第五話:事実上の初対決です!(なんか話がかみ合いません……)
今日から本格的な学園生活のはじまりだ。
授業スタイルは、興味のある講義に出席しなさい、以上。年間に六科目以上の単位を取れば進級できる。
いちおう試験はあるけど、赤点へのペナルティは、課題の提出や講師の個人的研究の助手をすることだったりで、かなりゆるゆるだ。王立高等学院は学問そのものを究めるよりは、社交経験や人脈づくりのために存在しているというあらわれである。
個人的助手というと、なにやらいかがわしい気配を感じるが、フィールドワークの荷物持ちをしたり実験の記録を取ったり、場合によっては研究素材の調達であったりで、つまりお金で片がつく。雇った人間を貸したり、高価な実験器具を寄付することで赤点は補えるのだ。……これはこれでいかがわしいだろって? 学問って、金食い虫ですから。
それでも、講師陣は王室の威信をかけて招聘した一流ぞろいなので、やる気さえあれば、理屈の上では並の大学よりずっと高度な勉強ができるはずだ。
わたしは、せっかくなので魔術工科学院に行ったらするつもりでいた勉強を、可能なかぎりしようと思っている。実技に関しては完全に自習になるけど、設備だったら小規模ながらここにもあるのだ。ぜんぜん使われてないようだけど。
――というわけで、とりあえず繊維工学の講義に出席してみたところ、完全に手芸サークルだった。ご令嬢たちが楽しそうに歓談しながら、刺繍をしたり編み物をしている。講師その人をのぞいて、男性の姿はゼロ。……まあ、こうなりますよねー。
講師のテクスタイン教授はヒマそうだったので、椅子を教壇まで引っ張っていって時間内たっぷり質問をさせてもらった。テクスタイン教授は、はるか東方からの交易品でしか手に入らない逸品であった、絹糸の正体が虫の吐いたモノだと解明し、代替品を開発した業界の革命児だ。そんな人からマンツーマンで話を聞けるとか、この学院すごいところかもしれない。単位取得する一科目はここで決まりだわ。
講義終了を告げる鐘の音に、名残惜しさを覚えつつ席を立って、一礼。
「ありがとうございました、教授」
「いやあ、きみみたいな熱意のある生徒が入ってくるとは期待していなかったよ。必要なものがあったら遠慮なくいってくれたまえ、準備しておくから」
「ほんとうですか!」
「座っているだけで俸給が出る仕事というのも、気楽なのは最初のうちだけだったよ。やはり職務には張り合いが必要だな」
うわー、やった。サラのあたらしいボディは思ってたよりすぐにできそうだなあ、と、うきうきで講堂を出たら、人垣ができていた。
なんだろうと目をしぱしぱさせているうちに、先ほど手芸をしていたご令嬢たちも混ざっている人の輪が、わたしを中心に形成される。
どういうことかと立ち尽くしていたら、ご令嬢ウォールがささーっと開いて、フェリクヴァーヘン侯爵令嬢マルガレーテさまがご登場なさった。
……あ、すみません、悪役令嬢さま。あなたに目をつけられてたって、完全に忘れてました!
「ごきげんよう、エルゼヴィカ嬢」
「おはようございます、マルガレーテさま。なにかご用でしょうか?」
ひとまず無難そうなごあいさつ。あきらかにわたしのことを探していらしたようだけど、怒っているわけではない……かな?
