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「君は馬鹿か」


 冷たい感情を宿した目で、ルーウィットは言った。

 白い司教服が紅茶の色に染まっている。怒っているのだというのは分かったが、かばわれた理由は分からない。


「命が狙われているというのに、なぜ簡単に扉を開ける? 今の紅茶もそうだ。ただの紅茶だからよかったものの、酸が入っていたらどうするつもりだったんだ」


 ルーウィットの言葉がすんなり入ってこなかった。


「もしかして、心配してくれてます?」


 よくよく考えて、たどり着いた答えはそれだった。ルーウィットは心配だったからエフィをかばった。


「当たり前だろう? 何のために俺の元で修行する手はずを整えていると思っているんだ。俺がエフィを守るためだろう。いくら俺が推薦したとしても、普通聖女の教育を男がすると思うか?」


 濡れた頭を魔法で乾かしながら、ルーウィットは煩わしそうに言う。


「あの」

「なんだ? まだ文句があるのか?」


 ルーウィットの表情は険しい。とんでもなく機嫌が悪い。それでもエフィは続けた。


「服の汚れ、落としますので脱いでください。早くしないとし染みになります」


 ルーウィットは服をつまんで見下ろした。


「別にいい。洗濯婦がやるだろう」

「紅茶の汚れ、結構厄介なんですよ。早い方がいいですって。しかも意外なことに、染み抜きの魔法って開発されていないんです」

「……ありそうなものだが」


 洗濯の魔法道具はある。大きな箱に水と洗剤を入れぐるぐる回すのだ。これによって洗濯業界は大きく変わり、洗濯婦という職業もずいぶん楽になっている。


「繊維はもろいので、『汚れ落とし』という魔法ではぼろぼろになってしまうんです。後は素材や汚れの種類によって術の組み立て方が違うんで結構厄介で。結論から言うと、手洗いのほうが労力が少ないんですよね。ですから、脱いでください」


 エフィの言葉に、ルーウィットはしぶしぶ司教服を脱いだ。下には、簡易的な服を身に着けている。

 肌触りが滑らかな絹の司教服を抱え、エフィは洗面室に向かう。洗剤は魔法で合成し、汚れを丁寧にタオルに移していく。

 何度か繰り返していくうちに、汚れは目立たなくなった。


「大したもんだな」


 耳のすぐそばで聞こえた低い声に、エフィはびくりと肩を震わせた。恐る恐る振り返れば、肩のすぐそばにルーウィットの顔があった。エフィの手元を覗き込んでいる。


「い、いつからそこにいました?」

「最初から」


 集中していたためか、まったく気づかなかった。 

 司教服を握りしめたまま、エフィはルーウィットの顔にくぎ付けになる。

 初めて見た時も思ったが、ルーウィットの顔立ちは驚くほど整っている。黙ってさえいれば、芸術的な彫刻だ。

 自分が女神だと自覚なければ、エフィも彼が女神の化身だと思っていただろう。


「あとはもう一度全体を洗濯して乾かせば大丈夫だと思います」

「それなら大丈夫だろう」


 ルーウィットはそういってエフィから司教服を受け取ると、浄化の魔法をかけた。一枚だけなのだから、洗濯に出すよりも効率が良い。


「確かにきれいになったな」


 汚れていた場所を確認し、再び司教服に袖を通す。そして執務机に着き、置いてあった本をわきによけてから事務作業を始めた。


 エフィはぽつんと立っているだけだ。さすがに何か言われるかと思っていたのだが、何もない。


「そういえば、お昼ご飯はどうするんですか?」


 柱時計を確認すると、時刻は正午をさしている。


「ああ。そういえば必要だったか」


 まるでルーウィット自身が昼食を必要としていない口ぶりだ。


「食堂に行くかここに持ってこさせるかだが……一人は危険だな。好きなものを注文するといい……ああメニューもないか」


 しばらく使用した形跡が見当たらない伝声管をさしながら、ルーウィットは言う。


「ルーウェルさんはどうするんですか?」

「食べない」

「まったく?」

「そう、まったく。だが君は遠慮せずに食べるといい。料金の心配をしているなら、無用だ。どうせ俺の給料から天引きだ」


 それほど仕事に追い込まれているようにも見えないが、いらないというのを無理に食べさせることもできない。エフィはルーウィットの言葉に甘え、伝声管を通して食堂に昼食を依頼した。


 同じ空間に人がいるのに片方が食事をして片方が仕事をしてという奇妙な時間を過ごした後、エフィはすぐに手持ち無沙汰になる。


「あの、修業は?」


 やることがなくなって、エフィも暇になる。今までの人生で、これほど何もしないことはなかった。


「昨日も言ったが、エフィに俺が教えられることはない。好きにしろ。もちろん、書斎からは出ていくな」


 書斎から出ては、守ることもできない。それはもちろんわかる。先ほどの紅茶の件もあったので、エフィは大人しく従うことにした。

 ルーウィットがわきによけた論文を再び手に取る。

 最初に魔法式が書いてあり、それについて丁寧に解説されていた。高等魔法を少しかじっているものになら理解できるように書かれていて、感心する。ただ、この繊細さがどう見てもキュアリスには結びつかない。


