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 砂色のローブをまといフードを目深にかぶった男に連れられ、エフィは裁判所の一室に通された。おそらく裁判所で一番上等な部屋だろう。置いてあるソファも壁にかけてある絵画も一流のものだった。


 てっきりそのまま監獄へ輸送されると思っていたエフィは意外に思いながら、先に待っていた人物を見る。

 開け放たれた窓から入る日差しを背に立っているせいで、表情はよく見えない。


「初めまして」


 涼やかな声で彼は告げた。

 金の髪が光をはじいて輝いている。逆光で見えない彼の目が、美しい緑の目であることをエフィは知識として知っていた。


 エフィは手枷をはめたまま器用に淑女の礼を取る。が、名乗りはしなかった。なんとか言いくるめて死罪を免れたとはいえ、罪人であることに変わりはない。汚れた名も声も、彼の耳に入れる必要はないだろう。


「ここで名乗るのは控えておこう」


 彼はそういってエフィにソファを勧めた。

 つまり、この面談は非公式というわけか。言われるままソファに腰を下ろしながらエフィは目を細め彼を見つめた。彼もまた、テーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろす。


 金髪に翡翠の目、年のころはエフィよりもやや上、二十歳くらい。整った顔立ちは見る者を惹きつけてやまない。彼の写真は世に出回っているから、名乗らずとも誰なのかわかる。


 ランディ・クルス・ウィード。このウィード国の王の息子にして、次期国王。つまり王太子だ。いつの間にかエフィと婚約し、さらには破談にされていた男だ。思えば、彼も他被害者なのではないだろうか。


 わずかな哀れみを含んだ目で、エフィはランディを見る。

 彼は口元に柔らかい笑みを浮かべた。こんな状況下でありながら、エフィの心はときめいた。


 彼の顔をしっかり心に焼き付けておこう。そして絵姿を描いて販売すれば、少しは稼げる。事実を写し出す写真よりも、多少の妄想を含んだ絵姿のほうが売れることもある。

 今回の裁判の結果、財産をすべて没収されてしまったからには、金を稼ぐネタは少しでも多いほうがよかった。


「さて、今回の裁判、そして下された判決については残念なことになったと思う。聖職者としてはふさわしくない行動をとっていたのかもしれないが、君が大勢の人間を救ったのは確かだ。私としては、君に修道女をもっと続けてもらいたかった。――もっとも、国の上層部はあの土壇場で覆るとは思っていなかったから、君の勝ちといったところだけど」


 勝ち負けでいうのなら、職を失い、不当な手段で稼いだものとはいえ財産を失ったエフィは大負けである。納得できなかったが顔には全く出さず、次の言葉を待つ。

 まさか国の上層部がエフィを処分したいとか、そのようなことを言いたかったわけではないだろう。


「前置きが長すぎたね。さて、ここからが本題だ。国の上層部、とは言っても私はほとんど関与していないが、ある派閥が君を排除したいと思っている。どうやら自分の手ゴマをわた……いや、王太子の花嫁にしたいらしく、新たな聖女を見つけてきたようだ」


 新しく聖女を見つけてきたと言われても、エフィは王太子と婚約した記憶などないのだからどう反応すればいいのかわからない。そもそもエフィは誰かの派閥というわけでもないし、貴族でもないのだからもとより王太子の婚約者になることないはずだ。


「つまり、本物の聖女が現れたのだと向こうは主張する」


 もったいぶった表情でランディは言う。

 エフィは沈黙をもってランディを見つめた。そもそも聖女に本物も偽物もない。教会が一定の基準を設けており、それをクリアして任命されれば聖人、聖女の出来上がりだ。

 聖女の中にも階級があり、エフィは聖女の中でも下位の階級だった。つまり、強い魔力を持ち教会のために働いているだけだ。

 

