チュートリアル、終わりました?
主力を失ったらしい相手は、大人しく後退していった。
どうやらこちらに乗り込んできた魔族。
彼が今回の隠し玉だったらしい。
今までにないくらいスピード解決、とんでもない速さの終戦となってしまった訳だ。
それもこれも、銀鎧を着た”彼”のお陰と言えるのだろうが。
しかしその彼も転移の魔法陣の”出口”に突入し、そのまま姿を消してしまった。
私が連れて帰る筈だった、クロエと共に。
「王子、どうしますか?」
王家直属の騎士たちが私に指示を請う。
分かっている。
この状況では王に報告するも、事態を動かすも、私次第なのだと。
そしてその命令はこの場に居る全員に向けられるモノだと分かっているからこそ、
私は軽々しく己の欲望を口にすることは出来なかった。
「全員……撤収だ。 今回の戦争は、私達の勝利だ……」
血が滲むほど拳を握りしめながら、私はそう言葉にするしかなかった。
クロエの友人だと言う二人から、鋭い視線を受けようとも。
私には他の言葉を選ぶ余裕など、今この時にはなかったのだ。
————
風が気持ちい。
肌に触れる草の感触を楽しみながら、僕は目を閉じていた。
「黒江! 起きろ黒江!」
あぁ、まるでこっちにきた最初の頃みたいだな。
そんな感想を胸に、思いっきり肺の中に新鮮な空気を送り込む。
自然だ、大自然だ。
異世界なのだ、蛮族と言われようとも森の中で暮らすのもいいかもしれない。
その方が平和っぽいし。
「あの……現実逃避もいいですけど、そろそろ目を開けません? いくら拒否しても、現実はネコさんを逃がしてくれませんよ?」
うるさい秋の虫……いいや聞えない、僕の耳に届くのは清々しい草木の——
「聞えますかぁぁ!? 朝ですよぉぉ!!」
「うっさいですよ筋肉馬鹿!! 少しくらい現実逃避させてください!」
耳元で大声を上げた馬鹿により、強制的に覚醒してしまった。
こんなのってないや。
っていうかココどこよ? また草原に転がっているんだけど。
なんで敵陣に突っ込もうとしたのに、どこぞの知らない平原に転がってるの僕達。
説明求む。
「まぁなんというか、お二人はもう少し魔法について説明しておくべきだったかなってラニは反省してます」
意味深な発言をしながらため息を溢すラニに対して、僕達は首を傾げた。
なんというか、こうなって当然だと言わんばかりな彼女の態度。
先ほどまでの行動、攻め込むという意味では間違ってなかった気がするんだが……
「異世界から来たお二人にはなんの事やらって感じでしょうが、転移の魔法陣の出口に乗る行為。 それはダンジョンなんかでいうランダムテレポートのトラップに自ら突入するようなモノです。 基本的に転移は一方通行、その逆は行先不明な上に術者の魔力量によって移動距離も異なる。 しかも今回は倒した魔族が残していった魔法の影響か……随分と遠くまで飛ばされてしまったみたいです……」
なにやら不穏な空気しか漂わない発言を残しながら、ラニが困り顔で周りを見回している。
それにならって立ち上がり、周囲に視線を向ければ……変わらずまた草原。
もうどこの景色も変わらないよ、どこにいっても草むらだよ。
ちょっと飽きてきた同じ様な景色を眺めながらため息を溢していると、隣に立っていた先生が急に走り始めた。
「え、ちょっとカラスさんどこへ……いくんですかーって、もう居ないし」
ラニの声も届くことなく、彼は走り去ってしまった。
何がしたいのか知らないが、ご飯の時間になったら戻ってくるだろう。
「あの、この非常事態にその扱いは如何なものかと……」
「まぁ今更追いかけても追いつきませんよ、大人しく待っているしかありません」
あぁ、やっと落ち着いて腰を下ろせる。
平和って素敵だ。
座っていても殺される心配がない。
「や、まぁ気持ちは分かりますけどね? まぁいいです、いったん休憩しましょうか。 暇つぶしとは言っては何ですが、ネコさんのお話をちょっと聞かせて欲しいなぁ、なんて」
