25
タダイは腕を一振りするだけで、スーをその場に昏倒させた。無詠唱で空気を圧縮し、スーに当てたのだ。
「安心してください。下手に殺してしまわないように、気を失ってもらっただけです」
ダナスはランディを背後にかばう。ランディは悔しそうにエフィに視線を向けた。守りたくても、自分の身の大切さを知るからこそエフィのもとには走れない。
エフィは呼吸を止めないように意識をし、タダイから視線を外さない。
タダイは一歩一歩と、エフィへと距離を詰めてきた。
「タダイ大司教、あなたが私の命を狙う黒幕ですか?」
先ほどの証言から、そう推測される。それとも、後ろにはまだ大きな力が付いているのか。
「さあ、どうでしょう」
明日の天気の話をするかのように、のんきな声でタダイは返した。
「あなたが命を落とすかどうかは、あなた次第ですよ。ああ、お得意の植物操作はやめていただきたい。私もヴィーヴィス夫妻に危害は加えたくはないのでね」
タダイを拘束する瞬間を狙っていたエフィは、タダイの言葉にため込んでいた力を解いた。
事実を確認するすべはないが、ランディが大丈夫だと確信していたこの家の中まで侵入を遂げているという時点で、タダイの力の強さを物語っている。
「あなたが情に篤い方でよかった」
にこやかに笑いながら、タダイはエフィの目の前に立った。ランディは警戒心をむき出しにし、だが手を出せずに歯噛みしている。タダイはそれを流し目で見て鼻で笑う。
「殿下とその犬も。何もしないというならばこちらからは手を出しません。私はとある人の命令で、偽の聖女を捕らえに来ただけなので」
「偽の聖女ということは、私はまた聖女の資格を取り上げられるのですか? 同じ人間から何度も聖女資格をはく奪しなければいけないなんて、教会はちょっとうかつではありません?」
エフィはタダイに皮肉の笑みを向ける。
「二度ではありません。先のエフィという偽聖女は身分はく奪の上投獄され、罪の意識のあまり自害したということになっています。そしてあなたは王太子妃となりたかったために聖女の身分を買い取ったしがない男爵令嬢です」
「見る人が見れば、私が誰だかわかるでしょうに」
エフィとして立った裁判は公開されていた。顔は割れている。だとすれば、次の裁判は非公開で行われるということか。いや、裁判など行われずに秘密裏に処分されるだろう。
「事実はいくらでも捻じ曲げられますからね。さあ、私とともに来ていただきましょう。誰も傷つけたくないのなら」
タダイが手を差し伸べる。まるでエスコートでもするかのような動作に、エフィは淑女の動きで答える。
「エフィ……」
ランディが苦し気にエフィを見た。エフィは振り返り、ランディに笑ってみせる。
「大丈夫ですよ、殿下。ほんの少し、出かけてくるだけです」
そしてエフィは、部屋の扉をくぐった。
玄関を出るまでにみつけた人形の数は、五十を超えていた。まさかこれほどまでに自動人形が屋敷に存在するとは思わなかった。中にはルーウィットの屋敷の人形もあるかもしれないが、それにしても多すぎる。維持費だけを考えても相当なものだろう。
転がる人形を見るたび不思議そうな顔をするエフィに、タダイは笑った。
「なるほど、養父の職業すら知らなかったのですか」
「アークさんの職業?」
「人形師です。貴族たちの侍従人形はもちろん、高所作業、鉱山労働、農作業などといった人形を開発している。ウィード国に与えた経済影響は大きい。男爵位が叙せられたのは順当ですね」
タダイは、エフィが知っておくべきことさえ知らなかったことをあざ笑う。エフィはぐっとこぶしを握り締めた。
「二人は、私が従えば解放されるのですよね?」
「もちろん。女神の名に懸けて、誓いましょう。もっとも、女神は今は神の庭にはいないようですが?」
何がおかしいのか、くつくつと笑いながらタダイは歩を進める。
屋敷の大きな扉は、開け放たれていた。一台の車がすぐそばにつけられていて、運転手が恭しく頭を下げている。王家の所有者ほどではないが、高級車だ。どう見ても護送車などではない。
「ではどうぞお乗りください」
運転手が扉を開ける。
「魔力封じの手枷はいらないのかしら?」
エフィはタダイに挑むような視線を向ける。タダイは真意の読めない笑みを浮かべた、
「あなたには無意味なものだと学習しましたので。何よりも有効なのはご両親でしょう」
扉が閉まる。
