第三十九話:エレメンタルロード
今回ピンクの副音声()がないのはミスではありません。仕様です。
サラが燃えあがった。正確にいえば、物質界の塵芥で作ったにすぎない、ぬいぐるみが発火したのだ。またたくまに焼尽し、灰も残らず消える。
地上の生き物ではない、火界の存在の本質がむき出しになった。正視できないまぶしさの、青い光の玉。
サラを相棒にするのに物理的憑代が必要だったのは、そうしないと物質界に留まっていられないから、というわけではない。単に、そのままだと危ないからだ。
足もとに、いきなり地割れが奔った。わたしと、ディルフィナ嬢、ゲオルグさまの立っているあたりの岩盤が、周囲から切り離されて空中に浮かびあがる。びっくりしたけど、これはサラがやったことに違いない。
言葉もなく身をすくませるふたりへ、わたしは声をかける。
「だいじょうぶです、あとはサラにまかせておけばいい」
「エルゼヴィカさま、あなたはいま、使い魔との契約を解消する咒を使われたのでは……」
そういったのはゲオルグさまだった。術師としてベヒーモスの召喚を目指しているシモーヌ嬢のおつきだから、そういう知識もあるのだろう。
「わたしはサラを信じてますから」
召喚に応じて現れた、精霊や妖精、悪魔とは、厳密な契約を結ばなければならない。条項に抜け穴がないよう、細心の注意を払わなければならない。もとの世界へ送り返す前に契約を解除して、自由に振る舞わせるようなことがあってはならない。魔術書にはしつこく書かれていることだけど、わたしはちゃんと読んでいないし、サラにもくだくだしい条件なんてつけていない。
作業の助手をしてくれて、友だちになってくれる相手――わたしはそれだけを望んで魔法陣を描き、出てきたのがサラだった、それだけのこと。
『撃て!』
わたしたちを巻き込まないよう、離れるのを待っていたのかもしれない。フレデリック殿下のかけ声で、ドラゴンたちが一斉に水撃のブレスを放った。
四方からサラに迫った、どんな猛火でも消してしまい、並の城壁なら水圧で押し流して崩壊させてしまうはずの奔流は、しかし全部真っ白な湯気に変わってしまう。
もうもうと水蒸気が立ちのぼって、わたしたちの眼下を覆い隠す。
視界が閉ざされていたのは、さほど長いあいだでもなかった。
猛烈な熱気とともに上昇気流が巻き起こって、即席に発生した雲は、上空高くへ吹きあげられていった。
水竜たちが、悲鳴をあげて羽根をばたつかせ、尾根から身を離して空中へ逃れた。そのまま、殿下の制止を振り切って南のほうへ飛び去っていく。
『まて! おいていくな!』
……まあ、だれかに迎えにきてもらうか、歩いて帰ってください。
さっきまでわたしたちが立っていた、すり鉢状の窪地は、一面の溶岩に変わっていた。サラが溶かしてしまったのだ。溶岩の湖がいきなり足もとにできたら、そりゃあ水竜だって逃げますよ。熱いもんね。
忽然と生じた噴火口の中央から、巨大な蛇のような姿が鎌首をもたげる。灼熱の溶岩でできたその身は、赤いというよりは金色に近い。青い光が頭の左右と額に輝いていた。
サラマンダーの真の姿、ではない。火界は純粋なエネルギーの世界だから、物質界での顕現はあくまでも疑似的なものだ。
《さて、どうする? 水トカゲなんざ、一万匹いたって勝負にはならんぞ。リヴァイアサンでも連れてくるか? あいつは物質界からの呼び出しに応じたことはないがな。もっとも、やつがこの星を水で覆うなら、こっちは地殻を全部融解させるまでだ》
ペルガモンの人たちは、なにかのきっかけでこんな光景を目のあたりにしたことがあるのかもしれない。そりゃ神さまだと崇めたって無理もないかも。
……でも、世界全部水浸しも、全部溶岩漬けも、迷惑だからやめなさい。
『第一級と四大に、どうしてこんな力の差があるんだ……極端すぎる』
フレデリック殿下のいうことは、たしかにお説ごもっともだった。なんででしょうね。マルガレーテ嬢に訊いてみたら、ひょっとしたらわかるかもしれませんよ。
