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ヘルミーナがランディの訪問を告げたのは、エフィがアークたちにエイシャのことを伝えた二日後のことだった。
「ランディ殿下がお越しになっているけど、どうします?」
もう隠す必要がなくなったので、ヘルミーナは奥方らしくドレスを着ている。まだ夜明け前だというのに、髪形も化粧もばっちりだった。
先触れもなく訪問を告げられ、寝起きのエフィは寝ぼけた頭で整理をする。
「殿下が?」
エフィは小首をかしげて考えた。まさかもう一度告白されるようなことはないと思う。どちらにしろエフィに拒否権はない。相変わらず、エフィの雇い主はランディなのだから。
「会います」
「では準備が終わったら来てちょうだい。殿下にはそのように伝えておきます」
ヘルミーナが下がると、侍女が部屋に入ってきた。ルーウィットの屋敷と同じで人形だ。エフィの命が狙われている以上、最低限の人間しか配置できないということで、人形を使っている。がらんどうの目の奥には感情はうかがえない。
精巧に作られた自動人形。もしこの体に本物の魂が入ったのなら、それは人間らしく生きられるのだろうか。ふと思ったのは、かつて神の庭にいた時、そう願った男がいるからだ。
『人のように生きられる人形を』
あのとき、フィーリルフィアはその男に知識を与えた。条件さえそろえば人形は人間のように動き出すだろう。そしてきっとできるだろうとエフィは確信していた。顔も名前ももう、憶えていないが。
侍女人形に手伝ってもらいながらドレスに着替え、髪を整え、化粧を施す。最後に靴を履いて、ランディが待っている応接室に向かう。
扉の向こうから、いやな気配が漂っていた。いやな予感というべきか。
扉の外に待機していた護衛がノックをし、エフィの到着を中で待っているランディに告げる。
許可を得てからエフィは中に入った。そして目を軽く見開く。
かつて、エフィを襲った農家の男がランディの背後に立っていた。ランディはソファに深く腰を掛け、優雅な手つきで紅茶を飲んでいる。
エフィはランディに断りを入れてから、ソファに腰を下ろした。給仕がすぐさま紅茶をエフィの前に出す。
「えーと」
農家の男を見上げ、エフィは首をかしげる。そういえば、彼の名前を知らない。
「スーです。アムノ村のスーと申します」
スーは持っていた帽子を胸に当て、深く頭を下げた。エフィを襲った時とは打って変わり、顔つきがしっかりしている。
一時拘束していた彼らの身は解放され、農民としての仕事に戻っている。敵についての情報はそれほど引き出せなかった。接触した男の似顔絵は書いたものの、相貌認識障害の魔法でもかかっていたのか、四人の意見はばらばらだった。
「今日は報告があってフローリアを訊ねました。教会に向かおうとしたところで、司教様に出会い、こちらを訪ねたのですが……」
だが今スーのそばにいるのはルーウィットではなく、ランディだ。一体どういうことなのだろう。エフィはやや青ざめた顔のランディに視線を向ける。
「王都が今、危険な状態らしい。数名をここに残し、ルウとともに確認に行っている」
「フローリア王都間に通信機はありませんでしたっけ?」
わざわざ確認に行かずとも、通信機を使えばいいのではないか。
「ある。が使えないため目視確認に行っている。何もなくても何かがあっても、すぐに戻ってくることになっている」
車を飛ばせば、王都までは二時間強。スムーズにいくとは思えないから、往復で五、六時間程見ておけばいいか。
「その王都の異変とスーの関係は?」
「あ、はい。聖女様から頂いた花が無事に種をつけたので、王都の研究者たちに肥料等の相談をしておりました。つい先日植えた種の目が出たので、再び王都の研究者に相談に行こうと思ったところ、王都には入れなかったのです。白いドーム状のものに覆われていて、中の様子が全く分かりません。何かあれば報告をと司教様に言われておりましたので、来た次第でございます」
いつの間にルーウィットとスーは仲良くなっていたのだろう。エフィは驚く。
「そもそも、俺……じゃなく私たち兄弟はこうして出歩いてはおりますが、無罪放免になったわけではないんです。聖女様からもらった種が、どれほどの実をつけるのか実験段階でして。今年はサルザン地方で不作が予想できるので、不足した食料の代わりになるのなら、ということで協力しているわけです。監視が付いているので、悪さはしたくてもできません。もとよりするつもりもありませんが」
「というわけで、こいつがここにいて、何かあった時に対処できるように私もここにいるわけだ。教会のだれが裏切者かわからないうちは、まとまってここにいたほうがいい」
