銀鎧
私達がその国に到着した瞬間、異常な空気を肌で感じる事が出来た。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子供。
そして門を守る兵ですら、慌ただしく走り回っている。
「おい! 何が起きている!?」
国の入り口まで魔力で動く馬車、通称魔導馬車で近づき声を荒げた。
一瞬こちらの馬車を見てギョッとした様子を見せるが、それどころではないといわんばかりに兵士たちは叫び声を返してきた。
「魔族だよ! 魔族が国に侵入したんだ! ヤツら最近転移の魔法を使うって報告はあったが……ここまで正確に使ってくるなんて聞いてねぇぞ……あんた等も早く逃げろ! 御大層なモンに乗ってるんだ、巻き込まれる前にさっさと失せな! 国民だけでも避難しきれるかわからねぇんだ! よそ者は怪我しない内に帰んな!」
この状況でも情報を伝え、巻き込まない様にと計らう門番。
我が国では、ここまでキチンと対応してくれるだろうか。
そもそも情報が行き届かず、慌てふためくだけに収まるかもしれない。
だが彼らは違う。
慌てながらも国民を誘導し、国外の相手にも声を張り上げて呼びかけている。
戦闘や戦争に対しての心構えが、末端の兵にだってしっかりと教え込まれているようだった。
「んで、どうするんだい? 言われた通り引き返すかい?」
後部座席に座った人物が、意地の悪い笑みを浮かべながら問いかけてくる。
全く、答えなんて分かり切っているだろうに。
「ここに来るまでの時間と魔力、それから昼夜を問わずの荒い運転。 それらを考えると、トンボ返りは割に合いませんねぇ」
助手席の彼女も、どうやら同じ意見だったようだ。
とはいえ今回使ったのは魔導馬車。
時間は普通の馬車を使うよりずっと短縮できただろうに。
魔力は仕方ないとして、舗装された道以外の獣道も時間短縮の為に交代で突き抜けたので、後半は文句の言いようがないが。
「安心しろ二人共、私とてここまで来て手ぶらで帰るつもりはないさ。 なんたって我が国の国宝とも呼べる魔導馬車を、置手紙だけで借りて来たのだからな」
え? と二人が不思議そうな顔をしたが、今はそれどころではない。
再び近くに居る兵士に向かって大声で叫んだ。
「私はスミノ! ストロング王国の王子だ! そして連れは殲滅魔法の使い手と、部位欠損を治せる回復魔法の使い手! 魔族撃退に協力する! 通してくれ! 国からは一切の報酬等は要求しないと約束しよう!」
そう声を上げれば、数名の兵士たちがこちらを振り返りながら何かを話している。
早く、早くと焦れるがこればかりは仕方がない。
緊急事態な上、他国の王子が訪問したとあれば本来この国の王へと伝えるべき内容。
だがそんな時間はない。
勝手に入国させても断っても、彼らとしては大目玉を食らうどころではないだろう。
やはり身分を明かさず無理やり通ってしまった方が良かったか?
いやしかし、それでは後々身元が割れた際に問題が……
なんて思っていると、一人の兵士が魔導馬車の窓を叩いた。
「さっきの話は本当か?」
初老と言って差し支えない年齢の男が、こちらを覗き込んでいた。
「全て事実だ。 緊急の為、通してもらいたい。 後々何かを要求する様な事はしない、だから――」
思いつく限りの言葉を並べようと、頭をフル回転させていた。
元々私はそこまで頭が良くない。
兄弟達と比べれば、それこそ天と地ほどの差があるといってもいい。
弟たちならこんな時上手い言い方が思いついたのかもしれないが、私には無理だ。
剣ばかりに握って来たツケが、こんな所で回ってこようとは……
なんて思った次の瞬間、男は後部座席に乗り込んで来た。
「え?」
訳が分からない、彼は何をしているのだろう。
ハンドルを握ったまま呆けていると、後ろの男は狭そうに体を動かしながらもこちらを睨んで来た。
「何をしている。 魔族の元へ向かうのだろう? 道案内してやるから、早く出せ」
それだけ言って、彼は開けた窓から太い腕を出した。
シッシッとばかりに手を振ると、周りで門を固めていた兵士達がバッと道を開ける。
「ホレ、道が開いたぞ。 せっかく良い魔導馬車に乗っているんだ、走りを見せろ」
この男、何者だ? ここの兵達の隊長?
