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帰っちゃうんですか?


 銀色の鎧と、黒髪の少女が拳を交えながら戦場を掻き乱れる。

 少女の方は拳というか、爪で引っ掻いている様な感じだが……まぁどうでもいいか。


 「アレが魔王……確かに今の我々ではどうにも出来ないかもしれないな……」


 放心した、というか唖然としたように戦闘を眺めるスミノ王子。

 二人の戦闘は周りの多くの者を巻き込みながら、激化していく。

 魔王の爪で敵味方問わず輪切りにされ、銀鎧の拳は衝撃波だけで周囲のモノをミンチに変えていた。

 なんだこれは、異次元バトルすぎる。


 「おいおい……次元が違い過ぎるだろ。 二人共やべぇって」


 ソフィーが呟きながら、己の杖を強く握りしめる。

 あんなモノに無謀にも突っ込もうとしていた自分を悔いるかのように。


 「これは……防御云々ではありませんね。 近づいただけで肉片に変わりますよ……」


 顔を青くしたアイリが、二人の戦闘を眺めながら呟いた。

 それくらいに、とんでもない戦闘なのだ。

 人間の反射神経じゃ、とてもじゃないが反応出来ない攻撃にも正確に切り返す先生。

 そしてその反撃を受けてもなお、攻撃の姿勢を緩めない魔王。

 なんだ、これは。


 「ラニ」


 「はい……」


 呼びかければ、すぐに返事が返ってくる。

 彼女は僕の肩に座り、いつもの様に戦闘を眺める。

 そう、いつものように僕の肩から“先生が戦っている所”を眺めている。

 何故彼女は、いつも僕の所に居るのだろうか?


 「どういうことですか?」


 「答えられません」


 「アレは完全に使い慣れた“武具”を使って戦っている人の攻め方です。 短期間で慣れたと言われれば……あの人ならありそうですけど、いくら何でも度が過ぎています。 まるで長年使い続けた武具の様に、あの鎧を信じて攻撃をあえて受けています。 まるであの“銀鎧なら大丈夫だ”と知っている様な動きです」


 「……お答えできません」


 「ホ、ホラ! 今も致命傷になりそうな攻撃を、あえて胸で受けた! あんなの相手の攻撃に鎧が耐えられると分かってないと出来ない行動ですよね!?」


 「……だから、お答えできませんって!」


 「ラニ!」


 今は戦場のど真ん中だという事すら忘れ、“私”は叫んだ。

 だってこんなのおかしい。

 いくらあの人だって、あんな無謀に責めたりしない。

 ソレは私が一番良く分かっているのだ。

 まるで何かに追い立てられるかのように、ここで攻めなければ全てが終わるみたいに。

 彼は、先生は攻め込んでいる。

 踏み出す一歩がいつもより半歩早い。

 突き出す拳が全て全力で、確実に相手を殺そうとしている。

 その全てが、どこか焦っている様に感じられた。

 そして何より、今先生が攻撃しているのは“僕と同じくらいの歳の女の子”だ。

 彼は相手が女性だというだけで、拳を緩める。

 更に僕と近い年代、外見をしていればなおの事……殴れなくなるのだ。

 そんな彼が、全力で拳を振るっている。


 「お願いです、教えてください。 ラニ」


 先生から視線を逸らし、妖精に正面から向き合った。

 思えば、彼女に自分から向き合うのは初めてだったかもしれない。

 どこか背景の一か所に収め、そしていつだって傍にいる存在。

 そんな風に感じていたのかもしれない。


 「……まだ、教えられません。 約束なので」


 それでも彼女は、頑なに口を閉ざした。

 約束ってなんだ、誰との約束?