「ええと……何か話してくれるとありがたいのだが?」


 無言を貫くエフィに、ランディは焦ったように声をかけた。

 エフィは振り返って、ここまで連れてきてくれたフードの男を手招きした。フードの隙間から不審そうな顔を見せるものの、彼はエフィのそばまでやってきた。

 長い身長の体を折り、エフィに耳を近づける。


「ラン……彼に伝えてほしいの」


 ランディ様、といいかけて非公式の面談なのだからと言い直す。

 フード男はしばしの沈黙のうち、ゆっくりと頷いた。


「どうぞ」


 低く重い声だった。印象に深く刺さるような声に、エフィは思わずフード男を凝視する。フードの影の中、澄んだ青い目がエフィを見ていた。

 思わず、エフィは彼のフードを剥いでいた。なぜそのような行動をとったのか、自分でもよくわからない。

 フードから零れ落ちた髪の色に、エフィは息をのむ。見事な銀髪だった。


 鋭い視線がエフィを射抜く。視線に物理的な力があれば間違いなくエフィを射殺していただろう。

 だがそんなことよりも気になったのは――


「あなたが王太子さまの花嫁?」


 何が本物の聖女かわからずとも、女神の現身(うつしみ)のようであるその姿を見ればそう思ってしまっても悪くはないだろう。

 月の光を縒り集めたような銀の髪に、澄んだ青空の目。中世的な顔立ちにきりりとした眉、長いまつ毛に縁どられた二重瞼、通った鼻筋に薄く引き結ばれた唇。まるで人形のようだった。作り物めいた美しさがあった。

 よくよく見れば男なのだと気づくが、初見では女性に見間違う。

 王太子も美男子であるが、さらに輪をかけて美丈夫であった。


「そんなわけあるか! 俺は男だぞ」


 瞬時に否定したのは、銀髪の青年だった。

 怒りで、白い頬を赤くしている。おそらく、何回、何十回と女性と間違われてきたのだろう。表情には辟易とすると描かれていた。


「ごめんなさい。つい」


 エフィはとっさに謝った。テーブルの向こうでは、ランディが肩を揺らしながら口元を抑えていた。笑いをこらえようとして、できていない。


「お前はいったい何がしたいんだ。俺のフードをはぎ取ることか?」

「いいえ。違います。ただ、彼に私の言葉を伝えてもらおうと思っただけなんです。私はもう聖職者としての身分を取り上げられてしまいましたし、もともと王太子さまとの婚約の件も知りませんでした。新たな聖女様が見つかり、その方が王太子様の婚約者になろうとも、私には関係ありません、と」

「それがなぜ、フードを取ることにつながる?」


 銀髪の青年が険しい表情を浮かべる。まさかそんなに突っ込んで聞かれると思っていなかったエフィは、頬を引きつらせた。


「フードの隙間から見えた青い目が、聖女様の証なのかと思って」


 我ながらひどい言い訳だと思った。せめて女神の化身だと言えばよかったか。だがエフィは、()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを持ち出すのは卑怯な気がした。


 エフィに注目していたランディが、にやりと唇の端を持ち上げた。


「ルウ、君の負けだよ。彼女の力は確かだ」


 どういうことだ、とエフィはランディを見る。喉元まで出かかった声を何とか飲み込んだ。罪人である事実はまだ消えていない。非公式の面談であっても、声をかけるわけにはいかない。エフィのかたくなな思いに気づいたのか、ランディは彼女を見て柔らかく微笑む。


「普通に話してくれて構わない。正直に言って、私は教会の頭の固い連中ほど、君の罪を重要視してはいない。むしろ罪であったとしても、願い花が本物のフラウリカであることを願っていたくらいだ」

