或る森の魔法使いの最期
世界が緩やかに終わろうとしている事が公表された年。
森の奥に住む科学者が、ある一人の青年を造った。
色々な物質を混ぜられたその青年は、身体の成分の大半を特殊な鉄で作られており、科学者からファーレと名付けられた。
ファーレが目を覚ました日は、とても穏やかな昼過ぎであった。
「…おはよう、ファーレ」
「…え? ぁ、」
「ああごめんなさい、違ったね…初めまして、私の恋人」
驚くファーレに科学者は説明をする。
科学者はファーレを初恋の人に似せて作り、行動や喋り方を全てその人のようにプログラムしていること。
そして、科学者とファーレの関係が恋人であること。
未だ混乱するファーレの頭をゆっくりと撫でる科学者は、自分をユキと呼ぶ事を義務付けた。
恋人と言えど、自らの生みの親を呼び捨てにする事に抵抗があったファーレにユキは笑う。
「真面目なとこ、本当にあの人そっくり。…って、当たり前か」
何故か胸がちくりとしたのは、黙っておいた。
それからファーレは、ユキから色んな事を一つずつ丁寧に学びながら暮らしていった。
ヒーターに指先を近付けすぎて焦がしてしまった時はユキが大慌てで水に漬けた後、そんな事は必要ないのをお互いに思い出して笑いあった。
分厚い本を何度も広げては物の名前を教えて貰った事もあった。
自宅近くの森を散策して、生きた動物を追い掛け回し過ぎて転んでしまい、雪だるまになったこともあった。
黄色の小振りな花をユキは冠にするのがとても上手く、それをファーレの頭に乗せては愛おしそうに頬へキスをするのだ。
二人の時間はたおやかに、優しく過ぎていった。
ある日、森の奥深くで誰も来ないような自宅に、突然二人の男が現れた。
その男達はファーレを見るや否やユキを呼びつけ、ファーレには理解の出来ない難しい話を少ししたかと思うと怒った様子で帰っていった。
何処か不機嫌そうなユキに恐る恐る話し掛けると、唐突に引き寄せられ抱き締められた。
「ユキ……?」
「……この世界はね、私のような者は排除される運命だって。あなたの存在が邪魔で仕方がない愚かな奴等が大勢居る最悪な世界。」
「でも……僕がユキと出逢えたのは、この世界しかないよ」
「ええ。……ねえ、ファーレ」
「なあに、ユキ。」
「連れて行って欲しいところがあるの」
その日の晩、ファーレはベッドの中でずっと考えていた。
ユキの連れて行って欲しいと言った場所。ユキが大嫌いな世界。
…そして、ユキを蝕み自身から奪おうとしている、目に見えない何かの存在。
ファーレは教えて貰えなかったが、知っていたのだ。
ユキともう少しでお別れになる事を。
次の日。
ファーレはユキの眠るベッドまで行き、キスをしてから抱き上げた。
少しの食べ物を持ってユキと共に自宅を出て、道案内の通りに森を更に奥へ、奥深くへと進んでいく。
時々、ユキが咳き込みながら、口に当てた手についていた赤い液体の意味を、ファーレは知っていた。
歩き始めて一時間半だろうか。
入り組んだ獣道が突然青空を映し出した。
そこには、色とりどりの花が咲き乱れた花畑だった。
その真ん中には、もう朽ち果て半ば崩れかけている白い建物があった。
「ユキ、あれはなに?」
「あれは、教会よ。愛し合った者が、一緒になる誓いを立てる場所」
「…僕達も、誓いを立てたら一緒になれるの?」
「もちろん」
「じゃあ、今すぐにでも立てようよ」
「その前に指輪が必要かな」
「指輪?」
「そう、お互いの左薬指に嵌める為の指輪が必要。それを嵌めて誓いを立てると、ずっと一緒になれるんだよ」
「でも…ユキ、僕、指輪なんて持ってないよ」
「…その為にファーレには花冠の作り方を教えたでしょ?」
「…そっか! 僕すぐに作るからね!ちょっと待っていて!」
柔らかな花の上にユキを寝かせたファーレは必死になってユキに花を探し、出来るだけ丁寧に、可愛らしく指輪を作ろうと奮闘した。
どうしてもそれは、少し歪になってしまったが。
ファーレが指輪を作り終えた時には、ほんの少しだけ日が傾いていた。
慌てて完成した指輪を手に持ち、ユキを探すものの何故か何処にも見当たらない。
必死になって探すと、ユキは元いた場所で花に埋もれ横になっていたのだ。
「ユキ! 指輪出来たよ!」
「……」
「…………ユキ? ユキ!?」
ユキの顔元の白い花は、赤く染まっていた。
ゆっくりと抱き起こしたユキの身体は既に少しずつ冷たくなっており、ファーレは震える手でユキの指を手に取ると、その綺麗な左人差し指に少し歪な花指輪を通した。
そして、自身の薬指にも指輪を通すと、ユキの身体を手繰り寄せて、キスをした。
その瞬間、朽ち果てていた筈の教会から大きな鐘の音が花畑中に鳴り響き、ファーレは顔を上げ教会を見つめつつ、笑みを浮かべてユキの左手を握った。
「ああ、ねえユキ。僕達誓いを立てたよ。ずっと一緒になれるよ。……ねえ、ユキ。ユキ……僕と出逢ってくれて、ありがとう……」
世界が緩やかに終わろうとしている事が公表された年。
森の奥に住む魔法使いが、ある一人の人間を蘇らせた。
元々魔法使いの初恋の人だった人間は、不慮の事故で亡くなってしまっていたが、魔法使いは自身の寿命を縮めてしまう禁忌の魔法を使い、人間を蘇らせてしまったのだ。
魔法使いが死んだ日は、とても穏やかな昼過ぎであった。