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エフィの奇跡のばらまきは数日続いた。
とは言っても、この間のように欠損部位を治すという大技は出していない。
欠損部位を治したいとやってきたものは別の場所に集められ、上位魔法医とともに治療にあたった。エフィ以外にもできる人員を増やすためだ。近い将来、欠損部位の復活は奇跡ではなくなるだろう。
この数日でエフィがやった主なことは、病で苦しむ者の症状緩和と治療院取次、心に不安を抱える者たちの元気づけ、低所得で生活が苦しい者たちへの技術指導だった。
中には頭皮が心もとないというものもいた。その男性には知識を授け、自らが毛髪剤の先駆者になるようにと指導した。
初めのうちは重症な患者が多かったものの、日を経るごとに内容は他人から見ればどうということのない、だが本人にとっては深刻な問題へとシフトしていった。
信者の相手も、午前中で十分終わる。
仕事を終えたエフィはランディの配下を伴い、教会本部の建物に入った。手続きをして九階に向かう。
日報を書いて提出することになっているのだ。相談者を見ながら書くことは難しいので、護衛に書いてもらっている。
ルーウィットの職族の上司である大司教のもとに向かう途中で、別の大司教に会った。
大司教にしてはかなり若い男だ。エフィの聖女認定の日、花を咲かせるように言っていた。名は確か――
「タダイ大司教」
エフィは彼の声をかけ、礼をする。基本的にすれ違う時は、お互い頭を下げるのが礼儀だ。
「これは聖女様。本日のお務めは終わりですか?」
人のよさそうな笑みを浮かべ、タダイも礼をする。
「はい。おかげ様で」
「皆に幸せが訪れることはいいことです。しかも――これは俗っぽいので私が言ったとは秘密にしてほしいのですが、寄付金も多く集まり教会が潤ってきています。この資金があれば、王家と協力して技術学校を作れそうですよ」
技術学校は、エフィが提案した。貧しい子供たちが手に職をつけられれば収入が増える。収入が増えれば消費も増え、国力が底上げされれば国は豊かになる。そのための資金が集まりつつあるようだ。
「この間の子も、基礎学校に入ったと聞きました。我が国はどんな子供も最低限の教育を受けられますからね。彼の弟妹達も無事保護されたと聞きましたが?」
「そうなんです。さすが大司教様、情報網を広げていらっしゃいますね。あの子のお母さんは心の病気ということで保護されましたが、治ればまた家族で暮らせると思いますよ」
「さすが聖女様ですね。すばらしい対処だ。他の聖女様たちもあなたの影響を受けて、いろいろと頑張っているようです。あ。私はこれから用事がありますのでこれで」
「お引き留めして申し訳ございません。お話、ありがとうございます」
エフィは深くお辞儀をして、大司教が去るのを待った。
通り過ぎてから、顔を上げてルーウィットの上司の部屋を目指す。
毛足の長いカーペットの上を歩きながら、タダイにおかしなところがなかったかを思い返した。魔法技術も話術も格段にうまくなる大司教あたりからは、対面していてもうまく心を探れない。さすが修行をして欲望をそぎ落とすことに長けている。
果たして、大司教や枢機卿の中にいる戦争派は見つかるのか。
そう思いながら、エフィは次に声をかける人物を探した。
結局タダイの他に掴まえられた大司教はなく、エフィはルーウィットの執務室に向かう。
先客がソファに腰を落ち着けて待っていた。
「ティータイムにしよう」
エフィを見るなり、ランディは立ち上がった。配下に持たせていたバスケットから、焼き菓子の包みを出す。エフィは戸棚から茶器一式を三人分取り出した。
「二人ともいい加減にしてください」
あきれたようにルーウィットが言った。
「最終的にルウのそばが一番安全だとわかったからいいだろ? さすが戦う司教」
大襲撃の後も、エフィは何度か命を狙われた。といっても規模は小さく、そのすべてをランディの配下ではなくルーウィットが撃退している。大襲撃の前にあれほど見ていたキュアリスの姿をここ数日見ていないから、恐ろしくはあるが。
「そういえば、ルーウェルさんはいつも銃が剣を取り出していますが、攻撃の魔法は使わないんですか?」
カップに紅茶を注ぎながらエフィは聞く。
街道での戦いも、大砲のような銃を取り出していた。
「教会では攻撃系の魔法は習わない、がすべてだな。エフィと一緒で俺も基礎学校卒業後すぐに教会に入ったから」
「しかもルウは基礎学校はほとんど飛び級だからね」
小分けのさらにクッキーを盛り付け、ランディは言う。
「お茶だけならまだしも、なぜここで菓子まで食べようとしてるんですか」
