-後編-
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朝のラッシュ―再び―。「東京」という題の漫画を読んだ。そんな題名いっぱいあるのは知っている。でもこの「東京」は友達にも勧めたやつで俺の東京。今日は頭がすっきりしてて朝からこの漫画家のだるくて重い話を読んだ。細部まで好きな映画のワンシーンを見るように一コマ一コマ。涙は出てこない。この作者に会いたいと思った。そんなことを思った。神とかじゃない。直感で会ってありがとうと言いたい。一緒に夢を語ったり、世間話したい。なぜか分からないがそんなこと思った。気怠そうに参考書を読む高校生。寝息を立ててるオヤジ。なんかさ、そうやって?どうやって?よくわかんないけどそうやって一日が始まるんだと思う。今日の俺の一日が始まる。その一日は「東京」という名の漫画で今日は始まったのだ。
さてこのラッシュというやつを異国の人はすごく不思議にみるらしい。それはそうだ。俺だって不思議だよ。ぎゅうぎゅうにつまった、十以上の車両にそれぞれ何十人?何百人という人がいるのだ。ラッシュをずらして出社なんて会社もあるらしい。うちの会社はほとんどの人が営業終わりが帰宅ラッシュに引っかかる。だからそのラッシュとやらは朝のラッシュくらいしか実感がない。あと帰りは場合によっては終電ということもあるからなそれはそれでラッシュなのかもしれない。てか、ラッシュとかそもそもそれっぽい言葉でしか使ってないよな。「東京」という漫画の話に戻ろう。
「東京」の主人公のが田舎に戻って田舎の友達に孤独なことには同情できないと言われるシーンでまずガツンと頭を叩かれる。全く同じようなことを友だちに言われたことあったなと思い出すのだ。この作品は、実に漫画らしいカット割りもあるのだけど短編映画とか深夜にある新人演出家がやるような単発物のドラマで使われるようなそういう漫画だけで終わらせない何かを持っている。俺は漫画原作で映画化されるものとか基本的に嫌いだけど、たまに漫画を読みながら頭の中で演出している。この作品は、そんな中でも最も自己満足に浸り映像化してみたいと思うもの。自分が主人公で。今の自分に照らし合わせるのだ。完全な自己満足の世界ではあるがラッシュの中、人に揉まれつつ見る「東京」という作品は壮絶に自分を奮い立たせる力があった。同時に、何もしてない自分の今の現状に絶望を抱くのもあったのだが。
ともあれ、くだらない一日が始まるような気がした。俺は前に進むのだろうか。
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煙草を吸いながらいつものポジションへ。エアコンの室外機に座って一服。朝起きたら室外機の横においてあるバケツの水をベランダ全体に行き渡るようにまく。意味は無い。なんか儀式みたいなものだと思う。それをやらない時はない。普通の人ってこんなことやんないよね。ベランダに水をまくとか。始めはタバコの灰が気になって水を撒いていた。それがいつからか水を撒くことにこだわるようになっていた。
いきなりだけど前から思っていたのだけど水道止められると、どうしろっていうんだろう。それって死ねと言われてるようなもんじゃない?電気もそう。ガスもそう。水なんて接種しないと生きていけないものだよ。その水を止める水道局の人たちは人殺し?どうなのそこんとこ。なあ、ガス会社って人殺しのたまり場?そうじゃない。世の中はそうじゃないんだ。それ(お金を払わないと水はもらえない)は当然で常識なんだ。
俺はそうした水をベランダに撒く。朝の水は冷たい。ひんやりして肌に伝わってくる。夜の水は風呂から取ってるので煙草を吸う時やや生暖かい蒸気を感じる。今日も俺はベランダに水を撒く。
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ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女は亜麻色の音がする。俺の叫び声とかかもしれないし呟きかもしれない。疲れた。9時以降の残業禁止なんに終電帰り。疲れた。そんで、消え去りたい。こっそりつぶやく。俺は俺らしく生きるか死ぬかの選択をする。足の震えが止まらないんだ。怖い。怖い。怖い。そのつぶやきが怖い。
ある映画で加藤ローサが言った言葉「何とかなるよ?休みなさい?みんな言うの。でも、でも休んで生活できる?その言葉はあたしに死ねって言ってるんだよ。頑張ってるのでも怖いのすべてが」的なセリフをチュートリアルの徳井に向かって言う。徳井に向かって言う言葉には魂は籠ってなく俺もその加藤ローサに共感した。時間が解決する、とか、休め、とか簡単に口にしたくなるが重いんだよ。怖い。怖い。怖い。その軽い言葉が怖い。
つぶやく。つぶやく。そしていい聞かせる。とりあえず一歩踏み出してはみよう。そこが死への境目だと思う。ああ飛びこみてぇ。死にてー。餓死してる人達?戦争孤児?そんな余裕ネェンだよ。比較すんな。命の尊さ?なんだそれ?うぜー。怖い。怖い。怖い。そういう言葉を軽く言える俺が怖い。
母方の祖母がアルツハイマーで今では俺を理解してない。子供の頃に父方の祖父が死んだ時の出来事。祖母が大声で人目を気にせずに泣いてた。哀しさに満ちあふれている。何が原因とか結果とか知らないけど歩き続けていつか疲れたりしたら俺は立ち止まりきっとなんらかのアクションをとる気がする。が、それが俺だ。ああ、超憂鬱で死にたい。死にたい。死にたい。死ねないんだよ。加藤ローサも自殺しようとしてたのに船酔いを嫌がり鶏を殺すのを嫌がる。死にたいって思ってるのに首は吊らない。なんなんだろうな。覚悟じゃない。動物的な本能。自殺をする動物などいないのだ。自殺は人殺しみたいなもんなんだと思う。何度も俺はそう言い聞かせる。そうだ俺は誰かに殺されているんだと。
書きたいこと書きまくってやる。空しさとともに電車に揺られる。イングリット・フジ子・ヘミングの「亜麻色の髪の乙女」を聞きながら。
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俺の目は死んでいた。銀座線に揺られて俺は立っている。ガラス越しに見た顔にびっくり。おい、この好きだった女の子にふられたような顔してる男はどこのどいつだ。おい、これって俺じゃないか。
うーんと考えて、えくぼをつくる。おっ?すこしよくなったな。由希はこの笑顔に惹かれてくれないんだな。そうなんだ。俺を好きになってくれる人はいたけどさ俺ってもう泣きたい。鼻で笑う。それでも俺は営業をする。
この顔、みたら萎える。お客様の前、電話越しにすげー頑張って力説する。疲れる。会社に戻る。数字が合わない。数字を積んでこい。目的と手段という言葉はよく使われるがみんな意味などかんがえていないに決まってる。「目的と手段を間違えてない?」そう言葉に出すことが儀式なのだ。日々、粛々と歩いていて人は獣道に迷い込みそして気づいたらまた舗装された道に戻っている。そういうふうに人生が出来ているのだとしても帰って来れない人がいてもおかしくはないと思う。俺はそういう人種だと思う。永遠に人の痛みとかわからない卑劣なやつなんだと思う。臆病なやつなんだと思う。
ウサギはひとりぼっちになると死んでしまうらしい。それは俺だ。
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死にたい。という陳腐な言葉があたしは好きだ。
上司に彼氏ができたと虚偽報告をしてからもう1週間。あたしは前のチームメンバーと彼氏ができるまでの過程を報告しなければならない。うぜー。そもそもはあたしが悪いのだけどね。上司に彼氏がいないやつに仕事ができるわけが無いというパワハラめいたことを言われ誕生日祝いに映画のチケット2枚をチームメンバーからもらったのだった。彼氏は地元の友達でたまたまFacebook上で再会した某くんである。
一旦「チームの達成とプライベートの達成もしました♡」なんて気持ちの悪いこと言っちゃったものだから結局ストーリーを考えないといけないのだ。以下、妄想ストーリースタート。
待ち合わせは昼過ぎの14時過ぎの渋谷ハチ公前。この言葉は渋谷の待ち合わせの代名詞だからそれを使おう。その彼は、泊まり先の別の友人のうちに荷物を置いてから「ごめんごめん、待った?」と走ってくる。その後あたしは「いま来たとこ♡」と言う。ぎこちなさがあるがあたしが渋谷に来ると必ず行くタワーレコードを目指す。彼はちょっとオタクくんで坂本真綾(上司にはわからないだろうな。とりあえず有名な声優さんと言っておこう)のファンなのでそのCDを買う。あたしも彼が好きな菅野よう子(この人も知らないだろうから素敵な音楽家と言っておこう)は好きだ。彼女の奏でるエレクトリックなサウンドはかっこいい。しかも声がアニメ声。萌える。タワーレコードに行ってからは地下鉄で六本木へ。あたしがここのライブドアマーケティングの新卒採用にきたとか笑い話をしながら彼の手がそっとあたしの手に触れやがて恋人つなぎになる。彼とあたしは目を合わさずに映画館へ。汗ばむ手。どちらの汗かはわからない。「ごめん、あたし緊張してるかも。」「いやこれは俺の汗。」とかいいながら向かう。観た映画は「容疑者Xの献身」あたしは東野圭吾の才能は認める。でも好きか嫌いかでいえば嫌い。あの小説をここまで上手く映画にまとめたのはすごかった。あたしは泣いて(演出なしに)、彼も感動していた。そんなところにあたしはキュンとなる。
映画を見た後は、その彼と六本木で分かれる。泊まっている友達と夕食をともにするからだ。積もる話もあるしね。あたしは寂しさを演出する。少し不満顔で別れる。
で、次の日。あたしは初めてディズニーランドへ行く。ここでネットの登場です。あたしはディズニーランドの情報を何一つ持っていないのでここがポイントなんです。どういうところでどんなハプニングがあったのか。とにかくすごい混んでいたということにしよう。あたしは絶叫マシンが苦手なタイプだけど、有名とされる「スプラッシュマウンテン」「ミッキーの家とかミニーの家を観た」ということにしよう。事前パスなるものも購入しておき難なく入った。
「とにかく、人が多くて家族連れやらカップルやらで自然と手をつないでたんです。」
