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 失恋決定でどん底まで落ち込んだランディは、最後に一度だけといってエフィを晩餐会兼、舞踏会に誘った。

 会場はルーウィットの屋敷、客はエフィとランディの二人きりだ。ルーウィットと配下たちは気を利かせて使用人用の食堂から出てこない。

給仕人形が軽食とワインを用意し、あとは壁際に控え、侍女人形がピアノとヴァイオリンで静かな演奏をする。奇妙な晩餐会になったが、もともと貴族ではないエフィが参加するには、この奇妙さがちょうどよかった。


「とてもきれいだ。似合うよ」


 いつの間にかランディが用意していたシルクサテンドレスを着て、エフィは大広間に現れる。

 海のように濃い青のドレスは裾をふんわりと膨らませ、波のようにレースを何枚も重ねていた。腰回りはしぶきのようにきらきらとした宝石が輝いている。デコルテも肩もむき出しで、気恥ずかしいが、エフィの姿を見てもランディは笑いはしなかった。


「お嬢さん、どうぞ一曲お相手を」


 恭しく出された手を、エフィはおずおずととる。

 ダークグレーの燕尾服を着たランディは、いつも以上に美丈夫だった。口もとには甘い笑みを浮かべている。


「ダンスは初めてです」


 男爵家の養女となった今も、ダンスとは無縁の生活を送っている。それに慣れないヒールで、いつランディの足を蹴ってもおかしくはなかった。


「でなるほど。では私は君の初めてのダンスの相手というわけだ。それは僥倖だな。難しくはないよ。私に体を預けて、自然に動けばいい」


 自然に、と言われても、とエフィは困惑する。

 ただ幸いなのは、エフィがいくら失敗しようとも、ランディに恥をかかせることがないということか。

 見ているのは人形たちだけなのだから。


「今日は二人きりだから、すべてワルツで」


 ランディは左腕を上げて、右腕の中にエフィが入る場所を作る。エフィは言われるまま、ランディの腕の中に納まった。ランディの左手に右手を添えると、しっかりと握りこまれる。緊張して冷たくなった手に、胸の奥がきゅっと締まるような気がした。

 ランディの右手がエフィの体をしっかりと支える。体を預けても微動だにしないほど安定していた。


 ランディと視線をぶつかった。そう思った時ヴァイオリンの物悲しい音が流れ始めた。寄り添うようにピアノの音が響き渡る。

 ランディから注がれる視線は情熱だ、だがエフィは同じ熱量を返せない。

 一度目の曲が終わってもランディはエフィを離さなかった。二曲目が始まる。一曲目よりもエフィの体は滑らかに動いた。つなぎっぱなしはしっとりと温かった。

 そして三曲目。テンポが最も遅い曲だった。今までごまかしていたステップが乱れ始める。

 エフィはとうとうドレスの注に躓き、バランスを崩した。ランディに抱きとめられる。

 ランディを蹴らなかったとこだけは自分で褒めたい。


「殿下」


 転倒からエフィを守ったランディは、そのまま腕をエフィの背に回した。素肌がさらされているエフィの首筋に顔をうずめる。貝殻で救った白いイヤリングがチャリ、と揺れた。


「エフィ、好きだ」


 熱っぽい声で囁く。熱い吐息がエフィの首筋にかかった。


「君がどこの誰でも構わない。孤児のエフィでもいい。女神を裏切り、罪人になった君でもいい。君が堕ちろというのなら、私はどこまでも堕ちよう。だから私とともに生きてくれ」

「あって間もない女に、どうしてそこまで心を預けてしまうのですか?」


 エフィは聖女の顔で、ランディに尋ねた。この時、ランディはエフィの顔を見ていなくて正解だっただろう。ただの一信者としてしか見られていないことに気づかずに済んだのだから。


「間もなくなどない。君が覚えていなくても、私は君と初めて会った日のことをよく覚えている。失敗ばかりで何もうまくいかない日々が続いたある日、気晴らしにでもなるだろうと教会への査察に連れていかれた」


 ランディは当時のことを語り始める。



 暑い日のことだった。

 上に立つものとして人々の生活を見よ、と父王に言われた。実際にその生活に触れると、今までとは違ったものが見えてくる、とも。


 ランディ自身は公式での訪問ではなかったので、髪色を変える。

 父王とともに行ったのは、親のない子が集められた孤児院を経営している教会だった。着るものも食べるものも、そして教育でさえ最低限のものしか与えられていない孤児たち。


 当時のランディは正直、彼らを汚いものだとしか認識していなかった。どうせ親たちが仕事をせずにこどもを生み、育てるに育てられなくてすたられた子供たちなのだろう、と。

 ランディが即位したのならまずやるべきことは孤児をなくすことだ。低収入ものが子供を作ることができない法律を作ろうと、その時は本気で考えていた。


 考えが覆されたのは、孤児院についた時。明るい笑い声が響いていた。

 一人の少女が畑に水をやるふりをして、みんなに水をかけていた。十二歳のランディよりも二歳くらい年下の女の子だ。

 みんな気持ちよさそうにはしゃいでいる。

 魔法を使うことに驚きはなかった。だが、その少女は真黒色の髪の持ち主だった。不吉だと言われて親に捨てられたのだろうと思った。それなのに、少女は幸せいっぱいの笑みを浮かべていた。