そう言ってからラニは僕の肩に腰を下ろし、困った様に笑いながらこちらを見上げて来た。
なんかここ最近……という程日数が立ったわけではないが、彼女が肩に居るのが自然な感じになってきてしまっている。
たいして体重がある訳ではないので構わないが、何故この子は先生の方へ行かないのか。
そこだけは不思議だ。
僕の方が弱そうとか、すぐ死にそうとかいう理由だったら結構ショックだが。
「おおむねその通り……あ、いえ何でもないので振り上げた右手を元の位置に戻してから、生い立ちとか教えて欲しいなぁなんて。 あとカラスさんとの間柄とか」
ため息を一つ溢しながら振り上げた右腕を下ろし、先生の走り去った方角を眺めた。
未だ帰ってくる気配もなく、周囲には静かな空気がだけが漂っている。
ならまあ、別にいいか。
「別に聞いて楽しい話ではありませんよ、僕にとって彼が”育ての親”になる経緯なんて。 それに楽しいお話が出来るほど、僕は人生勝ち組ではありませんので」
「それでも聞きたいです、ネコさんの事ですから。 本当に嫌なら、話さなくて構いませんが」
そういう言い方ってずるいと思います。
しかもこんなトラブルの連続の後で、大抵側に居てくれた人物から言われたりしたら、人間口が軽くなるってものでしょうに。
ということで、まぁ少しくらい話してもいいだろう。
どうせ先生が返ってくるまで暇な訳ですからね。
「自分語りをするのは得意ではありませんので手短に話しますね。 小学生の時でしたかね、おつかいに出かけたんです。 当時飼っていた犬のペットフードと、ついでに自身のおやつを買ってきていいって言われて、”私”は一人で出かけました」
別になんて事ない出来事だった。
いつも通り、普段通りの日常。
「愛犬のお気に入りのご飯を買って、”私”の好きだったお菓子も買って。 意気揚々と自宅に戻りました。 ちゃんとできた、褒めてもらえるって。 そう思いながら自宅に帰った時、違和感を覚えました」
「違和感?」
「とてつもなく寒かったんですよ、家の中が。 そして静かでした、生き物の息吹がまるで感じられない程に」
肩に乗ったラニが悲惨な表情を浮かべながら、話の続きを待っている。
これだけ聞けば、たしかに悲惨な末路の一つでも思い浮かべるのだろう。
だけど、実際は違った。
あっちの世界では、人は軽々しく”死ねない”のだ。
「家の中には誰も居ませんでした。 さっきまでそこに居たという生活感はあるものの、金銭の類と防災グッズだけが無くなっていて、両親は姿を消しました。 警察の調べによれば夜逃げの類だろうと言う話です。 誰かが侵入した形跡もなかったので」
要は捨てられたのだ。
ただそれだけ、珍しい話じゃない。
”私”という存在が、二人にとっては重荷だったのだろう。
だからこそ”私”を置いて二人は姿を消した、誰も居ない家だけを残して。
「そこから行方不明の扱いになった両親の捜索は続きましたが、結局時間ばかりが過ぎて進展はありませんでした。 お金も残されていなかったので、一人で生きていくことも出来ず”私”は親戚の元に預けられた訳だったんですが……」
「そこで何か問題があったんですか?」
「問題と言えば問題ですかね。 まさに厄介者って扱いを受けて、ご飯もろくに食べさせて貰えなかったですから」
「いや悲惨すぎでしょうネコさんの人生」
まぁそれくらいなら悲惨な人生だーって嘆くくらいで済んだのだろうが、問題はその後だった。
親戚人が集まる席で、私の行く末が話し合われた。
誰もいい顔をしない中、当時一番若かったのではないかと思われる一人が声を上げた。
『ガリガリじゃねぇかお前! 肉食いに行くぞ!』
そう言って肩に担がれたのが、初めてのお米様抱っこだったと思う。
「うんまぁ、その回想だけで誰かはわかりました。」
「まぁそういうことです。 手続きとかその他諸々は僕にぶん投げられましたけど、何だかんだ育ててもらった間柄って感じですかね」
