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性癖の覚醒


 「これよコレ! 街に出たならコレを一度は食べないと!」


 そう言って姫様から渡されたのは、どう見てもクレープだった。

 生クリームとイチゴ、そしてチョコソース。

 ありきたりなソレだったが、同年代……と言っていいのか分からないが、歳の近い子と食べるのははじめての経験。

 クレープなんて、先生にお祭りへ連れていかれた時くらいしか食べたことないからなぁ……

 なんて事を思いながら、ジッとクレープを見つめてしまった。


 「あれ? もしかしてコレ異世界にはない? クレープって言って、とってもおいしいのよ? さぁさぁ食べてみて!」


 そう言いながらアクレシア姫は自分のクレープをズイズイと押し付けてくる。

 友だちと食べるのってこんな感じなのかな。

 そんな事を思いながら、姫様の差し出したクレープを少しだけ齧った。

 些か小さく齧りすぎて、生地とちょこっとだけの果物の味しかしない。

 美味しいには美味しいんだが、クリームまで到達しなかったせいで非常にたんぱくな味に感じてしまった。


 「フフッ、あんまり口にあわなかったかしら? 私は結構好きなんだけど」


 「あ、いえ。 その……フルーツだなぁって思って」


 なんだその返しはと自分でも思うが、彼女は気にした様子もなくクレープを頬張った。

 なんとも幸せそうな表情で、自分のクレープをパクついておられる。

 信じられるだろうか、コレがお姫様なのだ。

 思わずポカンと間抜け顔を晒しながら、食べている様を眺めていると。


 「えっと、甘い物とか苦手だったかしら?」


 視線に気づいた姫様が、少しだけ心配そうな顔でこっちを振り返って来た。

 いつまでもクレープに口を付けず、ぼうっとしていたのが悪かったのだろう。

 というか……いいですね、美人は。

 こういう何気ない動作でも綺麗に見えるんだから。

 そして一見怖そうというか、悪役令嬢! っていう釣り目なのに、今は目尻を下げちゃっている辺り非常にあざとい。

 多分男性相手だった場合、その人はコロッといってしまうんじゃないだろうか。


 「あ、いえ。 そんな事は。  美味しそうに食べるなぁって思っていただけです」


 慌てて視線を外して、手に持っていたクレープを口に運ぶ。


 ……え、なにこれ、旨っ!?

 縁日の物とは比べ物にならないくらい美味しい。

 今回はちゃんとクリームやらチョコソースも一緒に頬張った為、しっかりとクレープだ。

 色々言い回しがおかしい気がするが、もうどうでもいいくらいに夢中になってかぶりついていた。


 「フフッ、そんなに急いで食べなくてもいいのに」


 柔らかく笑いながら、彼女はハンカチで僕の口元を拭ってくれる。

 こういう行動がナチュラルに出来る人って凄いよね。

 僕なんか今ハンカチすらもってないもん。


 「す、すみません。 アレクシア様」


 流石に照れ臭くなって視線を逸らすが、結局されるがままになってしまった。

 さっきからクラウスさんといいお姫様と言い、何か凄く子ども扱いなんですけど。


 「シアよ、近しい人は皆そう呼ぶわ」


 「はい?」


 一瞬何を言っているのか分からず、首を傾げてしまった。

 その反応が不満だったのか、お姫様がちょっとだけ膨れっ面になる。


 「呼び方。 アレクシアなんて長い上に、他人行儀じゃない。 だからシア、あと敬語も禁止」


 「……それ色々問題になりませんかね? あと敬語は癖なので」


 ムスーっとした顔を向けてくるが、この人は姫様なのだ。

 あんまりフレンドリーな雰囲気で接してしまえば、両者にとって悪影響なんじゃ……

 なんて事を考えていると、ビシッと人差指で頬を突っつかれてしまった。


 「じゃぁ敬語は仕方ないとして、もう少し崩してくれていいわよ。 あと名前に関しては絶対。 二人の時だけもいいから、ね?」


 「は、はぁ……」


 結局押し通される形で了承した……のかなぁ?

