第七話:悪役令嬢の知識の秘密は……?(うーん、彼女にも相棒がいるだけだったり)
「――コークスを使えば、鉄を完全に熔融させる高温を得ることができるのは利点ですが、木炭の熱量でも、剣や槍を作るには必要充分です。火の精霊に鉱石の成分を食べさせていては引き合わないほどの、大規模な製鉄が必要になる時代がこないかぎり、さほど気になさる必要はないかと存じますけれど」
すっかり講師のお株を奪う形になったマルガレーテ嬢の独壇場は、以上のセリフで締めくくられた。
シュミット助教も、ダグラス殿下たちも、質問が山ほどあるという顔だったけど、マルガレーテ嬢は「つぎの講義がありますので」と、すげない態度で、ディルフィナ嬢たち四人を引き連れて講堂をあとにしてしまった。……これが悪役令嬢一流の、婚約者の気を惹く恋の駆け引きなのだろうか?
わたしはつぎのコマにピンとくる講義がなかったので、一度自分の部屋に戻ってノートをまとめるつもりでいたのに、席を立とうとしたところで殿下に捕まってしまった。
「エルゼヴィカ嬢、マルガレーテの話、どう思った?」
「興味深いです。『脱硫』に適した熔解鉄材と蛍石の混合比は、実験して割り出す価値があるかと」
第一印象を正直に答えながらも、わたしはマルガレーテ嬢の締めくくりの言葉が気になっていた。大規模な製鉄が必要になる時代か。
鉄は物質としてはわりとありふれているから、たしかに熱源さえ無制限に確保できれば大量に作れるだろう。樹木は育つのに時間がかかるから木炭では現実味がないけど、石炭を使えるなら可能性はある。でも鉄って頑丈だけどすぐに錆びてしまうから、建材なんかにそのまま使うには向かない。
……うーん、鉄が山ほどほしくなる事態って、あんまりいい連想につながらないな。戦争とか。
「さっそくだが、硫黄が鉄をどれほど脆弱化させるのか、確認してみたいと思うんだが」
シュミット助教が、そういって居残り組を見渡した。鉄と硫黄を単に混ぜると発熱反応が生じるだけだから、たぶん鉄塊をひとつ坩堝で熔かして、硫黄を少量混入させたのと、そのままのをふたとおり造って形成しなおし、硫黄混入品の強度がどの程度下がるか計測するのだろう。
「いいですね、お手伝いさせてください」
殿下たち五人はやる気満々だ。わたしも興味はあるけど……いいや、サラに訊けば教えてくれるはず。
「すみません、わたしお腹減ってきちゃったんで、ちょっと早いですけどランチにします」
「そうかね。ぜひつぎの講義にも出席してくれたまえ、エルゼヴィカ嬢」
「はい、かならず。次回、実験の結果教えてください」
「もちろん」
実験室へ向かうシュミット助教たちとわかれたところで、実際にお腹が鳴いた。あぶないあぶない。朝にりんごをかじっただけで、お茶会以降ろくなもの食べてなかったのよね。
食堂に行ってみたら、カザリーン嬢とセティ嬢がいた。わたしがご令嬢ウォールに囲まれたところを見ていたようで心配してくれたけど、べつにマルガレーテ嬢からいじわるはされなかったから、笑ってだいじょうぶと答える。
おふたりと一緒のテーブルでランチをいただいて、午後の代数の講義に出席する約束をした。クラウディア嬢とシモーヌ嬢も代数の単位は取るつもりなんだって。とすると、ゲオルグさまはシモーヌ嬢の護衛だからくるとして、ユフード殿下はいらっしゃるのかな……?
