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 翌日からの迎えは、ランディの配下によって行われた。

 朝靄がかかっている時刻はいつも通りだが、エフィの目の前に音もなく止まったのは艶やかな黒塗りの車だった。全長も長く、見るからに高級車だ。


 運転手が下りてきて、後部座席を開ける。四つの座席が向かい合う形で配置されていた。さすが高級車だけあって、革張りの贅沢な椅子だ。

 手袋をはめた手に助けてもらいながら身を滑り込ませると、そこには先客がいた。扉から見ると奥になっているので、座るまでは気が付かなかった。


「なぜここにいるんですか」


 てっきり後のことは配下に任せ、自身は王都に戻っているかと思っていた。


「もちろん君に会うためだよ」


 エフィと向かい合う形で座っているランディは長い足を組み、今日も朝から完璧な笑顔を浮かべていた。

 扉が閉まり、音もなく車が動き出す。

 車の内装は、手を抜くことを考えずに贅が凝らされていた。天井につかられた小さなシャンデリアが車の揺れに合わせてきらきらと光を反射する。


 あまりに贅沢すぎて、逆に落ち着かない。肘置きにはまっている宝石の一粒だけで、どれほどの人を養えるか。

 エフィも手袋をもらえばよかったかもしれない。指紋をつけるのすら躊躇う内装に、エフィは落ち着きなく何度も姿勢を変える。

 真正面に座るランディは、目が合うたびにエフィに微笑みかける。


「そんなに緊張しなくてもいいのに」

「しますよ。あまりに住む世界が違いすぎて、こう、身の置き所が」


 これでも、上流階級の人間との付き合いが全くなかったわけではない。教会ではなく、先方に招かれ屋敷を訪れたこともある。だがこの車一つとっても、貴族と王家所有のものでは、洗練のされ方が一味も二味も違う。

「大丈夫だよ、すぐに慣れる」


 確かに、すぐに慣れるだろう。初めは違和感のあった肉体のある生活にも、すぐに慣れたのだから。そして、エフィは徐々に人間に近づいている。感情も感覚も肉体に大きく影響を受けている。

 このままではだめだ。エフィがエイシャの人生を奪うわけにはいかない。

 エフィは視線を落とし、ぐっと拳を握りしめた。その様子を複雑そうな表情で見ていたランディはおもむろに口を開く。


「エフィ、隣に座ってもいいかな?」


 ランディは控えめに尋ねてきた。エフィは視線を上げ、首を横に振る。


「私は殿下の婚約者ではありませんよ」


 座席が二つしかないのならまだしも、今はボックスタイプの座席だ。恋人関係にないものが並んで座るのはおかしい。


「私はそう望んでいる」

「殿下が望もうとも望まざるとも、早まった行動はお控えください」


 エフィがそういうと、ランディは苦笑いを浮かべた。


「カルヴァンサス嬢なら嬉々として受け入れてくれる申し出なのにね」

「あの方は、聖女である前に貴族ですから。そして私は貴族である前に神に仕える身なのです」

「カルヴァンサス嬢を失墜させるよりも、君を陥落させる方が難しそうだ」


 愁いを帯びたため息を吐き出す。

 それと同時に、甲高い音をたてて、車が急停車した。ベルトを締め忘れていたエフィは前につんのめり、ランディの腕の中に転がる。ランディは床に膝をついたエフィの体を抱きとめた。


「どうぞお放しください」


 エフィは慌てて離れようとしたが、ランディはそれを許さなかった。エフィの頬がランディの胸に押し付けられる。思っていたよりも固く、しっかりとした筋肉がついているのが服ごしに分かった。


「何があったんだ?」


 運転手席に通じる小窓を開けて、ランディは問う。


「どうやら結界が張られたようです」


 運転手がそう答え、助手席に乗っていた魔法師が車から降りる。


「護衛車は分断されたようです。万が一のため、私はこのまま待機します」

「わかった」


 短く答えると、ランディは小窓を閉めた。


「腹が立つね。ルーウィットを下がらせたとたんこの失態なんて」


 剣呑さの宿る声でつぶやき、ランディは床に膝をついていたエフィを抱き上げ体勢を立て直した。なぜかランディの膝の上に横座りで座らされる。天井も高い車なので、エフィの頭がぶつかることもない。


「このようなことをなさっている状況ではないかと思いますが」


 前方で爆音が響いた。先ほど車から出て行った魔法師が襲撃者と戦っているのだろう。エフィの顔に焦りが浮かぶ。それとは対照的に、ランディの態度は落ち着いたものだった。


「外部と連絡がつくまで、どうせ暇だ」


 確かに車から出るというのは悪手だ。もともと魔法防御がされている車だから、ある程度の攻撃になら耐えられる。


「私に、退けろという命令をしないのですか?」

「しない。むしろ飛んでいきそうだからこうして捕らえている」


 ランディはそういってエフィの腰に手を回し、抱きしめた。

 後方でも爆音が上がった。車は跳ねるように大きく揺れたが、中に影響は全くない。


「襲撃者はおそらく複数人います。一人で対処するのは困難かと」


 エフィはもがいてランディから離れようとした。だが鍛えていない女の腕では、ランディはびくともしなかった。


「君は攻撃のための魔法を学んだことがないと聞いている」

「ですが補助くらいは!」

「ダメだ! 私の婚約者の話がなかったとしても、君はこの国の宝だ。死なせることはおろか、傷の一つも負わせられない」

「……わかりました。ではここから少しでも補佐をします。集中したいので放していただけますか」

「絶対に逃げないと約束をするなら」


 ランディは鋭い視線でエフィを射抜いた。傷一つ追わせないと言いながらも、逃げたならエフィを殺してしまいそうな視線だった。エフィもまっすぐに見つめ返す。


「約束致します」


 エフィの決意を受けて、ランディは大げさなくらい大きなため息をついてエフィを離した。エフィは座席に戻って目を閉じる。

 呼吸を深くし、意識を内側に潜らせて音を遮断する。

 見えないはずの外部状況が感覚でわかるようになる。

 襲撃者は最低でも三人だった。気配を潜めているものまでは数えられない。派手に動き回っている者の魔力が強すぎて、見えにくいのだ。


 エフィはまず、一番威力の強い魔法を放つ男の足元に種を植え付けるイメージを浮かべた。すぐにするりと芽を出す。芽はどんどん伸びていき、襲撃者を捕らえた。同様に他の二名も捕らえる。