色々と思考は飛び交うが、「早く出せ」と再度捲し立てられてアクセルを踏み込む。
とにかく今は後回しだ。
この街に“彼女”が居る事が分かっている上、このタイミングで魔族の襲撃。
どうにも嫌な予感がする。
「ほぉ、悪くない。 小僧、これは何という魔導馬車だ」
右、左と後ろから声を掛けてくるご老体が楽しそうな声を上げる。
「これは“イムプレッザ”という国宝級の魔導馬車です。 丸い見た目にも関わらず力がある。 山道も猛スピードで走れる暴れ馬ですよ」
「ほほぉ、“イムプレッザ”か。 気に入った、実にいい馬を持っておるの!」
楽し気に声を上げる老人を乗せて、私達は現場へと向かった。
街中を逃げ惑う人を避け、脇道も猛スピードで。
「待っていろよ、クロエ。 今行くからな!」
スミノの叫び声は、車内で無駄に鳴り響いたのであった。
ちなみに車体に書かれた名称はインプ〇ッサ。
本来の読み方を知らない彼らの中で、誰もこの事にツッコム人間は居なかったという。
――――
ぐぼはぁっ! みたいな良く分からない声を上げて、羊の角が生えた魔族が地面に落ちてくる。
今まで散々攻撃を当てるのに苦労していた相手だというのに、銀鎧を着た“鎧の勇者”が相手を地面に叩き落した。
光剣と呼ばれる俺の剣は、光の刃を飛ばすことができる。
だというのに相手はソレを軽々と避けて、更にパーティメンバーの攻撃も一緒に避けていたのだ。
ハズレ勇者の攻撃など掠る筈もない、ないというのに……
「今まで地上でやり合った事はあったか? お前の動き、とんでもなく単調だぞ」
銀鎧は彼の前に降り立ち、静かにそう告げた。
ふざけるな、いい加減にしろ。
俺の貰った武器はチート装備なはずだ、誰にも負けない武器であるはずだ。
光の速さで攻撃が出来るんだぞ? 普通に考えてそんなもの避けられる筈がない。
だというのに、なんだコレは。
「ヴィンセント……アイツ地上に落ちたし、今の内に」
隣に立っていた魔法使いの少女が、遠慮気味に声を掛けてくる。
分かっている、分かっているんだそんな事。
ただ腹が立って仕方がない。
魔族に攻撃は当たらないし、ハズレ呼ばわりの武器を使っている奴が俺以上の功績を上げている。
こんな事今までなかった。
これまでは大体剣を一振り、もしくは数回降れば片が付いた。
パーティーメンバーも増え、彼女達に攻撃させてから俺がとどめを刺す。
それで全て上手く言っていた筈なのだ。
なのに、今回はどうだ?
「言われなくてもそんな事分かってる! 黙ってろ!」
声を掛けて来た彼女を怒鳴りつけ、魔族の元へと走り出した。
訳が分からない。
俺の攻撃が通用しない相手も、ソレを平然と叩き落すハズレ勇者も。
そして何故か、魔族が召喚した巨大な魔獣をモフッてるあの子も。
「どけぇ!」
「おぉっ? なんだ小僧か、随分元気いいな」
途中で立っていた銀鎧を押しのけようと思えば、そんな声を掛けられてしまった。
しかも肉体強化の魔法を使いながら突き飛ばそうとしたのに、ビクともしない。
反動でこちらの方が後ろによろけてしまった程だ。
どんどんとストレスが溜まっていく。
こっちに来てから、こんな事なかったのに。
「なんなんだよお前らは……あの子も勇者なんだろ!? なんなんだよ!」
「何だと言われてもな……」
感情のまま叫べば、彼は困った雰囲気を出しながら頭を掻いた。
フルプレートだからそんな事をしても無駄なのに、芝居がかった態度が余計に癪に障る。
「クソッ! とにかく今は魔族だ!」
これ以上彼を見ていてもストレスが溜まるだけだ。
そう思って無理やり視線を外し、地に伏した魔族へと目を向ける。
大丈夫だ、まだ顔面を抑えてのたうち回っている。
「食らえぇ!」
「ガぁッ! ちょ、ちょっとまっ……」
相手に走り寄り、そのまま剣を振り下ろす。
何度も、何度も相手に叩きつける様に。
ゴッ! ゴッ! と鈍い音が響くだけで、一向に魔族が死ぬ気配がない。
なんでだ、今までこんな事なかったのに!
