3
「戦う司教?」
首をかしげるエフィに、ランディは「そのうちわかるよ」と笑った。
「ルウの所属は教会本部だから、まずはフローリアに向かってもらうんだけど……」
ランディはそういうとエフィの手首に視線を落とした。
「と、その前にその手枷を外さないとね。特殊な構造で魔法の鍵が必要なんだっけ?」
エフィの手元を覗き込みながらランディが言った。よくよく見れば彼の髪はくせ毛で、ところどころうねりがある。全体的にふわふわとしていて、柔らかそうだ。
ランディに対し、ルーウィットの髪はくせがない。サラサラではあるが、少々固そうだ。
「教会本部に戻れば外せる。が、俺としては、そのまま手枷をはめて大人しくしていてもらいたいところだな。きっとこいつは目を離せばすぐに金集めに走るだろう。本来なら無償で配るパンでさえ売っていたと聞く。教会上層部にいる奴と同じ目をしてる。信者からいかにして寄付金をふんだくるか考えている目だ」
ルーウィットは、エフィが信者から金を巻き上げていたことが気に食わないのだろう。エフィを金の亡者呼ばわりをする。まあ、あながち間違いでもないと、エフィは思う。
ランディははあ、とため息を漏らした。
「いくら何でも手枷をはめたままはかわいそうでしょ」
呆れたようにランディが言う。ルーウィットとは違い、ランディはエフィが他者からどう見られるのか気にしているようだ。
「まあ私は別に滑稽な姿を民衆に笑ってもらっても構わないんですけどね。見世賃をとるだけなんで」
「お前……!」
エフィの思ったとおり、ルーウィットは怒りで頬を赤く染めた。
初めから手の内を見せるのはどうかとも思ったが、実力を示すにはちょうどいいかもしれない。そう思ったエフィは、魔力を手首に集中した。
カシャン、と硬い音をたてて枷が外れて床の上に落ちる。
「え……」
ランディもルーウィットも、驚いた顔で落ちた枷とエフィを見比べた。
「この程度の枷で私の魔力を封じられると思ったのが間違いでしたね」
不敵に笑うエフィを見て、ルーウィットは眉をしかめた。今の発言でさえ女神への冒涜ととられたのか。エフィがそう思っていると、ルーウィットはいきなりエフィの頬に手を触れ、顔を上に向かせた。
医者が患者の診察をするように、目を覗き込まれる。ルーウィットの青い目に、エフィの姿が映りこんだ。
「魔力過多症……ではないようだな」
安堵とともに、ルーウィットはエフィから手を放す。
どう反応すればいいのかわからず戸惑うエフィに、ランディが優しく教える。
「ルウ自身がかつて魔力過多症だったんだ。あと、幼馴染が魔力過多症で亡くなっている」
膨大な魔力を持つことは、魔力過多症発症と紙一重だ。魔力封じの枷を壊せる魔力を持つエフィのことを案じたのだろう。
エフィのことを毛嫌いしているかと思えば、心配もする。急に態度を変えられると、エフィも戸惑いを覚える。複雑そうな表情でルーウィットを見上げていると、ランディがくすりと笑った。
「ルウは堅物だけど、悪い奴ではない」
「それは分かっております。真面目すぎるんですね」
「女神の花もどきで商売する君は不真面目すぎるけどな」
半眼になってルーウィットが言った。ちくりと嫌味を言う程度には、頭の柔軟さが残っているようだ。先ほどからお前と言ったり君と言ったり、たぶんルーウィットの中でエフィとの距離を測りかねているのだろう。
「エフィです」
「ん?」
「ですから、私の名前が。お前とか君とかではなく、エフィと呼んでください。ルーウェル師匠」
「師匠?」
ルーウィットは片眉をピクリと跳ね上げた。
「修業しなおすんですよね、私は。ですから、師匠です」
「……師匠はやめろ。どのみち俺が君……エフィに教えられることはない。金もうけ根性を叩き直したいというのなら別だが」
「ではルーウェルさんとお呼びしますね」
「それでいい」
折り合いがついたところで、扉がノックされた。王兵の制服を身に着けたものが顔を出す。
「そろそろお時間です」
「では私はここで」
そう言ってランディは辞した。
「では俺たちも行こう」
ルーウィットも、エフィとともに部屋を出た。