「昔の映画の話とかをして、盛り上がって共通の知り合いが結婚したとかそんなことで盛り上がっていました。」
で、夕方?夜かな。花火が打ち上がった時に正直あんまり覚えてないんだけど。
「遠距離だけど、由希のことが好き。だからつきあおう。」
「うん。」
キス。みたいな。そんな感じ。で、お別れは羽田空港。彼も仕事があるから帰りは飛行機なの。地銀とはいえ銀行マンだからお金はあるのね。帰り際に人目も気にせず軽くキスしてバイバイなんて手を振ってみる。
で、現在に至る。
んー、まあいい感じじゃない。良くもなく悪くもなく。しかも、これは上司の助言を聞いて実行したプランだからすごいんですよ。そこがミソなんです。嘘が無いような抽象的なことを盛り込みあたしは彼らに報告する。ああ、なんかさみしいなあ。きっと盛り上がるんだろうな。
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明日が来るのが怖い。怖い。普通にが怖い。普通とよばれていることが怖い。喜ばれることが怖い。怒られることはもっと痛く怖い。あたしは、狂う。オナニーしてみてもみじめになるだけ。
ピアノの音のように演奏者によってなんで奏でる音は違うんだろう。人生は演奏者によって音色が違う。あたしはきっと調律を間違えられた出来損ない。不安。恐怖。人の目が怖い。人の言葉が怖い。おびえる目。他人の視線。
この恐怖に打ち勝つには飛び込めばいいんだ。そう飛び込めば。それは罪。自分自身の罪。興味を持っていない人にも罪。興味を持ってもらってる人にも罪。人類史上最悪の罪。飛び込んで死んでやりたい。教会でまず100円で生き返らせてもらってレベルが上がったらまた飛び込んで戦って死んで次は200円で生き返らせてもらう。
あたしはどうしたらいいの?誰か助けてくれるの?誰か答えてよ。答えて。自らを傷つけることによって誰かに気づいてもらう行為。一歩間違えれば救急車の中。それも電気ショックを受けながら。ああそれ快感、多分ね。何も考えずにあたしは薬を大量に飲んで気づくとそこは無の世界。そうすればこの恐怖から解放されるのだ。あたしのこの肉体には魂なんて宿っていない。
恐怖に踊らされている道化師。あたしはすぐ顔に出てしまう。不安なときも快調なときも。だから怖い。人の顔色伺いながら生きるのが嫌だ。そんであたしにはコンプレックスだらけ。ああ、もう死にたい。死のう。首はまず吊れないからとりあえず薬だ。飲めるだけ飲んでみて明日起きたら会社に行こう。愛子にメールをうつ。
「そういうわけで、あたし死にます」
頓服飲んでもきかないので、あたしはもう疲れてしまったのです。でも死にませんよーだ。
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あたしがベランダで煙草を吸うのには理由がある。タバコは好きでも嫌いでもないけど、タバコの匂いが部屋に残るのが嫌なのだ。あの色と匂いが嫌。そんなこと思いながらあたしは高層ビルに向かって煙を飛ばす。タバコの匂いはオヤジの匂いと言う印象があたしにはあるらしい。どこの世間だよという人がいるかもしれないけどど少なくともあたしの周りの人間はそういっているの。あたしの鼻から吸い出されるタバコの匂いは好き。気持ちいい。落ち着くの。
愛子が来てくれた。なんだかよくわからないけど写真を撮った。死にたがっているあたしを撮りたいということらしい。ベランダでタバコを吸う姿も彼女は撮ってくれた。
「タバコの匂いは由希にとって心の支えなのかな?」
愛子が言う。
「落ち着くだけ。」
あたしは、もうあまり言葉すらうまく喋れなくなってしまったのかな。伝えたい事が伝わらない。タバコの匂いがあたしを覆っていた。
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通勤のラッシュあたしの一番嫌いなラッシュ。何故か?だってさ、意味わかんないよあれ。お尻とか私の無い胸とか触り放題。投げ売りですよ。もうね、びっくりなくらいさ。乗れないだろってところを乗ってくる。そういうところを不思議に思わないんだろうか。外国人とかが日本人は異常だというけれど、それは日本人が異常なんじゃなくてそういう異常事態と感じることをやってのける人間がすごいのだとあたしは思う。日本人だから、ではない。
ある時のこと。その朝のラッシュに老婆が一人よろよろと乗ってくる。その瞬間に、一人、また一人とよけていく。そして席を空ける。なんてドラマチックな展開はなく。そのおばあさんは何処か骨でも折れるんじゃないだろうかというような悲痛な顔をして乗り込む。
あたしが通勤のラッシュが嫌いなのはそういうことを平然と見る自分と平然とみる周りと他の車両でも怒っているだろうさらに関係ない周りのこの異常な事態に対してあたしがもはや順応性しているところにある。
肩が凝るよな。息が詰まるよな。なんでだろう生きてるんだよ。それでもあたしはそんなこんな街が好きなんだ。生きようとするんだよ。あのばあさんもきっと生きていて事故で死んだとしてもそれは事故ですまされてその存在は一瞬の記憶として誰かにちょっとだけ焼き付く。覚えられることなどなく気づかれることなく死んだとしても誰も気にならないこの世の中に私は生きている。
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私はコンタクトレンズをつけないと生きていけない。角膜が円錐角膜というちょっと複雑な角膜らしくてハードコンタクトじゃなきゃダメなんですよ。しかも、近視もある。0.01とかそれくらい。だから私にとってコンタクトレンズは生きていく上で欠かせないもの。無かったら多分生きていけない。その片方を、今日落とした。
片目が見えて片目が見えないというわけではないのだけども世界は少し変わって見える。私は自然と落としていないコンタクトを外す。目の疲れもあるけど、カメラ越しに見える世界とは違う世界をみてみようと思ったのだ。至近距離でこの私の愛用するMacBookに向かう必要がある。それは相当滑稽な姿。打ち込むキーボードも全く見えない。ブラインドタッチが出来るのに、コンタクトレンズが無いだけで世界はこうも変わるんだ。
夜、散歩をしてみる。そこには☆のように爛々と輝き続ける光が見える。信号、家の光、等など……。カメラを持って私はそれらを撮り続けていた。
あたしの彼氏の電柱くんですら全く違って見える。世界が見える。私だけにしか見えていない世界。そこに誰かが入り込める隙間なんて無いに等しいんだと思う。そこを私は撮っている。自己満足なんだろうな。きっと創作物のすべては自己満足だけどきっとその入り込めない隙間を撮り続けて感じてもらうことが救いなんだと思う。
乱視&近視のあたしはフラフラの足で、車をよけそしてぶつかりにいこうとする。だけど体は動かない。手にはカメラがあった。
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ヴィレッジヴァンガードに行って、何も買わないって決めたのに計3千円の香水、漫画、お香を買ってしまった。香水は「恋する乙女、恋する季節」なんてドキュソなポップにやられて買ってしまった。
漫画は最近はまっている漫画かの短編集。お香はいつものプレシャスチャンダン2箱。
下北沢でぶらぶらするところは回りきり、「シティーカントリー」へ行ってパスタを食べる。私のおお気に入りなペペロンチーノをぺろり。そんでカメラをカシャカシャ。好きなバンドのアルバムを聞きながら家に帰ろうとする足が勝手に向かったのは井の頭公園。各駅停車で向かっている。急行は人が乗るものじゃない。いつものこの時間なら混んでるはずだし実際に混んでて気分が悪くなるのも嫌なんで各停で正解。私のカメラ魂に火をつける。
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実家にはない光景。ここも東京。いわゆる高級住宅地とされている吉祥寺の一角でも昔ながらの商店街や公園がある。そこが東京でもあるのだ。わたしの好きな東京。そして、色を持つ東京。匂いが違う東京。井の頭公園あたりには何があるかと言えば取り立てて何もないのだけど公園が本当に絵に描いたような公園で私を本当に気持ちよくさせる。嵐山みたいな感じかな。春夏秋冬で雰囲気が全く変わるところ。嵐山の春夏秋冬の変化はすばらしい。変わりゆく瞬間がすごい。絶景という陳腐な言葉で悪いけど心を揺さぶらせるものをあそこはもっている。井の頭公園あたりもそこと同じで数々のアーティストが訪れるのがわかる。何度も足を運びたくなるそんなところなのだ。私の疲れた足も3連休ということもあり動いてくれたんだろう。
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今日の目覚めは私の予期していた感じでもろぴったしでちょっとうれしかった。朝風呂に浸って、ゆっくりと今日の始まりを予感しつつ洗濯機をまわす。ベランダに出て一服。うまい。朝のこの一本、吸える日と吸えない日があるんだけど今日は吸えてよかった。
その後、朝食を買いにセブンイレブンへ行く。立ち読みして買ったのはタバコとジャムパンとイチゴのヨーグルト。オハヨーから出てるヨーグルト。なんか社名に萌えた(笑)イチゴづくめの朝。立ち読みしていて思ったことがある。私も一応カメラマンの卵だからファッション紙とか週刊誌をみたりする。あの子たちの笑顔に癒されている女の子は多いんだろうな。きっと多くの女の子はそれを感じはしていても意識はしなくて笑顔になってる。そういうのっていいな。なんでかな。でもね私の葛藤は商品化されるパッケージ。
そこが私の葛藤。
今日の朝の気分はミスチルのアルバム「IT'S A WONDERFUL WORLD」overtureから蘇生へ。この流れをじっくりと聴いてジャムパンを口にしてから洗濯物を干して一息ついている。猫がベランダを横切る。ニャ~と鳴いて私を見ている。カメラを手にする。カシャカシャ。その時にかかっている曲がファスナー。この前、会社をクビになったKさんが好きだったんだよな。確か飲みの場でそんなこと言ってた。
そんな朝。私の3連休の中日は始まる。あ、写真写真。
