17
「すまん、治療は得意じゃなくてな」
エフィの腕にごてごてと包帯を巻きつけたルーウィットは、申し訳なさそうに謝った。
安宿の一室、訳アリ客が多いのか、早朝の上、仮面をかぶっている男と傷だらけの女といういかにも怪しい組み合わせなのに部屋を貸してくれた。
エフィの髪はさすがに目立つので、ルーウィットが持っていたマフラーで頭を巻いて隠して入室した。
傷の手当てのための道具一式を借りて、この状態だ。傷は腕の他にも足や背中にもある。体中が痛いので、どこまでが外傷でどこまでが内部の傷なのかも、わからない。
エフィは痛む頭を持ち上げ、ルーウィットを見た。仮面はまだつけている。外せ、外さない、の押し問答が続いた後、エフィが根負けして仮面のままでいいということにした。
頭に巻かれている包帯も、意味をなしていない。治療は得意じゃないというよりは、苦手と言った方が正しい。
「司教なのに?」
聖職者の教育として、簡単な治癒魔法と手当の教育を受けているはずだ。
不思議そうなエフィの視線を受けて、ルーウィットは言葉に詰まったように仮面の顔をエフィに向ける。
「司教とは何のことだ?」
「あくまでもしらを切りとおすわけですね」
「まるで特定の誰かを想定している言い方だが、断じてそいつではない」
動揺をわずかに見せつつ、ルーウィットは言い切る。
てっきりランディの命令で影から見守っていたのだと思っていたが、エフィの予想は外れているのかもしれない。
仮面の向こう側で、青い目が静かに揺れた。
「顔にも傷がついたな」
武骨な手を伸ばして、柔らかくエフィの頬に触れる。唇の端に指先が触れた時、エフィは痛みで眉をしかめた。
「ああすまない。君は確か、軽度なら治癒魔法を使えるはずだよな?」
「怪我を治さないで、医師の診断を受けて慰謝料をふんだくる算段中です」
「こんな時にも金の話か」
あきれたようにルーウィットは言う。いつもの彼の態度に、エフィはくすりと声をこぼした。
「と思いましたけど、やっぱりやめておきます。痛いのは嫌ですし、何より業務に支障が出ますからね」
エフィはそういって、治癒の魔法をかけた。実は平気なふりをしていたが、肋骨は折れているし足は捻挫しているしで、結構きつかった。それでも治さなかったのは、慰謝料のくだりをルーウィットと楽しみたかったのかもしれない。
いつものように呆れた声で、たしなめてほしかったのかもしれない。
「王太子には現状を連絡入れておいたから大丈夫だと思うが、今日くらい休んだらどうだ?」
「まさか、そんなことできませんよ。たぶん誰かが襲われたこと自体は街で噂になります。そんな時に私の姿が見えないとなると、人々は不安になりますよ」
エフィはベッドから立ち上がり、体の不具合を確認した。くらりとしめまいを起こして倒れ掛かり、ルーウィットに支えられる。
「ほら、やっぱり無理だろ。昨日の疲れ自体も取れていないんだ。何のためにわざわざ教会とは反対方向に来たと思ってる? 君が休むためだ」
それは不思議に思っていた。わざわざ宿を借りずとも、教会に行けばいい。あるいは、男爵邸に戻ればいい。
「アークさんの家に連れ戻さなかったのは、彼が心配してしまうから?」
「するだろうな。むしろヘルミーナが」
なぜ、ルーウィットが一介の手伝いの名を知っているのだろうと思ったが、そもそもヘルミーナが修道女だったのをエフィは思い出す。修道女というよりは、メイドのように世話を焼いてくれる。いや、メイドというよりはむしろ姉か母に近い感覚だが。
「やっぱりルーウェルさんですよね?」
「いや違う。断じて違う」
「というか、そもそも銀髪の人って、ルーウェルさんしか知らないんですけど」
エフィの言葉に、ルーウィットは息をのんだ。それから何かを思い出したように息を吐き出す。
「そういえばエフィには幻惑の魔法が効かないんだったな」
諦めたように仮面を取り外す。仮面の中は暑かったのか、白い肌にうっすらと汗をかき、前髪が額に張り付いていた。
視界が広くなったルーウィットは、改めて怪我の様子を探るようにエフィを見下ろした。その頬に朱がはしる。
「どうかしました?」
「いや、服の背の部分が……」
それ以上は言えないというように、ルーウィットはエフィから視線をそらした。背中に一体何があるんだろうと手を触れると、生地がぱっくりと裂けており、下着が丸見えだった。
ばさりとローブが被せられる。
たった今までルーウィットが着ていたローブには、彼の匂いが染みついていた。
結局、エフィが一歩も引かなかったのでルーウィットは彼女を教会まで届けてくれることになった。
服は破れてしまっているし、宿屋に来たことによって教会から離れてしまったので、一度帰った方がいいということになる。
