拓跋帛伝 2回
この三日間は針の筵の上に座っているかのような心地であったと、後に拓跋帛は語った。政庁にいれば節度使の父、拓跋望になじられ、街に出れば賊に追い払われた敗将との視線を投げかけられる。屋敷に篭りたいが、口うるさい母が病でも無いのに出仕しないとは何事だとわめきたてる。親が金で買った仕事で、なぜ自分がこのような目に逢わなければならぬのだ。憂鬱である。
「これであの男が詐欺の類であったら、いっそのこと首でもくくるか……」
悲壮である。だが、一縷の望みを抱いて先日の酒場へ向かう拓跋帛。怒りに身を任せてしまったとはいえ、何故あのような約束をしたのかと後悔しきりである。
約束の酒場につくと、前と同じ壁際の席で酔狂と名乗ったあの男が、ちびちびと酒を飲んでいた。いてくれた、という安堵感と、これで益体も無い話を聞かされたらという不安感を抱きつつ、酔狂に話しかける。
「約束は守ってもらうぞ」
「ほいほい、っと。んじゃあさっそく行くかね」
どっこいしょ、と立ち上がる酔狂。
「行くとはどういうことだ」
「どうもこうも、ここに来いとは言ったが、ここで教えるとは言っとらんでな。まあいいからついて来い」
他の客の、きっとかつがれたんだぜと哂う声を後にして、拓跋帛は酔狂の後を追うのであった。
酔狂が立ち止まったのは、城の兵士たちの武器を作っている鍛冶屋の前であった。
「おやじ! わっしの頼んでたもの、出来とるか!」
「おーお前さんか。本当に節度使様が払ってくれるんだろうな?」
酔狂の呼ぶ声に、店の奥から鍛冶屋の店主が顔を出した。
「まだ疑っとるのか。ほれ、ここに節度使様のご子息もおるだろう。いいからさっさと例の物をもってこんか」
「お、おお、これはご子息様。少々お待ち下さいませ」
あわてて店の奥に引っ込む店主を見送り、酔狂に話しかける拓跋帛。
「勝てる策とは、武器のことだったのか。しかしいったいどのような」
「あわてんなよって。ほれ、出てくるぞ」
酔狂の言葉どおり、店主が姿を現した。その手には、長い、長い槍が握られていた。
「こ、この槍は」
「兵士が臆病なんだから、自信が持てる武器があればいい。相手の武器より外の範囲から叩けるこの槍なら、きっと勝てるだろうさ」
「ご子息様、ひとまず見本として作らせていただきました。ご注文の残りも、急ぎご用意させていただきます」
店主がもみ手をしながら拓跋帛にいう。ぎょっとして横の酔狂を見るが、その酔狂はにやにやしながら無精ひげの生えたあごをさすっていた。
「なに、千本ばかり注文させてもらっただけよ。一本で戦えるわけがあるまい」
「なんの断りも無く、1000本だと!?」
驚いた拓跋帛が酔狂につめよるが、その言葉を聴いて仰天したのは鍛冶屋の店主。目を見開いてつばをとばしながら拓跋帛に詰め寄った。
「どういうことですか!わたしは城主様がこの大長槍を1000本注文するとこの方から聞いて、方々に手配して材料を集めさせているのですよ!」
「何故このようなみすぼらしい男が城主の代官だと思ったのだ!」
「先日はこんなきたならしい格好ではありませんでした! 綺麗な身なりの方だったんですよ!」
泣きそうな様子の店主に、拓跋帛はますます混乱する。言葉を失った拓跋帛に、笑いながら酔狂が話しかける。
「まあ、1000くらい節度使様ならたいした出費でもあるまい。これで賊に勝てるのだから、まあ安いものよ。そもそもあんたが賊の討伐に失敗するからこんなことになってるんだ。少しは反省したらどうだ」
何故か酔狂に説教までされてしまった拓跋帛は、ぎろりと酔狂をにらみつける。酔狂はどこ吹く風で顎鬚をさすっていた。はあ、と大きなため息をついた拓跋帛は、どこか覚悟を決めた目で店主に向き直る。
「分かった、店主、1000本任せたぞ。ただしなるべく早くに頼む」
「ええ、ええ、それはもう、払うものさえ頂ければ」
話がついたことを認めた酔狂は、その場を去ろうと背を向ける。
「よし、それじゃあわっしはこれで」
だが、拓跋帛はその肩を掴んで引き止める。
「まて、今度の戦には貴様も同行してもらうぞ。わが軍が実際に賊を退治するまでが貴様の仕事だ!」
「仕事ときましたか。それじゃあ、また酒代を出してもらおうかい。そうすれば最後までつきあうぜ」
「この酔っ払いめ!」
役に立たなければ首をはねてくれる、と心に誓った拓跋帛は、こうして得体の知れぬ男に命運を預けることになってしまった。