「ちょ、ちょっとストップ! ヴィンセント落ち着いて! ソレは“光剣”。 魔力を溜めて斬撃を飛ばす遠距離武器だよ!? 直接攻撃したって棍棒と変わらないって最初に話したでしょ!?」
フードから飛び出してきた妖精“ラミ”。
彼女は慌てながらも、武器に魔力を通す様に促してくる。
俺が勇者になってから、彼女の言葉を忘れる事などなかったというのに。
それさえ記憶の片隅に押しやって、感情の赴くまま剣を振るってしまった。
その失態と、こんな多くの民衆の前で初心者に助言するかのように喋った彼女に再び頭に血が登った。
「うるさい! そんな事分かってるんだよ! だからお前らは引っ込んでろ!」
羞恥心と怒りで、どこまでも冷静さを欠いているのが自分でも分かる。
分かるが、それでも止められなかった。
こっちの世界に来てからは全てが上手くいっていた。
こっちの世界こそが、俺の生きる世界なんだ。
そう思っていたからこそ、初めてとも言える障害にぶち当たった感情は行き場を失ってしまった。
魔力を込めればいいんだろ!? そんな事こっちだったら子供だって出来るんだ!
俺馬鹿にするな!
「ヴィ、ヴィンセント! だから魔力を込めないと……」
ゴッゴッ! と鈍い音を立てて、金色の剣は相手の体を何度も殴打する。
なんでだ!? 今までだったら普通に出来たのに、何であの光の刃が出ない!?
心の中で叫びながら、何度も剣を振り下ろした。
「もっ……やめ! あがぁ! 頼むっ……やめ、アァァ!」
そこら中から血を流し、涙ながらに魔族は叫び始めた。
こいつは何を言っているんだ? 相手戦争を挑んで来たんだ、初めから覚悟くらいあっただろうに。
「お前らが仕掛けて来たんだろ!? だったら最初から死ぬ覚悟くらいしておけよ! そんな風に言われると俺が悪役みたいじゃないか……なぁ、おい。 なんとか言えよ!」
そう言って振り上げた剣を前に、魔族は折れた片腕を持ち上げながら情けない嗚咽を漏らした。
「お願い……です、もう殺して……」
ほら、いつもの魔族みたいにお前もさっさと――
「いい加減にしろクソガキ」
剣を振り下ろすその前に、俺の頬を重い拳が打ち抜いた。
顎の骨と、歯が何本も砕ける鈍い音を初めて聞いた。
吹っ飛ばされ地面に転がってしばらくしてから、とんでもない激痛が襲ってくる。
「ヴィンセント!」
仲間の修道女が、叫び声を上げながら駆け寄ってきた。
痛い痛い痛い! もはや痛いと訴える事が出来ないくらいに痛い。
その激痛に、嗚咽を漏らしながら涙を垂れ流す事しか出来ない自分が余計に腹立たしい。
「おう、魔族さんよ。 お前らから殺し合い申し込んで来たんだ、有る程度は覚悟できてるんだろうが……悪かったな」
仲間に膝枕され、回復魔法を受けながら目の前で話している二人を見つめた。
「は、ははは。 人間とはやはり、野蛮な……生き物、ですね」
憎しみと痛みに顔を歪ませながら、魔族は銀鎧に向かって泣き叫ぶ。
対面に立つ彼は膝を落し、魔族を正面から見つめた。
「そうだな。 野蛮で馬鹿で、利口な奴も頭が良いくせに使いやがらねぇ、馬鹿ばっかりだよ」
意外な事に、彼は相手の言葉を否定しなかった。
勇者としての立場、人間としてのプライド。
そう言ったものがあれば、絶対に言い返す場面だろうに。
「でもよ、良いヤツもいるんだぜ? 素直で真っすぐで、でも自分の感情は押しとどめちまう馬鹿とかよ。 そう言うやつは、見ただけじゃわからねぇんだよ」
「それが、貴方だとでも言いたいんですか?」
血を吐きながらも険しい目を向ける魔族に対して、彼は笑って見せた。