ランディはけだるそうに言う。
「ハーブティでも入れましょうか? 二日酔いに効きます」
部屋の中には酒のにおいが充満していた。この二日、ランディは王都に帰らずルーウィットの屋敷で飲んだくれているらしい。公務はどうしたと聞きたいが、落ちるだけ落ちた後はきっと這い登ってくるだろう。エフィはそう信じている。
「いや、遠慮しておこう。君の顔をまともに見れる気がしないんでね」
ランディは長い足を組み、エフィから視線を逸らす。
エフィは立ち上がった。たぶん、同じ部屋にいない方がいいだろう。
「あの。聖女様」
何かにすがるようにスーがエフィに声をかけた。
「なにか?」
「今回の王都の件と、神の庭に女神さまがいないことと関係があるんですかね?」
「どういうことだ?」
ランディは青ざめていた顔に険しい表情を浮かべる。
「あ、いえ。神の庭に女神さまがいないと、はっきり決まったわけではないのですが、実は俺、女神さまの声が聞こえるという能力があるんです。この十数年、聞こえなくて。もしかすると、あの白いドームは女神様の降臨ってやつですかね?」
ランディは舌打ちをしながらエフィを見た。
「あいつら、エフィに敵わないからといってキュアリス嬢を女神に仕立てるつもりだ」
特級聖女は他の聖女たちとは違い、その代には一人しか認められない。特級聖女の上の地位を目指すとすれば、あとは女神そのものだ。
「でも私が殿下との婚約を辞退しました。キュアリス嬢には、私を超える必要はもうないのでは?」
「私との婚姻ということであればそうだな。だがあいつらは気づいたんだ。女神が降臨し、怒りの鉄槌を下した形をとれば簡単に戦争を起こせることに」
ランディは奥歯をかみしめる。ギリ、と不快な音がエフィの耳にも届いた。
「まずい。ルーウィットを止めないと」
ランディは焦ったように立ち上がり、部屋から出ようとした。それを護衛のダナスがなんとか取り押さえる。
「殿下、落ち着いてください」
「女神を悪用しようとしてると知ったら、あいつは暴走するにきまってる」
「今から行っても間に合いません。司教様を信じてください!」
ダナスは必死にランディを抑えようとする。その視線が助けを求めるようにエフィを見た。
「いいか。私はいるかどうかもわからない女神よりも、ルウの暴走の方が怖い。あいつは今度こそ王都を飲み込むぞ」
「どういうことですか?」
穏やかではない言葉が出てきて、エフィはランディの腕を引いた。突然の事態に酔いがさめたランディは、鋭いまなざしをエフィに向ける。
「ルウの魔力過多症は治っていない。今かろうじて抑えられているのは、奇跡だ。医者が言うには、あいつが盲信している女神のおかげだろうと。だが信じている女神が神の庭にいないことを知れば、どうなる? あるいは、戦争を望む一派が偽の女神を利用したらどうなると思う?」
女神の花であるフラウリカを悪用したエフィでさえ、蛇蝎のごとく嫌っていた。間違いなく、嫌悪の感情を向けるだろう。だが、それ以上深刻な問題には思えなかった。
ランディはさらに舌打ちをした。
「王都フローリア間、巨大都市に挟まれているにもかかわらず、街道以外に何もないのはなぜだと思う? かつて奴が焼き尽くした。ようやく草原程度に復活した。あれを王都でやってみろ。戦争どころの騒ぎじゃない」
「そんな大事件、なぜ誰も知らないんですか」
エフィは噂でも聞いたことがない。不運にも聞いてしまったスーは唇を震わせながら首を横に振った。
「王家の圧力で握りつぶしたからに決まっているだろう。あれでもあいつには王家の血が流れている」
驚くとともに、納得もできた。そうでもなければ、ルーウィットとランディが親しくしている理由が見当たらない。
「殿下、国家機密をそんなにポンポン漏らさないでください」
ダナスが焦る。
「エフィを巻き込むためだ。仮にも特級巫女に選ばれるような存在だ。魔力量に至っては、計測器を作る際に参考にしたルウを超える。彼女にかけるしかないだろう!」
「それは困りましたね」
静かな声が響いて、エフィは振り返った。エフィだけではない。ランディもダナスも、スーも振り返った。
スーがはっと息をのむ。
「あなたは……」
「久しぶりですね。あなたにそこにいる女性の殺害を依頼した時以来です。まあ、成功するとは思っていませんでしたし、こうして再び会えるとも思っていませんでしたが」
法衣をまとった男は静かに言った。開け放たれた扉の向こうでは、ランディの配下である護衛が頽れている。
「タダイ大司教」
エフィの口から、言葉が零れ落ちた。




