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サブタイトルは仮で数字にしています。いずれつけたいと思っています。
誤字報告機能がよくわからないので、指摘がありましたら感想かメールにて報告してくれるとありがたいです。
法廷は、冷たい熱意に包まれていた。
奇妙な感覚を肌に受けながらエフィは被告席に向かう。
人々がエフィに注ぐ視線は蔑みや嘲りといった冷たいものだ。それなのに、ある種の熱に浮かされている。冷たい憎悪が集まりすぎて、熱を持ち始めていた。
傍聴している誰もが、エフィの有罪を望んでいる。中には魔物に通じた悪女め! と罵るものもいた。
声の主を探すことなく、エフィは部屋の中央に進み出る。両手首には魔法封じの紋が刻まれた枷がはめられていた。二重にも三重にも封がされている枷を見て、エフィは唇をほんの少し持ち上げる。
人々は恐れているのだ。エフィの力を。
エフィは被告席に立ち、裁判官の後ろにそびえる女神像を見上げた。
女神フィーリルフィア。波打つ銀の髪と深い空色の目を持つ女神だ。像の女神は長いまつ毛に縁どられた瞼を半分閉じ、祈るように手を組んでいた。
このウィード国においては、フィーリルフィアのみ崇めることを許されている。だからこそ法廷にも女神像がいるのだろう。だがフィーリルフィアは残念ながら法の神ではない。それなのに法廷に置くということは、女神は罪人の更生を願っているとでも言いたいのだろうか。
罪ならもう、十二年も前に犯している。それを裁けるのは女神ではない、ましてや人間でもない。エフィに断罪を突きつけられるのは、死んでしまったあの子だけ。
ここで何と言われようと、どんな結果が出ようと痛くもかゆくもない。そう思いながらエフィは目の前に座る裁判官に視線を向けた。
はっと息をのむような音がエフィの耳に届く。気のせいかもしれない。ただいつだって、エフィと初対面の者はそんな反応するから、そう思っただけだ。
エフィの目は不思議な色をしている。光彩が瞳孔と差がないほど黒い、真黒と呼ばれる色だ。髪色も同様に真黒色で、光を吸い込むかのようにしっとりとしていた。
「被告人、聖女……いや、偽聖女エフィ」
「はい」
裁判官の呼びかけにエフィは粛々と答える。
「そなたはこの度、取り返しのつかない過ちを犯した。女神の花であるフラウリカを己の欲望のために、売買した」
傍聴席がざわつく。エフィは意外に思いながらざわめきを聞いていた。知っていたからこそ、エフィの有罪を確信しているものだと思っていた。
フラウリカは女神の化身だというのがフィーリルフィア教会の教えだ。
清らかな心を持つ者の元にはフラウリカの種がもたらされ、花を咲かせるとどんな願いも叶えるという。銀色の花弁持つ花で、真の聖女が花を咲かせた後には青い種を着けるのだとか。その種をまけばまた、たくさんのフラウリカが咲き、人々に幸せをもたらす。
目の前の女神像の足元にもフラウリカが彫られている。
フィーリルフィア教会の本部の最奥にある庭にもフラウリカがあふれているそうだ。エフィはそんな奥まで立ち入ったことはないので、真偽のほどは知らないが。
「発言の許可をいただけますか」
枷がはめられているので、挙手することなくエフィは声を上げた。落ち着いた物腰は、これから裁きを下される十八の小娘には見えなかった。
裁判官は重々しくうなずき、エフィの発言を促す。
「確かに私は願い花を民に売りました」
エフィの告白に、傍聴席が一層ざわめく。悪女と名高い噂から、最後の最後まで罪を認めないというのが大方の予想だった。場合によっては死罪もあるのにこんなにもあっさりと認めて、拍子抜けする者たちも出てくる。中には、情状酌量で死罪をまぬかれるつもりだという予想をし始めるものも出てきた。そんな声が傍聴席にあふれ始める。
「静粛に」
三人いる裁判官のうち一人が重く告げた。静けさが戻ってくる。
「被告は申し立てがあるのなら続けよ」
「はい。……私は確かに願い花を売りました。ですがあの花をフラウリカだと認識したことはありません」
「往生際が悪いぞ!」
「静粛に!」
飛んできたヤジを裁判官が一喝する。今の発言で、声の主は目をつけられただろう。次に何かをやらかした時には退場だ。さすがにそれがわかっているのか、大人しくなる。
「被告人。そなたが地方のあの教会の地下で育てていた花は間違いなく銀色だった。しかも摘めば枯れるという。それなのに、フラウリカだとは思っていなかったと?」
「はい。以前、司祭様立会いの下で実験を行いましたように、私が魔力を込めた花は銀色を帯びますので。白い花に魔力を籠めれば、それはそれはフラウリカに似た花になります。皆様の目の前で実演して差し上げたいのですが、あいにく今は魔力が封じられておりますゆえ」
そういって枷をはめられた両手を上に掲げる。鎖がじゃらりと不快な音をたてた。
「だが、願い花で願いを叶えたものは多数おる」
「そうですね。ですからあのような地方の教会にもかかわらず、信者がたくさんいらっしゃって寄付金をお恵みくださった」
「そう。噂が噂を呼び、願いを叶えたい者が大勢来たはずだ。それでもフラウリカだとは思わなかったと?」
裁判官の訴えに、エフィは聖女にふさわしい笑みを口元に浮かべた。
「私が願い花を渡すときに信者様と話したのは、いつもの説法と変わりません」
一言前置きし、エフィは続けた。
