告白されるたびにわざわざ僕に報告しに来るウザい後輩の話
「この前は一年生の男の子に呼び出されてー」
窓の外で燃える夕焼けが、放課後の教室を薄赤く染め上げていた。
教室内にいるのは、僕と彼女の二人だけだ。帰りのホームルームが終わってから、すでに一時間半近く過ぎている。学校内に残っているのは部活動の生徒がほとんどだろう。
「学校の近くに小さな神社あるじゃないですか。そこの境内でー」
机の上に広げた英文法の参考書をめくる。理解するのに時間がかかりそうな英字の羅列が紙の上に踊っている。
今まで真面目に勉強してこなかったツケが回って、進捗状況はあまり芳しくない。
今はまだ五月だが、うかうかしているうちに年が明けて、センター試験がやってきてしまう。大学受験まで、残された時間はそう多くはない。
「ねえ先輩聞いてます?でー、私全然覚えてないんですけど、その子と話したことあったみたいでー」
だから、今日もこうして、放課後も一人残って勉強しているわけなのだが。
「私のこと好きになった経緯とか聞かされてー、全然興味なかったんですけど」
英文から、そっと顔を上げる。
僕の前の席に横向きに座った彼女は、窓の外に視線を注いだまま、滔々と話し続けている。
「ずっとその子目泳いでて、顔真っ赤でー。今からこの子のこと振るのかあって考えたら流石に可哀想だなって思って。でも付き合うのは絶対無理だなあって」
「……そろそろやめてあげて?ただの死体蹴りだからね?」
顔も名前も知らない一年生に同情して、思わず僕がそう言うと。
「あ、やっと反応してくれた」
彼女──花見川さくらは、意地の悪い笑みを浮かべて、僕のほうを見た。
「僕が反応することで知らない一年生が救われるならいくらでも反応する」
「いや、さっき死体って言ってたじゃないですか。もう救いようがないでしょ」
再び、手元に視線を落とす。解きかけの問題は、すっかり集中の途切れた頭で考えても答えは導き出せなさそうだった。
「はあ」とため息を吐いて、参考書を閉じる。そんな僕の様子を、さくらは嬉しそうに見つめている。
──花見川さくら。高校二年生。
僕と彼女は俗にいう幼馴染の関係にある。家が隣同士で、幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた。
学年が一つ違うのに、僕らがこうして関わりを持っているのもそのためだ。
「勉強、もういいんですか?」
「散々邪魔しといて何言ってんだ」
軽口を叩きながら机の上を片付ける。
シャーペンを筆箱に仕舞いつつ、「というか」とさくらを見上げた。
「お前はなんなの?なんでわざわざ僕のところに来てそんな話してるの?友達いないの?」
僕がそう言うと、彼女は「いやいやいや」と右手を激しく振った。
「友達にこんな話したらウザがられて嫌われちゃうじゃん」
「僕ならウザがられても嫌われてもいいと」
「またまたぁ。そうじゃないですよぉ」
さくらは頬に手を添えて、小首を傾げながら。
「ウザがりも嫌いもしないでしょ」
と言って、右目でウインクをした。
「というか、話戻るけど」
「無視すんな」
「お前、やたら告白されるよな。月1くらいでされてないか」
「え、なんで知ってるんですか?ストーカーですか?」
「いや、毎度告白されるたびにお前が僕に報告しに来るからだろ……」
そう──彼女が告白をされるのは、そう珍しいことではない。そして、それを僕に報告しに来ることも。
言ってしまえば、花見川さくらは美少女だ。ぱっちり開いた瞳と整った鼻筋、薄く笑みを浮かべた口許。そして肩口で切り揃えた黒髪。
なんというか、今時の女子高生、って感じがする。まあ、昔の女子高生がどんなだったのか知らないのだけれど。
万人受けする可愛さ、とでもいうのだろうか。そういったものが彼女にはある。
とはいっても。
「流石に告白されすぎじゃないのか」
「まあ、基本男子に思わせぶりな態度取ってますからね」
「なんなの?最低なの?」
今時の女子高生は告白された回数でレベルでも上がるのか?僕たち男子高校生はスライム扱いなの?