 そして“まだ”ってどういうことだ。

それはいつになったら……


 「勇者風情が調子に乗るな! こっちだってあの人たちの命が掛かってるんだ! 負ける訳にはいかないんだよ! 帰さなきゃいけないんだよ!」


 思考をぶった切る様に、“魔王”の叫び声が上がる。

 その声は何処までも余裕が無くて、どこか泣き叫ぶようにも聞えた。


 「だから俺達を殺すってか! ハッ! 条件が同じなら文句いってんじゃねぇ!」


 そんな会話を終えて、彼女は大きく腕を振った。

 今までとは違う、明らかな大きな斬撃が先生に襲い掛かる。

 ダメだ、アレを食らったらタダでは済まない。

 間違いなく膨大な魔力を含んだ紫色の閃光が、先生に襲い掛かろうとしていた。


 「変身!!」


 「ネコさん!? ダメです!」


 ラニの言葉が聞こえた時には、先生の前に駆け出していた。

 全身にゴツイ漆黒の鎧をまとって、大きな両腕を広げて。


 「ネコさん!」


 魔王の放った閃光が迫り、正面からソレを受け止める。

ダンプにでも轢かれた様な衝撃の後、体が後方に飛ばされ徐々に意識が薄れていく。

確認しなくても、爪痕が随分と深く黒鎧に刻み込まれているのが分かった。

 あぁ、コレ。

 もしかして“本体”にも届いちゃったかも……


 崩れる黒鎧。

 前みたいに、ガラガラと色んなパーツが零れ落ちていく。

 まずいな、意識がまた……


 「ふざけんな!! ふざけんじゃねぇぞクソヤロウが!」


 誰かの叫び声が聞こえたと同時に、銀色の光が弾けた。

 弾丸の様なスピードで、目の前の“魔王”を文字通り突き破ったのだった。


 ――――


 「黒江! 黒江! 頼む、眼を開けてくれ! 猫! 頼むよ、起きてくれ……!」


 聞きなれた暑苦しい声に、目を覚ました。

 目の前には鎧を脱いだ筋肉盛りマッチョ、更には体操のお兄さん的な顔をしたおっさんが、顔を歪めて涙を溢していた。

 本当に何が起きた?

 魔王は?


 「フッ……フフフ。 この程度で勝ったと思うなよ……」


 視線を向ければ、体の半分を失った幼女が青白い顔で歩いて来ていた。

 僕たちの倒すべき相手、殺すべき対象。

 だというのに、この時ばかりは拳を振り上げる気力も起きなかった。


 「保険、そう保険を取っておいたんだ。 私がやられても、あの人たちは他の魔王の元に行って暮らせる保険を。 なんたって僕の持っている“異世界人”は転移を自在に操るんだからな! どこへ行っても重宝されるだろうさ!」


 この子は何を言っているのだろう。

 霧のかかったような頭で、ボーッと彼女を見つめていれば……


 「お前たちになんか渡さない! いつか絶対お前たちを薙ぎ払って、王の首をとって! そして元の世界に――」


 叫ぶ言葉も途中で途切れ、彼女は灰に変わった。

 彼女は最後、何を言おうとしていたのだろう。

 元の世界? 異世界人?

 まるで僕らみたいな条件が……なんて思った所で、再び空に転移の魔法陣が浮かび上がった。

 そこから降りてくるのは翼の生えた軍勢。

 その先頭には角の生えた黒髪の男が此方を睨んでいた。


 「そうか……アイツは死んだか」


 それだけ言って、彼は片手を上げる。

指示を受けた部下が、後方で2人の人間を肩に担いで上空に飛び去って行くのが見えた。

 あれが……さっき言っていた“転移”を使える異世界人という事なんだろうか?


