第二十三話:教授と風の精霊(もしかして、相棒ってみんな口が悪い?)
算術は、代数に比べれば意味がわかりやすい。具体的な数字を足したり引いたり掛けたり割ったりすれば答え出ますからね。……わかりやすいからといって、楽勝なわけではないですが。
王立高等学院には、将来実際に数字と格闘しなきゃいけない身分の生徒はあまりいないので、知的アートの側面がある代数より受講生は少なかった。
それでも、お役人や地方の行政官になるのだろう、子爵、男爵や、高級騎士なんかの准貴族クラスのご令息たちが熱心にペンを走らせている。商科よりは出席者多いかな。ていうか、商科の講義がなんであるのかがわりと謎。
うん、本来わたしの身分に相応なのは、この講義ですね。算盤の使いかたは、父の仕事を横で見てたから知ってます。
マーツァル講師に、単位として取るかはまだ決めてないけど計算力はつけたいと話したら、問題集を一冊くれた。ありがとうございます。
二時限目はお待ちかねの繊維工学第二回だ。クラウディア嬢たちと合流して、講堂へ。カザリーン嬢は編み棒と毛糸を、クラウディア嬢は刺繍枠に無地のハンカチをはめ込んで、準備万端。セティ嬢は、どうやら編みレースを作るつもりらしい。
まあ、わたしは自分だけ教壇に椅子並べて、テクスタイン教授と今日も時間いっぱいまで話し込むんですけど。
「……なるほど、燃えない繊維か」
「はい。サラマンダーの霊質をぬいぐるみに入れちゃうって、ちょっと考えが足りなかったんです、わたし」
「私が開発した代用絹糸は、真物よりむしろ燃えやすいくらいだなあ。燃えない繊維となると、石綿なんかになるかねえ」
「石綿のぬいぐるみって、抱っこしたくならないです……」
あと、身体にも悪いと思います。
「うーむ。しかし金属はあまり細くすると、耐火性は植物質や動物性由来の繊維と大して変わらんし」
「そうなんですよねえ」
針金をさらに引き伸ばして髪の毛みたいにすると、笑っちゃうくらい簡単に燃えるんだよなあ。火の点かない太さだと、とても糸の代わりにはならないし。
「あとはそうだね、ガラス質を繊維にふくませるか」
「糸が固くなりませんか?」
「そのぶん、繊維を細く撚ってだね。代用絹糸は、原料を発泡させて風圧で飛ばしながら成形するから、調整すれば綿や麻よりは繊維の太さを変えやすいはずだよ」
「面白そうですね、その機械、見せていただけませんか?」
「私のラボに、簡易型ならあるよ。いま見るかい?」
「講義終わってからでだいじょうぶです。三限目はパスしてるので」
「そうかね。べつに、私がここにいなくても、一向問題ないと思うが」
お話に花を咲かせながら手芸に興じるご令嬢たちを横目に、テクスタイン教授は苦笑いする。たしかにそうかもしれませんけど、建前ってものはありますし。あと、講義中に講師と女生徒が勝手に中座するって、ちょっと雰囲気いかがわしくなるんで。
……講義のあとでも、ふたりきりだといかがわしさ変わらない? クラウディア嬢たちに一緒にきてもらいますから。
――絹糸の正体は、虫の吐いたものだと突き止めたテクスタイン教授は、代用品開発にあたり、最初は蜘蛛の糸を試してみたそうだ。
結果は出ず、つぎに、繭を作る種類の蛾であれば、西方に生息している種類でもわりと良い線いくことを確認した。しかし、糸を吐く絶対量があまりにも足りなかった……。
最終的には、成分として似せるアプローチは捨て、見た目や質感が近いものを目指して、繊維状になるものならなんでも試してみた……。
「――自分の家屋敷はとっくに売り払ってしまっていたが、もう少しで、パトロンになってくれたスピナー商会も潰してしまうところだった。私が稀代の詐欺師と呼ばれずにすんだのは、だいたいは、運がよかったからなんだ」
「詐欺師なら、ご自分の家屋敷をまっさきに売ったりしないですよ」
「そういってくれると、いくらか気が楽になるよ」
テクスタイン教授の話は今日も面白かった。講義時間はあっという間におしまい。
クラウディア嬢とカザリーン嬢は三時限目の声楽を受けるというから、セティ嬢につき合ってもらって、テクスタイン教授のラボへ向かう。もちろん、セティ嬢に招待状を渡して、クラウディア嬢にはシモーヌ嬢とゲオルグさま宛ての招待状を預かってもらった。
声楽といっても、歌うのは声量や滑舌を鍛えるためで、聴衆の心の揺さぶりかた、注目の引きかたなんかに重点がおかれている、指導者候補向けの実学だそうな。弁論学とセットで受講しているかたが多いとか。要するに、セットで演説家養成コースとなるわけですね。
ふたりはシモーヌ嬢のつき合いだというから、たぶんマルガレーテ嬢やダグラス王子、ユフード皇子も参加しているのだろう。
「セティは、どうしてクララたちと一緒に声楽の講義受けないの?」
「わたし、人前で話すの、苦手で……」
「むしろそういう人のための講義な気がするけど」
まあ、セティ嬢まで声楽受けるようだったら、ちょっとテクスタイン教授について行きにくかったから、わたしはありがたいけど。
「それに、王室のかたとか、公爵家のかたとか、偉い人ばかりいるところって、いづらいし……」
「あー、それはわかる」
「ヴィカは、いつもすごく堂々としてるじゃない」
「わたしはそもそも、貴族さまって時点で身分違いすぎるから。男爵さまでも公爵さまでも王子さまでも、本来なら、全部等しく畏れ多くて、近寄れないのよ。月と太陽とお星さまが、実際にはどれが一番高いところにあるのかわからなくたって、みんな雲の上なのは変わらないでしょ?」
「ヴィカの考えかた、面白い」
セティ嬢がくすりと笑ったところで、さきを歩いていたテクスタイン教授が立ちどまった。
「ここが私の研究室だよ」
『おじゃまします』
中に入ると、書類の束や、さまざまな糸や布の試料が、棚や机の上にところ狭しと納められていたり、並べられていた。フラスコなんかの実験器具もひととおりそろっている。部屋の中央にある、金属製の円筒状のものが、たぶん代用絹糸の製造装置だろう。
筒の中は空洞になっていたようで、内側へ両手を突っ込んでいたテクスタイン教授が、なにかを取り出しながらこういった。
「紹介しよう、私の使い魔のガストだ」
「……アンタが、バーラトのロードのコンパニオンか」
教授に抱えられている、白いガチョウとも、アヒルともつかない鳥が、しわがれ声で話しかけてきた。見た感じでは、作り物感はぜんぜんない。
「サラのこと知ってるの?」
「アンナ恐ろしいヤツを、アンタみたいな子供が呼び出すだナンテ」
「失礼だぞガスト」
「……ケッ」
テクスタイン教授に叱られたガストは、バタバタと羽ばたいて筒の中に戻ってしまった。教授は肩をすくめる。
「すまんね。いちおう、風の精霊なんだが、口がどうも悪くて」
「憑代はなにを使っているんですか? うちのサラは、見た目は完全にぬいぐるみなんですけど」
「こいつはさほど霊質が高くないんだ。もともと物質界に住んでいるから、きみのサラマンダーのように、身体を準備してやる必要はない。自分自身の肉体だよ」
「そういうのもあるんですね」
「では、こいつの使いかたを実際にお見せしよう」
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