10
天を貫くようにそびえる教会本部の塔をエフィは下から見上げる。
昨日も思ったが、とてつもなく高い建物だ。
昨日は初めて見る巨大な建物に圧倒されて余裕がなかったが、今日はまだ余力がある。縦に並ぶ窓の数を数えると十二個あった。十二階建ての建物だ。王都では、王城を超える高さのものを作ることができないので、おそらくウィード国内で最も高い建造物だろう。
人の出入りは激しい。聖服をまとった聖職者もいれば、信者もいる。高級な服を身に着けた貴族が横柄な態度で扉を潜り抜けたかと思えば、巡教中なのかぼろぼろのローブをまとったものもありがたそうに通っていく。
塔の中には貴重な書を収めた図書館もあって、学生と思しきものも時折見かけた。
エイシャはアークについて中に入る。受け付けのカウンターがあり、手続きを済ませて入館許可証を受け取り、奥の昇降機へ向かう。巡教者や学生たちはたいてい、受付はせずに階段を使って五階までの各々の目的地まで行く。
魔道式昇降機の前には、一組の貴族親子がいた。父娘ともに赤みがかった金髪で、人のよさそうなたれ目をしている。上に行くということは、寄付金について話し合いでもあるのか。
娘のほうがちらりとエフィを見た。年齢はエフィと同じくらいか。ゆるく波打つ髪を結いあげ、装飾として宝石をちりばめている。ドレスというほど華美ではないが、贅を凝らしたワンピースをまとい、胸元は大ぶりのブローチで飾っていた。海のように深い青の目が、エフィを見て細められる。艶やかな唇は笑みの形を作っていたが、目の奥は全く笑っていなかった。
エフィは軽く会釈だけをした。下手に挨拶をしてしまうと、育ちがばれてしまう。
昇降機が到着し、先に貴族親子が乗り、続いてエフィたちが乗った。
アークが十階のボタンを押したとき、娘のほうが眉間にしわを寄せた。彼らが下りる階は九階だ。この昇降機は十階までしか行かない。
沈黙が下りたまま、昇降機は一気に乗客を九階まで運ぶ。
開いた扉の向こうは、華々しい廊下が続いていた。昼間からぜいたくに使われている煌めく魔道灯が目にまぶしい。
降り際、貴族の娘はエフィを見て、せせら笑うように唇を持ち上げた。いやな感じしかしない。
そして十階に到着する。九階とは打って変わって、最低限の設備しかなかった。素材は一流のものを使っているが、装飾の類は一切ない。並んだ扉の向こうから、ピリピリと張りつめた空気が漂ってくる。
今度は昇降機を乗り換えて最上階へと向かう。直通の昇降機がないのは、万が一があって許可を得ないものが最上階に行かないようにとのことだ。
乗り換えの昇降機の前に控えている警備の男は軍隊上がりのいかつい顔をしていた。もしかすると、王城の警備よりも厳重かもしれない。
最上階で昇降機を降りると、その前にも警備はいた。十階の警備とは違い物々しい雰囲気はないものの、隙のない空気をまとっている。
「さて、ルウとはここで待ち合わせなのだけど」
のんびりとした口調でアークが言った時、奥の部屋からちょうどルーウィットが出てくるところだった。彼は腕時計を確認した。
「ぴったりだな」
ルーウィットは書類をわきに抱え、アークに声をかける。自然にこぼれる笑みに、エフィは面食らう。ルーウィットは不愛想で笑顔の一つもできないものだと思っていた。
「これを置いてくるから、少し待っていてくれ」
そういって別の部屋に書類を届けた。ちらりと見えた部屋の向こうは、威厳と重苦しさに満たされていた。
昨日通されたルーウィットの書斎とは全く雰囲気が違う。もっともルーウィットの書斎があったのは七階で、根本から何もかもが違うのだが。
ルーウィットは魔力選定が行われるという儀式の間にエフィたちを連れて行った。儀式の間の隣の控えの間で、最終確認を行う。
部屋に控えていた使用人たちはいったん出て行ってもらう。
「大司教たちはもう集まっている」
ルーウィットの言葉に、エフィは驚いた。
「今回の魔力審査は大司教様がされるんですか?」
しかもルーウィットの言葉を信じるのなら、大司教は複数いるようだ。
エフィが修道女として魔力検査を受けた時は、司祭が一人で数値を図った。思った以上に高かったので再度図りなおしたが、それでも出てきたのは司教クラスが二人だ。
ルーウィットはエフィに視線を移す。
「聖女査定もするからな。王太子命令とはいえ、異例のことだから現在十二人いる大司教は全員集まっている」
もっと簡単なことだと思っていたエフィはくらりとめまいがした。椅子に座っていてよかったと思った。
「中には君が廃された聖女だと知る者もいるかもしれないが、今はもうアークの娘で、男爵令嬢だからな。表立って非難する者もいないだろう」
