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第六話:悪役令嬢は化学に強いです!(脱硫……ってなんですか?)


 冶金学はあまり人気がない科目のようで、わたしたちが講堂に入った時点で、中には五人しかいなかった。全員男性。でもみんな最前列に座っている。熱意のある人ばかりのようだ。

 こちら、というか、マルガレーテ嬢に気がついたご令息のひとりが、となりの席のかたへなにやら耳打ちをした。


 それを聞いて立ちあがったのは――ダグラス殿下?!


 ……あ、そっか。鍛冶がご趣味なんだから、冶金学の講義に出席なさってること自体はおかしくないんだ。でも、第二王子が選択してる科目が、なんでこんなに不人気なの?


 わたしの疑問には、殿下のつぎの言葉がすぐに回答になってくれた。


「……マルガレーテ嬢、単位を取得する意思のない講義には、出席しないようにといっただろう」


 なるほど。殿下や、その周辺のかたがたと同じ講義に出て、仲良くなろう、あわよくば派閥に入れてもらおう、っていう発想は自然ですもんね。真面目にやらないなら出席するなと、徹底的に足切りをしたわけか。去年一度だけ冶金学の講義を聞いた、とマルガレーテ嬢がおっしゃっていたのは、そういう意味でしたか。


 ダグラス殿下の渋面に対して、マルガレーテ嬢は婉然とほほえむ。


「今日から新学年の講義ですわよね? 今年は、わたくしも冶金学の単位を取ろうと思いますの。こちらの、レキュアーズ男爵令嬢とご一緒に」

「へえ。エルゼヴィカ嬢、きみ、冶金学に興味があるのかい?」


 ダグラス殿下の表情が崩れ、わたしを面白げに紺碧の目で見つめる。あーもう、婚約者の前で、他家の子女にそういう甘いマスクを向けないでください! マルガレーテ嬢の怒りゲージが上昇してるのが目に見えるようです。


「はい。材料工学はひととおりやってみたいと思っています。さきほどは、テクスタイン教授からとても有意義なお話をうかがわせていただけました。シュミット助教も、いずれこの分野の第一人者となるおかたです。ぜひ、ご指導していただきたく」


 いいつくろいは却って危険と学習したので、ここは本心一本でいきます。

 魔術工科学院のレンブランド教授には一歩譲るけど、シュミット助教もこの道の権威だ。講義を受けたいという気持ちには毫も偽りございません。


 殿下は、少しばかり気遣わしげなお顔になった。


「僕らに合わせて進めてもらってるから、いきなり二年目の内容だけど、だいじょうぶかな?」


 このへんは、王立学院としての権威づけのために各分野の一流人材を講師として集めはしたけど、教育機関としてはさほど真剣に考えられていなかったがために生じてしまった、運用エラーだ。


 さすがに受講者数の多い、文学や数学、歴史や政治学は充分な講義数を確保できるだけの講師がいるけど、冶金学だなんてマイナーな講義は、教える側も数が足りていない。いま初年生向けの冶金学講義を開こうにも、講師がいないどころか、出席希望者もほんの数人、下手をすればひとりもいないだろう。


 ダグラス殿下がたまたま鍛冶を趣味にしていたから、シュミット助教も去年からは張り合いのある講義を開けているが、たぶん、殿下が入学してくるまでは、テクスタイン教授のように、とりあえず単位が取れたらなんでもいいという生徒を相手に、おしりで椅子を磨くだけの仕事をしていたに違いない。まあ、白鑞(ピューター)熔かしていろいろ作るだけで、けっこう楽しいんですけどね。


 脳裏でシュミット助教のこれまでの苦労を勝手に想像しながら、わたしは殿下のお心遣いに笑顔で答えた。


「最低限の知識はありますから、だいじょうぶです。足りないようでしたら、自習で追いつきます」

「頼もしいね。……きみらは? 本当についてこられるか?」


 ダグラス殿下に視線を振られたマルガレーテ嬢は、しごくにこやかに口を開いた。


「わからないことがあったら、エルゼヴィカ嬢が教えてくださいますわ。……ね?」

「あ、はい、もちろん」


 なんか、いますごくまずいことをいった気がする。


 うかつな自分の口をひねりあげる間もなく、シュミット助教が講堂に入ってきた。受講者の数が二倍強に増えていることに気づいて、眼鏡を一度はずし、かけ直す。いえいえ、まぼろしではございませんよ。


「えー、おはよう諸君。レディが六人も出席してくれるとは、感激だな。……どこから、はじめようか?」

「前回のつづきからでお願いします。彼女たちは予習ができているそうですから」


 ……殿下? そこまではいってないですよ!?