 次に呼ぶ時気を付けないと、この人本当に拗ねそうだ。

 なんて事を思っていると、すぐ近くからドシンっ! と大きな衝撃と音が伝わって来た。


 「……は?」


 視線を向ければ、やけにデカい猿の姿が。

 真っ白い毛並みに、ひび割れた地面。

 上から降って来た? 2メートルくらいある猿が?

 異世界では雨の代わりに猿が降るの?

 ポカンと呆けていると、周囲の人々がつんざくような悲鳴を上げ始める。

 なんだこれ、どういう状況?


 「クロエ、戦いますわよ! 恐らく魔獣の密入です、首輪が無い! どこかのバカが引っ張り込んだ上に逃げられたのよ!」


 そう叫びながら、姫様は食べかけのクレープを投げ捨てて右手を猿の方へと向けた。

 いや、ちょっと待って。

 姫様まで戦う気なの?

 こういう場合、お姫様って真っ先に逃げなきゃいけないんじゃないの。

 ぐるぐると思考が混乱している間にも姫様は何事か呟き、右手に白い光が集まっていく。

 これは、魔法?


 「食らいなさい!」


 叫ぶと同時に冷たい空気が周囲を包み、吹雪の様な真っ白い光が魔獣を包み込んだ。

 その結果。


 「すっご……」


 白い猿は更にその色を濃くし、今では光が反射するくらいだ。

 詰まる話、完全に凍っている。

 もはやピクリとも動いていない。


 「クロエ! とどめ!」


 「え? アレまだ死んでないんですか?」


 「あれは特殊個体よ! そういった手合いは生命力が凄まじいの! 溶ければまた動き出すわ!」


 マジか、あの状態でまだ生きてるのか。

 驚きつつも走り出し、近くにあったテーブルを足場に猿に向かって飛び掛かった。


 「せいっ!」


 思いっ切り気合いを入れて放った跳び蹴り。

 だと言うのに顔の表面に“ヒビ”が入っただけで、相手はニヤリと口元を吊り上げた。

 あ、これちょっと不味い。


 「効果が切れるわ! 離れなさいクロエ!」


 その声が聞こえると同時に、相手の拳が顔面に叩きつけられた。

 まるで顔面をドデカいバットで殴られた様な衝撃を受けて、脳みそが揺れる。

 一瞬で真っ白になる視界に、悲鳴を上げる首の骨。

 その後数秒も経たない内に背中に衝撃を受け、今度は息が詰まる。

 やばい、意識が飛ぶ。

吹っ飛ばされたんだろうけど、背中の衝撃が余りにも“軽く”感じられる。

脳震盪を起こしかけて、感覚が鈍っている証拠だ。


 「クロエ!」


 かろうじて聞こえるその声の方へ視線を向けると、これまた最悪の状況。

 こちらへ走ってこようとする姫様と、彼女に向かって拳を振り上げている巨大な猿。

 ヤバイヤバイヤバイと、回らない頭が必死に早鐘をらした。

 どうすればいい、どうすれば助けられる。

 まるでスローモーションの様に見えるその光景を眺めながら、僕は思いっきり唇を噛んだ。

 ズキンッと伝わる痛みと同時に、口の中に広がる血の味と匂い。


 痛い、だがまだ痛いと感じられる。

 なら、大丈夫だ。

 神経が死んだ訳じゃない、首だって動く。

 気合を入れろ、目の前に助けるべき人が居るんだ。

 いつまでも寝ている場合じゃない。

 それがヒーロー、そして先生との約束だ。


 「変身!」


 ポケットに入った黒いケースを握りしめ、僕は大声で叫んだ。


 ――――


 クロエが何かを叫んだ瞬間真っ黒い煙が周囲に包み、視界が遮られた。

 今では助けに入ろうとした相手の姿だって見つけることが出来ない。

 “ワイルドモンキー”の特殊個体と思われる一撃を顔面に食らったのだ。

 吹き飛ばされた後動いていたから生きてはいるのだろうが、とてもじゃないが無事であるとは考えづらい。

 あれは成人男性の身体を、軽々と捥ぐ程の腕力や握力がある。

 更に今回のは特殊個体。

 普通だったら首から上が無くなっていても不思議じゃない。


