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 翌日、エフィは思いのほかすっきりと目覚めることができた。

 カーテンの向こう側がうっすらと明るい。教会で働いていた時と同様に、日の出の少し前の時刻だ。


 エフィはベッドから降りて、続き間の扉を開けた。昨日の夜のうちに確認しているが、そこは洗面室だ。洗面台だけではなく、浴槽も備え付けてあった。

 さすが大都市なだけあって、水道設備が整っている。蛇口をひねれば水も湯も出た。

 顔を洗って、着替えるためにクローゼットを開ける。服はそこにあるから、とヘルミーナから聞いている。

 クローゼットには、見習い修道女に支給するには少々高級なワンピースしか用意されていない。デザインはシンプルなものだが、素材は柔らかな絹だった。手に取ればしっとりとなじむ。


 これを着るべきなのだろうか。

 手に取ったまま固まっていると、続き間の扉とは逆の扉からヘルミーナが入ってきた。まさかそんな所に扉があるとは思わず、エフィは目を瞬かせる。使用人の控えの間に続く扉で、扉には壁紙と同様の装飾が施されていた。


「おはようございます」


 修道服を身に着け、ベールもしっかり被ったヘルミーナが人当たりのいい笑みであいさつをした。昨日は気づかなかったが、目じりにしわがうっすらと浮かぶ。

 とは言ってもまだ若い。四十前後だろう。エフィが世話になった修道女はもっとしわがあって六十台くらいだったろうから、昨日は本当に失礼な思い違いをした。


「少々早いかとも思いましたが、お目覚めのようでしたので」

「ちょうどよかった。これ以外の服ってありませんか?」


 エフィはヘルミーナに、手に持った服を見せる。


「ございません。まずはお着替えください。そして御髪を整えましょう」


 エフィは言われるままに着替えた。若草色のワンピースはふんわりとしており、足首まであった。肌にしっとりとなじむ手触りだ。


「よくお似合いでございます。その服を選んだのは私なんですよ」


 ヘルミーナは嬉しそうに鏡台の前にエフィを座らせた。楽しそうにブラシを通し、手早く髪を編んで後ろにまとめる。

 それだけでは終わらなかった。ヘルミーナはメイクボックスを鏡台に広げた。


「これって見習い侍女の待遇じゃありませんよね?」


 薄く化粧を乗せられながら、エフィはヘルミーナに聞く。


「エフィ様の身なりを整えるように仰せつかっておりますので」

「誰に?」


 まさか、ルーウィットではあるまい。なんとなくのイメージだが、そこまで気の回る人ではない。


「ここでは名前を申し上げられない方ですわ。仮にラクウィさまとしておきましょう」


 ランディ・クルス・ウィードか。確かに、彼だったら言いそうではある。王太子だけあって、気の使い方が人一倍優れている。


「出来上がりましたわ」


 鏡の向こうには、どこの令嬢かと思うような清楚な少女が映っていた。なんだかこそばゆい。


「手も少々荒れていますね」


 そう言ってヘルミーナはエフィの手にクリームをたっぷりつけて手入れし始めた。


「教会の維持は私がしてましたから」


 聖女といえど、掃除や洗濯が免除されるわけがない。一人前の修道女として認められ、最初の赴任地として赴いたのは、常駐の助祭すらいない地方教会だった。

 掃除、洗濯、食事の準備、そして運営までエフィが一人で切り盛りをしていた。エフィがやらないで誰がやるというのだ。


「聖女と認められたのに、地方へ赴任希望だされていたのだとお聞きしております」

「聖職者が合法的に稼ごうと思ったら、地方に行くしかないでしょ?」


 一応賃金が支給される仕組みになっているが修道女に支払われる額は微々たるものだ。

 しかも地方では、中央の援助がなくなる。教会の維持を自分たちでしなくてはいけない。そのため、副業を持つことを許されている。寄付金以外の手段で金銭を得ることを許されていた。