そんなこんなで彼とずっと一緒に居る訳だが、お陰で色々と弊害もあった訳だ。
何たって体育とか運動会とか、そして喧嘩とかで同い年の男の子に負けたこと無いし。
「最後のはちょっとどうかと思いますけど、まぁ大体理解しました。 そういう生活だったからこそ”僕”であり、それ以前とか弱った時は”私”なんですか?」
「ん? どういうことですか?」
「あれ? 気づいてない系ですか? ネコさんってそんな繊細な人でしたっけ?」
すっごい馬鹿にされた気がする、何この秋の虫そろそろ叩いてやろうか。
なんて目を細めたあたりで、遠方から土埃を立てた何かが近づいて来た。
もはや確認するのも面倒臭い、間違いなく彼だろう。
今度は何してきたのか、それとも何か拾ってきたのか。
食事の時間になる前に帰ってきたことだけは褒めてやろう。
「黒江! これ見ろ! すげぇぞ!」
目の間に到着したばかりだというのに、息切れ一つせずに興奮気味な言葉を漏らす先生。
なにやら拾って来たらしい物を肩から降ろし、地面にも降ろさず正面に掲げる。
「えっと……カラスさん。 どこで拾ってきたんですか……?」
「そこの森の入り口に落ちてたから拾ってきた!」
彼に両脇を支えられブラリと垂れ下がる少女、ソレをラニが恐る恐る指さしている。
そりゃそうだ、こんなの人攫いだ。
やばいだろう、絶対やばい。
もう彼の身分証明書にも犯罪歴が記録されてしまったのだろうか……
「ほら黒江! 見ろって! 耳!」
「あぁはいはい、見ればいいんですね? 攫ってきたその人を、見た目から考えて結構な身代金が……え? は?」
「気づいたか?」
「先生、この子……耳長いです」
そう、長いのだ。
尖っているとかそう言うレベルではなく、長いのだ。
これってあれだよね、ファンタジーでいうあの生物だよね?
「エルフだぁぁ! すごい! ついにファンタジー! 先生すごい!」
「夢みたいだけど、夢じゃなかったぁ! エルフ! 貴女、エルフっていうのね!?」
「ちょ、二人とも落ち着いて……魔獣とか散々見たじゃないですか……」
「「 エルフは別腹 」」
「そっすか……妖精は別腹じゃなかったんですね」
やけに悲しそうなラニをよそに、確保したエルフをぶん回しながら二人で馬鹿にみたいに喜んだ。
だってエルフだよ、異世界に行ったら出会ってみたい存在ナンバーワンな上に、ヒロインになる確率超上位な存在ですよ。
結構幼いのでヒロイン力はちょっと低いのかもしれないが、話に聞いていた通りとんでもない美人さんだ。
そして銀髪、スレンダー。
気を失っているのか失わせたのかわからないが、今は目を閉じたまま先生に振り回されている。
「とにかく、近くの街まで行きましょう? その方も結構弱っているみたいですし、あんまわり振り回していると死んじゃうかもしれませんよ?」
僕達をどうにか宥めようと、ラニが困り顔で飛び回っている。
確かにその通りだ。
いつまでもエルフ捕獲を喜んでもいられない、僕らには今日の宿が無いのだ。
「ラニ、一番近くの宿……いえ、街まで案内してください。 一刻も早く彼女を休ませる必要があります」
「あと飯な、飯が旨い所が良い。 しかも量が多い所」
「お二人とも欲望がダダ漏れですねぇ……まぁいいですけど。 行きましょうか、はいはいこっちですよー」
どこか投げやり気味なラニに続き、僕達は歩きだした。
振り出しに戻った、といえば聞こえは悪いかもしれないが僕にとっては好機であることに間違いない。
今までは奴隷人生まっしぐらだったところを、改めて異世界生活がリスタートなのだ。
奴隷の首輪とやらがやたら高性能だったり、門番がいちいち調べたりしないかぎりは多分大丈夫だろう。
ここからだ、ここから僕の異世界生活は始まるのだ。
というかそう思わなきゃやっていられない。
なんだよチュートリアルで奴隷落ちする物語とか、絶対馬鹿だろ。
そんな事を脳内でぶつくさ呟きながら、僕達は一番近くの街へと歩き始めたのであった。