 一通り読み終え、書棚に戻そうとしたエフィは、ルーウィットがこちらを見ていることに気づいた。


「どうかしましたか?」

「その論文についての感想を聞こうかと」

「素晴らしいですね。とても分かりやすく解説されています。正直、魔法式だけでは相当学んでいる方じゃないと理解できませんから。ただ、気になるのは後ろに添付されている統計資料なんですけど……」

「何か問題があったか?」

「この論文はキュアリスさんが女神の言葉を聞いて書いたのだと伺いましたが、彼女では統計は取れませんよね?」


 事細かに書かれている統計は、一貴族で集められる数値には見えなかった。特に、肥料を改善した農作物の収穫に関しては、各領地の領主の承諾が必要だ。魔力過多症の治療経過や身体的欠損の治癒についても、国境を越えた症例がいくつも載っている。


「それは論文を受け取ってからの追試験のようなものだな。理論的には間違いなくとも、現実はいろんな要素が絡んでくるから必ずしもうまくいくとは限らない。どれだけ現実に即しているかの確認をしたものだ」

「私は理論の組み立てそのものよりも資料作成を行った方が素晴らしいと思いますね」


 エフィが素直な気持ちで褒めると、ルーウィットは一瞬動きを止めた。ややしばらく間をおいてから、彼は掌で口元を隠した。


「それを聞いたら、追試験を行ったものも喜ぶだろう」

「さらに言うと、追試験を行った人と論文の大部分を書き上げた人って、同じだと思うんですけど」

「どういうことだ?」


 口元に当てていた手を放し、ルーウィットはエフィを射抜く。エフィはソファから立ち上がり、執務机に近づいた。ルーウィットを見下ろして、にっこりと笑う。


「文章って、どうしても癖が出ますよね。論文の本文と資料に付け加えられている分の癖が、一致しているんですよ。違和感がないほど。もしかして、匿名で送られてきた理論に丁寧な解説を書いたのって、ルーウェルさんですか?」


 沈黙が下りる。ルーウィットは探るようにエフィの目の奥を覗き込んだ。だがそこには何も見えはしまい。ただただ真黒の目に、己の姿が映っているだけのはずだ。

 エフィを見上げていたルーウィットは、長い溜息をついて椅子に体を預けた。


「知っているのは、ごく一部の人間だけだ。でもどうしてわかった?」

「先ほど、資料のことをほめた時、照れましたよね。喜ぶのは本人くらいかと」

「たったあれだけで?」

「人の心を読み取るのは得意なんですよ。特に油断しているときは」

「さすが願い花で一儲けしたことあるやつの言葉の重みは違う」


 呆れ声でルーウィットは漏らした。

 ルーウィットに伝えていない情報が、実はもう一つある。

 それは、匿名で送られている理論がどういったものかエフィが原型を知っている、ということだ。

 教会が受け取ったはずの理論は、他に『死者蘇生』と未完成の『魂再生』があったはずだが、さすがにそれを世に出すことはできなかったようだ。問題は、その存在をルーウィットも知っているかということだ。教科書のようにきれいに論文を組み立てるルーウィットを、巻き込みたい気分にかられる。


 ただ、女神の敬虔な信者である彼がそうやすやすと死者をよみがえらせることに賛成するかどうか、というところだ。できることならエフィは正体を知られたくない。そもそも自分が女神であることなど、証明しようもない。


 教会側で魂再生の研究が進んでいる様子が一向にうかがえない今、エフィは大きなチャンスを与えられている。

 では、ここで一つ揺さぶりをかけてみるのもいいかもしれない。


「匿名で送られてきた理論は、これだけですか?」

「どういうことだ?」


 ルーウィットはいぶかしむように眉を跳ね上げた。彼の警戒も無理はない、とエフィは思う。死者蘇生など、人間にとっては禁忌中の禁忌だろう。

 エフィは素知らぬ顔で続ける。


「もし、まだ実証できずに発表できていないものがあるのなら、それを使ってキュアリスさんに脅しをかけてみるのも手かな、と思いまして。本人が知らない理論が出てきたら、それはもう別の人間が持ち主だということですよね? 私がのし上がらなくても、引きずり落とす材料になります」


 ルーウィットは顎に手を当て、考えるそぶりを見せた。


「あるにはある。……が、世間に発表できるような内容ではないな」


 彼の答えを聞いて、エフィは満足げに頷いた。少なくとも、ルーウィットは未発表の理論の存在を知っている。それだけで今は十分だった。


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