それにしても、まじまじと見るのってじつはこれがはじめてだけど、マルガレーテ嬢きれいだなあ。すっきりととおった目鼻立ちに、細いあごのラインとちょっと薄めの紅唇。謎めいた紫色の眼で、蜂蜜色の豊かな髪は四つのふさにまとめられている。これぞお姫さまって感じ。
わたしの髪はまとまらなさに定評がありすぎて、なんというか常に長毛種の猫みたい。オッドアイも、猫だと人間よりめずらしくないしね。
マルガレーテ嬢が、珍獣を見る目でわたしを射抜く。
「あなた、変わったことに興味がおありのようね? テクスタイン教授とずっと話し込むかたがいるなんて、はじめて聞いたわ」
「テクスタイン教授はすごい人なんですよ! わたしたちが着ているこの制服はもちろん、持っているドレスも、たいてい教授が開発した糸でできてるんですから。……あ、マルガレーテさまのドレスは、きっと真物の絹製なんでしょうけど」
侯爵ご令嬢ですものねえ。でも、テクスタイン教授がいなかったら、学院の制服の仕立てが別物になっていたのは間違いない。いくら王室の威信をかけようと、絹製の上下そろいを生徒全員に無償では配れないから、代金を出せる大貴族ならともかく、わたしの格好はずいぶんみすぼらしくなっていただろう。
わたしの返答に、マルガレーテ嬢の首の角度がかすかに変わった。
「……エルゼヴィカ嬢、つぎはどの講義に出席なさるおつもりなの?」
マルガレーテ嬢は二学年だ。だから初年生であるわたしが出席する講義を知ったところで、基本的には無意味なのだが。それを訊いてくるということは、たぶん、調べはついているのだろう。
「えっと、冶金学のシュミット助教のお話を聞きたいなと思ってます」
「冶金学?」
「金属加工ですね。鉱石から金属分を抽出して精錬したり、合金を造ったり」
やっぱり。マルガレーテ嬢はさほど意外そうな顔をしない。
「そんな勉強をして、どうなさるおつもりなのかしら?」
「狩猟やダンス以外にも、築城や造園、鍛冶や陶芸を趣味とする王侯の殿がたはめずらしくありません。女のわたしがそのようなことにいくらかの興味をいだくのは、おかしなことでしょうか?」
「つまり、殿がたの趣味のお話についていけるよう、知識を吸収しようとなさっているというわけですの? なかなか、したたかなお考えで動いていますのね」
……おーっと、昨日から地雷踏むの特技と化してませんかわたしってば? ちゃんと正直に、そもそも自分の志望が魔術工科学院だったから、ここで学べることは勉強したいって答えればよかったか。
周囲のウォール・オヴ・ご令嬢ズから、ひそひそ声が聞こえてくる。
「そういえば、ペルガモン帝国から留学しておいでのユフード殿下のご趣味は、城塞の設計図面引きだとか」
「ダグラス殿下は、剣を鍛えるのをたしなみとなさっていると聞いたことがありますわ」
「やっぱりこの娘……」
え、そうなんですか? 知らなかった……。だめじゃんわたし! 全力で一番踏んじゃいけないもの踏んでる!?
えーっと、ドラゴンのしっぽだっけ……違う違う、トラの尾を踏む、だ。サラが以前教えてくれた、異国の慣用句。でも、トラっていう生き物がよくわからないのよね。猫の仲間らしいんだけど。
選択ミスに固まったわたしの、沈黙と脳内で渦巻く混迷の意味を知ってか知らず――いや、さすがに読心術は使えない、はず――か、マルガレーテ嬢は右の眉だけを器用に動かして、こういった。
「冶金学の講義は去年一度聞いたきりですけれど、もう一度試してみようかしら。ご一緒してよろしい、エルゼヴィカ嬢?」
「あ、はい、よろこんで。ですが……面白くはない、と、思います」
悪役令嬢がなにを考えているかわからないので、わたしはうかがうような目になっていた。冶金学の講義はコマ数が少ないから、学年別になっていなくて、初年生と二年生が同時に受講するのは一向に不当なことではない。というか、たぶんわたしのほうが基本を抜いて、いきなり途中から参加する形になるだろう。
マルガレーテ嬢のほうは、取り巻きのみなさんを見やった。
「冶金学の講義に、興味のあるかた、いらっしゃる?」
「私はおともします」
まっさきに声をあげたのは、銀髪をベリーショートに切り詰めている、すらっとした女生徒だった。たぶん、ゲオルグさまが学園生というよりはゾーゲンヴェクト辺境伯ご令嬢の護衛なのと同様、フェリクヴァーヘン侯爵家に忠実な騎士の家柄のご息女だ。
そのほかのご令嬢がたは、さすがに石ころや金物の話はつまらなそうと思ったか、三人ばかり残して、マルガレーテ嬢に一礼しては自分たちが出席する講義のある学舎のほうへ向かっていく。
それぞれのお名前はうかがったけど、今後も関わり合いになりそうなのは、マルガレーテ嬢つきの護衛、ディルフィナ・スパタ=トゥ・ヴァグラシオンさまくらいだろう。
タイトルに冠されているのに出番があまりない悪役令嬢、ようやく本格出現です。
彼女の狙いは…?