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家の近くを歩く。冬に近づくにつれて空はいっそう青々としてくる。だからだろうか、カメラにも熱が入る。いつもと違った雰囲気で世の中が見えてくるのだ。特に気にしてなかったのに、小さなてんとう虫とか小さな蟻とかなんか意味なく撮っちゃった。
公共の施設には税金がかかっている。私は現在フリーター。世間的には自由な社会人として暮らしている若者=将来大丈夫か?という状況だ。悲観的でもなければ楽観的でもない。だからたまにだけど税金を払っているから公共の施設とやらに足を運ぶのである。箱もの行政という言葉が流行りだした頃に出来た物ではないためかその施設は比較的いい。どういいかというと接客が丁寧なのだ。困っている人に声をかけてくれる。民間企業なら当たり前のこの行為がなされるのが普通なのだけども私が利用しているこの映像専門の施設は有意義な時間を提供してくれる。無機質で人が来なくてイベントしょぼいコンクリートのカタマリである箱物の施設よりこの施設が私は好きだ。
フォトショップとかそういうのも使えるようだ。自分のiMacにまだそれをいれて勉強するだけの投資、財力がないし発表する一押しの作品すらまだできていない。目標だけはある。
目標、そろそろ時間とか期間とかそういうのを考えないと行けないお年頃なのだ。だから私は真剣に写真に没頭する。散歩道の道すがらお茶を買って一服。もうこういう生活がやめられない。私は多分、世間的には将来大丈夫か?人間。だけどなんだかわからない自信と不安を撮り続ける。
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一年前に流行っていたラノベのアニメで使われていた音楽がすき。声優タンの声もかわゆい。ああ、腐女子だわ。いや、腐女子はBLか。まあ、レズビアンでもゲイでもいいのだけどかっこいいのはいいのだよ。男では福山雅治だね。私の好みは福山雅治。TOKYOを唄うアーティストはいっぱいいるけどかっこいいからいい。
彼の立ち位置ってなになんだろう。ミュージシャン?俳優?カメラマン?肩書き、というのが気になる。別にだからってどういうわけでもないんだけど彼を観ていると何か芯を感じるのだけど何なのかな。アカウントエグゼクティブとかChief Executive Officerとか横文字並べられてもわかんない。
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ああ彼に「今からあいにいくよ」なんて囁かれたらもうあっちの世界だね。キムタクに言われるのとは違うんだよね。キムタクはあくまでアイドルだから。アイドルは「今からあいにいくよ」なんて言わないもんね。二宮くんが情熱大陸であなたはなんですか?という問いに対して「アイドルです」と答えてたのと同じ。キムタクと福山雅治の違いはそこにあるのですよ。
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で、あのラノベはいつ出るのかしら。次が出ると行って1年以上立ちましたよ。まるで、国民的人気のあの名作ゲームみたいじゃないですか。
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スローな生活を送りたくて3連休はゆっくり過ごすことに決めた。まずはお気に入りの「シティーカントリー」へ。自分らしく生きろとか休めとか難しいよな。結局のところ俺の生活は忙しいわけだしさ。だから自分で正直にゆっくりと向き合う必要があるんだな。と、だらだらとしてみるのも久々にいい感じがする。カルボナーラが旨かった。久しぶりにご飯をじっくり食べた感じだ。おいしいなあ。
今日はどうしようかな。何も考えない生活もいいかもしれない。そうだそうだ、今日はもう赴くままに小説を書いてみよう。今日は生きてる。
ここで俺は鬱になることで逃げる主人公の小説を書き始める。それが自分であるということを意識せず気づかず、そうしようとしてなっていった自分自身であることに気づかずに。それがきっかけで小説を書き始めているのだ。会社でぶっ倒れようが薬で変なことを書こうが空の上の存在である漫画家に会いたいと思うのも全て書き始めようとしていた。
そうだなまずは下北沢に憧れる主人公にするか。そして3連休の1日はすごく充実しているのた。
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秋空の本当に夕暮れ時に俺は井の頭公園に来た。なんだかね生きてるね、とかいいつつもやっぱり傷ついているわけよ。俺はガラスのハートだからさ。チキンだからさ。音楽聴いたり紛らしても紛らすことは出来なくてこうやって一人で来てみる。16時を告げる鐘の音が鳴り響く。下校時に流れるあの寂しい音楽と似ているな。そういえばメロディーフラッグという曲があった。あるアーティストのアルバムかシングルか。どっちだったかな。この公園はメロディーフラッグみたいな所だな。いいねぇ。なんだろ。笑顔が出てきた。
手元にあるiPadに書きかけの小説があり俺はこの1日をなぞりながらつらつらと続きを書き始める。完全に自分自身じゃないかということには全く気づかずに。この夕暮れ時に井の頭公園に来ているというシチュエーションを綺麗に丁寧に描こうとするがどれも読みなおしてみると陳腐でうざったい文章なのだった。それにすら気づかない。
3連休1日目の終わりにはすごくいいな。
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俺の仕事はアルバイトの求人広告なんだけどインターネット媒体と紙媒体を扱う業界2位の会社。だから紙媒体の構成とか値段とかは大体想像がつく。目につくところにある雑誌ほど広告枠は高いはずだ。当然のこと言ってるな俺。
3連休の中日に俺は会社のことなんて忘れようと思っているのに気になってしまう。そういえば休む前に雑な仕事もしてしまったからな。だからちょっとそのつけが回ってきそうな気がするんだ。すっきりした朝を迎えたのになんでだろうかなこの漠然とした不安ともやもや。
昨日はあんなに充実してたのにな。3連休の中日なんてこんなもんか。
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緒形拳が死んだ時はジャーナリストの筑紫哲也や、俺にとっての永遠のスターであるポール・ニューマンが死んだ時のように悲しかった。俺の大好きな大好きな俳優、ジャーナリストがこの世を去る。つまりそれは同時に俺も死に確実に当然のごとく近づいていることを意味する。1日が長く感じたり短く感じたり、その日によって感じ方は人それぞれだとしても確実に言えるのは無限という物はないのだ。すべては有限である。どんな芸術家だってどんな起業家だってどんな政治家だって限界がある。それが死だ。無だ。だから、その限界に向かって人は生き続けるのだろうか。こういったことを考えだすと憂鬱になる。そんで人の温かさを求めるのだろう。
お金って大切だよな。結局お金ないと生きていけないもん。お金も有限。無限にはないのだ。世の中に無限なものなんてあるんだろうか。あるから無限という言葉があるんだろうけど俺にはその無限にあるというやつが何なのかよくわからない。今度、愛子さんに聞いてみようかな。由希はきっと適当なことしか言わないだろうし。
3連休の最後なんてこんなもんだ。日曜のサザエさんを見て憂鬱になるのと同じ。それでも昨日のことや今日知った俳優の死のニュースを自分は小説のネタにして書く。そうして、明日にはまたサラリーマンへと戻るのだ。
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井の頭公園には若いアーティストがたくさんいてフリーマーケットでいろいろなものを表現している。いつからか、東京都の認可がないと出せなくなったのだけども唄う人、書く人、詩う人、踊る人、創る人、描く人、と本当に多様な人がいる。それらがミックスされたその空間はあたしにとっても非常に安まる。秋である。日が落ちるのも早くなり気づいたら冬。そんなタイミング。
カルガモの親子も巣立つ頃?よくわからないけど。多分巣立つ準備をするのはこれからじゃない?木の葉の匂いが私の蝕んでいた何かを癒してくれる。今の自然というのは人の手が入りすぎているかもしれないけどもここに来たくなるのもわからなくはない。なんでなんだろうな。なんでここに来たくなるんだろう。ある一つの言葉を書いてもらった。
「まっすぐな目でやさしさも強さもあたえられる。あなたの存在に救われている人がいる。」
その言葉が気づかせてくれたのがこの公園に来る理由。いくらデジタル化が進もうとも科学が発達しようとも、パソコンで絵が描けたり文章が書けたり音楽が創れても決して創れないものもあるんだと。それはこの井の頭公園のこの瞬間にしか感じられなくて創られなくて絵にはできなくて自分自身の心の何かだから。
あたしがここに来るようになってどれくらいだろう。いつも疲れたときだとは限らない。彼氏と一緒だった時だってある。でもなんでここに来るのかな……。そんなことを考えながら歩いて新しいアーティストの卵たちや、玄人たちの何かにあたしは触れることができるんだ。木の葉の匂いに噴水の香りに癒され恋人たちの香水にまみれ泥臭いことを言って人を傷つけて疲れたらまたここに来よう。そうあたしは思った。あたしの3連休の1日はこうして始まった。
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あたしの好きなアーティストたちは普遍的テーマを絶妙なメロディーでぶつけてくる。作り手、それをプロデュースする人、それを探してくる着眼点にあたしは嫉妬する。あたしにだって夢はあると思っていたが考えてみるとそれは今の会社でずっと仕事をしているイメージで気持ち悪い。将来マネージャーにでもなっていたいなとか部長として何か大きいことをやっていたいなという漠然としたものしかない。
だから夢を持とうとする。そんで1つ作品を創って世に出すっていう行為から始めようかなと考えを巡らせていく。誰が読んでくれるのか。そして何かを感じてくれるのか?
