二百十六告目 悪は裁かず 23
奥村稜が信岡聖を守りたいと言った気持ちに嘘はない。しかしそれも自分がシニコクの呪いにかかったとなれば別だ。定期的にかかってくる母親からの電話の小言が不意に奥村稜の頭をよぎる。
「悪い女に騙されて変な病気をもらったりしてないだろうな? 浮かれて親に恥をかかせるような真似をするんじゃないぞ」
口癖のように何度も繰り返されるその言葉は奥村稜を毒の愛情で侵し続ける。教育とは名ばかり洗脳は自由な意思を奪い親に絶対服従を復唱させる。奥村稜にとっては田舎に帰って親の後を継ぐことが最優先であり、自分は親に依存しなければ生きて行けない弱い存在なのだと刷り込まれているのだ。
(信岡先輩のことは守りたい。でもどうやったら一緒に田舎で暮らしていけるんだ? 母親を説得できるのか? それに呪われてしまったらぼくも見捨てられてしまうのか?)
「奥村くん、わた、私は……」
奥村稜が信岡聖の手を取れなかったのはそんなことを考えていたせいもあっただろう。しかし自分のしたことに気づいて近づこうとしたとき、信岡聖は手のひらを返して「騙そうとして近づいただけ」「遊びで付き合っただけ」と奥村稜を嗤ったのだ。
後で考えれば言動の不自然さに気づくのだが、このとき奥村稜の中にかつての許嫁とのことがフラッシュバックする(このときはまだ真相を知らなかった)。母親の「悪い女」という言葉と相まって奥村稜の心は怒りと失望に満たされていく。
「……もういいです。自分が馬鹿でした。……失礼します」
奥村稜は部屋に戻り信岡聖の私物をペーパーバッグに詰めて外に出した。
トラウマに耐えて体を丸めていると、ドアのポストに信岡聖がスペアキーを落とすカチャンという音が聞こえた。「追いかければ間に合う」という内なる囁きを無視して奥村稜は夜までそのまま過ごした。