第三十六話:飛んで火にいる秋のグリフォン(そんなことわざはなかったと思う)
軍用の、航続距離を重視した造りの馬車だから、車輪からの振動を抑え込む機構はしっかりしているようで、かなり飛ばしているわりには揺れない。ただし、車内は狭かった。
ひとまずフェリクヴァーヘン侯爵領のある、王都から北西方面へ伸びる街道を進む。マルガレーテ嬢の現在位置を具体的に探知するというサラを抱えて、ゲオルグさまが御者台へ出てくれた。
気を遣ってもらったので、いまのうちに、わたしとディルフィナ嬢は制服から持ち出しておいた外着に替える。それから、わたしに理解できた範囲で、マルガレーテ嬢の身の上について話した。
「――マルガレーテさまは、この世界の人間ではない……?」
「サラたち、精霊がいる世界より、もっと遠いところらしいんです」
「マルガレーテさまは、侯爵夫妻の実子のはずですが」
「わたしも、幼くして亡くなってしまった侯爵令嬢マルガレーテの身代わりとして、いまのマルガレーテさまが引き取られたとか、そういうことなのかと思ってたんですけど、どうも違うみたいで」
わたしにはどうにもわからない部分だったのだけど、マルガレーテ嬢はマルガレーテではないのだけど身体は同一、という点について、ディルフィナ嬢は意外とすんなり呑み込めたようだった。
「生まれ変わり、ということですか。だけれども、この世界の過去の人物ではなく、神によって遣わされた使徒というわけでもなく、べつの世界からやってきたと」
「あー、ある意味では神さまのがわの存在みたいですけど」
この世界は「ゲーム」なる、読んでいくと内容が変わっていく本のようなものなのだと、どう説明したものか、そもそも、その話をするべきなのか、ちょっと考え込みかかったところで、ディルフィナ嬢は穏やかな表情で口を開いた。
「マルガレーテさまの正体が何者であろうと、私にとってお仕えする主上であることに変わりはありません。私が知っているマルガレーテさまは彼女だけ、エルゼヴィカさまのお話からすると、そういうことでしょう?」
「そうですね。わたしも、マルガレーテさまはマルガレーテさま、彼女のことしか知らないし、わたしはマルガレーテさまが好きです」
「私にとっても、マルガレーテさまはただの主人ではありません。友だち……といってしまうと気安いですが、大切なひとです」
「お友だちでいいんですよ。わたしは、マルガレーテさまとはお友だちになれたって思ってます。ディルフィナさまとも」
「私……エルゼヴィカさまのお友だちで、いいんですか?」
「もちろん!」
「……うれしい」
あー、可愛い声出た! ディルフィナ嬢のこの声好き!
「ひゃっ……エルゼヴィカさま!?」
「エルか、ヴィカって呼んで、ディーナ」
思わず飛びついてしまった。ただの痩せぎすのわたしと違って、しっかり鍛えてあるなあ。でも女の子だからやっぱり柔らかい。
見た目が良い、さわり心地が良い、声が良い、匂いが良い、お菓子やお料理作るのが上手……なんかマルガレーテ嬢がすごいうらやましくなってきちゃった。
「あ、あの……エル」
「なあにディーナ?」
「サラが……」
肩越しに振り返ると、ディルフィナ嬢のいうとおり、サラが御者台のほうから幌をまくって車内へ頭をのぞかせていた。
「おまえはこんなときになにをしてんだ」
「マルガレーテさまがどこに連れて行かれたか、わかったの?」
「いまさらになって探査妨害を使いはじめた。逆いえば、探査の効かない範囲の中にいるってことだから、そんなに問題にはならんが」
「あちらにも使い魔を連れた術師がいるということですね」
「ま、おいらの敵じゃないがな」
ディルフィナ嬢に対して、サラは得意げだ。ここからは見えないけど、たぶんしっぽをふりふりしてるだろう。
急に馬がいななき、御者の人のおどろく声が聞こえてきた。サラが首を引っ込める。
「どうした?」