 「クロエ! どこ!? 返事をしなさい!」


 必死で声を上げるも、何か大きな音に遮られて私の声は響かない。

 失いたくない、彼女を。

 初めてだったのだ。

兄以外に、私の事をあんなにも真っすぐな目で見てくれた人物は。

 誰しもが遜り、そして影では第二王女だからという理由で嘲笑う。

 剣に秀でた兄と、魔法に秀でた姉。

 お前はその残りカスだ。

 そう言われ続けて来た。


 「クロエ! どこにいるんですか!」


 だからこそ、私には友人とも呼べる人間は居なかった。

 遜る相手には興味を持てず、腹を探ろう、貶めようとしてくる輩には傲慢な態度を取って来た。

 そんな事をしていれば友人など出来るはずもないのだが、私は“王女”としてその振る舞い続けてきた。

 舐められるわけにはいかなかったのだ。

 私の失態はそのまま王家に悪影響を与える。

 だからこそ、私は“我儘姫”のあだ名を甘んじて受け入れた。

 私は一人でも大丈夫。

本当に信用のおける相手が見つかるまで、私には友達なんていらない。

そう思って生きてきて、今日初めて見つけたのだ。


 「クロエ! クロエ!」


 私に遜る訳でもなく、媚を売る訳でもない。

 そして、私の事を真っすぐに見つめてくる人物を。

 彼女の瞳からは面倒くさいとか、どうすればいいんだろう? といった戸惑いの感情も見て取れた。

 それに表情にも出ていたし。

 でもそれが嬉しかったのだ。

 私に対して、そんな“目”を向ける人なんて今まで居なかった。

 面倒であれば眉を顰め、楽しければ笑い、恥ずかしいと感じれば頬を染める。

 そんな素直な感情が、そこにはあった。


 だからこそ、私は彼女が欲しい。

 私に対して、一切の憂いも誤魔化しも持たないその瞳。

 あそこまで分かりやすい感情をぶつけてくれる人物なんて、他に居ないだろう。

 そんな彼女が、私は欲しい。

 このまま失いたくない。


 「クロエぇ!」


 私が叫んだ瞬間、黒い霧を抜ける様に“ワイルドモンキー”が側面から顔を出した。

 恐らく私の叫び声から、位置を特定したのだろう。

 あっ、なんて声を上げる前に伸びてくる太い腕。

 やってしまった。

 クロエに気を取られて、魔獣への警戒を疎かにした。

 コイツの腕に捕まれば、私程度の体など数分も持たない。

 それこそ指先一つで捻り潰されてしまう。

 不味い、このままじゃ私の方が先に――


 「――その人に触るな」


 声と同時に、真っ黒い腕が魔獣を掴んだ。

 目の前の魔獣よりも大きな手。

 ガシッと胴体を捕まえて、そのまま持ち上げる様にして私から距離を離す。

 黒い霧は徐々に晴れていき、姿を現したのは魔獣よりも大きな黒い鎧。

 コレは、何だ?

 見たことも聞いた事もない真っ黒な巨人。

 それが今、強力な魔獣を易々と掴み上げている。

 そして、聞こえて来たその声は。


 「クロエ、なのですか?」


 恐る恐る声を上げれば、黒鎧は顔だけをこちらに向けた。

 鋭く光る眼光が、私を射抜く。


 「はい、僕です。 大丈夫ですよ、後は任せてください」


 そう言ってから、巨人は魔獣を握りつぶした。

 まるで内部から破裂したみたいに、周囲には血の雨を降らせる。

 雨と言うには些か時間が短い上に、どちらかと言えばビチャッと音を立てて血液が飛んできた様な状態だったが。

 非常に呆気ない。

 先程まで恐怖の対象であったはずの魔獣が、いとも簡単に討伐されてしまった。

 コレが勇者。

 我が国に滞在する、最高戦力。


 「あっ、ちょ、すみません姫様!」


 頭から魔獣の血液を被ってしまった私に対して、巨大な黒鎧がオロオロ狼狽していた。

何だこれ、何なんだコレ。

 父上からは「今回の勇者は出来損ないだ」と聞いていた。

 それが、コレはどういうことだ?

