5
「問題、ですか?」
首をかしげ、エフィは何が問題なのか考える。
何気なく見た先に、横転したルーウィットの車を見つけた。
「もしかして、車ですか?」
どう見ても二人がかりで戻せるような重さではない。
「こんなこともできますけど」
エフィは車の近くに生えていた草に触れる。草はするすると伸びて、車を持ち上げた。そして器用にひっくり返す。
エフィは得意満面の笑みで、ルーウィットを見た。
ルーウィットは呆れたようにため息をこぼす。
「さすがだな」
「もちろん……」
「追加料金がかかるんだろ? なんでその力を純粋な人助けに使わないんだ? 第三級聖女じゃなく、もっと上も目指せただろう」
刺客を捕らえたのもそうだが、植物を思いのまま成長させるのは実は規格外の能力だ。ルーウィットが言っているのは、エフィの能力も使い方によっては奇跡と呼べるレベルまで高められたということだ。
「ちゃんと聖女の力で人々を救ってきましたよ」
「悪魔の力の癖に」
植物にとらえられたままの刺客がぼそりと漏らした。
「黒髪に黒目なんて、どう考えても女神から見捨てられているとしか思えん。それなのに強力な魔力を持っているのなら、悪魔の力だろ」
ぐっと睨みながら刺客は言う。その視線に込められる感情をエフィは知っている。憎悪だ。エフィが彼に何かをしたわけではない。ただ存在するというだけで憎しみを向ける対象になるのだ。
てっきり金を積まれてエフィの暗殺を請け負ったのだと思っていたが、どうやら彼なりの信念に基づいての行動のようだ。それではなおのこと、依頼者について口を割ることはないだろう。
「色薄原理主義者のようだな。だが女神の教えはすべてのものに対し平等であれとしている。見た目も生まれも育ちも関係なく」
冷めた目でルーウィットは刺客たちを見る。
それに対し、エフィはあたたかな視線を刺客たちに向けた。絶対に分かり合えない者たちというものは、少なからず存在する。わかってもらう労力を底に割こうとは思わない。そして、分かり合えないと思っているからこそ、優しくできる。
「私を悪魔の使者と思えるほど、皆さんが信心深くてうれしく思います。その思いはきっと女神フィーリルフィアに届くでしょう」
そう言いながら、手の中に生み出した一輪の花を彼らの胸元に挿していく。まだ固い蕾だが、もう少しで花開きそうだ。
「あなた方の願いが、叶いますように」
エフィの力を込めた願い花だ。今回は特別に土に植えなくても成長する魔法をかけてある。咲けば、銀色の花弁を見ることができるだろう。もちろん、いやがらせだ。
刺客の一人がエフィに殴りかかろうとしたが、草が捕らえているのでびくともしない。
「こいつらはこのまま放っておいても大丈夫そうだな」
この状態では襲ってくることはできないと判断したルーウィットは車の様子を確認しに行った。
刺客たちは、身をよじって胸元の花を落とそうとしている。そう簡単に落ちることはない。
「司教様は行ってしまわれたのだから、願い事を言ってみてはどう? 諦めていた願いの一つや二つ、あるでしょう?」
先ほどまでは怖がっていたエフィも、相手が拘束された今、強気に出る。
「悪魔の花などに、頼るわけないだろう!」
「さっさとこの花をよけろ! 魔女め!」
「お前の悪しき行動こそ、女神が見ているだろう。今に天罰が下るぞ」
三人がわめく中、一人の男だけが胸元の花を真剣に見ていた。その様子に、エフィはにっこりと笑う。
「ええ。女神は私の行いを把握しているでしょう。一挙手一投足、それこそ、心のうちまでしっかりと見通しています。女神より下される天罰であれば、喜んでお受けしましょう」
微笑みを維持しながら、エフィは視線をさまよわせている刺客の一人に近づいた。これといって特徴のない男だ。だがよく見ればどういった暮らしを送っているのかある程度想像できる。短い髪によく日に焼けた顔。掌がごつごつとしており、豆ができている。筋肉もしっかりとついており、肉体労働をしていることがよくわかる。
