6
「車を貸していただいて、ありがとうございます。おかげで長距離を歩かずに済みました」
一度は去ったにもかかわらず、戻ってきて丁寧にお辞儀をした少女は、正直に言えば美しかった。
ただ、髪色と瞳の色が異様なだけだ。それすらも、神秘といわれれば納得してしまうだけの力はあった。
兄たちはまだ納得いってなかったようだが、スーは彼女を信じてもいいのではないかと思っていた。胸元の銀色の花をなんだか、誇らしく思う。
花からは、あの少女と同じ香りが漂ってきていた。甘く、そして清々しい香りだ。
「あとどれくらいこうしていればいいんだ……」
三男のドライがポツリと漏らす。銃を構えた態勢でかれこれ三十分は立っている。同じ態勢をとっていても不思議と疲れは出てこない。
「やっぱり、ただの農家の息子に人の命を奪うなんて、大役すぎたよな」
そうこぼしたのは次男のアルだ。
「お前たちがそんな風だから、あの女を逃がしたんじゃないか!」
長男のアインだけが一人怒りを燃え上がらせている。責任感が強いせいか、今回のことをどうしても成し遂げなくてはいけないと思っているようだった。
偽の聖女が、女神の力を弱らせていると聞いたから。そしてあの女を殺せば、女神の力が戻ると教えられた。
実際、スーには女神の声が聞こえるという能力があったが、ここ十二年ほど聞いていなかった。
能力には年とともに消えるものもあると聞いていたから、その類かもしれないと思っていたが、もしかすると女神の力が弱まっていたからかもしれない。そう考え、魔女を殺すことに手を貸した。
庶民では決して手に入れることのできない車を与えられ、本来なら一生目にすることもなかった銃を与えられ、人を殺す方法を教え込まれた。
自分たちでは準備万端だったつもりだが、相手の方が一枚も二枚も上手だった。スーたちは返り討ちにあった。
スーたちは魔女を殺そうとしたはずだった。それなのに、相手はスーたちを殺そうとはせず生かしておいている。
「もしかして、彼女は悪い人じゃないんじゃないかなあ」
スーはのんきなことを言った。途端に兄たちが怒り出す。
「お前が! あんな願いをするから!」
「でも、兄さんだって気になるでしょ? もしこの花が咲いて、そこに種がついて、それが村にとってとても大切な作物になるなら、あの人が魔女だろうが聖女だろうが別にどうでもいいんじゃないかって」
兄たちは押し黙る。たとえ五パーセントの手数料を取られたとしても、売り上げの五パーセントだ。村人が消費する分は販売ではなく物々交換が多いから、販売が行われるとすれば外部に向けてだけ。今の村の状態だと村人分を賄うのもやっとだから、余剰が出るというだけでおいしい。
悪魔のささやきだったとしても、望むところだ。
「それに、俺にはあの人が悪い人には見えなかった」
そもそも相手が魔女であろうと、人殺しを持ち掛けてくるのは教会としておかしい。もっと早くに気づくべきだった。
人殺しにならなかっただけでも感謝するべきだった。
「そうだな。スーが言うんならそうだろうな。がめついだけで悪い奴ではないんだろう」
「兄貴、わかってくれてありがとう」
スーは、女神の声が聞こえることを誰かに言ったことはない。女神に口止めをされている。人は特殊なものを弾こうとする傾向にあるから。けれど、どうしても隠し切れないときがある。兄たちはきっとうすうす気づいてくれているのだろう。
だから、最終的にはスーを信じてくれる。
「そもそもこの依頼を受けたのが間違いだったんだ。女神の役に立てると勇んだのが失敗だった」
「兄貴、まだ十分やり直せるよ」
「いや、もう無理だ」
震えた声で、アインが言った。アインははるか前方を見ている。そこには、白いローブをまとい、仮面をつけた男が立っていた。
スーたちに魔女の暗殺を依頼し、技術を身に着けさせた男だ。
「失敗には死を」
声が届くはずのない距離なのに、はっきりと耳元で聞こえた。
白いローブから、光の剣が何本も生み出された。
きっと、依頼に成功しても口封じのために殺されただろう。スーは何となくそう思った。
だとしたら、本当に彼女を殺さないでよかった。彼女からもらった花の行く末を確かめることができないのは悲しいが、死んだ両親に対して顔向けできないことをせずに済んでよかった。
スーは穏やかな気持ちで、向かってくる刃を見ている。
あと少しで刃が届くと思った瞬間、地面が金色に光り、植物の壁がスーたちを囲んだ。スーたちを中心にして、黒髪の少女が車をありがとうと礼をしたあたりを半径に、綺麗な魔法陣が浮かんでいる。幾本も放たれた光の刃が、植物の壁に当たっては散っていく。
彼女は、依頼主が口封じに来ることまで知っていたのだ。
やっぱり、スーの直感は間違いではなかった。