「んな訳ねぇだろ。 俺は人一倍馬鹿だからよ、戦い方しか教えられねぇ。 バカ力の使い処も、娘がヤバくなったら本気出す、くらいにしか分からねぇ大馬鹿野郎だからさ」
「娘、ですか……」
地に伏せた魔族が、チラリと魔獣に全身を突っ込んでいる少女の方へと流れた。
彼女は嬉しそうな微笑みを浮かべたまま、完全に戦闘から興味を失っていた。
ただひたすらに巨大な柴犬をモフる彼女。
何を思ったのか、魔族はフッと笑ってから銀鎧に視線を戻す。
「そういう意味では変わらないのかもしれませんね。 魔族も、人間も。 私にも、心から仕えた王が居ますから。 少しだけ、気持ちは分かります」
「そうかよ、うれしい限りだ」
短い言葉を発しながら、彼は右の拳を構えた。
「今から対処しても遅いだろうから教えてあげます。 この国は包囲されていますよ、魔王様の軍勢によって。 そこの若い勇者を殺すために、全勢力を用いて。 当然貴方方“勇者”とゆかりの深い“魔王”本人も訪れます。 勝っても負けても、もしかしたらお互いに得があるかもしれませんね。 ウチの魔王様は、買った奴隷の為にこの国の“王”を打ち取ろうとしていますので」
「わかった、ありがとよ」
何を思ったのか、軍事情報を漏らす彼に対して銀鎧は短く優しい声で答える。
今の話が本当なら今すぐにでも動くべき状況だ。
魔族の息の根を止めて、すぐにでも――
「私は、天国という場所に行けるでしょうか? そうでなければ、輪廻転生というヤツが望ましいんですけど。 やはり魔族、悪魔と言われた私達では難しいんですかね?」
急に、男はそんな事をいいはじめた。
彼は何を言っているのだろう、悪魔と言えば地獄。
そう相場が決まっていると言ってしまえばそれまでだが、何故彼はそんな事を聞くのだろう。
「わっかんねぇ。 でもよ、俺みたいな馬鹿でもこっちに来れたんだ。 巡り巡って、また生まれ変わる事は出来るんじゃねぇか? 自分を殺すと地獄に落ちる、なんて言われてたのに……“自殺した”俺だってもう一回娘と会えたんだからよ」
今、彼は何といった?
「それなら、少しは安心ですね。 出来れば一思いにやってください。 さっきから陥没した頭が、割れそうなくらい痛いので」
「おうよ、介錯してやる」
そう言ってから魔族は両手の指を重ね、瞳を閉じた。
そんな彼に対して、構えていた右腕に力を入れる銀鎧。
おかしい、何かがおかしい。
俺が見て来た“こっちの世界”は、こんな感じじゃなかった。
もっと殺伐として、人間も魔族も殺し合うのが普通で。
だというのに、目の前のコレはなんだ?
まるで心を通わせたように、お互いがお互いを信じているかのような光景。
あり得ない。
二人は魔族と人間なのだ。
こんな光景、あり得ていいはずがない。
こんな事ができるなら、そもそも戦争なんて――
「先に行け、次は幸せにな」
銀鎧が右腕を振り下ろした。
瞬きもせず見ていた筈なのに、振り下ろした右腕が見えない程の速度で。
残ったのは振りぬいた真っ赤な右腕を黙ったまま見つめる銀鎧と、頭部が無くなった魔族。
こちらで言えば正常な光景、なのだが……
なんでこうも、もの悲しい風景の様に見えてしまうのか。
治療していた仲間もいつの間にか涙を流し、周りに集まって来た仲間も同じような状態だった。
「なんなんだよ……コレ、皆おかしいだろ。 俺が間違ってたみたいじゃないか」
そんな呟きは誰の耳にも届かない。
銀鎧は一人、泣いている様に空を見上げる。
その鎧の下に、己の感情を閉じ込めて。
足元に骸を横たえまま、ただ黙って静かに黙祷を捧げていた。
仮面の下に涙を隠し、輝き始めたばかりの月に照らされる銀鎧はどこまでも儚く、美しく思えた。