「やめてください、殿下。あれが本物のフラウリカであったなら、俺は本気でこの女を始末していますよ」


 始末、なんて物騒な言葉が出てきて、エフィはルウと呼ばれた男から離れる。


「君、非公式だと言っているのに私を殿下と呼ぶかねえ?」

「非公式であっても呼びますよ。彼女が気づいていないのならいざ知らず、気づいているのだから問題もないでしょう。直接声をかけず、俺を通そうとした礼儀だけは認めます」


 ランディよりもずっとエラそうな態度で言う。

 ランディは苦笑いを浮かべた。


「悪いね。彼は盲目な女神信者なんだ。名前はルーウィット・ルーウェル。これでも位は司教だ」


 ルーウィットが聖職者であることにも驚きだが、司教という地位にもエフィは驚いた。二十代前半くらいの年齢に見えるが、その年で司教は異例の出世だろう。


「……その司教様と王太子様がなぜこのような形で私に接触するのですか?」

「単純だよ。新たに結ばれる婚約を私は破談にしたい」

「俺の意向としては、新たな聖女が本当の聖女かどうか怪しいので、見極めたい」


 ランディの言葉に同意する形でルーウィットが続けた。


「私はもう関係ないのではありませんか?」


 聖職者としてはクビになったし、罪人が王太子と気軽に接触するのもどうかとエフィは思う。

 何より、もう聖職者ではないので、教会とはかかわりたくはなかった。下手をすればただ働きということもあり得る。


 エフィが大人しく罪人であることを受け入れたのは、このまま牢獄に入ると職業訓練が受けられるからだ。そこで一定の基準を満たすと職人として働けるのだ。

 器用さに自信のあるエフィは、家具職人にでもなってがっぽり儲ける計画だった。


「ところが、そうでもない」


 めまいを起こしそうなほどまぶしい笑みを浮かべ、ランディは言った。

 そのまぶしさにも、エフィは平然としている。目が保養されたところで、エフィの稼ぎにはならない。その思いがエフィを冷静にさせる。


「ありふれた花を女神の花とあえて間違えるようにして売りつけたり、死者を蘇らせたいと言ったり、まあ行動は破天荒だけど聖女認定を受けるほどの魔力は確実にある。そう、司教を超える魔力だ。ルウ目の色、あのフードをかぶっていると茶色にしか見えないはずなんだ。彼の魔力を上回っていない限りね」


 エフィは改めてルーウィットに目を向けた。砂色のローブは取り立てて特徴はないが、言われてみればうっすらと魔法がかけられている。認識阻害の魔法といったところか。


「君が再び聖女として返り咲くのをよく思っていない連中が、君を殺しに来るかもしれない」


 ランディが言うことが本当であれば、確かにエフィも無関係ではいられない。

 エフィの意思の介在なしに王太子との婚約が決まるくらいだ。聖女に返り咲くつもりがないどころか教会に関わるつもりがなくとも、自然と巻き込まれるだろう。

 問題は、ランディがそのような忠告をなぜエフィにするかだ。


「まさか、善意だけでそれを教えるつもりはありませんよね。情報料などはお渡しできませんよ。全財産没収されています」

「もちろんただで教えるつもりはないし、君から金をふんだくろうとは思っていない」


 ランディはふっと笑い、エフィに挑戦するような視線を向けた。受けて立とうではないかと、エフィは軽く顎を持ち上げる。

 だがm、エフィに喧嘩を売ったからには高くつくことを理解してもらわなければならない。


「だとすれば、私の魔力が目的ということですね」

「話が早くて助かる。私も次期王という立場で、伴侶は自由に選べないことは分かっている。だが、新たな聖女を擁立した派閥は何としても避けたくてね」

「理由をお伺いしても?」

「戦争好きな連中だ。わざわざ平和を乱してどうする?」


 戦争好きな派閥、と聞いてエフィの脳裏をよぎったのは帝国派だった。ウィード国は昔、巨大な帝国だった。全世界を収める勢いのあった帝国だったが、時とともに力は衰退していき、いくつもの国に分かれた。