「あなたの願いは、何ですか?」
「おい! スー! そいつの言葉に耳を傾けるな」
仲間の一人が何かに気が付いたように叫ぶ。スーと呼ばれた男も初めは拒絶するように目をそらしていたが、やがてエフィに顔を向けた。
「どんな願いも叶えてくれるのか?」
「ええ。どんな願いでも……と言いたいところですが、さすがにそこまでは。ですができるだけご希望には沿いますよ」
「スー! やめろ。悪魔のささやきに耳を貸すな」
「たとえ悪魔であっても、叶えてもらいたい願いがあるのでしょう?」
願いを持たない人間などいないのだから。エフィは聖女であった時のように柔和な笑みを浮かべ、スーを見た。
「村が……」
「村?」
「俺たちの住む村は貧乏だ。畑の作物は実入りがよくない。よほど天候が良くないと、収穫した食物は一年、村人を養えない。あんたがかつていた村は、春だけとはいえ薬草が収穫できて、それで辺境の村にしては潤っていたよな? あれはあんたの仕業なんだろ? 植物を操る能力があるなら、俺たちにもその恩恵を分けてくれ!」
スーの目を見ながら、エフィは聖女として過ごした村のことを思い出した。確かにあの村は、エフィが赴任してから薬草の育ちがよくなった。だが、もともと薬草が生える村で、エフィはただ薬草の手入れの仕方を教えただけだ。そのおかげで、外に向けて販売できるほどになった。
「スー! やめるんだ!」
「だが兄貴、たとえ今回の件で報酬をもらっても、金はすぐに尽きる。一時は潤っても、また貧乏に逆戻りだ」
眉間にしわを寄せ、スーは訴えた。他の三人が、唇をかみしめながら顔を見合わせる。
「それを理解しているだけでも素晴らしいわ。貧乏なのを克服するのは、一時的な金銭じゃダメなの。これから先、継続的に得られるものじゃないと。だから、いいことを教えてあげる」
いったん言葉を切り、エフィはすーを上目遣いで見た。たとえ悪魔の囁きといえど、無視できない魅惑がそこにはある。
「食物の収穫量を上げたいのなら肥料を改良することね。作物と肥料の相性がばっちり合えば、収穫量が倍以上に跳ね上がるから。初めのうちはむやみに畑の大きさは増やさないこと。人手がかかるだけで、効率が悪いでしょうから。肥料の改良については、王都の農産物研究所に協力を求めるといいわ。気候と植物を絡めて、いくつかのくみあわせを教えてくれるから」
「……それは結局、あんたが願いを叶えてくれるんじゃなく、俺たちが自分たちの力でどうにかするということじゃないか!」
兄貴と呼ばれた刺客は噛みつくように叫んだ。感情をあらわにするさまはプロの殺し屋には見えない。
エフィたちを狙っている時に殺気を隠しきれなかったり、せっかくとどめを刺せそうなときに車からわざわざ降りてきたり、動きが素人のようだと思っていたが、実際そうなのだろう。
プロを雇うのではなく女神の信者を使おうと思ったのは、エフィが聖女の資格をとうに失っているということを突きつけるためか。
「そうよ、自分でどうにかするの。女神が常に助けてくれるなんて、大間違い。奇跡を起こすのは、いつだって人間の方だから。それに、自分たちの力で何かを成し遂げたほうが今後生きていくうえで自信という糧になるわ」
そう笑って、エフィは願い花に指で軽く触れた。
「きっとこの花が咲いた時、あなたたちの村でよく育つ作物の種ができるでしょう。私ができるのはここまで。これを枯らすのも育て上げるのもあなたたち次第」
「あんたは金に汚い修道女だと聞いた。貧困にあえぐ者たちからでさえ、偽物のフラウリカの代償を得ていたと。この花の対価だって得るつもりだろう?」
兄貴は今にもかみつきそうな目でエフィに食い掛る。
エフィのことをよくわかっている。エフィは思わずくすりと笑みをこぼした。