 「覚えておけ、人間共。 私はホロの義兄妹にあたる、クドだ。 いつか貴様らに、魔神の鉄槌をくれてやろうぞ!」


 やけに響くその声。

 まるでマイクでも使っているのではないかと思う程、戦場の隅々にまで響き渡っている様だ。

 しかしその声はどこか、悔しさに歯を食いしばっている様な叫び声に聞えた。


 そしてそんな中、抱えられた二人が声を上げる。

 ほんの小さな声。

聴き逃してしまいそうな程、というか遠すぎて普通なら聞こえない筈なのに、その声は確かに僕の耳に聞えた気がした。


 「猫ちゃん?」


 「猫、なのか?」


 間違いなくこちらに視線を向けて、抱えられたその人達はそんな言葉を発した。

 多分唇がそう動いただけ、ちゃんとは聞こえてはいない筈。

 でも、その言葉を聞いた瞬間“体が跳ねた”。


 「変身!!」


 ずっと昔に、聞きなれていた声。

 家に帰れば、出迎えてくれた声。

 その声が、いつからか“過去”になってしまったその声が、今目の前にあるのだ。

 “返せ”

 それだけが心に浮かんだ。


 「放せ! その手をはなせぇぇ!」


 巨大な拳を振りかぶって、相手に向かって突進したが……


 「何だお前は、彼らに触れる価値があるのか?」


 冷たい言葉と共に、見えない壁に遮られた。

 まるで虫を払うように、邪魔者を追い払うみたいに軽く手を振っただけなのに。

 その動作に、“私の本気”は負けた。

 落下していく、また離れていく。

 ブースト、そうだこの鎧の機能を使えばまだ彼らに追いつける。

 妄信的に背中と肩のブーストをフルに使い、全力で彼らに向かって噴射した。

 持って行かせない、“ソレ”は私のだ。

 お前たちになんてやらない。


 「返せ、返せよ! 私の両親なんだ! お前たちの道具じゃない!」


 思いっ切り振りかぶった右腕が、相手にぶつかる瞬間。

 彼らの姿は消えてなくなった。


 別に驚くことじゃない、私が遅かったのだ。

 あと一歩、一秒早ければ取り返せたかもしれない。

 でも、届かなかった。

 もう少しの所で、転移の魔法陣に飲み込まれてしまった。

 私がもっと早ければ、強ければ。

 少しでも結果は違ったかもしれないのに。

 そう考えた瞬間、胸が張り裂けた。


 「ああああぁぁぁっぁあぁぁぁぁ!!」


 空中に滞在したまま、黒い死神は獣の様な叫び声を上げた。

 その心情を知る者はいない。

 彼女の事を知らなければ、さぞ恐ろしい怪物の雄叫びに聞えただろう。

 それでも、皆彼女を見上げた。

目を離す事が出来なかった。


 魔獣も人も関係ない。

 全ての者が空を見上げ、彼女の悲鳴を聞き届けたのであった。


 ――――


こっちの世界で両親が道具の様に使われて、今さっき救う事も出来ずにつれ攫われたのだ。

もう充分じゃないか。

 それだけでも十分に悲劇になるじゃないか。

 だというのに、現実は私を許してくれなかった。


 「どういうことですか?」


 静かに告げる私に、皆は視線を逸らす。

 気まずいとか、そういうんじゃない。

 言うべき言葉が見つからないんだ。

 両親の葬儀の時に、こんな顔はいっぱい見て来た。


 「どうもこうもねぇよ。 魔王を倒せば勇者の役割は終わり、だろ?」


 先生が薄ら笑いを浮かべながらそんな事を言い放った。

 馬鹿なのかな、コイツは本当に馬鹿なのかな?


 「さっきの奴も魔王だからな。 最後だけお前に譲るつもりだったんだが……すまん、倒しちまった。 またミスっちまった」


 そんな事を言いながら、見たことの無い魔法陣に乗った先生が薄くなっていく。

 まるでSFだ。

 ろくな言葉さえも思い浮かばず、ただ茫然と眺める事しか出来なかった。

 いやだ、待ってくれ。

 今貴方まで消えてしまった、私はどうやって生きていけばいい?