「気持ちいいじゃないですか。異性からちやほやされるの」
「ちやほやされたことがないからわからない」
「先輩だってもっと私のことちやほやしていいんですよ」
今度は左目でウインクしながら、さくらはお道化る。
僕はため息を吐いてから、「あのな」と至って真面目な口調で。
「お前そのうち刺されるぞ、各方面から。黒ひげ危機一髪みたいに刺され放題になるぞ」
ぴょーん、と宙を舞うさくらの姿が脳裏に浮かんだ。そのまま宇宙の果てまで飛んで行ってしまえばいいのにと思った。
「何の心当たりもないんですけど。理不尽な世の中になったもんですね」
「悪者はちゃんと裁かれる素晴らしい世の中だな」
僕がそう言うと、さくらはじっとこちらを見つめて。
「まあ、その時はちゃんと守ってくださいね」
と、真っすぐな瞳で言った。
「なにそれ、思わせぶりな態度?」
茶化す僕には取り合わず、彼女は窓の外に目をやった。
釣られて見ると、夕日はだいぶ傾いて、空は橙色と藍色のコントラストに染まっている。もうすぐそこまで夜が近づいてきている。
「そろそろ帰りましょうか」
そう言って、さくらは立ち上がる。そのまま出入り口まで歩いて行って、廊下を覗きこんだ。
ぼんやり鞄に荷物を閉まっていると、「早くー」と声をかけてくる。僕はため息を吐いて、ゆっくり立ち上がった。
〇
陽が沈み、人気のなくなった住宅街を並んで歩く。ぽつりぽつりと点在する街灯が、行く先をスポットライトのように点々と照らしている。
僕らの住む街は田舎というほどには寂れておらず、都会というほどには栄えていない。山に囲まれた小さな街。その外れに僕らの通う高校と、暮らす家がある。
「ていうか、わざわざこんな遅くまで残って告白された自慢する必要あったのか」
僕が問いかけると、さくらは自動販売機で買った炭酸ジュースに口をつけて、「別に自慢じゃないですけど」と反論してから、
「まあ、そのうちわかりますよ」
と言葉を濁す。
「なにその思わせぶりな態度」
「そんなことより」
臙脂色の缶を指先でこつこつ叩きながら、彼女は僕を見上げた。
「毎度毎度私が告白された話聞いて、何も思わないんですか?」
「ウザいなあって思う」
「いや、そうじゃなくて」
僕は本心を口にしたのだが。彼女はじっと僕を睨む。
「なんかないんですか。昔から仲良しのさくらちゃんに数多の男の魔手が迫っているんですよ」
「大変だなって思う」
思わせぶりな態度をとっているんだというから、自業自得といえばそれまでなのだけど。
さくらは「はあ、そうですか」とつまらなそうに口を尖らせた。
「お前は何を僕に求めてるんだ。毎度毎度告白自慢して」
「自慢してるわけじゃないですってば」
「無関係の僕に毎度毎度告白された話をしに来るって、自慢以外に理由があんのか」
僕が首を傾げると、さくらは再度ため息を吐いて「鈍感馬鹿め」と吐き捨てた。
それからしばらく、お互い何も言わない時間が続いた。、静寂に満ちた薄暗い住宅街に、足音だけが響く。
ふと後ろを振り返ってみると、今まで歩いてきた道がまっすぐ伸びている。街灯と電信柱が、色濃い影になって点在していた。僕ら以外に人影はない。
再び僕は前を向く。靴と地面が擦れる音が、あたりに控えめに響く。
「──なあ」
僕は声を潜めて、さくらに呼び掛けた。
さくらは上目遣いでこちらを見て、「気づきましたか」と、同様に囁くような声で返事をした。
「……なんか、つけられてないか」
先ほどから、僕ら二人の足音に紛れてもう一つ、小さな足音が聞こえていた。
気になって振り返ってみると、後ろには誰もいなかったのだが。電信柱の影で、何かが動いたような──そんな気がして。
また前を向いて歩き出すと、足音は三つになった。
「鈍感馬鹿の先輩にしては上出来かと」
「なに、お前なんかつけられる心当たりあるの?」