 圧倒的な力、誰もが恐怖しそうな漆黒の巨大な鎧。

 そこから放たれる声は、ちょっと可愛らし過ぎるが。


 それでも、だ。

 あの中にクロエが、私の友人になってくれるかもしれない人物が居ると思うと。


 「愛おしい……」


 「はい?」


 ほぉ、と自分でも分かるくらい熱のこもった吐息を吐き出した。

 これまでこんなにも胸が高まる事があっただろうか。

 まるで物語の騎士の様に颯爽と現れ、窮地を救い、そして強さの象徴と言わんばかりの姿を晒している。

 だというのに、今では指先でどうにか摘まんだ布で私の汚れを落とそうと必死になっている。

 私とはサイズが違い過ぎて、潰してしまわないか恐れているのか。

 タオルを持ったままアワアワと動いている。

 なにこれ。


 「可愛い」


 「えっと、さっきからどうしました? 姫様」


 コレが異世界人の言っていたという“ギャップ萌え”というやつなんだろうか。

 今なら、ソレが分かる気がする。


 「シア、そう呼んでくださいまし」


 「あー、えっと。 シア様? 本当に大丈夫ですか?」


 反応に困ったのか、黒鎧が完全に停止した。

 その指先にさっきのクレープ屋の備品? のタオルをつまみながら。


 あぁ、何故貴女は女性なのでしょう。

 貴女が殿方だったら、その遺伝子を私がこの世界に残せたのに。

 もはや良く分からないくらい、何故か私は“性的に興奮”していた。


 「ネコさぁぁぁぁん!」


 そんな甘い空間に、一匹の妖精が空から舞い降りて来た。

 無粋もいい所だ、というか邪魔だ。

 早く退場して頂きたい。

 私の願いも空しく、彼女は馴れ馴れしくもクロエの肩に舞い降りた。

 ここは私の場所だと言わんばかりに。


 「何してるんですか、こんな街中で! っていうか時間! ヤバいですって、今のネコさんには十数分しか鎧が使えないって前に言いましたよね!?」


 馴れ馴れしい妖精が、何やら叫んでいる。

 親し気なその様子が何となく気に入らない。

 だからこそ思わず目を吊り上げ、口を挟んでしまった。


 「ちょっと! そこの妖精! 私のクロエのデートを邪魔しないでくれるかしら!」


 「すみませんそれどころじゃないんです! 何も知らないお姫様は引っ込んでいて下さい!」


 なん……だと?

 ここまではっきりと私をのけ者にする輩も珍しい。

 普段ならこの子にも興味を持っていた所だろう。

 だが、だがしかし。

 今だけは非常に間が悪かった。


 「貴女! いったいクロエの何なの!?」


 ビシッと指を指しながら叫び声を上げれば、彼女は負けじと大声で叫び返してくるのであった。


 「ラニはネコさんのアドバイザー兼パートナーです!」


 「な、なん!?」


 なんて良く分からない声を私が上げた瞬間。


 「あ、不味いかも。 そろそろ意識が……」


なんてクロエが声を上げた瞬間、眼の前で黒鎧がバラバラと崩れ始めた。

 急展開過ぎて、反応出来ない。

 ポカンと間抜け面を晒しながら、足元に広がる解体された黒鎧を眺める。

 え? え? 何が起きたの?

 混乱しながら視線を彷徨わせていると、必死にパーツをどかそうとしている妖精が視界に入る。

 そしてその部品の下には……


 「クロエ!」


 ぐったりと地に伏せている、愛しの相手の姿が見えたのであった。



 おばあちゃんが言っていた、王族は基本変態なんだってな。

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