 「なんで……そんな、だって……」


 意味のない言葉ばかりが、口から零れ落ちた。

 こんな事言っても仕方ないのに、どうしようもないのに。


 「すまん、俺は退場だ」


 何を”やり遂げた”みたいな顔してやがるんだ。

 アンタはまだやる事がいっぱいある、やらなきゃいけない事がいっぱいあるだよ。

 それに一人で向こうに戻ってどうするんですか。

 そうだ、ホラ。

 先生は馬鹿なんだから、書類関係なんて全然出来ないじゃないか。

 国に出す書類なんて、先生じゃわからない事だらけですよ。

 私がいないで、向こうでやっていけるんですか?

 向こうは筋肉じゃ解決できない事が多いんですよ。


 「なぁ、猫」


 あ、あといっつも僕に任せてたけど、確定申告とかさ。

 色々あるじゃないですか、そういうの皆私がやってたじゃないですか。

 いっぱいあるんですよ?

 先生は名前だけ書いて終わりとか思ってるかもしれないけど、大変なんだよ?

 いっぱい書類作って、色んなものに色んな事書いて。

 先生みたいなズボラだったら道場だって続けられないくらい、“向こう”は大変なんだよ?

 私たちが生きていて、ソレを証明する事って、すごく難しいんだよ?

 だから……まだ。


 「泣くな、お前なら大丈夫だ。 もっと強くなって、さっさと魔王の一人や二人ぶっ飛ばして、そうすりゃ“お前は”帰れる」


 それだけ言って、彼は半透明の腕をこちらに伸ばしてくる。

 ホント、意味が分からない。

 この人は何を言っているのだろうか、馬鹿じゃないのか?

 「お前は」ってなんだよ。

先に帰るんだから、「お前も」って言えよ。

 だというのに、こんな今生の別れみたいな演出。

 馬鹿だ、この人はバカなんだ。


 「まだ……まだ嫌です。 一人にしないで下さい」


 「……わりいな」


 頭に乗せられた彼の掌。

もはや触っている感覚も薄い。

 これが“魔王を倒した勇者”の行く末なのか?

 あまりにも唐突で、心の準備も何もあったものじゃない。


「ラニ、猫の事頼んだぞ。 あとコレ、返しておくわ。 俺にはもう必要ねぇからよ」


 「カラスさん……お疲れさまでした」


 ラニに向かって白いケースを差し出したが、半透明の彼の掌をすり抜けて地面に落ちる。

 彼女はそのケースを胸に抱くようにして拾い上げ、真剣な表情で先生と向かい合った。


 先生とラニ。

二人が並んでいる光景は、初めて見たかもしれない。

 でも不思議と様になっている様に見える。


 「本当に、良かったんですか?」


 「おう、前とは随分違う感じになったけどな。 でも“今回は”ちゃんと生きてる。 最後の最後でミスったけど、猫が生きてんだ、結果オーライだな」


 「そうですか……なら、ラニからは何も言いません」


 良く分からない会話をしている二人。

 意味が分からない、彼らは一体何の事を言っているんだ。

 頭の中ではこんなにも色々考えられるのに、口を開けばまた泣き言が零れそうで、必死に唇を噛んだ。


 「それじゃ元気でな。 俺みたいになるなよ、猫」


 「ちょっと父さ――!」


 最後にちゃんと呼んであげる事も出来ぬまま、彼は完全に消えてなくなった。

 伸ばした手は空を切り、そこにはもう何もいないと告げている。

 まるで最初から彼など居なかったかのように、その場には虚空が広がっていた。


 「ネコさん、コレ」


 そう言って差し出されたモノを、何も考えずに受け取った。

 白いケース、彼の防具であり武器。

 たったコレだけ。

この世界に彼が居たと証明できるものは、これ位しか残っていない。

そしてそれさえ私の手に収まってしまえば、もう彼は居ないんだという現実が押し寄せてくる。


 「うっ……ぅ……っ」


 ボロボロと両目からこぼれる雫が、白いケースの上に落ちていった。



次で一章終わりです。

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