 わたしの心の声が聞こえるはずもなく、シュミット助教はダグラス王子の言を真に受けて、さっそく講義をはじめてしまった。


「ふむ。では、鉄の強度を、鍛造によっていかに高めることができるかについてだが――」


 はいはい。赤熱した鉄をたたいて延ばし、また折り曲げて、さらにたたいてから、水、あるいは油にくぐらせて急速冷却する。そうすると、鋼になって硬くなるんですよね。ただし、やりすぎると脆くなって、ガラスみたいに、衝撃で欠けたり折れたりしちゃう。

 ダグラス殿下のご趣味に合わせて、武器鍛冶前提の話になっているようだ。


 焼き入れや焼きなましの適温について意見を交わす男性陣の議論をひととおり聞いて、わたしはひょいを手をあげた。


「火勢の管理は、精霊にやってもらえばいいと思います」

「たしかに火精に頼れば、燃料の調達やら温度の維持やら、手間を省くことはできる。だが、歩留まりが悪い。連中は、鉱石の中の最良の成分をあらかた食ってしまうからな」


 ため息混じりにそうおっしゃったのはダグラス殿下だ。そういえば、サラはきれいな石をあげると喜ぶ。……食べるんだ、あれ。


「石炭を使えば充分な熱は得られるのですが、良い鉄ができないんですよね。木炭だとうまくいくのに、なんででしょう?」


 つづいて発言したのは、最初にわたしたちに気づいて殿下に耳打ちをしたかただった。この人、かなり王室に近い名門のご子息のはずだ。宰相令息か、公爵嫡男か。


 そこで――


「硫黄のせいですわ」


 とつぶやいたのは、マルガレーテ嬢だった。

 ディルフィナ嬢たち四名以外、つまり、意味のわかった残りの七人はいっせいにマルガレーテ嬢のほうを見た。わたしも、シュミット助教も。


「……つまり、石炭に硫黄が含まれているって?」

「ええ。そして鉄は、硫黄が混じると脆化(ぜいか)します。石炭を製鉄に用いるなら、脱硫処置を施す必要がありますわ。石炭を蒸し焼きにしてコークスにしてしまうか、鉄原料を熔解させたさいに蛍石の粉末を投入すれば、硫黄分を除去できます」


 ダグラス殿下の質疑に、マルガレーテ嬢はまさに立て板に水といった感じで応じた。シュミット助教が、おずおずと口を開く。


「いったい、どこでそのような見識を……レディ・フェリク――」

「マルガレーテでお願いしますわ、シュミット卿」

「失礼。マルガレーテ嬢、どこで、あるいは、だれからそのような知識を得たのですかな?」

「なにかで読みました。たしか、東方の刀剣に関わる書物だったかと」

「鉄を弱くしているのは硫黄なのか……ふむう、これはすぐに実験できるな……」


 さすが学者先生、又聞きの話を丸呑みにはしない。といっても、硫黄ならわたしも錬金素材として持っているし、簡単に試せることだから、マルガレーテ嬢が嘘をついているとは思えない。彼女が読んだという文書そのものが、でたらめの贋作という可能性は残るけど。


「具体的にどれだけの分量の原料に対して、どの程度の比率で蛍石を投入すればよいのかは書かれていませんでしたが」


 シュミット助教のみならず、ダグラス殿下たちも、もちろんわたしもノートを取っていた。蛍石に硫黄を吸着する効果があったとは。蛍石(フローライト)の名のとおり、融解剤としてしか考えたことがなかった。


 新学年の冶金学講義一回目は、悪役令嬢によって思わぬ展開を迎えていた。




フローライトのFluoはFlowに通じ、流れを意味するラテン語だそうです。


だんだん話も動きはじめてきました。楽しめていただけそうであれば、まずはブックマークをしてくださると嬉しいです。

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