《水を冷やすとなぜ凍り、熱するとなぜ蒸気になるのか、それは法則だからだ。なぜそうなるかを原理として説明はできても、なぜそうであるのかを問うことは無駄だ。法則が理不尽だと、被造物が創造主を難じることに、意味はない》
『……おれの負けだ、好きにしてくれ』
《おまえの処遇を決めるのはおいらじゃない》
『なぜエルゼヴィカ嬢だったんだ? どうしてあなたは彼女を選んだんだ。それも最初から決まっている法則だったのか?』
《この次元の内部にいるうちはわからんさ。もっとも、ひとつ外の次元へ抜け出たとしてもなにも解決せんがな。そこが原理決定の終着点だと、だれが保証する? 保証してくるやつがいたとして、どうしてそいつが信に値する?》
『レッセデリアの統治に多少なりとて責任を持っている立場からいわせてもらえば、われわれには国内に現れた四大精霊である、あなたの保証が必要だったんだ。これほど超越的な力があるとなれば、なおさらのこと』
《おためごかしはやめろ。エルのいうとおり、おまえがひとりで、差し向かいに胆の底を隠さず晒せばすんだことだ。その不逞、不遜、不敬、本来ならば万死に値する》
身体がすごく大きくなったサラの声は、重くて低くて、骨の芯から響いてくるようだった。フレデリック殿下のひざが震え、バランスを崩して溶岩の湖へ落っこちてしまうのではないかと心配になってくる。
わたしたちが乗っかっている岩盤が、ゆっくりと動きはじめた。サラの頭のあたりまで、少し高度がさがる。ちょっと近寄っただけで、かなり熱さを感じるようになった。
《エル、この公爵家のドラ息子、どうする》
サラはわたしに判断を委ねてくれるみたいだ。契約は解除したから、いまは相棒じゃないのに。
わたしはフレデリック殿下のほうを向いて、あごに手をやって考えるそぶりをする。ダグラス王子の従兄弟として、王立高等学院の生徒会長として、自信満々、威風堂々としていた姿はどこにもない。帝王の怒りに怯え、寛恕の可能性に期待する、小心翼々とした表情を浮かべた、ちっぽけな人間。
「迎えの馬車を出すように伝えておきますから、山のふもとまでは自力で降りてください。それで、わたしたちにドラゴンをけしかけようとしたことは帳消しにしましょう」
「ほ……本当にすまなかった、エルゼヴィカ嬢。おれは、ダグが王になればこの国がよりよくなるんじゃないか、コンコルディア王妃にこのまま好き勝手をやらせるのは問題があるんじゃないかと、つい公爵家の者としての分を越えて……」
「マルガレーテさまをさらったことはべつですよ」
わたしはあえてそっけなく、抑揚をつけずにいって、フレデリック殿下の舌が回転するのをぴしゃりとさえぎった。
「あれは、さらったというわけじゃ……」
「殿下、あなたトゥリーシェ嬢とできてますよね」
「な、急に、なんの話……」
「殿下が考えたにしては、行動が稚拙すぎました。トゥリーシェ嬢にせっつかれて、とにかくマルガレーテさまをダグラス王子から引き離そうとしたんでしょう。わたしがディルフィナさまから話を聞いて、すぐに動くとは思っていなかった」
フレデリック殿下は口を二、三度わなわなさせてから、うなだれた。女の勘っていうのは、こういうときは的中するものなんです。
「詳しいお話はのちのちじっくりうかがいますよ、わたし以外の人が」
ディルフィナ嬢も、ダグラス王子やコンコルディア王妃の関係者も、フレデリック殿下からいろいろと聴きたいことがあるでしょう。
サラが浮かぶ岩をわたしでも動かせるようにしてくれたので、四頭の馬たちと御者の人、馬車を拾ってから、まずはマルガレーテさまを迎えにいくことにした。
フレデリック殿下を迎える馬車は、明日の朝つくように伝えればいいですよね。山から下りるのにそのくらいかかるだろうし。
《早く新しい憑代持ってきてくれよ》
サラはそういって、できたての火口の中でとぐろを巻いた。溶岩の身体のほうがまだ本来の姿に近いと思うんだけど、そんなにぬいぐるみに戻りたいのかなあ?
サラマンダーやりたい放題。
こいつが乱入してきた時点で、ハラハラドキドキでピンチの連続になんてなりようがなかったんです。