宿の主人に頼み、届車を頼む。路面電車やバスとは違い、目的地まで連れて行ってくれる、いわゆる辻馬車の車版だ。
そうして着いたのは、アークの屋敷ではなくルーウィットの屋敷だった。
「なんで教えてくれなかったんですか!」
ただし、所在地はアーク邸の隣だ。隣といっても個々の屋敷と敷地が大きいので、それなりの距離はある。
「言う必要がないと判断したからだ。敢えて隣を選んだのは、何かあった時に駆け付けやすいように配慮した結果だ」
「都合よく隣が開いていましたね」
「そんな都合のいいことが世の中にごろごろとしていると思うか?」
つまり、アーク側の家に住んでいた住人を追い出したわけだ。道理で爵位をもらってすぐ移り住んだにしては、いろいろと使い古されたものがあったわけだ。貴族らしい威厳はあったものの、アークの雰囲気にそぐわないと思っていた。
「でしたらうちにに戻ったほうがよかったのでは?」
屋敷の中へと案内されながらエフィは聞く。来客が少ないのか、あるいは主があまり家に寄り付かないのか、あるいは別の理由からか、玄関入ってすぐの大広間は綺麗に手入れはされているが殺風景だった。花の一輪もなく、絵画の一枚も飾っていない。
「アークやヘルミーナにそれを見られると、しばらく外出禁止になると思うが」
しかも家を出たはずなのに戻ってきたということは、心配しないはずがない。たとえ外傷が見当たらなかったとしても。
「ルーウェルさん、ご家族は?」
そういえば、聞いたことはなかった。もとより話したがらないということもある。フィーリルフィア教は聖職者の妻帯も認めているので、ルーウィットに妻がいてもおかしくはない。想像はできないが。
「いない」
「奥様も?」
「いると思うか?」
エフィを見て、ルーウィットは自嘲的な笑みを浮かべる。
「男性一人でお住まいなのに、私が着られる服はあるのでしょうか」
聖女であるエフィが司教服を着るわけにもいかない。やはりアーク邸に戻るしかないのか。そう思っていると、ルーウィットは玄関にある呼び鈴を鳴らした。
すぐに二階から、音もなく侍女が服を手に現れる。
淡い紫の服は、どう見ても男性が着るような色合いではない。ルーウィットはいつ、服のことを侍女に説明したのだろう。
「どうぞお嬢様、こちらを」
メイドは感情の宿らない表情で、エフィに服を渡した。
「ありがとう」
礼を言いつつ服を受け取るとき、メイドの目に違和感を覚える。
「人形?」
魂が宿っていない、がらんどうの体に見えた。頬の滑らかさといい、触れた指先といい、どう見ても人間なのだが感情がうかがえない。
「よくわかったな。魔力可動式の自動人形だ」
感心したようにルーウィットが言う。
「お嬢様、こちらでお召し替えを」
無表情だが、完璧な礼をして、本来の人形ならたてる稼働音すらなく侍女人形はエフィを案内する。
案内された部屋でぼろぼろになった服を脱ぎ、柔らかなワンピースに袖を通す。エフィのためにあつらえたとしか思えないほど、ぴったりと合っていた。
「お似合いでございます」
「本当に人形?」
人形にしてはできすぎだ。かといって人間にしては匂いがなさすぎる。
「人形というよりはホムンクルスに近いと思っていただければ。最低限の知能はありますが、魂を入れることができませんでしたので」
エフィは驚いて、侍女人形を見る。これはどう考えても、魂を入れる前提で作っている。
「あなたを作った人は誰?」
「それは言えないようになっております。ただ、旦那様ではない、とだけ」
侍女人形は慣れた手つきでエフィの乱れた髪を結いなおす。
侍女人形の作者は、頭がいい。誰かに見つかって自分を探し当てられることのないように侍女人形に制作者を言えないようにしかけておいて、なおかつルーウィットではないことを吹き込んでいる。
基本的に人形は嘘をつけないようにできているから、彼女の言うことは本当なのだろう。
着替えを終えて部屋から出ると、ルーウィットは支度を終えて待っていた。
「この服、ぴったりなんですが」
「そりゃそうだ。殿下から君への贈り物だ。本来なら自分で渡したかっただろうが非常事態だから許してくれるだろう」
いろいろ気になる点を言ったが、エフィはとりあえず一つだけ尋ねた。
「殿下の持ち物をなぜルーウィットさんが持っているんですか?」
「殿下が昨日から滞在しているのが、ここだからだ」
「なるほど」
まだ婚約者にもなっていないエフィに服を送ろうとする理由については、聞かないでおこうと思った。
そして昨日までと同じように、エフィはルーウィットの車で教会に向かう。
昨日倒れたこともあったせいか、到着が遅れても気にしているものは、いなかった。