 他の子どもたちもだ。


 両親がちゃんといて、食べるものにも困らず、教育だってしっかり受けて、周囲には愛を与える者たちがちゃんといるランディよりも幸せそうだった。


 呆然としていると、ランディにも水がかけられた。もちろん髪にも。石鹸じゃないと落ちない染料だったので色落ちはしなかったが、全身ずぶぬれになる。


「ほら、そんな端っこにいないであなたもおいでよ。気持ちいでしょ?」


 そういって真黒の少女がランディの手を引く。

 茂みから畑の方まで連れてこられ、その時初めて少女は気が付いたように目を丸くした。着ている服の質が違うのだ。ランディが孤児ではないということに気が付いたようだ。

 真黒の少女は、バケツに水を入れるとランディに持たせ、そのまま自分に水をかけた。


「よし、これでおあいこだ」


 おあいこも何も、自分で水をかぶったようなものじゃないか。ランディはのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。


「言いたいことがあるなら言ってよね」


 真黒の少女はランディ目と鼻の先に顔を近づけて、言った。ふわりといい香りがした。


「そりゃあ、たまには言葉を飲み込まなきゃいけないこともあるけど、言いたいことを言わないと伝わらないよ。あと、失敗は繰り返さないと学ばない」

「失敗?」

「そう。お貴族様に水をかけちゃうとか!」


 真黒の少女はそういうと、もう一度ランディに水をかけた。バケツにも水を入れるのを忘れない。人差し指をクイと動かし、あおるおまけもついてくる。

 さすがにカチンときたので、バケツの水を思いきりかけた。

 頭から水をかぶって、けらけら笑う少女を見て、胸がすく思いだった。怒られるかも、という思いよりも少女の期待に応えられたようで嬉しかった。


 黒い髪の毛先から雫がぽたりと落ちる。薄汚れた麻のシャツがびったりと肌に張り付いて、体のラインが浮かび上がる。それを見て、ランディはなぜかどきりとした。

 ランディが見ていることなど構わず、少女は服の裾をつかんで絞る。白い腹が奇妙にまぶしかった。


「少しはすっきりした?」


 いたずらめいた笑みを浮かべ、少女はランディを見る。すっきりしたかどうか、ランディにはわからなかった。


「ずっと抱え込んでると、頭の中がこんがらがっちゃうよ。自分の本当の願いが分からなくなる。時々はね、誰かに話すといいよ。教会の懺悔室なんてそのためにあるし。あと、どうしても話せないときは、『友達が悩んでるんだけど』っていう体で話せばいいよ」

「……次来る時までにまとめてくる、その時に話してもいいか?」

「あー、うーん」


 少女は眉間に指をあて、唸った。なんだ話を聞くと言っていて元から聞く気がないのか。大人と同じだ。そう思ったランディに、少女は首を振る。


「まとめるのもいいけど、めんどくさくない? むしろ私は、まとまったものよりも、魂の叫びみたいな、うっかりこぼしてしまう本音みたいの方を聞きたいけど。まあでも立場ってものがあるか。うん、まとめようがまとめなかろうが、それは本当に自由なんだけど。でもまあ、聞くよ、どんな話でも」


 完璧なものは求めない、少女の言いたいこてゃきっとそうなのだろう。たぶん、支離滅裂なことさえ受け入れてくれる気がした。


「じゃあ、きっと頼むよ」

「あ、ごめん、一つ言い忘れてた」

「何?」

「話を聞くけど、有料ね」


 それが、ランディとエフィとの出会いだった。




 抱きすくめられ、昔の話を聞いて、エフィはようやく思い出す。

 確かにいた。半月に一度くらいの割合で愚痴をこぼしに来る少年が。

 エフィの感覚としては、領地経営の勉強がしんどいとか周囲の期待が重いという程度だった。


 相談料がいると聞いた少年が持ってきたのは金貨で、さすがにそれは司祭に見つかると出所を聞かれてまずいので、次から銅貨にしてくれと言ったことも覚えている。

 地方に赴任して会わなくなって、すっかり忘れていた。

 まさかあれがランディだったとは。


「もしかしてその時からずっと……ではありませんよね?」

「ずっとに決まっている。周囲にだってとっくにばれていた」


 聖女なのに地方に行きたいということが容易に認められたわけだ。このままだと、初恋だからと放任されていた思いが成就してしまう。


「もしかして、私が知ら知らされていなかった婚約の件も」

「私が推し進めた」


 離れれば冷めるだろうと考えられていた思いも冷めることはなく、婚約を成立させた。それは結局、権力によってつぶされたが。


「女冥利に尽きます」

「今からでも遅くはない。求婚を受け入れてはくれないか」 


 エフィはもともと、自分に向けられる好意には弱い。

 そもそもエフィは人間が好きだ。頼られれば応えてしまいたくなる。

 それでもやはり、エイシャの体を使って幸せになるわけにはいかない。


「できません」

「わかった。今は退こう」

「今はじゃなく、もう完全に諦めてください」

「それはできない」

「では、生き返らせたい子が生き返ったなら考えます」


 エフィの精いっぱいの妥協だ。

 ランディは静かに息を吐き出した。


「それほどまでに言うなら、今はこれで我慢しよう」

 ランディはそういって、エフィの頬に口づけをした。



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