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第三十五話:快速馬車要請通信!(一番いい馬を頼む……送れっ!)


「……ヴィカ、あなたってほんとうに面白い子ね。フェリクヴァーヘン侯爵は、わがゾーゲンヴェクトの敵なのよ? どうしてマルガレーテ嬢を助けるために、わたくしが手を貸すと思うのかしら?」


 早朝にもかかわらず、すでに大貴族令嬢としての身だしなみを完璧に整えていたシモーヌ嬢は、押しかけてきたわたしの用件を聞き終えてそういった。油断している姿を決して晒さないのが、わたしのような三下令嬢とハイソご令嬢の差なんでしょうね。


「でも、シモーヌさまはわたしのおねがいを聞いてくれるってわかってます」

「甘いわよ。正解してくれなきゃ、無条件で協力はしない。たしかにあなたの作ってくれた機会のおかげで、マルガレーテ嬢個人には親近感をいだきました。でも、それだけでフェリクヴァーヘン侯の影響力伸張の手助けをする理由にはならないわ」


 といって、シモーヌ嬢はミントティーのカップを優雅にかたむけた。朝の一杯にイケメン騎士が淹れてくれるハーブティー、すてきですよね。なおゲオルグさまは察してくれているので、わたしの前にはパラチンタがありました。りんごジャム入りのヨーグルトソースがけで美味しかったです。はい、すでに過去形ですとも。


 わたしもすっきりとしたミントティーをいただいて、頭と舌がさえざえとなったような気分で――あくまで気分――シモーヌ嬢の下問に答える。


「まず第一に、今回マルガレーテさまが連れ去られたことに、シモーヌさまは関与していない。第二に、シモーヌさまにとってマルガレーテさまは正面からの対決でたたき潰したい相手であって、自滅や、ほかのだれかによって排除されてしまうというのは興が削がれることのはずです。第三に、ちょっとだけお話ししましたけど、マルガレーテさまには相棒(ファミリア)を呼び出すとか、そういう次元とは異なる力があります。予言のようなものみたいです。マルガレーテさまを連れ去った何者かがそのことを知っている場合、レッセデリア王国内部での権勢争いだとか、次期王位を巡る思惑だなんてものは、根底から覆ってしまうでしょう。まだ単なる疑いであって、明確な証拠はありませんが」

「マルガレーテ嬢の力は、四大をしのぐほどのものなのかしら?」

相棒(サラ)によると、人間と精霊が決別した、あるいは、最初から精霊が存在していない世界の技術に関する知識だとか。人間が精霊との共存を拒むきっかけになりかねない、のだそうです」

「……なるほどね。精霊と契約を交わし使い魔(ファミリア)として迎え、田畑を潤し、粉ひき風車を回し、略奪者を退ける城壁を築き、厳冬の凍てつきから身を守る暖を与えて、その引き替えに統治を委任されてきた王侯貴族の存在意義を否定する。マルガレーテ嬢はそんな可能性につながる鍵を持っているというの」


 シモーヌ嬢の発想は大貴族ならではのものだった。わたしはそういうこと頭になかったなあ。根が庶民だし、養父もお役人とかはやってないし。でもたしかに、電動機とやらでものをぐるぐる回せるなら、テクスタイン教授のところのガストはお役御免だ。大きな規模で考えれば、不要になる精霊はけっこうな数になるだろうし、役に立たない貴族に食わせる飯はないという声が出てきてもおかしくはない。


 シモーヌ嬢が卓上のベルを鳴らした。音もなく現れ片ひざをつくゲオルグさまへ、


「屋敷へ連絡して。馬車を一輌回すように。一番良い馬を四頭立てで。それと、いちいち通行書を見せるのが面倒だわ、軍監章を掲げさせて」


 と、女主人の貫禄たっぷりに命じる。


「御意に」


 応じるゲオルグさまへ、わたしは横から口を挟んだ。サラからの入れ知恵です。


「あ、すみません、お屋敷までは、どうやって連絡なさるんですか?」

「学院のすぐ近くに(うまや)を借りてありますので。自分が馬でまいります」

「シモーヌさま、ゾーゲンヴェクト辺境伯の軍が使ってる、緊急通信用の暗号ってありますよね」

「ええ、あるにはあるけれど」

「この紙に、用件と、メッセージがシモーヌさまからのものであることがわかるように書いてから、燃やしてください」


 いいながら、わたしはテーブルの上に紙っぺらを出した。ふちを囲っている呪符はサラの指示でわたしが書いたものです。サラ自身は、通信を中継するためにちょっと高いところにおいてきました。


