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 ノックの音が響いた。

 エフィは読んでいた論文から顔を上げ、扉を見る。ルーウィットは先ほど出て行ったばかりだから、違うだろう。


 もう一度ノックがされる。

 無視しようかとも思ったが、もしかすると必要書類が届けられたのかもしれない。仕方なく、エフィは扉を開けた。


 そこには一人の女性が立っていた。年齢はエフィと変わらない。赤みを帯びた金髪を高く結い上げ、宝石をちりばめている。甘く、涼やかな香りが彼女から漂ってきた。


 エフィは目を細める。最上階に向かう時、昇降機で一緒になった娘だ。貴族の娘が一体何の用か。彼女から感じるのは、エフィへの好意ではなく敵意だった。


「あなたがエフィ? 私はキュアリス・ジーニアス・カルヴァンサス。真の聖女よ」


 堂々たる態度で告げた彼女は、値踏みをするようにエフィの頭のてっぺんからつま先まで見まわした。


「大したことないわね」


 キュアリスはエフィを見下しながら、鼻で笑った。


「どういったご用件で?」


 ジーニアスというミドルネームに引っ掛かりを覚えながらも、エフィは失礼にならない態度で尋ねた。先ほどまで読んでいた論文の著者名はジーニアスだ。何らかの関係があるのか。


「あなたがどんな人間か見に来たに決まっているじゃない。さあ中に案内しなさい」


 キュアリスはツンと顎を持ち上げながら、当然のように言う。


「ここは私の部屋ではないので」

「私は公爵令嬢なの。たかだか司祭が私の行動を制限できるはずもないでしょう」


 キュアリスはそう主張するが、教会の階級と貴族の身分に上下関係はない。当然従う義理はない。かといってこのまま追い返すのも面倒くさくなりそうだ。エフィは中へ通す。

 キュアリスは物珍しそうに室内を見回した。


「司祭の部屋って大したことないのね。それより、お茶を用意して」


 勧めるまでもなく、キュアリスはソファに腰を下ろした。図々しくもお茶を要求する。

 そして、ルーウィットは司祭ではなく司教なのだが、下っ端だからと興味がないのだろう。


「お代をとってもよろしいのなら、いくらでもお出ししますよ」


 サービスたっぷりに微笑をつけながら、エフィは申し出た。


「あら。さすが下賤の民ね。客人をもてなすのに料金を取るなんて。でもいいわ。私は寛大なの。料金を払うから淹れてちょうだい」


 そういって指から指輪を一つとって、テーブルに乗せる。机に置いてあった紙にさらさらと受け渡しの証明を書き付けた。

 エフィはしっかりと受け取る。浅ましいと思われるのなら、それまでだ。


「矜持がないのかしらね」

「矜持でご飯は食べていけませんので」


 だが代金をもらったからにはきちんとしたものを出すのは当然だ。戸棚にしまってある茶器一式を取り出し、茶葉を確認する。たった一杯の茶に指輪一個は高すぎるから、一番高級な茶葉を使ってもいいだろう。


 魔法で宙から空気をたっぷりと含んだ水を取り出し一気に熱を上げる。そして茶葉を入れたポットに湯を注いだ。蒸らし時間を経てからキュアリスに紅茶を差しだす。

 室内にふわりと心落ち着く香りが漂い始めた。


「器はいいものを使っているようね」


 キュアリスはしげしげとカップを見て、口をつけた。


「あらおいしい」


 軽く目を見開く。

 ついでに自分の分も入れていたので、エフィも紅茶を口に運ぶ。さすが高級茶葉だ。想像以上においしく入っていた。


「それで、キュアリスさんは私を見に来たということでしたが?」

「そうそう、その話。先ほど聞いたけど、あなたは特級聖女を目指しているのですって? でもやめていただけないかしら? あなたには荷が重いと思うの」


 爪がきれいに磨かれた指を、耳からこぼれる髪に絡ませながらキュアリスはゆったりとほほ笑む。


「特級聖女に必要なのは魔力だけでなく、気品なの。たとえば私のように。そして誰もが振り向くこの美貌も。ええ、私にこそ特級聖女はふさわしい。あなたにそれがあるとは思えないわ」


