人魚
昔々、ある海の底には大きな海底都市があり、その都市には脚が鰭になっている人間達が住んでいたといいます。
その国に居た次期国王候補であった青年は、とても綺麗な声を持っていました。
しかし、彼は国を納めることよりも海の外の、陸の世界にばかり興味があったのです。
とある日、彼は嵐で遭難した一隻の難破船を発見します。
その中で一際美しい女性を思わず助けてしまった青年。
国の掟では陸の人間に干渉することは重罪でした。
それでも彼は女性を助け、彼女がとある陸の国のお姫様であることを知ってしまいます。
彼は、陸のお姫様に恋をしてしまったのでした。
悩みに悩んだ挙句、彼は国一番の魔術師の所へ陸の人間になる事をお願いしに行きます。
魔術師は彼の美しい声と引き換えにするのならそのヒレを脚にしてくれると言いました。
彼に迷いはなく、彼は魔術師のお陰で晴れて陸の人間になることが出来ました。
ここまでは皆知ってる、お話でしょう。
ここからは、とある可哀想な人魚王子のお話。
目を覚ました時、彼は愕然としました。
彼にはきちんと約束通り脚はありました。代わりに、声が出ないのも分かっていました。
そうではないのです。
彼が毎日、毎日見上げていた城は荒れ果て、脆く崩れ壊されていたのでした。
動揺する彼に、海の水面から一匹の蛸が現れました。
その蛸が魔術師の遣いであることは彼も知っており、未だ動揺する王子に蛸は教えます。
魔術師の能力を全て使っても、王子の声を引き換えに脚を作るのは時間が必要だった事。
そしてどうにか陸へ送り出すまでに250年かかってしまった事。
そして、彼の恋したお姫様は、もう既に亡くなっている事。
彼はその話に驚きを隠せず、蛸に海に戻してもらうように懇願しようとしましたが、彼には意思を伝える術すらありません。
しかし蛸はその考えを感じ取り、申し訳なさそうに告げました。
「私は君の脚を作るのに全魔力を使ってしまい、既に魔力は空なんだ」
その言葉に王子は泣き出しました。
王子は知っていたのです。
魔術師が全ての魔力を使い果たす時、魔術師は死に至るのだと。
王子の泣く姿へ近付く蛸はゆっくりと彼の脚先を撫でてやります。
すると、彼の脚を小さな星粒がきらきらと降り注ぎ、ぱちんと弾けていきました。
その行為が何か知っていた王子は慌てて蛸を止めようとしますが、既に星は弾けてしまった後。取り返しがつきません。
蛸はゆっくりと彼から離れると海の中へ戻って行こうとし、そして途中で倒れました。
蛸に駆け寄り、その身を少しだけ起こすと、蛸の身体は少しずつ海の泡となり始めていました。
自身の腕で抱えると、弱々しく頬をぺたぺたと触り、そして変わるはずもないその表情が何処か微笑んだ気がしました。
「王子、あなたに幸せが降り注がん事を。また私が生まれ変われるのならば、またあなたの傍に居ることが出来ますように。」
その瞬間、王子はふと、深海の香りを思い出しました。
気付けば蛸の姿は既に海水となって消えており、腕には小さく白い輪っかが残されておりました。
王子は涙を拭きながら立ち上がり、その輪っかを指のぴったり嵌る場所に付けながら、ゆっくり、ゆっくりと砂浜を奥へ、奥へと進んでいきました。
その後、残された白い輪っかが花の指輪だと王子が知るのは、もっとずっと後の、優しい嘘を吐かれた後のことです。