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 朝靄がかかる中、エフィは男爵家の屋敷前に停まった車に乗り込んだ。

 男爵邸周辺は一部を除いてまだ眠りについている。起きているのは早朝から動かなくてはいけない使用人くらいだ。人目が少ないという理由で、ここ数日エフィが家を出るのはこの時間だ。

 緊張した面持ちで助手席に座るエフィに、ルーウィットはため息をこぼす。


「いい加減慣れたらどうなんだ?」

「きっと何回乗っても慣れません。早く新しい車を購入してください。司教って稼ぎがいいんですよね」


 以前ルーウィットが所有していた四人乗りの車は結局直らなかった。その車よりは新しいものの、二人乗りの車はやっぱり中古車だった。燃費を重んじたのか、この型がかっこいいとされていたのかエフィが知るところではないが、車体が低くて地面が近い。ルーウィットの運転技術を疑うわけではないが、ぶつかりそうで怖かった。


「車の製造はかなり時間がかかるんだ。それに注文しているのは俺だけじゃない。申請はしているが、早くても半年は先だろうな」


 エフィがベルトを締めたことを確認して、ルーウィットは車の運転を開始した。

 せめて後部座席でもあればいいのだが、ツーシートなのでどうしても前が見えてしまう。

 エフィはベールを目深にかぶり、できるだけ前を見ないようにしていた。


「馬車という手もあるが?」

「あれはあれで、目立ちますし」


 市民の主な移動手段は路面電車かバスだ。都市間になれば魔道機関車がある。個人で移動しようと思えば車か、最悪馬車だが、衛生面から見ても馬車は廃れつつあった。


「案外馬車のほうが宣伝効果があっていいかもな。フローリアの真黒聖女様?」


 ルーウィットはいたずらめいた笑みを浮かべる。


「その名前で呼ばないでください」


 エフィは頬を赤らめながら掌に顔をうずめた。その二つ名は、本当に不本意だった。

 エフィとルーウィットはキュアリスに対抗する手段として、民衆の心をつかむことから始めることにした。


 教会本部への立ち入りは厳しいものの、教会都市フローリアは基本的に出入り自由。大聖堂前の広場でエフィは祈りをささげ、悩めるものたちに救いの手を差し伸べる――やっていることは裁判沙汰になる前と全く変わっていない。ただ、代金を請求することができないだけだ。


 当初は寄付金を直接もらおうとしたが(そしてエイシャは一部を懐に入れる気満々だった)、見とれる笑顔でルーウィットは信者に寄付金は教会本部に直接、と言い出したためにエフィの手元には銅貨一枚だって残っていない。


 とにかく今までエフィがやっていたように、悩みを抱えている者たちの話を聞き、道標を与えたり、さりげなく目標を変えたりすることによって救われるものが続出した。


 そのためかエフィはフローリアの真黒聖女などと呼ばれるようになった。

 寄付金がうなぎのぼりのためか、上層部からは何のお咎めもない。


「そういえば、ルーウェルさんって朝ご飯はいつ食べてるんですか?」


 できるだけ外を見たくはないので、エフィはルーウィットに向かって聞いた。基本的にルーウィットから話しかけてくることはないので、エフィから話すしかない。

 そろそろネタ切れなので、朝食の話という何とも間抜けなものになってしまう。


「食べないな」

「昼も食べませんよね?」


 この十日、昼はルーウィットと過ごしているが彼が何か口にしたと言えば、アークが処方した薬か水か紅茶か、クッキー数枚程度だ。もちろんエフィを屋敷に送り返してから何かを食べているということもあるが、それすらも怪しい気がしてきた。


「食べないな」

「さすがに夜は食べますよね?」

「食べな……いこともないな」

「今の間は何ですか? 食べないんですか? どうやって栄養補給してるんですか」


 まさかアークが処方している薬が栄養源ということはあるまい。


「クッキーを食べてるだろ」

「クッキーだけじゃ死にますよ。いや、でもクッキーは食べるんだ……」

「それよりも、屋敷の方で変化はないんだな?」


 ルーウィットは露骨に話題を変えた。

 これ以上食事の話題を引っ張っても意味はない。エフィは意識を切り替えた。


「まったく変化なしです」


 この十日間、エフィの命を狙うものの動きは全くない。時折、遠くからキュアリスがエフィを睨んでいるが、何か仕掛けてくるでもない。ルーウィットがずっと張り付いているからかもしれないが。


「ルーウィットさんがいったん離れる、っていう手もありますけど」

「馬鹿言え。囮になんてできるか。いいか、俺たちの目的はあくまで、王太子の婚約者をカルヴァンサス以外の誰かに据えることだ。彼女の裏にいる奴らを引きずり下ろせるのならそれに越したことはないが、危険なことをするな」


 ルーウィットに念を押されるが、エフィは返事をしなかった。現状、キュアリスを今の立場から落とすということは、エフィは王太子の婚約者として名乗りを上げることと同義だ。


 エフィはまだ、エイシャを取り戻すことをあきらめていない。エイシャが戻ってきたとき、さすがに王太子の婚約者という立場はまずいだろう。だとすれば、エフィがとる道は一つ、キュアリスを引きずり落とすとともに背後の者たちを失脚させることだ。

