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 無事とはいいがたいが、何とか一日を終えた。

 ルーウィットは自分の屋敷に戻り、書斎に置かれたソファに深く身を沈めた。


 階下ではランディの配下が食事中なのか、いつもにはない賑わいを見せている。見張り中の人間もいるから全員集まっているわけではないだろう。

 ランディがどれほどの人間を連れてきているのかは知らない。私設護衛団だからそこそこの実力を持ち、なおかつ性格は荒っぽい。


 こつこつと扉をたたく音が聞こえたかと思うと、返事を返すまでもなくランディが現れた。

 手にはグラスとワインを持っている。酒の類は屋敷に置いていないから、ランディが持ち込んだのだろう。


「やけ酒ですか?」

「なぜそう思う?」


 ルーウィットの向かい側に腰を下ろし、グラスを二つテーブルに置く。


「焦ってエフィと接触したことによって、カルヴァンサスを刺激したことを後悔しているんでしょう? かえって彼女を危険にさらしたので」


 ルーウィットの言葉が図星だったのか、ランディは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「お前が悪い」


 拗ねたようにつぶやき、ランディはグラスにワインを注いだ。ルーウィットの分も用意される。ポケットに入れていたらしいチーズの包みをばらばらとテーブルの上に置いた。


「今日は付き合え」

「酒は苦手なんですが」

「苦手と言いつつ、酔わないじゃないか」

「酔わないからこそ、ですよ」


 ルーウィットが肩をすくめて拒否の意を示すと、それ以降、ランディは無理強いをしなかった。ランディはグラスに口をつける。


「今日の襲撃の件、キュアリス嬢が手柄を立てたことになった。相変わらず、手柄の横取りはうまいな」

「手柄を立てた……って、彼女もエフィの植物拘束を受けていたはずですが。明らかに襲撃者の一人でしょう」

「それについてはどうとでもごまかせるんだろ。ルウたちが逃げたせいで、襲撃の目的が私だとされたんだ。キュアリス嬢には私を襲う理由がないからね。聖女の力で予知して、私を助けに来たんだそうだ。ほんと、余計なことをしてくれたよ」


 ランディはルーウィットを睨みつけ、包装をといたチーズを口に放り込んだ。


「まだ正式にあなたの婚約者だと決まっていない低位貴族のエフィが、殿下とともにいることの方が危険だったのでは? いくら貴族の後ろ盾を得たとはいえ、アークは貴族としては新参者。アークの発言力が強くても、正式な手順を踏まれれば負けるのは男爵なんですよ。この国はいまだに爵位の上のものが法的に強い。地盤固めの途中で横やりを入れてきたのはあなたでしょう」


 ルーウィットの言葉に、ランディは憮然とした表情を浮かべる。


「耳が痛いな。焦っていたことは認める」


 ランディはグラスをあおり、一気に中身を空けた。


「だがわかってほしい。ようやく婚約を取り付けたところでの、水が差されての婚約解消だ。しかもこのままだと別人をあてがわれる。焦りもするだろ」


 もう一杯ワインを入れて飲み始めるランディを、ルーウィットは哀れむように見つめた。

 ランディの初恋の件は聞いていたので知っている。教会で出会った、孤児だと聞いた。

 あまりに身分が違いすぎて、話にならない。どうせ結ばれることのない恋に、周囲は反対をしなかった。ひと時の恋くらいさせてやろうと。ランディも自身の立場を知っているからこそ、その少女に思いを告げることはなかった。


「そもそも彼女は、殿下のことを覚えていなさそうでしたが」

「覚えてないだろう。会う時はいつも変装していたし」


 ランディは自分の金の髪をつまんだ。

 エフィと会う時は魔法ではなく染め粉で染めていたとルーウィットは聞いている。

 まやかしの魔法は触媒がいる。その触媒がいつ手元から離れるかわからないというわけで、ランディがお忍びで街に降りるときは染め粉を使用していた。

 だからこそ、ルーウィットの銀髪や青い目をすぐに見抜いたエフィでさえ、ランディのことには気づかない。


「あの時は、ただ会えるだけで満足だったんだ」


 かなり速いペースでグラスをあおる。ランディは顔色一つ変えない。

 問題に発展したのは、その少女が聖女認定を受けたからだ。しかも、最も微妙な三級聖女。だが、王族との婚姻が絶対に無理という立場ではなくなった。同時に高位貴族からの抗議が入ることも必死だった。