「ちょっと待ってください。なんか大ごとになっているんですけど」
報酬額の多さに釣られて請け負ったことだが、エフィが対処しきれる範囲を超えていた。以前エフィが受けた聖女認定はもっと気楽なものだったし、王太子の婚約者という話も知らない間に決まっていたことなので、それほど深刻なものだとは思っていなかった。
「エフィ、君なら大丈夫だよ、できるはずだ」
アークがのんきにエフィを励ます。
ルーウィットはエフィに向かってにやりと笑った。心底意地の悪い笑みだ。
「やっとエフィも自覚してくれたか。これは大ごとだ。なにしろ教会の頂点ともいえる聖女選定と国の頂点の伴侶の選定を行っているんだから」
「ちょっと待ってください。教会の頂点の聖女って、特級クラスの聖女ですよね? 数十年現れていないと聞いています」
聖女はたった一人だけいるものではない。通常はその力に応じて一級から三級に振り分けられる。エフィは既定魔力を超えていたので三級聖女の資格を持っていた。
「王太子の婚約者に推されている女は、一級聖女だ。引きずり下ろすには、特級クラスを目指すしかないだろ」
不服そうにルーウィットは言う。やはり、まだエフィが聖女に返り咲くことに納得していないのだ。ただ、戦争を避けるにはこうするしかないというだけで。
「ここまで来てしまって今更ですけど、本当に戦争になるんですか?」
「昨日の武器を見ているだろう? 着々と準備を進めているな」
昨日の武器とは言っても、エフィにはルーウィットの携帯大砲のほうが兵器に見えてしまって仕方がない。
「問題は、一般人にあれをたやすく渡したことだ。軍人や戦闘魔法使いだけじゃなく市民も兵士として使う気があるということだ」
もともと訓練されていない者まで戦力として考えるなど、大規模な戦争を行うつもりがあると考えられる。
「でもせいぜい三級聖女の私がどうやって特級聖女になるんですか?」
「まあ、正直特級聖女を目指さなくてもいいんだが……」
ルーウィットは歯切れ悪そうに言葉を切った。アークがニコニコと穏やかな顔で続ける。
「一級は必須かと思うよ。爵位では向こうに負けているからね」
「あちらはどのような爵位を?」
「公爵だね」
つい先日男爵位を叙せられたアークは簡単に言い放った。
「特級聖女目指すしかないじゃないですか」
エフィはがっくりと肩を落として言った。身分差がありすぎて、太刀打ちできない。
聖女認定には、それぞれに条件がある。
一級は女神の声を聴き、言葉を賜ること。
二級は教会が認めるような奇跡を起こすこと。
三級は多大な魔力を有し教会のために働いていること。
そして、特級に関しては特に決まった条件はない。歴史を紐解けば、二級聖女が一足飛びに特級になっていることが多いことから、世界規模の奇跡を起こせば特級になれるのではないかと予測される。
「歴代の特級聖女ってどんな感じでしたっけ?」
「それこそ世界規模の戦争を止めたり、飢饉を最小限に抑えたり、歴史を大きく塗り替えるほどの発見をしたり、あたりだね。ちなみに王太子の婚約者候補も、特級聖女としての審査待ちだよ」
それはどういうことだ、とエフィはアークを見た。灰色めいた緑目が、やさしくエフィを見る。
今度はルーウィットがアークの言葉を引き継いだ。
「ここ数年、教会あてに謎の論文が送られてくることがあってな。最初の論文は魔力過多症に関するもので、治療法が完璧に記されていた。ただ、追試験に戸惑っていて理論がいきわたったのはこの一年くらいだが。で、それを送ったのが例の聖女だそうだ」
「ルーウェルさんはそれを疑わしく思っているんですね」
「特に魔法理論を学んでいない人間がいきなり思いつけるレベルの論文じゃないからな。彼女は天啓を受けたと言っているが、どこまで本当なのか」
「でもそれが天啓なら、特級聖女として認定されますよね」
そして天啓であるのなら、女神の声を聴いたとして一級聖女の資格も持ち合わせていることになる。
その聖女の後ろに控えている戦争派をつぶし、なんとか切り離した彼女を王太子の婚約者にする方がふさわしいのではないか。エフィはそんなことを考えた。
できることならば、目立つのは避けたい。エフィ自身はいいが、エイシャが戻ってきたときに不便をかけてしまう。もっと思慮深く行動するべきだった。
あれから十二年も過ぎていて、一向に上がらない成果に焦っていた。願い花の件が見つかったのも、調子に乗って貴族たちの願いを叶えすぎたからだ。
だがこうなってしまったからには腹をくくるしかない。
扉の外に気配を感じ、エフィは気合を入れる。
「まずは第一段階のクリアをめざしますね」
魔力想定の開始を知らせるノックが、控えの間に響いた。