映画にしろ演劇にしろ何か創りたい。絵を描くのもいいな。イラレとかフォトショ使うのもいいな。とにかく創作しないとね。ああなんか夢ができた気がする。
睡眠薬を第二段階にまであげたから非常に眠い。こんな日に外でタバコをくわえるのが非常にいいんだな。ミスチルの曲は黒さとか弱さとかを全面に表現しない、偽善的な言葉スレスレの曲を出してくる。そこが彼らの、いやそこが彼らひとりひとりの一部でありスタンスなのだろう。
詩はいろいろな詩がある短歌とか俳句だって詩の一種だし定型詩、散文詩いろいろあるけど、あたしが今日の井の頭公園で感じた世の中のアーティストの卵は「孤独」とか「きずな」とか「希望」とかそういう言葉を詩ではなくそれぞれの何らかの手段で表現していた。一昔前には癒しがテーマだったりしたけど世間の流行とやらは「癒し+アルファで身近な幸せ」をテーマにした作品が多い気がする。共感する人が多いのはきっとそういう人が多くて世の中が欲しているものなんだろう。
あたしはピンとこないけどアナログでしか表現できないものへの回帰が好き。それが必要なんだ。仲良く大学生活を送り恋愛をするんだけどそれらもきっとアナログ直球勝負。悩む必要なし。そんなもんなんだろう。
言葉ではわかっていて体は調子が悪いけど順調な眠気が来ているから多分大丈夫なんじゃないかな。何いってんの自分?3連休の2日目なんてこんな感じか。
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手帳には何が書かれているのだろうか。あたしが手帳に日記を書かなくなっていつからだろう。今はブログとかそういったネット上にデジタルに残されている。簡単に消されては簡単に誰にでもみられちゃう。もはや手帳は自分のものから離れてしまっているのだ。ああ、明日は憂鬱になる気がする。3連休だからって仕事のことを考えないといけないことだってあるんだからさ。
こんな時には浩二に会いたくなる。あいつを誘って家に来てもらおう。もう犯してもらってもかまわない。いろいろな寂しさと悲しみにあたしは突然耐えられなくなる。悲しい。寂しい。叫ぶ。そんで、またあたしは何処かに足を運ぶ。手帳に昔書かれた言葉。
目をつぶってあたしは飛び込んでいく。気づくとそこは家の中。リストカット。気づいて誰か、誰か。NHKの番組はあたしにはあわない。いい話、勉強になるし考えさせられる。だから強迫観念に陥るんだ。そんなことを手帳に書いたこともあった。その昔の手帳を前にあたしはまたお気に入りのiMacに手をのばす。
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私のカメラには魂が込められている。それは私が魂を込めて撮っているから。連射で撮ったものもその一瞬を狙った物もすべて魂が込められている。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ
私が撮った物は世の中のほんのわずかな一部分でしかすぎない。私や他人の喜怒哀楽とかも含め、動物、建造物、自然すべて一部。ほんのわずかな一部でしかない。でも私は撮り続ける。そこには私のプライドと私自身の恐怖が埋め込まれているから。本能で撮った物を選り好みしてアルバムにする。本能とは直感、第六感に近いもの。私の信じる物はその感性だけ。他は信じられな。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャいな。
だから私はカメラを手放さない。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ
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俺は弱くて怖がりでビビリである。恐怖にいつも苛まれている。とか文学的でもなければ社会派的なことをいうつもりでもない。怖い。信じられないのだ。人に触れるって言うことが怖い。だから風俗ってあるんだと思う。人の温もりをお金で買って一瞬安らぎを得る。そんな大層な意味なんてないんだろうけどね。俺の場合の風俗はそういう所だと思っている。
わからないこと、それが怖い。それは数式とかに当てはめると底辺×高さ÷2という数式のようにしっくりくる物を俺は望むのだ。しっくりこないとなんでなんだろうと考える。自分の経験則から考える。経験則というのは体験、疑似体験でもよい。小説とか映画とかそういうのもきっとそれにあたる。経験に勝る物はないという言葉があるようにやっぱり怖いんだよ。わからないと。わかる為には信じることが必要だと思う。信じて裏切られて傷ついて癒されることが必要なんだと思う。俺はそれらすら怖い。信じられないんだよ。俺に温もりのかけらとかそんな物があるとは到底思えない。
芥川龍之介の「河童」という作品は彼の作品で一番好き。わからない恐怖、生まれてくることへの、存在の問いかけをすごく上手く表現している。あの作品の主人公なんだよ、俺は。いつかわかる日が来るのかな。そんなことを思いながら結局のところ結論は出ずに憂鬱になり誰にも知られることなく朽ち果てる。そして、新たな命は同じ苦しみを味わう。そうして人間は生きてきたのだ。本能のままに悩み苦しみ表現する。さあ、明けてみようかな俺の扉を。携帯電話にはデジタルで無機質なメールと電話という肌では感じられないけど有機的な言葉を併せ持つ有能なそして怖い電化製品だ。俺の扉はそこにある。
由希からの着信がそこには残されていた。
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あたしのメールは余計なデコレーションをしない。あの飾りが嫌なんだよね。だってさかわいいよ。確かにかわいい。でもかわいいんだけど保存しておきたいんだけど文字が怖い。言霊、言葉には魂や何かが宿るという。あたしにはメールにはそれを感じられないの。だからあたしはデコメが嫌い。どんなに仲がいい友達でもデコメで返信しない。怖いの。人を結局信じられないから。信じても裏切られるから。メールの無機質な点も怖いのに飾ることなんてできない。
東京という街は住みやすい。人に無関心だから。びっくりしたよ。初めこっちに来た時は。平日の山手線に明らかに学校に行ってるでしょ?という時間に高校生や中学生や小学生が乗ってる。あり得ない風景でしょ。あたしたち大人は注意もせず気にも留めない。そりゃ、車で誰彼かまわず轢き殺すよ。親でも殺しちゃうよ。それだからあたしは子供をそういう状況においている学校、社会、東京という街が好きだ。傷つくにはいいクッションを持っている街だから。誰もあたしのことなんて観てくれていないし気にも留めてくれない。だから、あたしは傷つくことなく信用することなく生きていけるんだ。
人の優しさとか温もりを感じた時にあたしはどう返事をしたらいいのかわからなくなる。怖いもの。だってさ、だってわかり合えることなんてないんだよ。さらにいうと何考えているかなんてわかんないから伝わらないんだよ。それでも、それでも人はやさしい。この言葉をいう。
「ありがとう」
この言葉を感じで書くと有り難う「有り難い」「有難う」挨拶に関して、wikipediaではこう前説で書かれている。『多くの社会で、人間関係を円滑にする上で必須の手続きと見做されている。それ故、挨拶をしなければ、それはそのまま他者との摩擦に発展し兼ねない。』またこんなことも書かれていた。
『挨拶という行為そのものに即時的な利益は期待できない。しかし長期的に見た場合、挨拶を一切しない生き方は他者からの好感が得られにくく、また他者との摩擦が生じやすい。その為、挨拶という習慣は、戦術的意義よりも戦略的意義が大きいと考えられている。特に挨拶のコスト(挨拶に使われる時間や労力)が挨拶の利益(摩擦回避や好意)より小さいと感じられる者にとって、挨拶は費用対効果が大きい経済的な投資である。』
費用対効果だってさ。ね、怖いの。こんなことがまかり通るこんなことをかける世の中にわたしはいる。だから怖いの。触れて傷つくのが怖い。でも、死ぬのはもっと怖い。浩二に電話をする。まずは人に会わなければならない。
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署名運動をしている人たちを私は撮った。何枚も撮った。展示会にいった。そこには拉致被害者という文字がある。私はシャッターを押す。
カシャ
私は昔から赤い羽募金とか緑の羽根募金とかそういうのが嫌いだった。署名運動とかも嫌いだった。何故ならそんなのにお金を使うくらいなら自分に有意義で例えばカメラにお金を使いたいと思うほうが健全だと思うから。
高校の時に私はクラスを凍らせたことがある。
先生が言う。
「この切手を買うことで世界の貧困に苦しむ人たちがご飯を食べれます。病気に苦しむ人たちが助かります。先生は、全員これに参加
することを提案するけど異議はないよな。」
しばらく沈黙・・・
私が言う。
「私は嫌です。そんな偽善的な行為をするより私は映画を見たりカメラのフィルムにお金をかけたいから嫌です。」
ざわざわ。
カシャ
私以外の人たちは全員募金活動をした。私にはそれが滑稽に見えた。彼らはちゃんと考えているんだろうかと。私は考えている。それは、そこに生まれた人の運命なんだから私たちが干渉するべきではないのだ。私たちが住んでいる国に彼らが生まれていればいいだけのことなのだ。差別だってそうだ。私は女だから差別される。それはもう私が女である以上しょうがないのだ。戦うこともあるけど変わらないのだ。変わろうとはするけど変わるには時間がかかるのだ。
その募金で変わるきっかけは作れるかもしれないけど私には到底そこに投資するだけの意味がないと判断した。だから私はその日の授業をさぼって映画館に行った。スターウォーズのデジタルリマスター版を見に行った。どれだけ有意義な時間を過ごせたか。あのしばらくあった沈黙を私は忘れない。何を思った沈黙だったんだと。何も考えていない沈黙でないことを望みたい。
カシャ
話は戻る。署名運動をしている人たちは哀れでもなくただ必至だった。私に出来ることは署名をすることではなくカメラに納めることだと思う。それによって私の世界が広がるから。世界との接点を私は自分自身の満足ではあるけど作れるから。私は署名運動や募金活動なんかには絶対に参加もしなければ見向きもしない。私のこの一眼レフは彼らを写したがっている。私は撮るのだ。
カシャ
私は孤独ではない。このカメラがあるから。
**
イライラする。慣れていたことができなくなることに対してイライラする。俺は本当に自分勝手でかつ、人を見下している最低な人間だと思う。イライラする。マクドナルドでつたない外国語(日本語?)で、オーダーを受ける。その中国人か韓国人かわからないアジア系のクルーに俺はイライラしていた。