タダイは助手席に乗り込み、運転手が座席に戻ると車が動き出した。どこまで遠く運ばれるのかと思っていると、連れてこられたのは、教会本部の最上階だった。
教皇のいる部屋に通される。
妙に甘ったるい香りが漂う、舞踏会さえも開けそうなだだっ広い部屋、その奥に教皇はいた。いや、おそらくいる。
何段も高くなった場所には御簾が下ろされており、気配を感じるだけで顔は見えない。
教皇と対面しているエフィの両脇には仮面をかぶった枢機卿が並んでいる。全部で十二人。フィーリルフィア教会は、なぜか十二という数字を重んじる。一説にはフラウリカの花弁が十二枚なのだとか。
手にはそれぞれ得物を持ち、いつでもエフィに死という免罪符を渡せる状態だ。
「タダイ、そして特級聖女よ。近こう」
できることならばいっそのこと、拒否したい気分だった。だが許されるはずもなく、エフィはタダイに引きずられるようにして御簾の近くまで来る。
焚かれた香の匂いがきつくなった。わずかばかり死臭が混ざっている。
エフィは頭をたれながらも、上目遣いで御簾の向こうに視線を投げた。
影が揺らめいているだけでやはり見えない。
気配はある。死者の匂いもある。禁忌の術で生きながらえているのか。
目を伏せながら、人間とは哀れなものだと思う。そこまでして生きたいのか。
自然とエフィの口元に笑みが浮かんだ。
本当に、人間とはおろかで愛おしい。久しく感じていなかった感情がよみがえる。
「さて。特級聖女、此度の件、どのように落とし前をつけるつもりかね?」
御簾の向こうから声がかかる。若々しくもあり、年老いてもいる。きしり、と耳慣れぬ音が聞こえた。
「どう、とは?」
エフィが聞き返すと、すぐそばの枢機卿が動いた。御簾の向こうの手が、それを制する。きしり、きしり。まるでゼンマイが何かを巻き上げているような、あるいは古びた丁番がさび付きながらも動いているような、そんな音だった。
「王都の件、そなたの耳にも入っておろう?」
「女神降臨をしているのではないかという噂なら小耳にはさみましたが」
頭をたれたまま、エフィは答えた。
「そう、女神は降臨される。だがそなたがいては分が悪い。さて、もう一度問う。此度の件、落とし前をどうつける? 特級聖女よ――いや、女神殺しの聖女よ」
「はい?」
エフィは眉をしかめた。
女神殺しとはいったい何のことだ。
固まるエフィに、隣の枢機卿が武器を突きつけた。弧を描いた刃先をもつやりだ。白い刃先がエフィのあご先できらりと光る。
「とぼけようとしても無駄だぞ。調べはついている。十二年前、貴様が神の庭にわたり、魔力過多症を治して帰ってきたことくらいは。その後、女神が姿を消したことも。導き出される答えは一つ、貴様は我が身可愛さのために女神を殺し、病を治したのだ」
エフィは刃物が付きつけられていることも忘れ、目を瞬かせた。
「大人しく地方の教会で女神に償いを続けていれば見逃したというのに。欲を出して王妃になろうなどと!」
枢機卿の手に力がこもった。
プツリと音がして、エフィの首の皮が裂ける。赤い血が一筋流れた。
御簾の向こうでまた、きしり、と音がした。エフィに槍を突きつけていた枢機卿が何かを言いたそうに身じろぎをしたが、大人しく引き下がる。
「じきに女神の審判が下される。女神が舞い降りた時、この世界に住まうものの善悪で、生き残りが決まるだろう。だが、そなたにはその前に機会をやらねばなるまい」
教皇は言った。
エフィは御簾の向こうの教皇を見た。きしり、きしりと音をたてる体は、まるで錆付いた自動人形のようだ。
「どのような機会を?」
エフィは自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。殺した覚えのない女神殺害の罪を突きつけられるなど、滑稽だ。
だがなるほど確かに、エフィには女神を殺していない証明などできはしないのだ。女神の力を使ったとしても、女神を殺して奪ったものだと主張されればそれまでだ。
「教皇! 女神を殺したこの女を生かすというのですか?」
枢機卿たちはざわめいた。背後ではタダイも不穏な空気をまとう。きっと、この場でエフィを殺す手はずだったのだ。今までランディとルーウィットによって守られていたエフィを始末する、絶好の機会だったはずだ。
「女神が降臨されるのだ。女神自身に裁いてもらおう」
教皇は、静かに告げた。