 攻撃していた者たちの魔力が消え、見えていなかったものが浮かび上がる。殺気が二つ。

 今度はそちらに種をまこうと、より意識を集中する。


「エフィ!」


 閉ざしていた音が戻ってきたと思った瞬間、後部座席の窓が割れた。太い腕が伸びてきて、エフィの首根っこを掴まえる。

 アッと思った時には車外に放り出されていた。


 ランディがエフィに向けて手を伸ばしていたが、運転手がそれをさえぎった。車にすぐに結界が張られ、ランディを保護する。運転手はランディに護衛のために残ったのだから、それが正解だ。


 レンガ舗装の道路に叩きつけられたエフィは、痛む頬を抑えながら体を起こそうとした。

 痛いのは頬だけではない、全身がずきずきと悲鳴を上げている。


「なんであなたがランディ様の隣にいるのかしらね」


 細いヒールがエフィの肩に押し付けられる。

 顔を上げずとも、声で誰なのかわかった。キュアリスだ。憎しみを込めて、ヒールをさらに食い込ませる。


「っ……」


 痛みに、小さな悲鳴がエフィの口からこぼれた。歯を食いしばり、視線を上に向ける。キュアリスの他に、もう一人いた。いや、気配はほかにいくつもある。ただ黙ってこちらの様子をうかがっているだけだ。


「レディ、今回は見ているだけだという約束だぞ」


 先ほどエフィを車から引きずりおとした筋肉ダルマがキュアリスを非難する。


「だって転がってきたんだもの、しつけをしないわけにはいかないでしょう。ねえ、この泥棒猫が!」


 キュアリスはそういって、持っていた鉄扇でエフィの頬をはたいた。いやな音とともに、口の中に血が広がる。肩を抑えられていたせいで、地面に転がることはなかった。


「ふふ。あなたにはそんな風に汚れ切った顔がお似合いね」


 キュアリスは愉快そうに唇の端を持ち上げる。

 今まで朝の迎えで襲われなかったのに今日に限って襲撃されたのは、キュアリスの逆鱗に触れたからだろう。そういった意味で、今回の変更は成功だ。


 だが怒りで目がくらみそうだった。

 これはエフィの体ではなく、本来はエイシャの体だ。大切なものを傷つけられ、頭の芯が熱くなる。

 だからこそエフィは、力をふるえなかった。冷静な部分が、今魔力を放てば目の前の無力な少女を殺してしまうと警告していた。


 だからエフィは口元に笑みを浮かべる。いつも信者に向ける、慈悲深い笑みを。



「生意気ね!」


 エフィの目すら気に食わないのだろう。キュアリスは鉄扇を閉じるとエフィの目先に突き付けた。魔力の流れが集中する。


「おい! レディ! いくら何でもそれは」

「大丈夫、欠損部位を再生できる聖女なんでしょ? 目の一つや二つ、どうということはないわ」

「いまだ威力調整ができていないやつが何を言う。目をつぶすどころか頭が吹き飛ぶぞ。殺すなという命令が出ているだろ!」


 筋肉ダルマは慌てて止めようとするが、キュアリスはそれを軽く払っただけで吹き飛ばした。魔力が少ない割に、キュアリスは魔法をうまく使いこなしているようだ。


「最初の予定通り殺しちゃえばいいのよ。さあ、はじけ飛びなさい!」


 ぱきん!


 固い音をたてて、キュアリスが持っていた鉄扇の上半分が地面に落ちた。

 鋭利な刃物で切った断面がエフィに突き付けられている。

 植物の魔法を発動させようとしていたエフィは、虚を突かれて呆けた顔した。そんなエフィの背後に、ふわりと何かが舞い降りる。


 エフィが振り替える間もなく、何者かはエフィの体を持ち上げた。エフィを横抱きに抱えあげる。

 落ちそうな錯覚を覚えたエフィは思わず、彼の首に腕を回した。そして彼の顔を見上げる。

 白い魔物の面をかぶった男だった。砂色のローブをまとっている。


「何者なの!」


 鋭い誰何の声を上げたキュアリスに、エフィはえ? という視線を向ける。何者と問わずとも、彼の正体は明らかだ。

 仮面で顔は隠れているが、銀の髪は隠しきれていない。


「飛ぶぞ」


 心地よい低さの声が耳元で囁く。エフィの返事を聞く前にルーウィットは地を蹴った。結界上部近くにできた、人一人分通れるほどの穴から外に出る。

 パキパキと音をたてて結界が崩れ始めた。


 虹色に輝く結界の残骸を、近くの家の屋根からエフィは見降ろした。ルーウィットは相変わらずエフィを抱えている。

 ああそうだ、と気づいたエフィは拘束し損ねた襲撃者たちの足もとに植物を生やした。街中で暴れられたら困る。


 活動を始めた住人たちが、異変に気付いて騒ぎ始める。屋根の上にはまだ注意がいっていない。


「今のうちに逃げるぞ」


 ルーウィットは屋根伝いに移動を始めた。




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