「わたくし、精霊伝信を使ったことはないわ……」

「お屋敷に、受信ができる相棒(ファミリア)を連れてる人はいますよね?」

「それはもちろん。ゾーゲンヴェクト本領にいつカガンの軍勢が迫ってきても、即応できるように備えるのがわれわれの務めですもの」

「ならだいじょうぶです、馬で向かうよりはぜったい早いですよ。送信するのはサラですから。わたし暗号見ちゃまずいんで、あっち向いてますね」


 わたしが椅子ごとうしろ向きになると、シモーヌ嬢がペンを走らす音が聞こえてきた。まあ、暗号文を見たところで、わたしじゃ法則なんかぜったい憶えられないけどね!

 ゲオルグさまは一度台所のほうへ行ったかと思うと、銅製のボウルと火のついたランプを持ってくる。さすが、気づきが早いです。


「書いたわ。燃やしてしまえばいいのね?」

「はい、おねがいします」

「――全部灰になったわ」

「じゃあ、サラを回収してきます。ここの棟の、屋上の物干しにひっかけてきたんで」


 一度シモーヌ嬢のお部屋から出て、屋上へ。サラは干物のように、洗濯ばさみでロープから宙づりになっていた。大きなぬいぐるみはこんなふうにときどき干しておくとふかふかな状態を保てるけど、サラは自分で熱を出すからべつだん日干しは必要ない。


「おまたせ。通信、うまくいった?」

「返信もあったぞ。十五分で着くとさ。ゾーゲンヴェクトの王都詰め要員は出来る連中のようだな」

「それ、シモーヌさまにいうときっと喜ぶよ」

「あの黒髪ロングは『当然ですわ』だろ」

「そういいながら喜んでるんだって」


 サラを抱えてシモーヌ嬢のお部屋に戻る。シモーヌ嬢は部屋着から制服姿になっていた。もうそんな時間ですか。ゲオルグさまも、自分の寮へ戻ったようだ。


「通信は完了したぞ。十五分で到着すると返信もあった。ゾーゲンヴェクトの家臣団は、優秀なやつがそろってるようだな」


 そういうサラに対し、


「当然ですわ。緊急精霊伝信なんて、もう何十年も使われていませんでしたけれど、訓練は怠っていませんもの」


 と、シモーヌ嬢はすまして応えた。でも、耳のさきがちょっと赤くなってます。シモーヌ嬢はお肌白いですからね、そこ見れば照れてるかどうかわかるって気がついちゃいました。


 寮棟の外へ出たところで、ちょうとディルフィナ嬢もやってきた。かばんのほかに持っているのは……剣ですか?


 わたしが首尾よくいったことを親指立てて伝えると、ディルフィナ嬢はシモーヌ嬢の前で片ひざをついて、かしこまる。


「シモーヌさま、わが主上マルガレーテのためにお力添えをいただき、まことにかたじけなく存じます」

「お礼はエルゼヴィカ嬢へなさるといいわ。わたくしは彼女の頼みだから聞いただけよ」


 素直じゃないんだから。耳見ればわかるんですからね。

 そこへ小走りの足音がしてきて、木立の向こうにゲオルグさまの顔が見えた。男子寮はここからちょっと遠い。


「遅くなりました。馬車は?」

「まもなく到着するわ」


 シモーヌさまの応えに、ゲオルグさまは足の運びをゆるめた。制服は着ていない。騎士装束、陣羽織(サーコート)に、剣を佩いている。さすがに鎧までは着ていないだろうけど。


「ゲオルグさま……?」

「馬車借りるのに、ゾーゲンヴェクトの関係者がだれもついてこないってわけにはいかねえだろ」


 目をぱちくりさせたわたしへ、サラが冷静な声でいう。そりゃまあ、そうか。


「ほんとうはわたくし自身がついて行きたいところだけれど、あまり露骨にマルガレーテ嬢へ恩を売るのも品位に欠けるわ。ゲオルグを存分に使ってちょうだい」

「すみません、お借りします」


 このさき、なにがあるかはわからない。ディルフィナ嬢も武芸はかなりの腕のはずだけど、ゲオルグさまもいてくれるのは心強い。


 馬蹄の響きがとどろいて、黒鹿毛のたくましい馬体をした四頭に引かれた馬車がやってきた。ゾーゲンヴェクト辺境伯の紋章が銀糸で縫い取られた黒い軍旗と、金モールのついた紅旗を掲げている。紅いほうが、たぶん統帥権を表す軍監章というやつだろう。




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