「地方に赴任してからは会うこともできなくなったけどね」


 行って戻ってくるだけでも十日はかかる。それほど長い間、個人的な理由で不在にするわけにもいかないのが、ランディの立場だ。

 ランディはエフィを迎え入れるために必死で動き回った。そのとばっちりがルーウィットに来たわけだが、まあこの際それは仕方ない。


「いっそのこと、気持ちを伝えられれば楽なんだが」


 そういってまた、グラスをあおる。すぐにワインは注がれる。


「殿下? 飲みすぎではないですか?」


 ルーウィットは心配になって、ランディの顔を覗き込んだ。ランディは酒を飲んでも顔色には出ないタイプだったが、明らかに目が据わっている。

 ボトルが空になった。ルーウィットのグラスにも手を伸ばし、空にする。


「ルウが悪いんだ。何も興味がないふりをして、彼女のそばに居続けて。誰かを好きになることはないだと? 昨日、どんな顔で彼女と接していたのかわかっているか? 自覚がないだけだろ。くそっ! せめて私に彼女を守り切る力があれば……」


 うわごとのように言って、ランディはワインボトルを抱えたままソファに沈んだ。


 ガキか。その言葉は飲み込んだ。

 たぶんこじらせているのはルーウィットもランディもそれほど差がない。

 しばらく様子を見ていたが、起きる気配はなさそうだ。ルーウィットはため息を吐き出して、書斎から出た。


 ランディの配下が、主を探し回っている様子はない。そのまま食堂に向かえば、少人数ながらも宴会状態だった。彼らもまた、結界魔法から主を守れなくて焼け酒状態なのかもしれない。

 家事人形たちが忙しく動き回っていた。普段は銀食器磨きしかすることがないので(本来は執事人形の役割だが、彼らは本当に仕事がないので任せている)、心なしかうれしそうに動いている。


「ダナス!」


 ルーウィットは筆頭護衛官の名を呼んだ。これといった特徴が見受けられない男だが、仕事についてはよくできる。今朝の襲撃の時、最後までランディのそばにいて、エフィを見捨てたのもこの男だ。

 ダナスはきつい酒のにおいを漂わせ、顔を真っ赤にしながらも、誰よりもはっきりとした足取りでルーウィットのそばまで来る。顔は赤くなるが酔わないタイプだ。


「殿下が執務室でダウンした。酒抜きするなりそのまま部屋に運ぶなりしろ。あと、誰か一人は必ずついていろ」

「この屋敷の中は安全でしょう?」


 ダナスは内心の読めない笑みを浮かべる。彼が安全だと確信しているのなら、安全なのだろう。主の危険に関しては人一倍敏感だから大丈夫なはずだ。


「だからといって油断するな」


 屋敷を守る戦闘人形がいる限り、賊を一歩も侵入させることはない。だが人形にも欠点はある。せめて一人くらいはついていろと思うのだが。


 もちろんアーク邸にも同じ種類の戦闘人形がいる。この数日、エフィの命を狙うものは秘密裏に処理はできていた。移動の間も人形をそばに置いておくことができればいいのだが、この人形たちは一定の命令しかこなせない。『屋敷の維持』という命令が刷り込まれている以上、家の中でしか動けないのだ。


「では連れ戻しにまいりましょう。場所は書斎なんですね?」


 ダナスは一礼をして書斎に向かった。

 ルーウィットも食堂を出て屋敷内を歩く。特に点検をせずとも、人形たちが隅から隅まで手入れをしている。


 普段のこの屋敷は人間はおらず、人形たちで運営されている。月に一度、人形師が検診来る以外は人の気配がない。その屋敷の中に人の熱気があるのは不思議な感覚だった。


 自分の所有する屋敷なのに所在がないような気がして、屋敷の端へ端へと向かう。

 最終的に到着したのは、屋根の上だった。子供の頃、よくこうして夜の闇に紛れて屋根に上った。真っ黒の髪が夜空に溶け出して痛みも苦しみもなくなってしまうのではないかと思っていたから。


 ルーウィットはふと、視線を隣の敷地に向けた。屋敷自体は遠くて、エフィがどの部屋にいるのか、わからない。ただ、いくつかの窓からは明かりが漏れていた。

 ランディには、自覚がないと言われたが、残念ながら自覚はしている。痛いほど。


 昨日は、欠損箇所を治して倒れて血の気を失ったエフィをみてどうしようもなくやるせない気持ちになった。そして問いただしたくなった。

 なぜ命を削るようなことをするのだ、と。そんなにも成功報酬が欲しいのか、と。

 だが患者一人一人と向き合うエフィは金のために働いているようには見えなかった。そもそも単純に金を稼ぐのなら、もっと効率の良い方法がある。なぜあえて聖職者という道を選んでいるのだ。もっと汚い方法で稼いでくれたのなら、こんなにもルーウィットの心はかき乱されなかった。