外国に行った時に衝撃を受けたのが仕事に対する姿勢だ。残業なんてなさそうだしみんなマイペース。俺はヨーロッパには行ったことはないのだけどアメリカのあのゆったりした雰囲気に俺は衝撃を覚えたのだった。
アメリカには日本と同じようにいやこんなの世界共通か…差別がある。ロサンゼルスなんてあからさまに黒人地区と白人地区で別れている。公共の施設も露骨に出ている。車に乗っているのはインテリ層の白人。黒人は電車やモノレール。明らかに違うのだ。
彼らにも感情はあるはずだ。俺はアメリカに今は住んでいる中学時代の友達に聞いたけども特に人種間で優劣を感じたことはないという。そんなことはあまり感じないらしい。そうはいえども、俺にはどうも働く環境だったり、働いている層の年齢層、肌色によって確実に違って見えた。そこには……差別があった。
そこは俺に適している場所だと感じた。と、同時に見放された時や落ちぶれたときの恐怖も覚えた。飛行機がニューヨークのビルに突っ込んだ。誰もが衝撃を受けたはずだ。歓喜と悲壮感と相反する物が同時にあった。俺にはどちらもリアルに感じられなかった。ただ、「人がゴミのようだ」という台詞を作った映画監督の言葉のように物としてそれが映っていた。その証拠がグラウンドゼロにいるホームレス。そして国歌を歌いお金を乞う人たち。完全にソレは人には見えなかった。
俺はそんなことを思い出しながらレジでイライラしていた。片言に聞こえる日本語が適当ではあるが何かのために必至になる自分と投影していたのだろう。この状況下を脱して一つ上の階層に行きたいと。それは生活レベルとかではなく自立した生活をしっかりと出来る自分を目指しているということである。
これも小説のネタにしよう。物語のほとんどは自分の体験を元にされたものが多い。
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怖い。
そんなメールをそんな日記をここ数日ずっとずうーっと書いている。同時に死にたい。死にたい。というメールや日記を書いている。友達は呆れている。立ち向かえという。何に立ち向かえというのだろうか。このどうしようもない憂鬱な気分にあたしは負けようとしていた。どうしようもないこの憂鬱な気分。表現すると怖い。死にたい。消え去りたい。そんな言葉にしかならない。なんでそんな言葉にしかならないかなんてことは頭の悪いあたしにだってわかる。自分が欠落しているからだ。人とふれあうことを恐れ関わらないように上手く逃げてきたつけが今きているのだ。会社を無断欠勤して何日経つだろう。会社からの電話は2日目くらいからならなくなった。
あたしの替え玉なんて世の中にはたくさんいるんだ。今はもう逃げ出そう。逃げてしまえばいいのだと自分に言い聞かせた。でもあたしの帰れる場所はあるのかな?なんてことを考えるとそれはなくて結局あたしは会社に電話をする。上司が怒る。でもその上司はあたしに向かってこう言った。
「しばらく休め、戻って来ていいからしばらく休め。あとは俺がなんとかする。大丈夫だ。」
彼はこう言ったのだ。その言葉には感情はなくマニュアルのような決まったフレーズであたしはただ呆然としていた。あたしに帰れる場所があるのだ。そんなことなんて気休めにしかならなくてあたしはまたベッドに潜り薬を飲む。最近では薬の効きも悪くてなかなか寝付けない。だからあたしは憂鬱になる。すべてがマイナスに見えてくる。
それでも律儀にメールを返してくれる浩二がいる。相槌を返してくれる浩二がいる。永遠に恋人にはならない浩二がいる。あたしはどうしようもない不安を抱えて震えている。涙が出てこない。泣きたいのに泣けない。それはある意味人間としての機能がどこかおかしくなっている証拠だ。あたしはもういろんなことに疲れ果ててしまったのだ。
それでも朝は来るという輩がいる。だからなんだ、だから何なんだとあたしは問いかける。それでも彼らはいうのだ。
「それでも朝は来る。」
あたしは薬をもう一錠多く飲んで眠りにつこうとする。朝が来るのを待つ。
**
私は病院に通っている。精神科に通っている。心療内科というのは世間的に「頭のおかしい人」というイメージが精神科についているので名前を変えているだけでやっていることは精神科と同じらしい。
私は家の近くの精神科に通っている。きっかけは何だったんだろう。もう思い出せない。興味本位かな?しんどかったのはあるけど、なんでかな?始めは私も精神病という名前がつくに病院に行くことに若干抵抗があった。
ところが心療内科に行った所「予約でいっぱいだから××病院に行って下さい」と言われた。私は絶句。精神が病んでいるかもしれないのに無理だから拒絶されたことに絶句した。とはいえ、その時の私は酷く精神的に参っていたのでその××病院へと行ったのだった。
そこの印象はまさに「頭のおかしい人」の集まりだった。所々に学生やサラリーマン風の人もいた。私は受付に行く。
受付のおばさんが言う。
「ここは精神科の病院ですが……大丈夫ですか?」
私はまたその言葉にびっくりした。とにかくしんどかったので「大丈夫です。すぐ診ていただきたいです」と答え、心理療法士という人からいろいろなことを聞かれた。出生から現在に至る出来事すべてを包み隠さず聞かれた。嘘もついたところはあるけどとにかくしんどかったからしゃべれることは話をした。
その病院に通い始めて3年近くになる。由季に出会ったのもここだった。私にとって東京で初めて出来た友達が由希だった。私は今も抗鬱剤を飲み続けている。私は薬をやめることができないでいる。そんな私をカメラに収める。
カシャ
そうして私は自分の名前を呼ばれ診察室に入る。
*
病院でこんなちらしをもらった「うつ病から社会復帰へ!ご案内チラシ」私はすぐカメラにそのチラシを納める。
カシャ
そして自分自身を撮る。これ写メで。ポーズはピース。橙色のそのチラシを片手に「はいピース♡」
カシャ
「(キャッチフレーズ)
他の人と話をしながら、自分に合った解決策や予防法をみつけてみませんか?
目的
(1)うつ病の正しい知識を習得しましょう。
(2)他の人の体験を聞くことで自己観察力を磨き、問題解決能力の幅を広げましょう。
(3)再発予防を考え、社会復帰しましょう費用:無料」
カシャ
あたしはこれに参加するか否かを考える。興味を持つ。どんな人がいるのだろうか。カメラに収めたいという欲求とあたし自身の意志も込めてこれには参加するべきなのか疑問を投げかける。
カシャ
眠い。薬が効き始めて来たのだろうか。あたしもうつ病患者の一人としてこれに参加してみようと思う。無料という所にも興味がある。
昔、父が自殺した専門学校時代の友達が同様のセミナーに参加していた。彼は自分を責め続け、母を責め、どうしようもなく疲弊しまくっていた。彼の父は力強いそれはもう自殺なんてするはずがない完璧な父親だったそうだ。そんな父がある日首を吊って死んだのだと聞かされた。彼とその兄妹はともかく、妻である母は呆然としていたらしい。何が起こっているのか状況が把握できないでいたのだ。
彼はそういう家族が自殺したものが集まるセミナーに参加して満足して帰って来た。あたしには到底それが異常で宗教のような雰囲気さえも感じられ嫌悪感を覚えたのを記憶している。
カシャ
あたしはその彼が受けたというセミナーを受けようというと同じような境遇になった。今日は土曜日だから月曜日に電話でもしてみようかしら。そんなことを思いながらあたしは家路につこうとしていた。
再度あたしはピースのポーズで写メを撮る。
カシャ
**
俺は図書館と隣接する出張市役所もとい支店に出向いていた。住民税を納める為だ。滞納すること早や3年。毎年滞納金が追加され3年間で26,600円(年8,000円利子2年分2,600円)俺は馬鹿だし相当な天の邪鬼だ。納得しなければ行動に移せない性分がある。それは時に面倒なことに集中する。この3年間、住民税という奴を俺は非常に毛嫌いしていた。住むのに何故税金を支払う義務があるのかと。
全く俺は子供なのである。俺は駅前の出張市役所で税金を納める。と、同時に図書館へと向かう。市立図書館である。俺はこの図書館がすばらしいと最近になって気づいた。ユニバーサルデザインという言葉がある。やさしさをデザインするというとわかりやすいだろうか。階段もクッションのように柔らかく点字用の本も充実している。DVDやCDの貸し出しもしている。申請さえすればパソコンだって使わしてくれる。俺はただただ自分が情けなくてしょうがなくなった。老婆、ホームレス、学生(恐らく浪人生)、サラリーマン、主婦(夫)、実に様々な人たちに対して見下していたから。
またこういうことかと気づいた。社会の一部になることというのはこういうことなのだ。税金という奴がどういう風に使われていくのかを身に染みて感じた。そしてそれは各種税金に対する考え方にもつながる。消費税がどのようなことに使われるのか?所得税がどういうふうに使われるのか?あらゆる税金には意味がありそこに行政が存在する。
社会科の教科書に書いてあることを俺は学んだ。29歳にして学んだ。何故、何故、何故と思うこと疑問に思うことは面倒でもやってみることが大切だ。俺は後輩にそう教えてきた。が、なんとしたことだろう。俺がそれを体現できていないじゃないか。俺は失意の底に落ちてしまった。
午後の薬を飲み俺は図書館へと足を運ぶ。お気に入りのiPadで思いつくままに文章を書きなぐる。俺はやっと少し社会の一部になったのかもしれない。
*
その日の夜は異常なまでに憂鬱だった。どういうわけか、俺は途方に暮れていた。そこに冷静な自分をみている人格もいた。俺はどうしようもなく死にたくなっていた。もう何回思ったことだろう。俺は気づくのだった。そうやって死にたいと思い続けるのだと。きっと俺はこの先もずっと死にたいと思い続けるのだ。そう思うと本当に気が滅入って来た。リストカットでもしてみるか?そう俺は別の人格へと問いかけてみるが返答はない。
そりゃそうだ。俺なんかと話をしたって無駄だろうな。
俺はいすを取り出してベランダへと向かう。俺はその椅子に座り煙草を吸う。ベランダでは2本以上吸う儀式になっている。特に理由はない。
ひどくしんどい。気が滅入る。俺は本当に終わっている。そんな俺自身が本当に嫌でたまらない。俺は人を裏切ろうとしている。そんな自分も嫌だ。だけど俺はもう後戻りが出来ない所まで来てしまったのだ。旅立ちは近い。残り1ヶ月弱といったところであろうか。2月までには何らかの形で俺は逃げ出すか留まるかの決断を下す。それはもうある種俺にとって逃げ場を作らない状況にしてしまうことだ。
さて非常に今日も憂鬱なわけだが見事なまでに外は雨だった。俺の流れることのない涙のごとくざあざあと雨は降っていた。
