二百一告目 悪は裁かず 8
阿川飛名子は事故のニュースを見て急に恐ろしくなった。そこまでのこととは思っていなかったのだ。
彼女が電話しても【あの女】は笑ってはぐらかして明確な答えを避けた。
「さあどうかしらね? いずれ阿川サンの望みが叶ったんだから素直に喜べばいいじゃない? ああ、警察に駆け込むなんていうのはナシよ。アナタも事故に遭ったりしたらつまらないでしょう?」
「そんな! 私を脅すつもり?」
「余計なことをしなければ何もしないわ。じゃあ阿川サン、今度はアナタが約束を守る番よ。途中で逃げたりしたら……そんなワケないか? ワタシたちはもう共犯者なんだから。あははっ」
そう言って【あの女】は電話を切った。阿川飛名子の耳に不快な笑い声がいつまでも残った。
それから大学で信岡聖の悪い噂が流れるようになった。阿川飛名子も不安がる彼女を励まし「いつでも力になるから」と支えた。しかしそんなとき阿川飛名子に【あの女】から命令が届く。それは「信岡聖を破滅させるのに協力しろ」というものだった。
「どうしてこんなことをするの! セイがあなたに何をしたっていうの!」
「別に何も? ただそうしたかっただけよ。あはははっ」
阿川飛名子は大学で【あの女】を問い詰めた。それにも【あの女】は悪魔の笑いを返すだけだったが、それでも訊かずにはいられなかった。
「お願いよ。他のことなら何でもするから……」
「何でも? だったら代わりにアナタが破滅してみる?」
「それは……で、でも!」
「そもそもアナタは彼女を親友と思ってるみたいだけど、むこうはどうなのかしらね?」
「えっ?」
「ワタシ見てしまったのよ、彼女がアナタの悪口を言うところ。『お金の話をすると途端に顔色を変えるのよ。隣にいるこっちが恥ずかしくなるくらい』って。彼女はとっくに知ってたみたいよ?」
「何を言ってるの? セイがそんな……そんなはずない!」
阿川飛名子はショックでその場に座り込んでしまう。信岡聖にだけは知られたくなかった。たとえ知られたにしてもそんなふうに見られているなんて思いたくなかった。
それがおそらく【あの女】の嘘だということは阿川飛名子にも頭では理解している。しかし一度揺らされた心は元には戻らない。しかも【あの女】は彼女がそれを信岡聖に訊くことはできないと承知の上で言っているのだ。
「だからアナタが彼女を裏切っても許されるんじゃない? 目には目を、裏切りには裏切りをってね。あははははっ」
阿川飛名子に【あの女】の命令を拒否することができないことははじめから分かっていたことだ。そして彼女が心を保つ方法は信岡聖が先に裏切ったことを免罪符にして(たとえ嘘だと分かっていても)、自分を正当化する以外になかった。
そして【あの女】の思い通りに信岡聖は奈落へと転がり落ちていく。しかし直接その背中を押したのは間違いなく阿川飛名子だ。どんなに泣いて詫びようともそのことは変えられない。