名前すら聞けなかったが、彼女を信じたのは正解だった。
そういえば、とスーは思い出す。彼女の声は女神の声ととても似ていたな、と。
*
甘いくせに清々しい香りが車の中に漂っていた。
きつい香りではない。気を抜けば意識の外に追いやられるほど、わずかな香り。けれど確実に心地よくなる香りは、エフィから香ってきていた。
意識しなければ気にならないのに意識すれば気になってしまう。
ルーウィットは振り払うように首を動かし、ハンドルに集中した。
刺客たちから借りた車に乗って驚いたのは、いろいろと改造されているという点だった。
主原動力は液化魔力だが、同時にハンドルから魔力を送り、本来のスピードを超える速さを出せる。道理で追い越す勢いでついてきたわけだ、とルーウィットは感心する。
刺客たちが所持していた武器と合わせると、かなり証拠能力の高い品となるだろう。初めは借りるのを断ったが、結局借りることにしたわけは、この改造魔道自動車に黒幕につながる手掛かりがあるからだ。
黒幕を捕らえ、王太子の婚約者候補として挙がっている新聖女とのつながりを突きつければ、婚約は破談にできる。
再び戦争で世界を恐怖に陥れたい一派を一掃できるのは、ルーウィットとしても望ましいことだった。
だが奴らも、一筋縄ではいかない。数人候補いるうちのだれが真の黒幕かを見極めなければ、返り討ちに会うのはこちらだ。それまではエフィは命を狙われ続けるかもしれないが、耐えてもらうしかなかった。
バックミラー越しに確認すると、彼女は興奮したように椅子の座り心地や壁紙、天井の優美さを褒めたたえている。審美眼も確かなようだ。
せめて、この金に執着する姿を見せなければまだましなのだが、無理なようだ。
けれど儲けた金を何かにつぎ込んでいるようには見えない。美しくはあるが、髪も肌も特別手入れされているわけでもないし、華美な服を購入しているわけでも、宝飾を買いあさるでもない。
唯一、香水か何かをつけている可能性もあるが、香水瓶が見つかったという話も聞かないし、香木もなかった。
捜査官は言っていた。偽りのフラウリカで儲けたお金は貯蓄されており、使った痕跡はほぼないと。
裁判では死者をよみがえらせたいなどという狂人めいたことを言っていたが、単純に金そのものに囲まれているのが幸せなタイプなのではないかと勘繰ってしまう。
実際、教会の上層部にもそういう人間はいる。使い道はないし、使う気もないのにため込んでいるのだ。
ため込むぐらいならいっそのこと派手に使って経済を回してくれ、と思うのだが。
教会都市フローリアへの道のりを半分あたり来たところで、ルーウィットはあることを思い出した。いや、思い出したと言うよりは、巨大な魔力のうねりを感じて答え合わせをしたくなった。
「エフィ、最後に何かやっただろう?」
肩越しに問いかける。最後、とは車に乗り込む前にエフィが一度離れた時のことを言っている。
「あ。気づきました?」
猫のように目細め、エフィはにっこりと笑った。光さえも吸い込むような真っ黒な髪に、真っ黒な目は不思議なほど人の心を惹きつける。
人は時にそれを聖女といい、魔女と呼ぶこともある。
「隠すつもりもなかったのに、魔力の流れに気づかないはずがあるか」
油断すると、取り込まれてしまいそうになる。彼女は、おそらく独自の世界観を持ち、女神を崇めてはいない。女神の信徒であるルーウィットはそれを認めることができない。
できることならかかわりあいたくない相手だが、戦争を避けるには供にいなくてはならない。
「私の暗殺に失敗したということは、始末される恐れもありますからね。攻撃の魔法を食らった場合、防衛できるように仕掛けをしておきました」
そして今、それはうまく発動したようだ。
「あとは無事、教会の信用できる方たちに保護してもらうだけです」
規格外の魔力を持ち、うまく使いこなせるのに、なぜ彼女は職種として修道女を選んだのだ。得られる賃金などないに等しい。
他の職業を選んでいれば聖女として見いだされることもなく、願い花の販売で身分をはく奪されることもなく、命を危険にさらされることもなかった。うまくいけば、大金を稼ぐことだってできた。
まったくもって、ルーウィットには理解しがたかった。
「君のことだがら、金を積まないと守らないのかと思っていた」
「私は守銭奴であると同時に、慈悲深い聖女でもあるんですよ。誰かの命が奪われるのを黙って見過ごすわけないじゃないですか」
答えだけ聞けば、聖女としては完璧だ。
いっそのこと、聖女らしさを全く見せなければ扱いやすいのに。
しばらくの間、エフィとともに行動しなければいけないと考えると、ルーウィットの気が重い。
甘く、心地よい香りがいつまでもルーウィットにまとわりついていた。