「なにか、大きな鳥のようなものが飛んできます」
「ありゃグリフォンだな。馬がビビる、停めて目隠ししろ」
御者台のほうからそんな会話が聞こえてきて、馬車のスピードががくっと落ち、ほどなく停まった。
外に出てみると、御者の人とゲオルグさまが、手わけして馬の頭に黒い袋をかぶせているところだった。馬たちは不安げに耳をそばだて、首をしきりに振っている。たしか、グリフォンって馬が大好物で、見つけると食べちゃうんだっけ。
周りはまっすぐ伸びる街道以外はひたすら畑。作物が植わっているけど、まだ実がなっていないのでなにかはわからない。遠くには牧草地とおぼしき丘が見える。身を隠せるようなものはなにもなし、ふつうだったら、馬を全部食べられてしまって、途方に暮れることになるだろう。
それにしたって……
「グリフォンの巣になりそうな、大きな木も岩山もなさそうだけど、このあたり」
「そうだな、偶然じゃないだろう。焼き鳥にするのは簡単だが、さてどうしたもんか」
サラは余裕だ。簡単に鉄に穴を空けてしまう熱線を射てるのだから、物理的には巨大な鳥でしかないグリフォン一匹くらい、なんてことないのだろう。でも、焼き鳥にしたってあんなに大きいんじゃ食べきれなくてもったいないし、そもそもかわいそうだな。
「おどろかして、追い払っちゃってよ」
「花火をあげたくらいで、素直に逃げるかな」
グリフォンはだんだん大きく見えるようになってくる。ただの鳥じゃなくて脚が四本あるっていうのが目でわかるようになったところで、目を凝らしていたディルフィナ嬢が声をあげた。
「人が乗っています」
「え……」
ディルフィナ嬢の目が良いのか、わたしの目が悪いのか。ぜんぜんわからない。馬のうち二頭の手綱をつかんでいるゲオルグさまも上空を見やって――眉をしかめた。
「あれは王国軍西方第三管区航空隊の所属騎です。軍監章は見えているはず……どういうつもりだ」
「ゾーゲンヴェクトの屋敷に送信したときの符号で打てば、交信できるか?」
「騎手が精霊伝信のできる使い魔を連れているかどうかですね」
ゲオルグさまの答えを聞いたサラが、わたしのほうを見た。
「ちょっと持ちあげろ」
「はいはい――これでいい?」
わたしは御者台によじ登って、サラを頭上にかかげた。サラがごろごろとのどを鳴らす。はたして伝信は通じるのか……。
「――ふん、そうかい」
十秒ほどたったところで、サラがそういうなり、わたしの手に熱が伝わってきた。持っていられないほどではない。
光の玉が六発射ち出されて、グリフォンのほうへと飛んでいく。急旋回するその動きに合わせて、ぴったりと取り囲んだ。
おとといにトゥリーシェ嬢たち四人を照らした玉と似てるけど、ずっと大きいし光りかたも強烈だ。真昼だというのにくっきり皓々としている。グリフォンはしばらく急降下したり蛇行したりしていたが、光球は一定距離を保ったまま、しかし上下前後左右から挟んで逃さない。
「逆らえば丸焼きになると警告してやった。あれが目印だ、ついてけ」
光の玉にまとわりつかれながら、グリフォンはこちらにしっぽを見せて飛んでいく。馬たちが怯えない距離が空いたところで、頭の袋をはずして前進を再開。グリフォンが見えなくなるほど遠くへいってしまわないように、光の玉が動きを制約しているのはあきらかだ。
「マルガレーテさまのところに案内してくれるの?」
「いや、あいつはただ命令を受けただけだ。偽の軍監章を掲げた馬車が走ってるから停めろ、とな。マルガレーテを連れ去った連中は、こっちが黒髪ロングに馬車を仕立てさせて学院を出たことをもう知ってる。そして軍に命令を出すことができる。フン、面白くなってきやがったな」
サラはなんだか楽しそうだ。わたしは、ちょっと不安になった。学院の状況をすぐに報せることができて、王国軍に命令が出せる――そんな人の数は、限られている……。
季節が秋なのは新学期秋設定だからです。いまさらですが。