僕がそう言うと、さくらはばつが悪そうな顔をして。
「たぶん、この前告白してきた一年生です。最近ずっとあとつけられてるんですよ、校舎から私が出てくるの待ってるみたいで」
「ええ……完全にストーカー化してるじゃん。本当に刺されるんじゃないの?」
「だから言ったじゃないですか。その時は守ってって」
「もしかして、こんな遅くまで僕にかまちょしてたのも一人で帰るのが怖かったから?」
「鈍感馬鹿の先輩にしては上出来かと」
僕は思わずため息を吐いた。完全に巻き込まれた形になってしまったわけだ。
「一応、いつもわざと遠回りして家バレはしないように帰ってるんですけど」
「うーん……」
だけど、それも時間の問題だ。いつまでもごまかし続けられるわけがない。
それに、その対応策では事態は何も好転しない。じり貧の状況が、ずっと続いていくだけ。
しかし、そんなにすぐ最善の解決策を思いつくほど、僕は聡明ではない。
どうしたもんか、と頭を捻る。
「なんとかしてくださいよ、あれ」
懇願するような瞳で、さくらは僕を見上げる。
今からストーカーの首根っこを掴んで、学校の指導課にでも突き出すか?だけどそうした場合、逆恨みのリスクもある。事態は一瞬停滞するだけで、より悪化してしまう可能性がある。
穏便に、誰も傷つくことなく、緩やかに事態を収束させる方法──思いついたことはあるにはあった。けれど、それを実行した場合、事後処理が非常に面倒くさい。
僕は立ち止まって、彼女のほうを見た。不思議そうな顔をして、さくらも立ち止まる。街灯が、二人の周りをスポットライトのように照らしている。
「えっ、なんですか?」
戸惑いの色を隠さないまま、さくらはまっすぐ僕を見ている。
幼い頃の面影を残したままの彼女の顔立ち。ずっと共に育ってきた彼女を、いくら助けるためとはいえ──僕の策に巻き込んでしまってもいいのだろうか?
彼女の今後の高校生活にも関わることだ。そんなリスクを、さくらに背負わせてしまってもいいのだろうか?
そんな風に逡巡していると。
さくらはニヤリ、と口の端を歪めて、意地悪く笑って。
「あ、もしかして可愛くて見惚れてるのでは?」
と、言った。
「うっざ」
いくらでも巻き込んで背負わせていいか。
元はと言えばこいつの自業自得なんだし。
左手をさくらの腰に回して、ぐっと引き寄せる。
「え、ちょ」と抗議する彼女の頬を右手で押さえて。
そのまま、僕はキスをする──直前で、唇と唇の間に、右手の親指を差し込んだ。
「んっ……」
さくらの吐息が顔にかかる。指先に、彼女の唇の柔らかい感触を感じる。
恐らく、遠くから見ればキスをしているように見えるはずだ。実際のところ、二人の唇は僕の親指に妨げられて触れてはいないわけだけれど。
ストーカーに見せつけるように、そのままの姿勢を維持する。10秒程経って、僕はそっと唇を離し、彼女を抱き寄せていた手も離した。
「ななな、なにすんの……」
詰めた分の距離を取りながら、さくらの方を見る。
彼女は顔を真っ赤に染めて、瞳を潤ませて。慌てふためいた様子で、言葉にならない声を小さく上げ続けている。
「え、今触れてた?唇と唇触れてた?キスした?」
「……あんま大きい声出すな、聞こえるだろ」
「いや質問に答えて?キスしたの?初めてだったんだけど!」
「してないっつの」
僕は横目で後方を見る。姿を確認することはできないけれど、恐らくストーカーはまだ暗闇の中に潜んでいるはずだ。
「……行くぞ」
未だに混乱したままのさくらの手を引いて歩き出す。……思った以上に、事後処理が面倒な策をとってしまったのかもしれない、と後悔しながら。
〇
とどのつまり。
花見川さくらが男とキスしているところを見せつけて、彼女には恋人がいるのだと思わせる──それが、僕の考えた対応策だった。