 だから複製(レプリカ)フラウリカで稼ぐことにした。


 そもそもエフィがこんな回りくどいことをしなくてはいけない理由に孤児だということがある。身元を保証する両親がいないため、就ける職業が限られているのだ。


「孤児って、それだけで不利なんです」


 今まで身に降りかかってきたことがエフィの中をよぎる。

 今回の聖女解任も、エフィの身元がしっかりしていれば、なかったかもしれないことだ。弁護人をたてることもできたが、後ろ盾のないエフィは孤独で裁判に挑まなくてはいけなかった。死刑を免れるのがやっとだった。


「今のエフィ様はかの聖女様に似ていらっしゃるかもしれませんが別人です。今はしっかりと後ろ盾もございます」

「後ろ盾?」

「はい。昨日少し会われたかと。アーク・ヴィーヴィス様です。こちらのお屋敷はヴィーヴィス様のものですよ」


 ヘルミーナは親切で言ったのだろう。だがエフィとしては聞きたくなかった。まさかエフィの知らないところでそんな話になっていたなんて。


「エフィ様はアーク様の娘として、本日教会の魔力審査を受けてもらいます」

「私がヴィーヴィスさんの娘?」

「はい。アーク様にはもともと娘がおりますので、不自然なことなく審査を受けられるかと」


 つまり、彼女はこういっているのだ。エフィに、エイシャに成り代われと。

 今まで、それを避けたくてエイシャの家族を探そうとしなかったのに、ここにきて接触してしまうなど不本意だった。


「本当の娘は十二年前に行方不明だと聞いています」

「ええ。ですから、本来なら十六の成人の儀の時に時に受ける魔力審査を受けていなくてもおかしくはございません」

「本人が帰ってきたらどうするんですか? 自分がいる場所に他人がいたら、ショックを受けはずです」

「エイシャお嬢様は、受け入れてくださいますよ」


 エフィの手をマッサージしながら、ヘルミーナは目じりを下げた。深いグレーの彼女の目が、一瞬揺らいで、別の色に見えた。それが誰かを思い出させる。


「さあ、終わりましたわ。食堂へ案内いたしますね」


 いったい誰なのか、記憶をたどろうとしたエフィにヘルミーナは声をかける。エフィは慌てて椅子から立ち上がった。


 ヘルミーナについて歩く屋敷は、想像以上に広かった。明らかに貴族の屋敷だ。廊下に吊られた小ぶりなシャンデリアに、壁にかかっている絵画、花が生けられている花瓶。どれ一つとっても高級な素材が使われている。

 足が沈むほど毛の長い絨毯が敷かれた廊下を歩き、一階まで降りたらまた廊下を歩く。構造自体は複雑ではないが、維持のことを考えると気が遠くなりそうだった。


 食堂まで来ると、ドアマンが待っていてヘルミーナから引き継がれる。エフィは食堂の中へと通された。

 いったい何人の人間が着けるのだろうという大きなテーブルには、アークが先に待っていた。白髪交じりの茶色い髪に、灰色がかった緑の目には柔和な光が宿っている。


「早かったね。昨日の夜は部屋で食べたみたいだけど、今朝は大丈夫なのかい?」


 おっとりとした口調でアークは尋ねた。

 エフィは頬がこわばるのを必死で抑える。給仕が椅子を引き、エフィは席に着いた。

 ゆっくりと深呼吸をする。大丈夫。ばれはしない。誰もエフィがエイシャの体を使っているなんて思いもしない。そう言い聞かせる。


「昨日はいきなり倒れてしまってすみません」


 まずは謝罪をする。

 アークはしわの深い口元に笑みを浮かべた。


「いや、いいんだよ。長旅で疲れてしまっていたんだろう。使用人への君の紹介は後程するとして、まずは朝食を食べようじゃないか」


 給仕に合図を送り、朝食を運ばせる。

 テーブルにはアークの他にはエフィしかついていない。


「あの……奥様は?」

「妻? ああ、妻は……うん、ちょっと用事があってね」


 アークは自分歯切れの悪い返事をした。

 それ以上話を進められるわけもなく、エフィは視線をテーブルに落とす。


 食器とナイフやフォークが並べられているテーブルを見て、思った以上に仰々しい朝食で、エフィの思考が硬直する。貴族の食事マナーなど知らない。わずかに残っているエイシャの記憶にも、マナーを習った形跡はなかった。