ルーウィットに連れられて、エフィは裁判所の裏口から出る。待機させていた魔道自動車に乗り込んだ。
「司教というくらいだから、てっきりもっと高級車に乗っているのかと思いました。確か、司祭から給料が出て、司教になると何十倍にも跳ね上がるんですよね?」
魔道自動車の椅子のクッション性を確認しながらエフィは心底残念そうに言った。せっかく無料で高級車に乗れるのにと期待していたのだが、とんでもなく中古車だ。
魔道自動車――単に車、と最近では言う――は中流家庭にも徐々に浸透しつつある。中流家庭の車と差別化を図るため、貴族たちは高級内装にこだわるようになっていた。
エフィが乗った車は、椅子に使っている生地こそ高級素材であるが、天井や壁紙などはひと昔もふた昔も前のものである。
「女神の信徒は清貧であれ、だ」
そう言ってルーウィットは運転席に乗り込む。
「しかも自分で運転なさる?」
「そのほうが身軽だからな」
ルーウィットがハンドルを握り、魔力を注ぐと車はゆっくりと走り出した。型落ちの理由をエフィは把握する。昔の車は運転手の魔力を利用して走っていた。最近の車は液化魔力を車体に注いで走るので、運転手の魔力量に左右されない。量産が進んだ理由の一つでもある。
車の走りだしは思った以上に滑らかだった。エフィの知る限り、もっと体にがくんと響くのだが、走り出したのに気づかないほどだ。運転技術がいいのか、魔力と車の相性がいいのか。
「もしかしてルーウィットさんの魔力って、精霊由来ですか?」
何気なく、尋ねる。
「なぜそう思う?」
バックミラー越しにルーウィットはエフィを睨みつけた。金がらみの発言はしていないはずだ。それとも、精霊に興味を示したことがいけなかったのか。精霊を捕まえて見世物にする、という言葉は、我ながら言いそうだとエフィは納得する。
「かつて栄え、衰退した魔力産業の要が精霊由来の魔力と聞いていたので。今の時代とそぐわないので、お金にはなりませんよ」
量産に入る前の車製造技術は、大昔の技術を利用していたと聞いている。それと相性がいいのだ、そう考えてもおかしくはない。
精霊由来の魔力を持つものは、エフィとは逆で色素の薄い人間が多い。ウィード王家の金髪もそうだと言える。
それに対し、エフィのように色素の濃いものは自生魔力と呼ばれている。精霊由来は外部魔力を使うのに優れており、自生魔力は自らが生み出した魔力を扱うのに優れている。
「魔力に精霊由来も自生もないだろう」
ルーウィットは突き放すように言い、エフィから視線をそらした。緩やかにハンドルを切れば、街中に出る。
車が普及し始めたといっても、市民にはまだまだいきわたってはいない。大通りを走るのはせいぜい十数台だ。レンガ舗装の道をがたがたと走る。
エフィが聖女として赴任していた田舎町では馬車しかなかった。初めて乗る車だが、乗り心地は驚くほどよかった。時折跳ね上がることはあるものの、尻が痛くなることはない。
エフィは車内を物珍しそうに見ていたが、やがて外に視線を移す。
しゃれた写真を店の外に飾る菓子店や、綺麗な服をウインドウに飾る服飾店、着飾った婦人たちがよく出入りするアクセサリー店などが数多く立ち並んでいる。
あの場にエフィが行くことはおそらく一生ない。そのようなことに使う金があるくらいなら、少しでも多くためておきたい。
裁判で言った、死んだ人間を蘇らせたいというのはエフィの本心だ。だがエフィ一人の力ではどうしようもない。死者復活、あるいは不老不死に興味のあるものを巻き込みながら共同研究するにしても、莫大な資金がいる。そのためにエフィはコツコツと稼いできた。
焦りはある。時間がたてばたつほど、「彼女」が死んだ瞬間から乖離していく。果たしてあの子をよみがえらせる意味はあるのか、わからなくなってくる。
ただの自己満足だと言われれば、反論のしようもない。今の自分は、わかり切っている答えをただ先延ばしにしているだけだともいえる。
「人間ってめんどくさい……」
ぽつりとこぼしたのは、あがいている自分があまりに滑稽だったからだ。
ルーウィットがバックミラー越しに、窓の外を眺めるエフィの様子を観察していたことに彼女は気が付かなかった。