**
師走も中頃に入りいよいよ寒くなって来た。日に日に熱は上がりどうやらあたしは風邪を引いているようだった。体が重い。気分が憂鬱になる。抗鬱剤は脱水症状を副作用として持つ。いまのあたしにとって熱が出るということは非常に厄介なことだった。2リットルの水を大量に買っていたからそれをがぶ飲みして布団に潜る。ひんやりした所と体温によって暖められた所とで身震いがする。あたしは怖かった。ただ、怖かった。すべてが怖かった。このまま死んでしまうんじゃないかという恐怖。誰にもかまってもらえなくなる恐怖。社会と完全に断ち切ってしまっていうんじゃないかという恐怖。あたしは孤独だった。
朝起きた時、あたしの部屋は荒れ果てていた。だれがこんないたずらをしたの?と、起き上がろうとすると片腕からは血がダラダラと流れている。おいおい嘘でしょ、と苦笑いをしながら自ら命を絶とうとしいた自分と向き合っていた。
本棚から落ちたいくつもの本とともにあたしはこの非常事態を冷静に分析した。昨晩のあたしは処方された睡眠薬をいつもより多く飲んだのだった。その果てに待っていたのは自らの命を絶とうとするもう一人のあたし。それこそ空き巣でも入ったんじゃないかというような風景である。
あたしは、右腕の動脈を切り損ねていたらしい。救急車とかを呼ぶのか?どうするのか?と、反駁しながら体が動かないことに気づく。結構出血していたからか頭がぼーっとしている。体の動きも鈍い。とりあえず、あたしは浩二にサイレンを鳴らした。
「××カスタマーサービスです。現在、おかけになった方は電波の届かない場所にあるか電源が入っておりません。」
不安とともにあたしは喚く。このまま誰にも気づかれずに死ぬのも悪くないなとも思いあたしは再び寝ようとした。明け方?夕方?どちらかわからない。動脈を切り損ねていたと思っていた腕は本によって刷れたあとだと気づいたのはもうろうとしたままお風呂に入ろうとしたときだった。
再び、あたしは何故こんな事態になったのかを振り返る。どうやら自分自身の生きる価値とか存在意義を否定したかったようだ。止血をするまでもなく人はやはりいざ死のうと思ってもなかなか死ねないのだ。もう一人のあたしがそうさせたのだとしても本能は死を拒んでいた。あたしにはもう何もないはずなのになんで生きているんだろう。
あたしはお風呂に入ってシャワーを浴びてまた布団に入った。ひんやりした感じがよかった。傷口は痛くなかった。
*
自殺未遂?いや、あれは事故だ。自殺なんかじゃない。人間は自殺なんてしないのだ。これはあたしの持論だ。あえて自殺というものを定義づけるのであればあたしならこう答える。
「人は動物は自ら進んで死のうとはしないのだが、死を避けるがために死に近づいてしまうことはもある。人はそれを自殺と呼ぶ。」
人は死に向かって進み続けるのだ。そしていつか死ぬ。そこに対する恐怖を持たない人間はいないはずだ。自分が存在しない世の中、自分が忘れ去られる世界、自分が燃え尽きる瞬間、無に還る。そんないろいろな言葉で比喩できる。
後輩からメールが来た。
「みんな由季さんが元気に戻ってくることを願っていますからね!!」
あたしはため息をつく。このメールを送って来た彼女も鬱で半年近く会社を休んでいた。そんな彼女とあたしはよくメールをしていたし今回でも彼女に意味不明のメールを送ったりもしていた。あたしはどうしようもなく人が恋しかった。あたしにはその言葉が重かった。優しさが怖かった。人に触れられることが怖かった。むしろ嫌ってくれた方がよっぽど楽なのに。いい人たちなのだ。彼らにあたしはどんだけ助けられたことか。あたしには「元気」という言葉が重すぎて憂鬱になりそいつらを恨み始める。あたしが元気だった記憶はない。みんなに映っているあたしは虚像でしかない。そしてあたしは虚言癖だ。その嘘は巧妙で皆だまされている。もちろん気づいている何人かの人をあたしは把握している。そういう人たちとあたしは仲良くなる。
でも結局のところ嘘なんて誰にでもわかっちゃうんだよね。きっといつかばれるんだ。そしてあたしは傷つくのだ。自らを傷つけるのだ。
あたしは布団の中にもぐって後輩への返信内容を考える。今日も怖い1日だった。あたしはみんなが言うような「由希」という人間ではなく人を平気で裏切れる冷酷な由希。信じることなんて到底出来ない最低の人間なんだ。そういう風なことを彼女にはメールで送った。彼女はそれを受け入れてくれる。そして彼女の言葉で返してくれる。
「それでも、みんな待ってますから」
あたしはなかなか眠れない中また薬に手を出し強制終了する。何を待ってんだ。
*
手の震えが時々でてくるのはいつからだったろうとあたしは振り返っていた。隣に人がいるだけで手が震える。それは友達でもあかの他人でも関係ないのだ。でもあたしの手は制御がつかないような震えを起こす。それについて考えてみたところ、登校拒否をしていた頃からなんじゃないかと思う。あたしにとっての登校拒否は長くなるので割愛したい……というと振り返りにならじゃないないか、と笑っちゃった。
でもあたしにとっての手の震えは今こうしてiMacに向かっている時にも起こるのだ。何かに緊張している。煙草を吸っているとき手が震えているのに気づく。あ、手が震えている。今は抗鬱剤が効いているから不安にならないというか感情が浮きも沈みもしない。最近になって初めて抗鬱剤の威力を知った。とにかくすごいのだ。安定してきた(といっても、左の手首を切りたくなる衝動はまだかすかに残っている)。あたしの体には見えないいくつもの傷がある。それであたしはまた憂鬱になる。それは薬の効かない物なのだ。あたしの手の震え。それはこれからもつきまとって来るような気がする。説明がつかないまだ得体の知れないもの。それを知ろうとしても体が頭が遮断する。
*
薬が大分効いて来たことと生活リズムがよくなったことであたしの肌荒れとかそういう乙女に重要な要素も鬱も改善されようとしている。薬は今まで飲んでいたのに休んでから飲んでみて初めてその効用を知る。びっくりするくらいに頭はクリアになるし同時に生活リズムも所謂正常値に近づくのだった。あたしはそれにおびえている。手の震えは未だに収まらないしどうしようもなく寂しくなることもあるから。
そんな中で「休め」と言われたものの会社からの電話はひっきりなしにかかってくる。あたしはゆっくり休めているのだろうか?と思うくらいだ。幾分か肌荒れも治って来たしいつもより早く目が覚めるし、夜眠くなることはいいことなんだと思うがなんで電話してくるんだろう。
そこであたしは旅に出ようと決めた。2泊3日の旅である。ベターな展開だなあと思いながら佳代にメールを打つ。
あたしは行動に移すと決めたら割りと速いタイプだった。そこには何も伴っていないから結果はいつも同じで中途半端なのだ。あたしはもう1つここで決めた。携帯電話を家において出て行こうと思う。佳代にはあらかじめその旨を伝えておく。会えなければ会えなくても良い。とりあえずあたしは一度この東京から出ようと決めたのだった。多分2泊3日の旅で何かが変わるかどうか分からないけれども何かを期待してあたしは旅に出るのだ。
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アイドルと呼ばれるモノを相手にして私は写真を撮っている。前にも思ったのだけどこの風俗嬢(またの名を、グラビアアイドル)はプロだと思う。確実に彼女達は性の欲求を解消するものなのだから。それを承知で彼女達は大きな胸や小さな胸をさらける。私には無理なことなのかもしれない。そういう自分を売りつけるプロになるという確固たる決意がない。職業と仕事は違うとある作家が語っていた。その作家は「職業」と「仕事」には男と女の間にあるような距離があって遠いけど関係はあるが決定的に違うモノだということを語ってた。それでも私はこの風俗嬢(またの名をアイドル)のきわどい写真を撮り(ときにはぽろりもある)、その対価として幾分かのお金をもらっている。それをくり返すことによってその経験をくり返すことによって私はこの作家のように仕事に「なる」のだろうか?それとも職業になるのだろうか?そこが分からない。確固たる決意とやらもなくプライドも揺らいでいる私に何が積もっていくのだろう。
何万枚という写真を撮り始めて私は気づいたことがある。私は感覚でしか写真を撮っていない。考えていない。なんでだろう。それは私の反射的な行為に対し、時に裏切り逃げてきたからだろう。見つめ直さなかった。怖かった。そしてその恐怖すら撮ることに終始していた。気づいたのだ。私はそれを編集する。私の好きなように編集する。Macはすごい。なんでもできる。その経験はいつしか仕事に「なった」のでした。ということなのだろうか。
*
私の友達にはミスチルを本気で毛嫌いする子がいる。その子はもうばりばり関西弁なのである。
「せやからな、あたしはミスチルが嫌いやねん。ミスチルという名前を出さんといて」
そう、私の数少ない友達はいった。
「何でそんなに嫌うの?」
と、私は単刀直入に聴く。私もただ写真を撮っているだけではなくそれなりに音楽は聴いているし彼らの作る音楽は非常に好きだったから彼女のその言葉は意外だった。誰だってミスチルが嫌いなんて人はいないはずだと思っていた私には興味深い一言だった。
「だって、あの桜井って人の笑顔も歌もきもいもん。なんかゾクゾクするし寒イボでるしな。」
きもい、と彼女は言い放ったのだった。私には衝撃だった。くり返すが私も写真だけとっているわけではなくそれなりに音楽は聴いているから彼らの書く詩やメロディーがすばらしいことくらい分かっている。ここではそこは問題じゃない。圧倒的に支持されているバンドとりわけアイドルなどの類いとは違う所謂ごく普通のバンドではなくもはや崇拝の域に達しているバンドを彼女は堂々と
「嫌いやねん。きもいねん。まじで、うざいねん。」
と言い放ったのだ。
自問自答してみたのだ。私の写真に問いかけてみたのだ。そこには答えなんてないのだけども私は自問自答していた。あたしにはそういう確固たる嫌うことが出来るものがあるのだろうか。主張できるものがあるのだろうかと。
私には憧れるものなんてない。電柱さんに失礼じゃない。だから私には憧れるものは今も昔もない。
**
久しく帰らなかった実家の自分の部屋にはさまざまな過去の遺物が埋まっている。そこに俺は何を思い出すかといえば、やはり2番目に恋した怜香だろう。交換日記をしていた。その交換日記は仲の良かった5人でまわしていた。普通は両思いの2人がするのだろうけど、家族ぐるみで(主に母親同士)つきあっていたメンバーがとある出来事で始めたのだ。怜香、理希(まさきと読む)、耕造、真奈美、俺という5人。ちなみに怜香と真奈美は親友で、俺は理季と親友だった。耕造はどちらかというと一匹狼のようなやつで誰ともつるまない奴だった。それが母親同士の集まりか何かでたまたま一緒になったのだ。耕造は小学校の中でも一番頭のいい奴だった。だからだろうか、いつも一人の印象があった。
あの時の5人の仲の良さは、今までに味わったことのないものだった。俺はその当時から人間不信だったのだが不思議とその時は不器用ながらも心を許せたのだ。