机の上の書類に目を落としたまま、ルーウィットはため息をついた。
なんでも今年は南部で日照り続きで、予定していた食料が確保できないかもしれないのだ。本来なら領主や、王家の仕事なのだが、普段は寄付金の多い土地なので教会にも援助申請が来ているようだ。
「エフィお手製のクッキーを君にも分けてあげようかと思ってね」
私のために作ってくれたんだ、とその部分を強調するようにランディは言った。
クッキーには興味があったのか、ルーウィットはようやく顔を上げた。眉間にしわが寄っている。
ランディが盛り付けているのは見た目が素朴な丸いクッキーで、特別なところはなにもない。ごくごく普通のクッキーだ。それでも、エフィにはそれなりに思い入れがある。
「以前、バザーでよく出していたものなんですよ」
眉間にしわを寄せるルーウィットの心を和ませるつもりで、エフィはにっこりとほほ笑んだ。
ルーウィットに相談したいこともあり、ご機嫌取りのために作った。エフィと違って金銭では動かないルーウィットを懐柔させる方法としてランディが提案したのは、クッキーだった。
確かにクッキーなら食べているところを見たことがある。
「そうか」
ルーウィットはそっけなく返事をし、書類に視線を落とした。
「もちろん、ルウも食べるよね」
ランディは明るい声で言って、クッキーが入っている小分け皿を書斎机に置いた。
ルーウィットは横目で確認する。が、手を伸ばそうとはしなかった。
「俺のことはお構いなく。それよりも殿下が召し上がってください。以前から欲しがっていたものでしょう」
「以前?」
大きな目を瞬かせ、エフィは不思議そうに首をかしげる。
「言ってなかったかな? 地方で月一バザーをしている教会があって、そこのクッキーは素朴だけどものすごくおいしいという評判があったんだ。そのときは毒見の関係で食べられなくて、そうこうしているうちに、その教会でのバザーは中止になった。今は何とかバザーは復活しているようだけど、クッキーはもう手に入らないんだ。作っていた人がもういないから」
ランディは甘い笑顔を浮かべてエフィの手を取り、握りしめた。ほんのりと温かい手なのに、指先は少し冷たい。
最近、ランディはこんな風に不意に距離を縮める。
「その教会が、エフィのいたところだ」
「それであんなにしつこく、クッキーが食べたいと言っていたんですね。ヴィーヴィス邸の料理長、驚いていましたよ。貴族令嬢が台所に立つなんてないのに、殿下に言われたので仕方なく開放するって」
ルーウィットを懐柔するという目的もあったが、自身が食べたいという欲もあったというわけか。
「おっしゃってくだされば、いくらでも作りましたのに」
有料で。と心の中で付け加える。クッキーは主成分が小麦粉だ。しかもエフィが作るクッキーは牛乳も油脂も控えめなので材料費がかなり安い。
「よかったですね、殿下」
ルーウィットが呆れつつ嘆息すると、ランディは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
「理解してくれてうれしいよ。さて、おいしいティータイムをして糖分を補給し、今後について話し合おうか。エフィが特級聖女になるために何か一押し欲しいと思ってね」
ランディはソファに腰を下ろし、クッキーに手を伸ばした。前歯で噛めば、サクリと半分に割れる。味わうようにゆっくり咀嚼し、ルーウィットに視線を向けた。
ルーウィットは仕事の手を止め、ランディを見る。
「今のままでも十分では?」
クッキーを一枚食べ終わったランディはゆったりとカップを口に運び、紅茶を一口飲んだ。カップを置くと優雅な笑みを浮かべる。
「それがそうもいかない。カルヴァンサス嬢の方も動き出した。子飼いの魔法師や治癒師を使ってのことだと思うが、奇跡の切り売りを王都で始めた」
「それはまあ、何とも……」
ルーウィットは続けにくそうに言葉を切った。
エフィも昨日聞いたばかりで、キュアリスの奇跡がどの程度のものかわからない。だがフローリアではなく王都でやるというのはある意味賢いと思った。
たとえ特級聖女に昇格せずとも、王都民によい印象を与えられれば、王太子の婚約者を、という声が強くなる。
「どうやら向こうはフラウリカを提供しているらしいんだ」
投下された発言に、エフィもルーウィットも目を見張る。
本物とされるフラウリカは、教会本部の最奥の庭にのみ咲く。持ち出すことができるとすれば、大司教以上の階級を持たなくてはいけない。
「それで私に大司教を探れと言ったんですね」
探るといっても、会話程度しかしてないが。
「そう。しかも様子をうかがった部下の話によると信者たちの目の前で蕾から花へと変化させているらしい」