「ああ。緊張しなくていいよ。今はまだマナーも一切気にしなくていい。私もいまだに貴族流というのがよくわかっていなくてね」


 運ばれてきたのはパンにハムエッグ、サラダ、そしてスープだった。


「昨日の夕食もそれほど食べなかったと聞いてね。朝から多くは食べられないだろう。もちろんお替りはいくらでもしていい」


 そう言ってアークは器用にハムと目玉焼きを切り分けながら言う。

 エフィは見様見真似で何とか朝食を片付けた。


「それで、今後の予定だけど……まずは応接間に移動しようか。屋敷内の説明をしながら必要なことを話すよ。といっても、私もここに来たばかりでよくわかっていないのだけど」

「どういうことですか?」


 アークの後についていきながら、エフィは聞く。


「まず、私はもともとは貴族ではない。仕事柄貴族と話す機会は多いが」


 会話の間に入る、アークの各部屋の説明は割とおおざっぱだった。結果的によくわからない部屋、というのが多かった。本当に最近ここに来たばかりなのだろう。


「王太子様とはルウを通じて知り合ったのだけどね、黒の聖女の裁判が行われることが決まってから向こうから接触があった」


 最後に案内された応接間に、エフィは入る。かけるように言われてソファに腰を下ろす。裁判所にあったソファよりもずっと高級だ。


「戸籍のない女性を娘として迎え入れてくれないかという話だった」

「私には戸籍がちゃんとありますが」


 といっても生まれた時からある戸籍ではない。孤児として教会に引き取られ、ある程度時間を経てから取得したものだ。


「そう、今の君にはね。王太子が計画していたのはこうだ。死刑判決の出た黒の聖女は死刑前に自殺、そして死んだはずの聖女に似ている女性が私たちの娘として帰ってくる、と。黒の聖女は死んだから、彼女に似た誰かは戸籍を持っていないだろ? ところが土壇場で黒の聖女は死刑を免れてしまった」


 アークの話に、エフィはああと納得する。そして、自ら死刑を避けることができてよかったと思った。もし死刑が確定し、王太子に助けてもらっていたら今回の仕事に関しては報酬が発生しなかった。王太子から恩を売りつけられず、よかったと安堵する。


「死刑を逃れたところで、聖女の資格をはく奪され王太子の婚約者の立場もなくなったから計画は続行ということになった。堕ちた聖女では王太子の婚約者は務まらないからね。新しく聖女認定された女性は貴族で、それに対抗するため急遽私が男爵に叙せられたというわけだ。この屋敷も使用人たちもランディ様の息がかかっている者たちだ」

「もともとの貴族に任せることはできなかったんですか?」

「裏切り者がどこにいるかもわからないし、中途半端な貴族では向こうに取り込まれてしまうから。何より突然娘が現れてもおかしくないのは、私くらいだから」


 養子にするにしても、もともとの身分や保護者がはっきりしていないと貴族院の許可が下りないという。


「ここを家だと思うのはすぐには無理かもしれないが、私は君を本当の娘だと思うよ」


 アークはにっこりと笑った。どことなく、ヘルミーナに似ている笑みだった。


「私がエイシャさんの居場所を奪うわけにはいきません」

「君が私と話すとき、悲しそうな目をするのはエイシャを気遣ってくれるからなんだね。その気持ちだけで十分だ。もし本物のエイシャが帰ってきたとしても、きっと何とかなる。とりあえず、最初の予定通り今日は教会の魔力測定に行こう」


 アークから差し出された手に、エフィは自分の手を重ねることはできなかった。


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