 それができれば、エフィは大手を振って自由になれる。


 ルーウィットが車の速度を落とした。教会本部の駐車場に入る。

 エフィは気合を入れた。

 さあ、仕事の開始だ。




 膝が痛む、と訴える老女を椅子に座らせ、エフィはふんわりとほほ笑んだ。

 慈愛に満ちた笑みに、周囲は和やかな雰囲気になる。

 まだ多くの者たちが朝食前、それなのにエフィの前には早くも行列ができていた。


 日差しが出てきたので、教会の人間が広間に簡易的な日よけテントと椅子をいくつか用意する。夏にはまだ早いが、水分を失って具合の悪くなるものもいるので、飲み物も用意された。


 エフィは老婆の膝に手を置いた。魔力の流れを確認すると、老化による体組織の損失と筋力の衰えだということがはっきりと分かった。


「薬を飲むと一時的にはよくなると思いますが……」


 エフィはためらいがちに言葉を切る。


「痛み止めの薬はもう辛くてね。あれを飲むと食事が進まなくて」

「その痛み止めはおそらく、強すぎてお腹を刺激するんでしょうね。私が言う薬は痛み止めではなく、栄養補助のお薬ですね。あなたは最近、食欲が落ちているでしょう? 体に取り入れられる栄養が減ってきて、膝への栄養が不足しているのだと思います。それと痛みが原因で歩き方がおかしくなっていて筋肉のバランスが悪くなっています。そうですね……近々王都へ行く予定はありますか?」

「王都に行けばよくなるのかい?」

「王都のほうが魔医学が発展しているので。栄養補助と姿勢矯正について得意なのはこちらです」


 エフィは紙に施術院の名前を書きつけ、老婆に渡す。


「王都に行くまでは、膝が楽なようにお祈りしておきますね」


 そういってエフィは祈りの形に手を組んだ。魔法でほんの少しだけ膝の治療をする。が、根本的な解決にはなっていない。


「ああ。なんだかちょっと楽になった。さっきまでは真っすぐ立つのもしんどかったのに。まるで奇跡だね」

「奇跡を起こしたのは、治りたいと思ったあなたのおかげですよ。でも一時的なものなので、ちゃんと王都に行ってくださいね」


 慈悲のある笑顔で老婆を見送り、エフィは次の相談者を呼ぶ。


「婚約者に婚約を破断にすると言われて」


 泣きはらして目を真っ赤にした少女だった。


「まずはしっかりとお互いの気持ちを話し合ってください。二人きりではだめです。冷静になれる第三者を入れて。何が原因か、もう元には戻れないのか、それとも戻れるのか。大切なのは、相手を思いやること、自分を大切にすること。恋と愛は別物だと理解することです。後は、婚約を破棄されても、人生は終わらないということですね。恋物語でもよくあるように、くっついた別れたなんてよくあることです。大丈夫、たくさん悩んで傷ついて、それでも立ち上がろうとするあなたは美しいです。どんな結果が出てこようとも、最後に幸せになるのはあなたです」


 上辺だけの答えしか言えないのはもどかしいが、これだけ人のいるところで根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。遠くで誰かが、そんな男とは別れてしまえとヤジを飛ばしているが、そんなつもりならここへは来ていないだろう。


「そうですね、どうしても決心がつかないのなら、今日のお昼頃、ここから西の方向へ向かってみてください。きっと何かの転機になります」


 そういってエフィは少女の心に勇気の種を植える。吹っ切れるのも勇気、婚約破棄を求める相手を思い続けるのも勇気。たとえどちらに転んでも、少女はきっと後悔はしない。そしてその先には必ず幸せが待っている。


 続いてきたのは、ぼろぼろの服を着た子供だった。

 何かを言おうとするが、言葉は声にならない。

 エフィはそっと彼を抱きしめた。


「よく頑張ってここまで来ました。女神はすべてを見ています。まずは清潔にして、ほんの少し、お腹を満たしましょう」


 エフィは立ち上がり、ルーウィットを見た。

 眉間にしわを寄せ、ルーウィットは頷く。


 ウィード国は豊かで、どんな階級にも教育が行き届いているほどだ。それでもすべてを救いきれるわけではない。時折、こうした子供が現れる。親も貧しいのか、あるいは孤児なのか、あるいは虐待を受けているのか。教会はそうした子供らを受け入れる役割も担っている。


「いったんエフィも下がれ」


 ひょいと子供を担ぎ上げたルーウィットがエフィに耳打ちをする。エフィは非難の目をルーウィットに向けた。


「こんなに人が並んでいるのにですか?」


 ルーウィットの言っていることもわかる。子どもを預けに行っている間に、エフィが狙われる恐れもゼロではない。むしろ、これが罠だということもあり得るのだ。


「いい加減、自分の立場を把握しろ」

「把握しているからこそ、ここに残るべきだと判断しているんです」


 険悪な雰囲気になりかけた時、二人の背後にとある人物が立った。列に並んでいた者たちがざわめきだした。

 エフィは振り返って目を見張る。


「ではその子供は、私の配下が連れて行こう」


 まばゆい金の髪に翡翠色の目を輝かせ、ランディが言った。


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