あ、ランチメニューは焼きたてのパンとウズラのキッシュが美味しかったです。焼き窯のある食堂ってすばらしい。
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「たしかに硫黄やリン、水素なんかは鉄を脆化させる。まあ、精製時なら水素のことは気にする必要ないが」
寮の自室に戻って、サラに冶金学の講義でマルガレーテ嬢が話した内容を伝えたら、すぐに答えが返ってきた。さすがサラマンダー、人間に鍛冶の知識を最初に教えた精霊だともいわれているだけのことはある。
ただし……サラ自身の専門分野について話を振ると、長いのよね。
「取りのぞくべき不純物は硫黄だけじゃないぞ。リンのほかに、脱珪も重要だ。炭素は鋼の硬度確保に必要なモンだが、粗鉄の段階では除けておいて、鍛造段階で付加していくほうが、同じ原料からいろんなモノを造れるな」
「なるほど」
「脱硫だったら石灰石混ぜるだけでもいいんだぞ。あとはマンガンだな。ロードクロサイトってやつ。マンガンには鉄鋼の強度を高める作用もある」
「蛍石にしろ薔薇石にしろ高価だから、石灰石を使うのがよさそうね」
「薔薇石とロードクロサイトは、仲間だが厳密には違うからな」
「……あ、そうなんだ」
鉱物のことになると細かいなあ。火の精霊なのにこれなんだから、地の精霊を呼び出したらどうなっちゃうんだろう。
「――それにしても、変なことに詳しいな。ますますあやしいぞ悪役令嬢」
サラはそういって、しっぽをふりふりする。
わたしは、むしろマルガレーテ嬢に興味出てきちゃった。わたしとは違う世界に住んでいる人なんだろうなって決めつけていたけど、なんだか趣味が合いそうだし、なにより、婚約者のはずのダグラス王子へのそっけない態度が気にかかる。
連想で殿下のいっていたことを思い出したので、わたしは机の上の小箱から緑簾石をつまんで手のひらに載せ、サラに示した。
「いる? 火の精霊って、鉱物を食べるものだったんだね。わたし知らなくって」
「……お。いいのか?」
「実験の試料なら、講師の先生がたにお願いすればけっこう融通してもらえそうだし」
「いいね、おまえは自分の魅力をもっと活用するべきだ、エル」
わたしの手から、ひょいと緑の石が消え、カリカリと金平糖をかじっているような小気味よい音がしてきた。サラの身体のベースになっているぬいぐるみに、わたしは牙なんて縫い込んでいないから、どうやって食べているのかはわからない。
「食べものもらうなり調子いいわね。これまでわたしの魅力について、なんにもいったことないくせに」
「まさか、おいらみたいな上級精霊が、タダの人間の小娘にホイホイと召喚されて契約するとでも思ってたのか?」
「……本に書いてあったとおりにやって、たまたま出てきたのがサラだし」
拍子抜けするくらい簡単だったから、相棒の召喚って、だれにでもできるものだとばかり。
「なんだよ、おいらのありがたみがわからないのか」
「物識りだし調べものしてくれるし、すごく助かってるけど。精霊ならみんなやってくれるんじゃないの?」
「しばらくのあいだ、使えねえやつと代わってみるか? おいらの偉大さが骨身にしみるぞ」
「ちょっとまって。午後に代数の講義受けることになったの。あとでサラに教えてもらえないと、たぶん単位取れない」
わたしはあわててサラに抱きついて、すりすりとほおずりする。奮発してベルベットの生地で作ったから、肌触りがとってもいい。そのうち不燃性に取り替えなきゃいけないボディだけど。
「わかればよろしい。おいらはそのへんの精霊とは格が違うし、おいらを相棒にできたおまえはすごいんだぞ、エル」
「……わたし、なにかすごいところあるかな?」
運はいいほうかもしれないけど。
「おいらがすごいってことは、おまえもすごいの。まあ、ひけらかす必要はないさ。ほら、午後の講義がはじまるぞ」
「ん、いってきます。……ちゃんと留守番しててね。勝手に帰っちゃやだよ」
「だいじょうぶだから、契約の途中で無断で消えたりしない。行ってきな」
平気なつもりでいたけど、急に心細くなってきた。もしサラがいなくなったりしたら、わたしはこの学園に、もう一日だって留まっていられない。
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