 ルーウィットがエフィの存在を知ったのは、ランディが婚約者を聖女の中から選ぶと宣言した時だった。

 通常聖女の認定を受けたものは地方教会にはいかず、中央教会か王都で役割を果たす。それなのに自ら地方を志願した者がいると知って、がぜん興味がわいた。


 エフィの出自が孤児だということもあり、ランディの婚約者になることはないだろうと思ったが、一応しばらく監視をしていた。

 あまりの清廉潔白さに驚いた。朝は早く起きて、広いとは言えないが一人でするには困難な教会を掃除し、教会の畑での収穫以上のものを食べることはしない。取れた麦でパンを焼き、時には菓子を作り、子供たちにふるまっていた(これは後程、実は販売していたと知ることになるが)。

 月に一度はバザーを開くために、子供たちに焼き菓子や工芸品の作り方を指導していた。人々に生きる希望を与え、生活するための手段も教えていた。


 理想の人もいるものだ、とルーウィットは何気なくランディに報告した。

 するとランディは嬉しそうに笑った。


『ルウの眼鏡にかなってよかった。彼女が、私の初恋の人なんだ。身分から言って彼女のことはあきらめていたけど、聖女なら話が違ってくるだろ?』


 ランディは元からエフィを選ぶつもりで聖女すべてを調査させたのだ。

 その時、少なからず衝撃を受けたことを覚えている。

 聖職者は婚姻可能だ。むしろ推奨されている。人の発展は、人が増えることでしかなしえない。彼女を妻に、一時でもそう思った感情にはふたをした。


 ランディの花嫁に彼女を迎えるにも、いろいろと問題があった。たとえ聖女であっても、出自が不明だということだ。

 ルーウィットは行方不明リストを漁った。該当者はいなかった。一番近いと思われたのは、幼馴染のエイシャ・ヴィーヴィスだ。だが、エイシャは魔力過多症。生き残ったとしても、エフィと名乗る少女のようになるだろうか。


 残酷かとは思ったが、ルーウィットはヴィーヴィス夫妻をエフィのもとを訪ねた。意外なことに、夫妻はエフィの存在を知っていた。そして、おそらくエイシャだろう、とも。

 ただ、エフィにはエイシャとしての記憶が全くないので、見守るだけにすることにしたのだという回答を得た。夫妻によく似た人を見かけると、おびえるから、と。

 ルーウィットは、エフィがランディの婚約者に選ばれることがあれば、後見人になってくれとアークに頼んで屋敷を後にした。


 心の奥がもやもやとした。もし、エイシャが行方不明になった時、すぐに彼女を探していれば、彼女の隣で笑っていたのは自分だったのだろうか。

 そう思いながらも、ランディのためというよりは自分の心にけりをつけるために奔走した。

 そのうちきな臭い動きを嗅ぎつけた。戦争推奨一派が、ランディに取り入ろうとしていると。エフィを婚約者に仕立てるのは、ぎりぎりまで隠したほうがいい。

 そのため、婚約の儀が完了した際も本人に連絡はいかなかった。


 そしてとうとう事件は起きる。

 エフィがフラウリカを売っていることが暴露されたのだ。

 今まで心を寄せていたからこそ、ルーウィットは裏切られた思いでいっぱいになった。

 許せなかった。

 それでもいいと、ランディのようには割り切れなかった。その程度の好意だったのだと気づいて、自分自身に無性に腹が立ち、そんな思いを抱かせたエフィがますます憎くなった。


 だがその感情は好都合だった。

 嫌いになれば、人のものになるのも平気だから。

 エフィを毛嫌いしていることを知って、ランディは彼女の護衛をルーウィットに任せた。思えば、それが間違いだったのだ。

 もともとあった好意が反転し嫌悪に変わった。それがまた好意に反転するなんて、ありえるのだから。


 金が欲しいと言いながら、エフィはいつも懸命だった。

 昨日だって、最後は気合だけで信者たちの話を聞いて、仕事を終えてから倒れこんだ。いったい誰が守銭奴なんだと、数日前の自分を張り倒したい。


 青ざめた顔でソファに横たわるエフィを見ながら、初めて女神を恨んだ。彼女が一体何をした。なぜか女神は、エフィに過酷な力を与えたのだ、と。

 エフィが目を覚ました時、ルーウィットは心底ほっとした。目の奥に現れる魔力の流れは正常で、後遺症もなかった。


 あの時、力の使い過ぎで弱っていたエフィの目は潤み、夕焼けで顔に赤みがさしていて、まるでエフィが自分に恋しているのではないかという錯覚に陥った。

 思わず頬に触れそうになった。触れてしまえばきっと止まらない。頬をたどり、顎に触れ、鎖骨に指を滑らせ――

 エフィが気づくよりも早く、ルーウィットはランディがいることに気づいていた。だから、触れなかった。


 あの滑らかな頬に、触れてみたいと思ってしまった感情は、そう簡単には取り消せない。

 ただ、この感情に名前を付ける気もない。どうせ手の届かない人になるのだ。

 気づかなかったことにして、もう一度ふたをするだけだ。


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