第三十三話:ゆらぐ世界の外枠(……わたしには意味がわからないんですけどね)
お茶会――としてはどうだったのかちょっとあやしいけど、親睦を深めるという、わたしの当初の目的は達成されたはずだった。
降って湧いたあらたな問題は、まったく別次元なわけだけど。
……というより、これってわたしが対処すべきなのかというか、そもそも対処なんてできるのだろうか?
「つまるところ、悪役令嬢は、自分は創造主の世界からやってきたと称しているわけだ。気に入らんな」
「まだなにも話してないんだけど……」
自室のベッドの上にようやく戻ってきたところで、虹色の幕を張ると同時にサラがさっそく切り出してきた。
マルガレーテ嬢のいっていたことを、どうやって説明すればいいやら、わたしには皆目わからないのが正直なところだったとはいえ、当然のように全部聞いていたサラにはちょっと引く……。手間が省けたのはたしかだけどさ。
「言霊を一匹貼りつけておいただけだ。離れろといったのに悪役令嬢に寄ってくおまえが悪い」
「それでいいわよ。とにかく、マルガレーテさまは、べつの世界からやってきたってだけで、人間であることには変わりないでしょ。危険な怪物ってわけじゃない」
「異なる理の世界からの侵入者なんて、存在自体が危険だ。しかも上位の次元からきたと吐かしやがる」
「ほんとうにこの世界は、本の中のお話なの?」
「世界の内部からの観測で、自分の存在している時空間の全容を把握するのは原理的に不可能だ。それでも悪役令嬢の話が真だと仮定するなら、ここは疑似インタラクティブ構成のストーリー体験装置内、そのうちの一演目だってことになる」
「なにいってるの……?」
サラのいうことは、マルガレーテ嬢よりも意味がわからなかった。火界もこことは違う世界だということを考えれば、サラとマルガレーテ嬢のあいだに差はないような気もするんだけど。サラもマルガレーテ嬢も、なぜか明確に別物として認識しているようだ。
「悪役令嬢は、このストーリーの主人公はおまえだといった。おまえには本来名前がなくて、読み手がおまえの立場で行動を選択することで、物語の筋書きが変わると。――たとえばそうだな、灰かぶりの話だとしようか。魔法をかけてもらった灰かぶりが、お城で王子にではなく、門番の騎士にコナをかけたら、どうなるか。そういう選択に対応したその後の話を読むこともできる、そんな仕込みがされてるってこったろうな、『ゲーム』だとか悪役令嬢がいってたシロモノは」
「読んでいくと、書いてある内容が変わってく本だってこと?」
「だいたいそういう感じだろう。灰かぶりの立場になって、王子か、大臣の息子か、騎士か、提示されている選択肢の中から、読み手が決めた相手と結婚する結末へと話が進んでいく。ただし、なにを選んでも、灰かぶりにいじわるをしていた義姉は焼けた鉄の靴を履かされる――。パターンは無限じゃないんだな、組み合わせには限界があるわけだ」
「わたしは、なにをしようとマルガレーテさまを破滅させる運命にあるっていうの?」
「と、悪役令嬢は想定していたんだろう。だが、おまえは悪役令嬢が知っていたシナリオを無視して動き、悪役令嬢にとって、既知だったはずの前提は崩壊した。それまで、あの女にとって、この世界は勝手知ったるネタの割れている舞台であり、周りの人間は、どう動くのかあらかじめわかっているチェスの駒だった。おまえの行動を予想できなくなった悪役令嬢は、つぎに、エルゼヴィカというのは、自分と同じく、上位次元からやってきた人間なのではないかと疑った。それもまた違うということがわかって、ようやく、あの女にとってこの世界は真の現実になったんだ。自分自身の話をする気になったのも、おまえのことを対等な人間だと認識したからだろう」
「……んー……わかんない!」
がんばって理解しようとしたけど、だめだった。サラを抱きかかえて、こてんと横になる。わたしはもう筋書きに沿っていないというなら、マルガレーテ嬢を破滅に追いやることはないってことだろうし、それだけわかればあとはいいや、ちんぷんかんぷんで。
「悪役令嬢がおまえを『淫乱ピンク』って呼んだのは、反応を確認したかったんだろうな。自分と同じ前提知識があるのかどうか」
「マルガレーテさまが知ってる、もともとのわたしは『淫乱ピンク』だってこと?」
「ダグ公でもユフ坊でも、フレッドでもジョーでも、選べば落とせるっていうなら、まあ淫乱だろ」
「いったいどんなひどい話だったのかしら……」
ふつう、自分が主人公のお話があるって聞かされたら、ぜひ読んでみたくなると思うんだけど、いやな意味でしか気にならない。マルガレーテ嬢が知っている「淫乱ピンク」はどんな性悪女だったのやら。
その「ゲーム」とやらではわたしが主人公だっていうのだから、彼女もわたしに名前をつけて物語を読み進め、そしてマルガレーテを破滅させたのだろうけど。
つぎにマルガレーテ嬢とゆっくり話をする機会がきたら、わたしになんていう名前をつけてたのか訊いてみよう。
そんなことをぼんやり思いながら、わたしの意識は夢殿へと沈み込んでいった……
+++++
「――きろ。エル、起きろ、悪役令嬢のとこの女騎士だ」
サラの声とともに、ぽふぽふとほっぺをたたかれる感触で目が醒めた。窓のほうを見ると、朝もやがたゆたっていて、日射しはそのヴェールを貫くことができていなかった。
「……まだ早くない?」
「ふだんより一時間ちょい早いな。どっちにしろ、あの女騎士が向こうからきたことはないだろ」
「なんだろう……?」
もぞもぞと起き出し、寝癖のひどい頭のまま玄関へと向かう。ドアを開けてみたら、待っているものと思っていたディルフィナ嬢はいなかった。階段を昇ってくる足音が聞こえる。サラは地獄耳なのか千里眼なのか。たぶん両方だろう。
角を曲がってきたディルフィナ嬢は、わたしが戸口で待ちかまえていたのを見て、足が止まる。
「おはようございますディルフィナさま。すみませんひどい格好で」
「エルゼヴィカさま、おはようございます。こんな早朝から押しかけてしまって、もうしわけありません」
「だいじょうぶです、サラが起こしてくれました。どうぞ、あがってください、お茶を……あ、そうだ、コーヒーあるんで」
制服をきちっと着込んで、身だしなみもばっちりのディルフィナ嬢は、なんだか急いでいる感じだったけど、わたしのだらしない姿と、半分寝ているさまを見て、どのみちすぐには話にならないと察したのだろう。なにもいわずに、コーヒータイムにつき合ってくれた。
なにせ実際には「にょふぁりょうもりゃいみゃしゅフィムヒラしゃま」って有様でしたからね。
コーヒーもざらめ糖と同じく、父の出資先のお土産です。魔術工科学院に入ろうと受験勉強をしているときは目醒ましに役立ちました。……無駄な努力に終わったけど!
――うーん、苦い。でも目は醒める。お砂糖、昨日全部綿あめに変えちゃったから在庫ないし。ミルクだけだとわたしの子供舌にはまだ早いな。
ディルフィナ嬢もコーヒーはあまり飲みつけていないようで、カップを両手で持ってちびちびと飲んでいる。
わたしの意識がようやくはっきりしてきたのを見計らって、ディルフィナ嬢はカップをテーブルにおいて表情をあらためた。
「エルゼヴィカさま、わが主上マルガレーテをお救いください」
お楽しみいただけていましたらブックマーク登録をお願いいたします。