「つまり世界は気の持ちようで変わるということです。若く美しく金持ちの奥方が欲しいといった男には、それは本当の望みなのか尋ねました。自尊心を満たしたいだけではないのか。初めは自尊心も満たされるでしょう。ですが若い奥方もいずれは年を取ります。その時、男はまた不幸になるでしょう。男の本当の望みは若くて美しい金持ちの奥方ではない。どんなに苦しくてもつらくても共に歩めるような方を妻に迎えることではないかと進言しました」
エフィはいったん、言葉を切った。法廷に集まった者たちは魅入られたように聞き入っていた。
「初めはその方も突っぱねました。ですが確かに私の言葉は響いていたようです。渡した蕾が大きくなるにつれ、彼は見た目以外のものも見るようになりました。そして花が咲いた時、出会った女性と恋に落ちたのです。これは花が引き寄せた奇跡でも何でもありません。ただの偶然です。けれど彼は運命を信じ、見事結ばれました。ですがこれは彼が自分で起こした奇跡なのです。ほら。フラウリカの力は関係ないでしょう?」
エフィが淡々と告げると、傍聴席のはしのほうから「まさか、そんな……」「いいえ、あなた。あの花が本物かどうかもう関係ありません。確かに私たちは出会い、幸せでいる。それが重要なのよ」と聞こえてきた。
エフィは被告席に立ちながら、わずかに肩をすくめた。まさか彼らがこの場にいるとは思わなかった。他にも願い花を売り渡した者たちが法廷内にいるのだろうか。
「では不治の病から立ち直った女性の話は? フラウリカを購入したのは彼女の息子だ」
「フラウリカではなく、願い花ですけどね」
しっかりと訂正を入れてから、エフィは記憶をたどった。
病を治したいとやってきた者は数多くいる。ただ、不治の病が治ったという例はまれだ。エフィは一番最近の事例を思い出す。成長しても新しい服を買えないほど貧しかった一家で、願い花と交換したのは銅貨たった一枚だった。
「地方の聖職者は収入確保のために副業を許されているとはいえ、いつ中央から目を付けられるかもしれないと、動向を探っておりました。ですから私は知っていたんです。中央都市で何が起きているのか。あの医者が彼の母親がかかった病の研究をしていることももちろん知っておりました。ですから匿名で手紙を送りました。まさか、認可前とはいえ特効薬ができているとは思いもしませんでしたが」
「ではほかの説明は……」
「単純な手品ですよ、裁判官。この人の願いならばかなえられる。そう思った人にしか願い花はお売りしません。あるいは叶えられそうな願いに誘導します。この願いを叶えられそうにない。そう思ったなら、提示した寄付金では足りない、もしくはあなたはまだ自分の本当の願いに気づいていない。そう言ってお引き取り願っていただけです」
傍聴席から感嘆の息が漏れた。
何のことはない。奇跡が起きたと思っていたことの裏には種も仕掛けもあったのだ。
「教会の地下にあった花は、フラウリカではありません。確かに信者の皆さんにはそう感じさせるようにお渡ししましたが、私は一言も申しておりません。あの花はただの願い花なのです」
断罪の場に、職員が慌てて駆け込んできた。大量の書類を抱えた状態で顔を青ざめさせ、裁判官に耳打ちする。裁判官は息をのみ、驚いたようにエフィを見た。
エフィは穏やかな表情を浮かべ、裁判官を見返す。
「どうやら間に合ったようですね。あれはフラウリカではなく、まったく別の花だということが分かったのではありませんか?」
エフィの発言に断罪の場が揺れる。今、エフィがこの場に立たされているのは、神の花を売りさばいていたことへの罪を問われていたからだ。その前提が覆ったのだ。
「では、質問を変えよう。そなたはなぜそのような方法で金銭を集めていたのだ。ただの助言でそれほどの人々の願いを叶えたのだ。本物のフラウリカを使えばもっと多くの人々を救えただろう。そうしなかったのは地方で金銭を欲したからに違いない。つまり、聖職者でありながら卑しくも金銭を求めたということ。願い花を売った総額は王城を建てられる程にも匹敵するそうではないか」
その巨額に、傍聴者はほうとため息をつく。先ほどまではエフィに有罪をと声高に叫んでいた者たちも、今度は違った意味で興味深く身を乗り出していた。
エフィはにっこりと微笑を浮かべた。
それはいつも信者とやり取している、聖女としての笑みだった。
「それはある目的のために」
「ある目的のため?」
「人にとっての禁忌でございます。すなわち――死者の復活」
傍聴席から悲鳴が上がり、数人の女性が倒れた。女神さえも恐れぬ発言に、恐れおののいたのだろう。
「もしあれがフラウリカであったのなら、私は自分の望みこそ叶えていましたよ。それこそがあの花がフラウリカではないと知っていた何よりの証拠でございます」
エフィはこれで証言は終わりだとでもいうように、深く頭を下げた。
死者の復活を望んでいた。そう発言したところで、実行に移したわけでもない。女神の花を売ったわけでもない。それだけでは、エフィを死罪にすることはできなかった。
だが、聖職者にあるまじき行為を行ったのは事実だ。
「では判決を言い渡す。元聖女エフィ。聖職者としてのあるまじき行為に、その職務を解任する!」
裁判官の判決に、傍聴席から不満が沸き起こる。聖女としてふさわしくない行為だったのだから、死を。そう求める声が大きかった。
「静粛に! 静粛に! 判決はまだある!」
裁判官のガナリ声に、場はいったん収まった。
「聖女の職を失うとともに、王太子との婚約も破棄となる!」
その判決に、傍聴席は沸いた。
顔を上げたエフィは呆然と立ちすくむ。なぜ、というよりは何が起こったのかさえ分からない。
死罪を免れる代わりに、エフィは聖女としての職を失った。
そして、した覚えのなかった婚約の破棄も同時に行われた。