 完全に見下した目で、キュアリスはエフィを見ている。エフィも笑顔で、反撃を試みる。


「必要なのは気品ではなく、慈愛の心ではないでしょうか。キュアリスさんにあるとも思えませんね」

「あなたには慈愛があるとでもいうの? ただの吝嗇(りんしょく)家のあなたに、慈愛があるわけないでしょう。あなたが何者なのか、こちらは知っているの」

「私はただの神のしもべです。何者でもありません」

「ただ金に汚い孤児じゃない! この一件から退きなさい! ランディ様の妻になるのはこの私よ!」


 まなじりを吊り上げ、キュアリスは激高した。

 この程度で声を荒げるなど、教会での教育を受けているとは思えない。


「キュアリス様は本当に一級聖女として認められているのですか?」


 これほど高飛車であれば、ランディはともかくルーウィットは毛嫌いしそうだ。


「ええそうよ。私には女神の声が聞こえたの。だから今の魔科学ではまだ発想できないような論文をいくつも発表してきたわ」


 そう言って、キュアリスはエフィの背後をさした。振り返ると、ルーウィットの書斎机の上には先ほどエフィが読んでいた論文が置いてある。


「申し上げましてよ。私はキュアリス・『ジーニアス』・カルヴァンサスだと」

「確かに、教会としても無視はできない実績ですね」


 すべての論文に目を通したわけではないが、たしかに格段に生活が向上するような内容ばかりが書かれていた。

 魔力過多症の治療だけではなく、肉体の欠損部分の再生ついてはかなり評価が高いはずだ。なぜなら、失ってから十年後でも周囲になじむレベルでの再生が可能だと書かれているのだから。ただ、技術がまだ伴わず、実用に至っているのは損失後一年以内の肉体に限っているようだが。


 何もないところから得たような発想もいくつかあった。何らかの干渉を受けなければ書くのは不可能なレベルだ。女神と言葉を交わせると認められても不思議ではない。


 エフィは冷めた目でキュアリスを見る。


「もし本当にあなたが書いたものなら」


 エフィの言葉に、キュアリスは頬を引きつらせる。


「論文は当初、匿名で送られてきたと聞いております。いまさら名乗りを上げたのはなぜですか?」


 エフィの質問に、キュアリスは押し黙る。しばらく目を閉じ、やがて何かに思い至ったように目を開けた。そしてたくらむように唇の端を持ち上げる。


「論文を匿名で送ったのは、目立ちなくなかったからですわ。それにこんな小娘が描いたといっても誰も信じてくれないでしょう? けれど最近になって事情が変わりましたの。私、ランディ殿下をお慕いしております。けれどあの方にはすでに婚約者がおりました。私がランディ殿下と婚姻するためには聖女としての実績を残さなくてはいけなくなり、急遽名乗り出ることにしたんです」


 何かおかしいことがあって? とキュアリスは首を傾げた。どうすれば自分がかわいらしく見えるのかよく計算された表情だ。


「そうですね。気持ちにふたをすることはできないですものね」


 エフィは静かにキュアリスを見返す。とりあえず納得のいく回答ではあった。


「でしょう。だから、あなたは引いてちょうだい」


 キュアリスはきゅっと目を細め、満足げにうなずく。


「残念ですが、お断りします。私にも叶えたい願いがありますので」


 エフィは挑むようにキュアリスを見た。退くわけにはいかない。

 キュアリスは怒りで体を震わせる。


「そんな態度でいられるのも今のうちよ!」


 キュアリスは乱暴にティーカップを持ち上げた。

 そのあとに彼女がとる行動は予測できたのに、エフィは動けない。


 ばしゃりと音をたてて、紅茶がかかった。ぽたりと赤い雫がテーブルの上に落ちる。


「いくらなんでも、紅茶をぶっかけるのはやりすぎだ」


 エフィをかばい、頭から紅茶をかぶったルーウィットが低い声でキュアリスを睨みつける。慌てて飛び込んだのか、扉は開け放ったままだ。

 一滴も紅茶をかぶることのなかったエフィは、紅茶を滴らせるルーウィットとその向こうのキュアリスを見比べた。

 羞恥のせいか、キュアリスは顔を真っ赤に染める。


「ランディ様も、特級聖女の座も渡さないから!」


 キッとエフィを睨みつけ、足音も乱暴にキュアリスは部屋を出て行った。

 あとには呆然とするエフィと、紅茶が滴るルーウィットが取り残される。


「あ、紅茶の代金もらい忘れた」


 エフィのつぶやきに、ルーウィットが冷たい視線を向けた。

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