二百十二告目 悪は裁かず 19
家族同士が口汚く罵りあう家に辟易した奥村稜は学校生活に癒やしを求めた。高校は地元でなくあえて隣町の進学校を選んだ。
部活もテニス部を選んで休日も家にいないようにした。曾祖父母や祖父母と母親のそれぞれが奥村稜を自分らの陣営に取り込もうとした。父親も実家から独立して工房を持ったせいで奥村稜を手駒にしたいと考えるようになる。それが奥村稜の腕をひっぱりあうエゴの綱引きにいっそう輪を掛けた。
それとは別に高校生になった奥村稜は許嫁との仲を修復したいと思っていた。家の事情を別にして彼自身は彼女を嫌いなわけではなかった。昔遊んだ記憶をお互いがまだ大事にしていることを知って距離は縮まっていった。
そうなると奥村稜の気持ちは自然と農家を継ぐことに傾いていくのだが、両親がそれを快く思うはずは当然なかった。
一方で地元の高校に通う許嫁はある男につきまとわれるようになる。
男は地元で問題を起こして編入してきた不良で、何人かのクラスメイトから金をまきあげていた。彼女も家が裕福だったため目を付けられたのだった。
そんなとき運悪く彼女は病気にかかり地元を離れて入院することになった。
男が彼女を「俺の女にした」と吹聴していたことや薬の副作用で急に太ってしまったせいで、休んでいるうちに学校では「彼女は中絶のために入院したらしい」という噂が立った。
それを知った奥村稜も火消しに動いたが「地元を捨てて進学を選んだやつ」と旧友の目は冷ややかだった。何より卑猥な想像をかき立てられた若い欲望に歯止めがきくわけもなく、噂は日ごとに彼女を貶めるものに変わっていった。
奥村稜の母親は火消しどころか逆にここぞとばかりに許嫁の悪評を広めた。曾祖父母が死んで家での発言力が強くなったせいもあった。
裏工作をした上で母親は許嫁の両親に「傷物を押しつけられたら迷惑だ」と約束を反故にするよう迫った。「あくまで噂だから」と穏便に話していた彼らも最後には激怒し「今後一切お宅らに援助はしない」と宣言して縁を切った。
奥村稜が病院に許嫁を見舞ったとき、彼女は「もういいの」と口にした。
「そんなことあるもんか! 何ならぼくが入り婿になったっていい。一緒に暮らそう」
そう言う奥村稜に彼女は首を横に振り「私はもう稜の隣にいられない。あげられるものもなくなっちゃった」と告白した。
そのときの奥村稜は彼女の言葉に動揺を隠せなかった。それが彼女の望んだことではないと頭で分かっていても、ずっと好きだった幼なじみとのはじめての行為に少なくない幻想を抱いていたのも事実だった。裏切られたという黒い感情が湧いてくるのを抑えられなかった。
奥村稜は結局彼女の手を取ることなく病室を後にした。後ろ手に閉める戸の向こうで彼女のすすり泣く声が聞こえた。奥村稜と許嫁の関係はこうして終わった。