憧れる。
思い起こすとつらくなる。寂しくなる。今飲んでいる抗鬱剤のおかげかそこまで寂しさを心のそこから奮い立たせることができない。俺は泣けなかったのだ。
5人は小学校の交流会や修学旅行生などでは必ずいつも同じように行動した。林間学校という田舎の小学校との交流会などでも進んで行った。廃校に追い込まれるような遠いところ(今で言えば東京駅から大宮くらいの距離)。それは小学生の俺たちにとってはとてつもない遠いところだった。そこで芽生えた恋。意図された恋だったのかもしれない。耕造は怜香が好きだった。そして恐らくこれは推測なのだけど告白してつきあっていた。小学校でつきあうというのもまたおかしな響きかもしれないけど彼らにはそういうものを感じていた。
しかし、その恋も終焉を迎える。それは俺の怜香に対する強い恋心だった。奪いたかった。何故怜香を好きになったのか?俺は構造から奪いたかったのだ。好きである気持ちが強かったが異常なまでに執着して奪った。幼い小学生。6年生。これから思春期を迎えるまさにそのど真ん中で俺は怜香に恋をした。怜香もその恋に気づき受け入れた。
怜香はいわゆるツンデレだ。ツンツン言ってきて俺と怜香はいつも口喧嘩の絶えない仲だった。それが、恋に繋がったのだと思う。そして、いつも俺は言い負かされていた。怜香はよく口にする「浩二って本当にボキャブラリに乏しいね。」
そんな下らない言葉で俺たちは恋におちた。当然なら耕造との仲が悪くなるような事態になるはずだった。ところが不思議なほどにそういう事態は起こらなかった。真奈美が耕造を好きだったのが恐らくの要因で真奈美の視線はそれとなく構造に向けられ構造はそれに気づいてはいたが受け入れることはなく会話をするだけで有耶無耶な関係を続けていた。真奈美は怜香とは正反対で冷静。それでいて天然が入っているからかわいらしいキャラだったが積極性にかけるためかそのような微妙な関係でも良かったのだろう。天才肌の耕造に惹かれたのは彼女になかった「孤独な視線」だったのだろう。真奈美と耕造の恋は結ばれることはなかったけどもその微妙な関係ではあったが5人は仲が良かった。
理季は5人の仲ではガキ大将ではないけども、「頭のいいバカ」だった。猿のまねをしたり、奇声を上げたり、とにかくよくわからないことで俺たちを笑わせた。理季とは小学校6年間―なんと6年間である―一緒のクラスだった。俺が登校拒否をしている時もいつも俺の家に来てくれた。そしてこういうのだった。
「浩二〜、つまらんから学校こいよ〜。マッキ〜って誰も言ってくれんけんさ〜。なあ、こいよ〜。」
そう2年間言い続けてくれたのは彼ともう1人の親友だけだった。理季は俺にとって掛け替えのない存在だった。恐らく5人の仲で一番大人の男だった。
5人のうち、俺と耕造は受験をした。耕造は県内の全国でも屈指の進学校へ。俺は、大学の附属中学校に受験した。必至だった。そして、俺は受かることなんて興味はなかった。怖かったのだ。何もかもに。親も友達も何もかも。信じられるものはなかったからとにかく考えなくてもいいように必死で勉強していた。
そこで俺達はかけをしていた。Jリーグチップスというのが当時はやっていてそれを賭けにしていたのだ。5人ともサッカーには全く興味がなかった。その賭けは5人の微妙に始まった皴をつなぎ止めるものだった。5人中5人が(つまり俺自身も)、俺の合格なんて信じてなかった。小学校の3年4年をまるっきり学校に行っていなかった過去を知っていたし当時通っていた塾でも通るのは奇跡だとまで言われていたからだ。
俺には合格できる確信がその時、実は少しあった。苦手とする科目などは教師の母親と祖父に穴を予想してもらい重点的に勉強したのだ。気づいていたのは耕造と理季くらいだろうか。
「お前、合格するつもりだろ」
という、目で彼らは見ていたから。そう声には出さなかったけども耕造には分かっていたはずだ。彼もまた、受験をしていたしなにより頭が良かったから。頭がいい奴は、勘が冴える。
そして誰もが予期せぬもしくは予期していた合格を俺は成し得たのだ。当然だが耕造も合格した。5人は怜香のうちでパーティーを開いた。本来ならば「浩二を励ます会(仮)」だったのだが、それは「合格おめでとう会―5人の解散を予期する会―」に変わった。
交換日記はその皴を最後の最後まで埋めようとしていた怜香と真奈美の発案だった。順番に回しっこしたり、誰かの悪口を書いたり、先生の悪口を書いたり、びっくりしたこと、タレントの話、音楽の話、なぞなぞ。5人とも、色ペンを使っていろいろ書いた。
怜香と俺は帰り道が一緒だったから2人で書いたこともある。そこで初めてキスを覚えた。小学生のキスなんて、大人のそれとは違って甘酸っぱいもの。一方はツンデレ、一方は人間不信者。ぎこちないキスだったのを覚えている。
時はすぐに卒業シーズンになり色紙回しというのがあった。40人のクラスで順番に一人ひとりにメッセージを書くもの。2つの色紙を書いた。1つは本当のメッセージ。もう1つはいいところを伝えるメッセージ。怜香の俺に対する本当のメッセージを書いている色紙にはこう書かれていた。
「いいこと、悪いこといろいろあったけど一番にありがとうと一言 怜香」
なんでだろう。ありがとうなんて言葉に感動して鳥肌が立つような寂しさがあった。俺は、怜香に面と向かって「お前のことが好きだ」ということを言ったことがなかった。怜香は俺の「好き」という言葉をずっと待ち続けていたのがわかっていた。でも俺には彼女に「好きだ」と一言いえなかったのだ。怖かった。好きであることも怖かったのだ。
そうして、卒業し交換日記は俺の手元で止まった。俺は逃げ出したのだ。5人との仲から真っ先に逃げたのだった。怜香の両親が離婚したらしいという話を聞いたのは中学2年か3年くらいのときだった。真奈美も同時期に親の転勤で県外へと言ってしまったらしいという話も理季や構造からではない他の誰かから聞いた。
最低の思い出。
でも憧れる。あの時に憧れる。そんなことを実家に帰って引き出しを空けて思い出した。憧れる。俺はもう戻れないあの時に憧れやり直したかった。無理なことはわかっているけどその感情を何処に持っていけばいいのか分からないまま俺は睡眠薬をまた多くしてっていたので深い眠りについた。
「怜香、ごめんな。」
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朝眠い目をこすりながら起きる。本来なら9時に起きるはずが起きたのは10時前。急いで着替え電車に飛び乗る、10時11分の電車に乗り遅れた瞬間に2時間も到着が遅れる。世間は正月だからか初詣帰りの家族やバーゲン帰りのカップルであふれている。電車はそこまで混んでいない。そりゃそうだよね。正月に旅をする人なんてあたしくらいだ。なんでこんなことを考えたのか?それはあたしの単なる思いつき。そういつもそうなんだ。
あたしはいろんなことから逃げてきた。そして今回も逃げ切ったのだと思う。あたしの性格を形成したのは一体何が原因だったのだろうか?ひどく傷つくのが怖くて人と接するのが怖いあたしを生んだのは何だったのだろう。
この一年を振り返り結論として出したのが「何も考えずに生きてきたこと」だった。まあ、それなりには考える機会もあったと思う。が、どちらかというと他の人に比べると物事を考えない人だと思う。よく「何考えているかわからない」と言われる、一方で「わかりやすいよね」と言われる。両極端な顔を持つのはなんだか疲れる。不器用だともよく言われる。そうだと思う。
電車から漏れる冷気が心地いい。BUMP OF CHICKENのアルバムをリピートしながらこの旅は続いている。ああ、これだと思った。人の顔が違う。なんでだろう。
あたしは将来何をしたかったのかと考えている。わからない。思い出せない。思い出せないけど結局考えた末に今の会社で営業をすることを結論づけたのだ。無理矢理かもしれない。
世間体が気になる自分が嫌だった。ちょっと頑張ればそれらしい生活は送れるのだ。そこには身が伴っていないから糧にならない。いわば挑戦なのだ。いわば言い訳なのだ。存在意義がなくなってしまったら発狂してしまいそうなのだ。だから人を避けてしまっている。そのくせ人に頼りたがり人を欲する。自分勝手だと思う。あたしは自分勝手な臆病者なんだ。何かを創りたいと言っていた自分はどこにいったのだろうか。
自分に無理を強いてでも見極めたいことがあるのだ。うーん。かっこわるい。
東京を離れてわかることはいかに東京が特殊であるかということだ。世界をみても―あたしのいう世界はニューヨーク、ソウル、シンガポールくらい……か―ここまで忙しい都市はない気がする。東京で得られるものは計り知れないかもしれないが失うものも計り知れないと思う。
電車から見える風景。自分のボキャブラリのなさに思わず失笑してしまう。駅に雪が積もっている。異世界のようだけどここも日本のどっか。
本当に人が住んでるのかな、と思う。曽我部恵一ランデブーバンドのアルバムがあわない。曽我部恵一の音楽は田舎にはあわない気がする。東京できくからいいのかもしれない。実家にいる時もサニーデイ・サービスの曲はあまりあたしの心に刺さらなかった。だけどオザケンはなんだか心に響いてたんだよね。なんでだろう。
なんかあたし東南アジア系の集団に囲まれている(笑)怖い。恐怖というのは知らないものに出会うということだとあたしは認識している。理解できていないものを怖がるのだと思う。人を怖がるのはつまり人を理解でいていないというところなんだろう。雷も恐い。あの稲妻がどこに落ちるのか?あの雷鳴は一体どこからひびいているのか?取り急ぎ、周りを囲む東南アジア系の人たちの目線があたしに集まっていることは確かなようだ。東南アジア系の人たちの目線に恐怖を覚える。
MacBookを持ってきて正解だった。こうやってメモしながら旅ができるのは良い。裏を返すとあたしは文明の産物から抜け出せないと言うことでもあるのだが……。外の風景が都会から田舎へ変わるように帰る時には田舎から都会へと変わっていくのだ。寂しいけどそれはあたしが仕事モードになるのと同義なんだと思う。
小淵沢につく。まずはホテルを決めよう。まずはそこからだ。寒い。とにかく寒い。これから1時間くらいで松本に着く。松本についてホテルにチェックインしてからMacBookを置く。部屋にはLANケーブルがあるのでネットが出来る。どうしよう?何をしようか。とりあえず、「青春十八切符のすすめ」(確かそんなタイトル)という本は未だホテルのベットの上である。当然だが、かよと会っても着いてからどうするかなんて決まっていない。