願いはかなわずとも、その神秘な光景を見せられただけで信者は心を囚われるのだという。
「エフィがやったことと一緒だな」
考え込むようにルーウィットは言った。
「私はしてませんよ。蕾を持たせて、願いが叶うことに花が咲くでしょう、と信者に丸投げしていました」
「いや、しただろう。聖女認定の時、人前で咲かせた」
ルーウィットの言葉に、エフィは査定が行われた日のことを思い出そうとした。確かに、フラウリカを咲かせた。
「あれは咲かせてみろというから」
「本気で咲かせられるとは誰も思っていない。魔力コントロールができるかどうか見るだけだ。あるいは、黒い花を咲かせないかを」
「黒い花?」
それはエフィも初耳だった。
「邪悪な心を持つと、黒い花が咲くらしい」
実際には見たことがないが、とルーウィットは付け加える。
「私の知らない話は、あまりしないでもらいたいな」
ランディが拗ねるように割り込んできた。
エフィは慌てて、あの日にあったことを話した。といっても、特別な何かがあったわけでもない。エフィがフラウリカを咲かせただけのことだ。
「じゅうぶん特別なことだよ」
何度も目を瞬かせて、ランディはエフィをほめちぎった。
「しかも神の庭にわたっているなんて、本来なら教皇の次に強い権限を持っていてもおかしくない……」
それでも、エフィが特級聖女に格上げされることはなかった。最終判断は教皇がするとはいえ、大司教の間でもめているのだろう。
「それにしても、してやられたって感じだな」
「同意ですね」
額に手を乗せ天井を仰ぐランディに、同意するルーウィット。エフィは分からず、訊ねる。
「どういうことですか?」
「二番煎じになるから、エフィが民衆の前で咲かせるという奇跡はもうできないということ」
欠損部位を再生させるよりも、フラウリカを咲かせる方が人民の心をつかみやすいということだ。
エフィは首をかしげ、ほんの少し考えてみた。実は前々から思っていたことを実行するなら今しかない。軽い気持ちで提案する。
「では、キュアリス嬢の嘘を暴くというのはどうでしょう」
「嘘を暴く?」
「罪のでっち上げでも構いません。フラウリカを咲かせる、というこちらの戦法を盗んだのですから、こちらも向こうの戦法を盗むだけですよ。私は願い花をフラウリカとでっちあげられました。ジーニアスの名で発表された論文が、別の誰かのものだと証明するんです。論文は、彼女が女神の声を聴いたという証拠なんですよね?」
論文の持ち主が別人だったのなら、キュアリスは女神の声を聴いていないことになる。
いや、仮に本当に女神の声を聴いていたのだとしても、論文が自分のものだと虚言したことになる。そうなれば、罪に問われることになるだろう。
「確かにキュアリス嬢は、ミドルネームを最近になってからジーニアスに改名したんだよね」
思い出したようにランディが言う。
「そうなんですか?」
「そう。ジーニアスの論文が発表されて、謎の人物が論文を書いたと噂になってからかな。送られてきた論文には署名すらなくって、発表するのに研究者の名前がないと困るから『天才』とつけたっていうことが分かってから」
「それって……」
「王家どころか、貴族の間でも有名じゃないかな。手柄の横取りがうまいんだよね、あの公爵家は」
嘲りの笑みを浮かべるランディを見て、エフィは少しだけキュアリスを哀れに思った。
たとえこのままキュアリスの方が聖女として格上を貫き通しても、ランディの心を得るのは難しいだろう。彼はキュアリスを軽蔑しきっている。
エフィはルーウィットに視線を向けた。
「なんでルーウェルさんの名前でださなかったんですか?」
「理論を組み立てたわけじゃないのに、できるか。かといって、論文の持ち主だという人間が名乗り出ているのに、今更本物を探すこともできない」
「でも、まだ隠している論文はあるんですよね?」
にっこりと笑うエフィを見て、ルーウィットは気の進まなそうな表情を浮かべる。
「諸刃の剣だ。未発表の論文は、人間が手を出すには危険すぎる理論だ。存在そのものを明かすわけにはいかない。世界は混沌に陥るかもしれない」
「私は内容を知らないが、そんなにも危険な内容なのか」
ランディが聞く。
「軍事的にも、宗教的にも、価値観がすべてひっくり返るでしょうね」
ルーウィットが言っているのは、死者の蘇生だろう。確かに、軍事的に世界がひっくり返る。死んでもまた生き返るのだから、永遠に戦い続けられる。
「じゃあ、こうしましょう。これから私たちで、ジーニアスの論文をでっちあげるんです」
エフィの提案に、ルーウィットはわずかに眉間にしわを寄せた。




