友 よ
喉もとに汗が滴る。ビールが旨い季節になった。
ビールといえば、いま五十代以上のわれわれの世代にとっては、プロ野球だ。贔屓のチームのあれこれを、仲間たちや同僚と侃々諤々とやったものだ。人気のあるテレビドラマもそうだった。毎週楽しみにして観ては、次の日に気のおけない仲間内で語り合った。職場ではそれが、暗黙のうちの潤滑油でもあった。昭和の終りから平成のはじめにかけての風景である。
先の将棋の藤井聡太四段の二十九連勝には絶句した。われわれの世代なら、谷川浩司九段の二十一歳での名人就位を思い出すだろう。列島に、当時にいう「フィーバー」が走った。将棋にそう関心のなかった十代の私でも、テレビが映し出した谷川新名人のちょっとはにかんだ若き横顔を鮮明に覚えている。
あれから三十年、列島からは完全に熱が抜けてしまった。この国にはもはや、地熱がない。件の藤井四段は、たしかに世間の話題をさらってはいる。しかし、昭和の薫りを思い出させるような、あのフィーバーとは明らかに体温が違う。
われわれはもはや、国をあげての一体感という経験は出来ないのだ。もう列島をあげて、みんなが同じ話題に親しみ、語り合い、感情を共有するという光景は、商店街にドミノの様にシャッターが降されたごとく、過ぎ行く平成の世にふたたび展開されることはないのだろう。
職場はただ働きに来るだけの止まり木となり、人は一人ひとりが自分にシャッターを降して、閉じ込もってしまった。スマホという汗もかかない、仲間たちと熱の交換も行わない仮想の世界に入り込んで、正体を明かさない。胸の内を見せ合わない世界は恐ろしい。世はこんなに緑が美しいのに、季節の話題を提供すれば、変人のような眼を向けられる社会が、いまこの国に出現している。
次の元号が巷間に定着するころには、ある感情がこの国から亡くなっているかもしれない。息も絶え絶えに、しかし平成のはじめ頃まではたしかにあった、友という情感のことである。