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大学時代の友達の佳代と一日観光。いろいろと案内してもらう。地方都市にありがちな雑踏や古い建物に田舎臭さを感じる。松本城は山にはなくお堀に囲まれておりあたしがイメージする城とは違っていた。城は黒に漆を塗り恐々としていた。ちなみに、あたしのイメージしている城は山の上にある城。ちょっとだけの違和感を感じる。
歩きつつメモなんかはとれないので記憶に頼るわけだけど専らの話題は仕事の話だったり知人の話だったりする。多愛のない話だ。淡々とした感じもあり、沈黙もある。久しぶりにじっくりと時間をかけて話ができた気がする。仕事の話はやはり同じ社会人しかわからない。
でもなんだろうか。話したいことはまとまっていなかったのかそれともあたし自身が話をしたくなかったからだろうか。あえて話を切り出そうとしなかったこともある。まだ自分の中では整理できていない話だからかな。
松本がどれだけ栄えている街かは知らないけど時間の流れは地方独特のそれに似ていた。恐らく実家と同じ流れだと思う。
気づいたことは、あぁこの時間の流れが嫌で飛び出したんだと。自分にはもっと違う時間の違う世界が合っているはずだという錯覚である。気づけば病み淡々と仕事をしているサラリーマン。うーん、どうした。今の自分には確かにその気持ちはある。それと同時に「仕事」もあるのだ。その「仕事」に何を求めているのか?そこをはっきりさせたいと思ったこの旅だけど答えはでたのか?いや出ていない気がする。気がするのではなく出ていない。
難しい。
昨晩ホテルでみたイチローのプロフェッショナルという番組で思ったこと。気づいていたことではあるけど確認で書いておく。こつこつと毎日同じメニューをこなしていくことがいかに大変で精神的にも体力的にもすごいことなのか?。それがあの番組で女のあたしが感じたことだ。プロフェッショナルであることは継続して当たり前とされることをすることだ。
東京に帰ってから思ったことはまだ正月だからだろうか。人が少ない。あたしが恐れていることは。いきなり仕事モードになるこの街の怖い表情だ。ここにいる限り避けては通れないのだが怖い。向き合って生きていかないといけない。とはいえ、月に一回くらいはどっかにぶらり旅をしたい。
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私にはない。私には憧れるものがない。私は撮り続ける。様々なものを撮り続ける。きっとそれで食べていくことはできない。私は副業としてカメラマンを続ける。そして何を撮り続けるかと言えば私には目に映り直感で撮りたいと思うものでしかない。そこに意味があるのかどうかなんて関係ない。私は写真を撮り続ける。写真に映る匂いは心地いい。シンナーのような匂い。フィルムの匂い。被写体の匂い。それは私にしかわからない匂い。
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俺の最近のあこがれは寺山修司だ。何故かというと、ただ単に彼の本を読んで彼のようになってみたいと思ったから。憧れる。何かになりたい変装したい演じたいという欲求は肩書きとしての欲求ではなく変身に近いかもしれない。逃げたい。いまの自分を捨て去って新しい自分を生み出したいという欲求。
その憧れに寺山修司がいる。俺には「うつ病」という病いがあってきっとこれからも付きまとうんだと思うのだけどどうしようもなく俺には自分が怖くて人が怖くて他人と過ごすことに抵抗を感じてしまう。いや、俺はもう存在することを諦めてしまっているような気がする。
俺は与えられるのではなくて自ら与えたいのだと思う。何を与えるかというとプレゼントを与えるのだ。その中の1つで俺は変身をとげそしていつかまた振り返る。きっとそこにはまた変身を求める自分が生まれてくる。俺はまた苦悩する。きっと鬱も再発する気がする。
そうした憧れを抱きつつも俺は生きていることにもはや希望を見いだせないでいる。そうした時に俺は死んでしまうことが非常にいいことなんじゃないかと思う。もう断ち切ってしまうということである。
寺山修司に憧れるということは自らを消し去ることと同義で希望のない状況とも解釈できる。だから俺は首を吊るか練炭を焚くか、動脈を切るかの選択肢を今まさにとろうとしている。が、眠いので一先ず布団に潜る。冷たい、冷たい布団に潜ってみることにした。なかなか温かくならないことがわかっているのだけど睡眠薬を飲んで俺は寝ることにした。布団の中はだんだんきな臭い匂いになってきた。そうだ、お香を焚いていたのだ。お香の匂いがしている。
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あたしはどうやら取り返しのつかないことをしてしまったらしい。憶測でこれは書いているのだけどどうやらあたしは自殺を図ったようだ。左手首には包帯が巻かれている。朝なかなか起きてこないあたしを起こしにきた母親は驚愕したらしい。青ざめたあたしの顔とカッターと血がそこにはあったから。とりあえず母親は叫んだみたいだ。
「きゃー!」
あたしは救急車に乗った。妹も乗っていた。あたしの意識はもうろうとしていて軽い痛みを感じることができた。妹はなんかよくわからない顔をしている。あたしは再び眠った。
気づいた時にあたしは救急車から降ろされ救急病連へと運ばれた。あたしはとりあえず暴れてみた。
「死にたい!」「殺せ!」「あたしは死にたいの!」
と叫んでみた。看護婦に押さえつけられ医者に注射を打たれあたしは強制的に眠りにつかされた。
あたしはその晩の夢を覚えていない。けどふと目が覚めてみると血の匂いがした。よくわからなかった。何故血の匂いがするのだろうと。そうかわかった。あたしは左手首を切ったものの血の味を確かめたいと思って吸ったのだった。その味はイチゴやメロンやコーラの味ではなく何か唾液のような薄いものだった。薄味。あたしの血は薄い。そう思った。あたしはそうしてまた眠りについた。
「死にたい」
あたしの憧れはない。もはやない。生きていこうという憧れや、友達とか恋人と一緒に過ごしたいという憧れ、欲求がない。そこには希望もなければ救済なんかもない。だからあたしはどうしようか迷っていた。ミスってしまったのだ。次はもうない。次はきっと確実に死んでしまうと思う。
あたしは2週間ほど入院することになった。病院に入院することが初めてだったあたしは初めは看護婦さんの足音や、隣のベッドに寝ている一回り下の女子高生の寝息やとにかくありとあらゆる音に敏感に反応していた。その度に左手首が痛むのを感じた。
浩二や由季も東京からはるばる見舞いにきてくれた。あたしの好きな本を選別して持ってきてくれた。持っている本だったけど29歳にもなるのに「ズッコケ三人組シリーズ」の山賊が出る奴と寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という全く意味が分からない差し入れにあたしは笑った。
3人と話をしたのは久しぶりだった。浩二は死相が出ていたけど多分あたしみたいに自ら命を絶つことなんて、あたしみたいに行動に移せないと思う。臆病だし彼は男の子だから。愛子は相変わらず写真を撮っていた。何ふりかまわずあたしの左手首を撮っていた。あとで現像してもらうこともちゃんと約束した。
あたしは2週間という期間で様々な検査を受けた。精神鑑定というやつである。よくドラマなんかである頭の中を(脳みそ?)とるCTとかもやった。歩けるのにわざわざ車いすに乗せてくれる。病院というところは実に快適なところなのだなあと思ったのだ。でも早くあたしは退院したかった。そしてまた一人暮らしをしたかった。
父親の話がここで出てこなかったのには理由がある。父親は怒っていた。それはあたしに対する怒りと自らに対する怒りらしい。あたしは父親から平手打ちを食らった。そして父親からはあたしはこの言葉ももらった。
「ごめんな」
あたしは全く理解が出来なくてそしてその謝罪の言葉が誰に向けられているのかわからなかった。あたしはベッドの横のテレビが置いてあるところにある花瓶を眺めながら父親の平手打ちと「ごめんな」という言葉に関して考えを巡らせていた。
父親はあたしに対し何か悪いことをしたのだろうか。父親は何か悪いことをしたのだろうか。父親は何か悪いことをしたのだろうか。大事なことなので3回言うが、大事なことじゃない気がする。それがあたしにはわからなかった。
程なくして、あたしは退院することになった。自宅には帰りたくないと本気で思っていたので頑として実家に帰ってくることを進めてくる親を振り切りあたしは飛行機に乗った。妹の手を借りた。妹にはもう伝えたのだ。あたしは死なないから一先ずあたしを解放してくれと。妹は何を考えているのかわからないから説明するのも面倒だしあたしの気持ちをダイレクトに伝えれば事足りると思ったのだ。そして、妹の運転する車であたしは東京に戻った。
実家からの連絡はそれっきり途絶えてしまった。きっと妹がなんとかごまかしたんだと思う。あたしは今、何に憧れているのだろうか。やっぱりあたしには憧れるものがない。
血の匂いがする。あたしは血の匂いに憧れてしまったらしい。永遠に付きまとう匂い。
エピローグ
死にたいと思う人がいて死にたくないと思う人がいてその人達にはそれぞれの理由がある。死にたいと思う人はいつも罵倒される。頑張れと言われる。頑張れないから死にたいと思うんだ。死にたくないと思う人の気持ちなんてわからないから死にたいと思うんだ。それらを分かる人もいないこともわかっている。
言い訳が得意になるのが東京という街だと思う。自分がどうしたかったのか?そういうことを気づいたら忘れていて本気になるには腹を決めて飛び込む以外にないのだと思う。
一日が楽しくない。悶々としていて、何もかもを否定的に見てしまう。何故かわからないけど読んでいる本でもそこには人を罵り自分を下げずんで自信のないものばかりである。
恋をしていた。僕の恋はいつもその子を見つめているだけで特に何か表立ったことはしない。気づいたらその子には別の人が見えている。時々ご飯を食べに行ったり、僕という存在を覚えていてもらうだけでそれだけで良かったりする。性的な欲求はどうにでもなるがそんな僕でもやはり人が恋しくなるし抱きたくもなる。結局は寂しいのだ。傷つくのが怖い。その後の関係が怖い。ある人は言った「別れと同時に次の出会いが始まっているのだ」と。
一人になることはつらい。
僕の人生を振り返ると根本的に人に嫌われることを避け傷つくことを避けてきた。都合のいい時に人に甘える、そんな自分に生きている価値なんてあるのか?そういうことを考えること自体がそもそも逃げているんだと思うが今の僕にはそういうひねくれた臆病な自分しかないのだ。
そんな僕の物語である。東京は僕を受け入れた。いや誰しも受け入れるのだ。そこに匂いがある。東京の匂いがあるのだ。その匂いに僕は翻弄される。
東京には匂いがある。勝手に解釈される東京。エゴに満ちあふれている東京。
(了)