しかし、この策にはリスクが伴う。二人が恋人ではないと思われた場合、悪い噂が流れてしまう可能性がある。
例えば。
一つ、花見川さくらは付き合ってもいない男と卑しいことをするような女だという噂。
二つ、花見川さくらが三年の男に無理やり卑しいことをされていたという噂。
この二つが学校中に広まった場合、僕とさくらの今後の高校生活、ひいては進路にまで影響を及ぼす危険があるのだ。
だから──誤解を与えることなく、確実に、花見川さくらと三年男が付き合っているとストーカーに思わせる必要がある。
そのためには。
「……まあ、私はいいですけどね」
冷めたような表情を浮かべて、さくらは呟いた。
「別に、先輩と付き合ってるフリをするくらい、どうってことないですよ。興味のない男子に思わせぶりな態度をとるのと同程度に造作もないことです」
「それと比較されると少々複雑なものがあるな……」
花見川さくらと僕が付き合っているとそういうフリをしてしまえばいい。自分たちから、付き合っているという嘘を周囲に発信していけばいい。
事後処理は少々面倒にはなるけれど、間違いがなく、確実に。誤解を与えることはなく、僕らは付き合っていると周りに思わせることができる。
「まあ、しばらくしたら別れたことにしてしまえばいいさ。昔からお互いを知っているから、恋人としてはなんか違ったとか適当な理由をつけて」
古文の単語帳をめくりながら呟く。本当にこれは日本語なのだろうか、と疑わしくなるような言葉の羅列に頭を悩ませる。
さくらとキスをしたフリをした翌日の放課後。例によって、僕は一人教室に残って受験勉強を進めていた。
さくらと付き合い始めたという嘘は、既に日中のうちに、親しい友人には広めておいた。
さくらの方も同様で、学校中に話が回るまでさほど時間はかからないだろう。
「別にいいんじゃないですか、別れたことにしなくても。男に付きまとわれることもなくなりますし」
「いやそれだと色々問題があるだろ……」
さくらは机に頬杖を突いて、窓の外を見つめている。
開け放たれた窓から吹き込む風が、彼女の髪を控えめに揺らしていた。
「むしろ、このまま本当に付き合って──」
さくらが何かを言いかけた時、一層強い風が吹いて、カーテンをばさばさと大きな音を立ててはためかせた。
そのせいで、彼女の言葉は僕の耳まで届かなかった。
「え?なんて?」と、僕が聞き返すと、彼女は「なんでもねーです」と、つんとした表情でそっぽを向く。
静寂が二人の間を満たす。参考書のページが擦れる音だけが、二人きりの教室内に響き渡る。
「……ていうか、なんでまたお前いるの?さっさと帰れよ」
「嫌ですよ。昨日の今日ですし、まだストーキングされるかもしれないじゃないですか」
まあ、確かにそれは一理あるけれど。
そのせいで、僕の受験勉強が更なる遅延を発生させるわけで。
「ていうか」
ずいっ、と机の上に身を乗り出して、彼女は僕に顔を近づける。
僕は思わず仰け反って距離をとる。けれど、さらにその分彼女は身を乗り出して距離を詰める。
「彼氏彼女、ってことなら、毎日一緒に帰らないとですよね?」
「いや、それは違うだろ……」
「違くない」
花見川さくらは、口の端を歪めて、意地の悪い笑みを浮かべる。
その微笑みの中に、幼いころの面影を感じた。彼女が新しいおもちゃを手に入れた時の、小悪魔のような笑顔。
そして楽しそうな、弾んだ口調で。彼女は、思わせぶりにこう言った。
「私と付き合うって、そういうことだから」
まあ──告白されるたびにわざわざ報告しに来ることがなくなるなら。
このウザい後輩に付き合ってやるのもいいかと。そう、僕は思ってしまうのだった。
★2020.9.26 17:30追記
連載版始めました!この後の彼らの日常を描いていくつもりなので、もしよければそちらもどうぞ。