいつ、女みたいな顔してんのに、なんて馬鹿力だ……っ!」

「あら、貴方の手を離す訳にはいきません。犯罪者を警邏隊に引き渡すつもりで割り込みましたから。因みに(わたくし)、よく男性に間違えられる女性です」


 如何にも女性であると分かる服装はしていないし、背もなかなか高いし、体格もがっしりとしているので勘違いされることには慣れていますから。然し、一応は化粧をしているのですけれどね。なんて麗人は明るい声でおちゃらけつつ、空いている方の手で背伸びをすることもなく、大男の手から難無く酒瓶を取り上げると、それを石畳の上に転がして、遠ざけた。


「……離せよ、女巨人(ギューグル)!」

「あらら、懐かしい呼び名」


 ハルジの胸倉から腕を離し、ダラの夫は麗人の顔を殴りつける。彼女は飛んできた拳を躱すと同時にハルジの肩を強く押して後退させ、大男の懐に素早く入り込み、かなりの重量があるはずの大男を背負い投げして、石畳に叩きつける。受け身をとれず、背中を強かに打ちつけて悶絶しているうちに彼女は大男の体をひっくり返し、腕を後ろ手に捻り上げながら、膝を乗せて体重をかけて動きを封じる。


「どなたか、縛る物を持っていらっしゃいませんか?暴れられないように拘束したいのですが……」


 野次馬の一人から荷物用の縄を受け取り、麗人はテキパキとダラの夫の巨体を縛り上げる。そして、或る人物に向かって、声を張り上げた。


「奥様!何方に向かわれるのですか?御亭主を置いて、どさくさに紛れて逃走するおつもりですか?」


 人々の目が麗人と夫に集中しているうちに逃走を図ったダラだが、彼女は見逃してはくれなかった。気がついた周囲の人々が急いでダラを捕まえたので、取り逃がさずに済んだ。

 ダラも夫も不平不満を喚き散らしていたが、やがて騒ぎを聞きつけた警邏隊の姿を認めると、大人しくなった。麗人は二人を引き渡すと、呆然と突っ立っているハルジの許まで戻ってきた。


「もし、其方の紳士、お怪我をされたりはしていませんか?咄嗟に貴方の体を強く押してしまいましたから、肩や胸の辺りが痛んだりはしていませんか?」

「え?ああ……怪我はしていないと思います。押された箇所も痛みを訴えてはいません。……助けて頂きまして、有難う御座います。あの……近くに壊れた眼鏡と、大きめの買い物袋が落ちていませんか?眼鏡が無いと、よく見えなくて……」


 騒ぎが治まるまでにすっかり日が暮れてしまい、市場や道に設置されている街灯の明かりが点いている。夜の闇は深く、光の当たる範囲から外れると一気に物が判別し辛くなる。視力が悪いハルジは下手に動けない。


「畏まりました、眼鏡と買い物袋ですね。探して参りますので、どうぞ、其方で待機していてください」


 麗人はハルジの頼み事を快く引き受けてくれた。夜目が利くらしい彼女は直ぐに眼鏡の残骸を見つけられたが、買い物袋はなかなか見つけられない。すると先程の現場で野次馬をしていた人間が情報提供してくれたので、彼女はハルジの許に駆け寄り、眼鏡を彼の手に渡す。


「はい、どうぞ。眼鏡です」

「……有難う御座います」

「買い物袋なのですが、先程の騒ぎに乗じて物取りが持って行ってしまったようです。中には貴重品などは入ってはいませんでしたか?」

「袋の中身は食べ物だけで、貴重品は入っていません。すっかり疲れてしまいまして、取り返したい気持ちも湧いてこなくて……その分の損はしますけれど、財布は無事ですので……まあ……いっ!?」


 不意に足を動かすと、足首に痛みが走り、ハルジの体が大きく揺らいだが――女性にしては逞しい腕に支えられ、難を逃れる。どうやらダラにぶつかられて転んだ時点で足首を捻ってしまっていたようで、緊張の糸が解けた途端に痛み出して、ハルジは顔を歪める。


「お住まいは何方でしょうか?時間に追われている身ではないので、差し支えなければ、お住まいまでお送り致しますが如何でしょうか?」


 親切な申し出をする彼女だが、暴漢から助ける振りをして、人目のない所まで誘導してから悪事を働く強盗かもしれない。そんな猜疑心が湧くが、身も心も疲れてしまっているハルジは警戒することを止めた。もう、どうにでもなるといい。彼は自棄を起こしている。


「カウパハギ地区のグルマルム通り沿いの、フリズショーヴ・カウピの邸宅まで連れていって頂けますと助かります」

「フリズショーヴ・カウピ氏と申しますと、若しや()の有名な”カウピ商会”会長の?」

「はい、父です。今夜は実家の食事会に呼ばれていて、此方の市場で用事を済ませてから向かおうとして、あのような目に遭いまして……」

「それは災難でしたね。私も近頃は面倒事に巻き込まれてばかりでして、お気持ち、お察し致します。職業柄、王都の地図は頭に叩き込んでおりますので、カウピ会長の御宅までお送り致します」

「お手数をおかけ致しますが、宜しくお願い申し上げます……」


 麗人は市場の横にある馬車駅に目を向ける。足首を痛めているハルジを安全に家まで送るには馬車を利用したいところだが、生憎この時間帯は家路に就く者で馬車が込み合うので、空席がある馬車を探すのは難しい。現に市場の馬車駅に停車していた馬車は、全て出払ってしまっている。馬車が戻ってくるまでの時間は読めない。

 さて、どうしたものか。ハルジから聞いた住所は、此処から徒歩でも向かえる距離の場所にある。短い時間で考えを巡らせた彼女は、答えを導き出す。


「カウピさんの運送方法を提案致します。お姫様抱っこ、粉袋担ぎ、おんぶ、この三つのうちで貴方のお好きなものを選んでください」

「……はい?」


 質問の意図が読めず、ハルジの脳が思考を一時停止する。その様子を見た麗人はハルジの耳に言葉が届かなかったのだと感じ取り、先程の質問を繰り返す。


「えぇと……それでは……その……おんぶ、で、お願いします……?」

「畏まりました。柔らかさの少ない硬めの背中ではありますが、遠慮なくどうぞ!」


 思考停止が解除されたハルジが逡巡し、与えられた選択肢の中から最も精神的ダメージの少なそうなものを選ぶと、麗人は彼に背を向けて、おんぶの体勢をとってくれたのだった。

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