「そうね。その種を植えて作物が実ったなら、その作物の売り上げの五パーセントを上納金としてもらおうかしら。今年だけじゃなく、この種の作物が取れる限りはずっと」
「冗談のつもりか? たった五パーセントだぞ?」
「あら、本気よ。私はこの計画がうまくいくと思っているもの。きっと国内でも有名な作物になるわ。私自身は何も苦労せず、売り上げをもらえるなんて、おいしいじゃない?」
「守銭奴め」
兄貴は唸るように言った。いつの間にか、悪魔に魂を売りつけた魔女から格下げになっている。だがそれが、交渉が成立した言葉でもあった。エフィは笑いながら告げる。
「偽の女神の花を売りつけて聖女の称号をはく奪された身ですから」
車の扉が閉まる音が響いた。思った以上に大きな音に、エフィは視線をそちらに向ける。
服や顔に煤をつけたルウが戻ってきた。その表情は険しい。
眉間にしわを寄せ、足元をみていたルーウィットは視線を上げる。眉間のしわがさらに深くなった。思った以上にエフィが刺客たちに近づいていて、不審に思っている顔だ。
「何を話してるんだ?」
「私もこれ以上命は狙われたくないので、交渉を。依頼主までは分からなくても、彼ら自身はもう私を狙わないでしょう」
「願い花を売りつけるなんてことはしてないよな」
刺客たちの胸元に咲いている願い花を見て、ルーウィットは眉を顰める。
「まさか。それよりも、車ダメだったんですか?」
エフィは満面の笑みを浮かべる。ルーウィットは嘆息し、首を横に振った。
「ぶつかった衝撃で、魔道回路の一部が完全に断絶しているな。これは徒歩で帰るしかないな」
「徒歩ですか!?」
エフィは目を見開く。王都と教会都市フローリアは隣町とは言え、距離はそこそこある。まだ五分の一も来ていない。車で行けば二時間ほどの距離だが、歩こうと思えば五日くらいかかる。
「歩けない格好ではないだろう?」
ルーウィットは平然と言いのけた。旅装ではないが、靴底は平たく、歩くのには適している。だが、エフィが着ているのはワンピースだ。歩くのに適しているのかと聞かれると自信がない。しかも、着替えの類は一切ない。それよりも――
「車で行けばわずか二時間ですよ。それを徒歩で五日もかけるなんて、時間の無駄じゃないですか。時は金なりっていうんです。この五日がもったいない!」
「もったいないというが、早々にフローリアに着いたところでエフィに賃金は発生しないんだ。徒歩で行くのも修行だと思え」
ルーウィットの言うことはもっともだった。ショックを受けるエフィに、刺客たちが声をかける。
「俺たちが乗ってきた車をお使いください」
車を運転していた男が言った。
「俺たち、あなた方がフローリアにつかないと開放してもらえないんですよね。でしたら、車を使ってできるだけ早くフローリアに到着してほしいです」
申し出に、ルーウィットは顔をしかめる。
「借りるほどでは……いや、やはり借りよう」
だがルーウィットは途中で何かに気づき、考えを翻す。
改心したと見せかけて、また襲ってくるかもしれない。だからルーウィットは用心深く運転手から鍵を受け取った。魔法で索敵をかけ、何の仕掛けもないことを確認する。
「では、君たちの好意に答えて、借りるとしよう」
そういって最新の車に乗り込む。
エフィもあとに続き、車の後部座席の扉を開けたとことでふと思い出した。
「ちょっと待ってください」
再び草に捕らえられている刺客たちの元に向かい、晴れやかな笑顔で礼を言った。
「車を貸していただいて、ありがとうございます。おかげで長距離を歩かずに済みました」
頭を下げた瞬間、周囲には聞こえない程度の声で呪文をつぶやき、刺客たちを中心にして魔法陣を描いておく。あとは条件がそろえば発動するだろう。
「お待たせしました」
車に舞い戻り、エフィは車内に体を滑り込ませる。
最新の車は、驚くほど乗り心地が良かった。