 帝国のかつての都を王都としているウィード国こそが帝国の末裔だと思っている派閥があるのをエフィは知っていた。


「戦争は私もいやですね」


 稼いだ金が無意味になってしまう。

 それに、無意味に人の命が奪われていくのは、見ていたくない。いや、たとえそこに意味があろうとも人の命はたやすく奪われていいものではない。胸の奥がちくりと痛み、エフィは手枷のついた手で心臓のあたりを握りしめた。


「教会としても戦争は避けたい。女神は人々の行く末を見守る気高き存在だ。戦争はもってのほかだ。聖女を戦争開始の理由にさせるわけにはいかない」


 ルーウィットも同意し示し、頷く。


「それで、私は何をすればいいのですか? 新しい聖女でも探します? 人探しの魔法を開発しましょうか」


 できるかどうかはやってみないとわからないが、手をこまねいているよりはいいだろう。もちろん、魔法開発料はふんだくる気でいる。


「いや、ここはひとつ連中に嫌がらせをしようと思って。君には聖女として返り咲いてもらおう」

「殿下! 本気だったのですか」


 ルーウィットは焦ったように言う。

 確かに罪人認定を受けた聖女などいない。司教としては大反対だろう。


 だがエフィは、妥当だと思った。どうしても手ゴマを聖女として王太子に嫁がせたい一派は、邪魔者を消すだろう。

 それが善良な聖女であれば、罠を仕掛ける側も心が痛む。が、囮に使うのが罪人であれば心は痛みにくい。万が一何かの失敗があっても、それは天罰が下ったと思えばいいのだから。


「生き残ることができれば、私は無罪ということですね」

「そこまで重く考えなくていいよ。向こうが君を陥れたように、向こうの聖女を引きずり落としてくれれば」

「殿下、こいつは陥れられたわけではなく、自業自得です」


 ルーウィットの言うことはもっともなのだが、いちいち話の腰が折れる。エフィはいルーウィットに一切視線を向けず頷いた。


「わかりました。承ります。ですが、こちらからも条件を提示したいのですが」

「どういった条件だ」

「しかるべき報酬を。全財産を失った身、丸裸なのは心もとないので」

「貴様、罪人の分際で報酬をねだるというのか」


 さっきからお前だのこいつだの貴様だの、失礼にもほどがある。エフィは根負けしてルーウィットに冷めた目を向けた。


「もちろん求めます。ただの善意でお受けするわけではないので」


 何か言いたそうにルーウィットが口を開きかけるが、それより早くランディが同意した。


「わかった。相場の報酬を払う。とはいっても聖女になれ、聖女の不正を暴け、という内容に相場を求めるのは難しそうだが」

「殿下!」

「ルウ、お前は頭が固すぎる。確かに彼女は国の定義では罪を犯しただろう。だが法律に関係なく、女神の臣下と考えた場合、何一つ悪いことはしてないのではないか? 対価を求めはしたが、願いを叶えている」

「たしかに……いえ、やはり願い花をフラウリカだと思わせる意図があったのは認めるわけにいきません」

「ほんと、頭が固いなお前」


 ランディは呆れたように笑みをこぼした。

 放っておいたらいつまでも続きそうだったので、エフィは無理やり割り込む。


「きっちり相場通りに、とお願いしたいところですが、そこまで厳密さは求めません。ですが多ければ多いほどありがたいです。危険手を当てもいただきますので」


 エフィの図々しさに、ルーウィットは何かを言いかけるがランディがそれを片手で制した。


「君はちゃっかりしているね。まず君には、ルウのもとで修業をしてもらうことにする。司祭の下で基礎からやり直し、というのは聖女に返り咲くにはちょうどいいだろう? ついでに君の護衛にもなる」

「司祭様に私を守れるのですか?」


 確かにルーウィットは王太子と比べれば背が高く、体型はがっちりしている。この体型があるからこそ、彼が男だとすぐにわかったのだが。だからといって、護衛ができるのとは別問題だ。騎士や兵士と比べれば筋肉のつきが浅い。


「それは問題ないよ。ルウは戦う司教だから」


 ランディは艶やかに笑った。


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